1998年1月15日
経済社会理事会
一般配布 経済社会理事会 人権委員会 1998年 文書番号70
(Distr. GENERAL E/CN.4/1998/70)
1998年1月15日
原文: 英語<ビルマ国際議連・日本仮訳>
人権委員会
第54回会議
暫定的な協議事項の第10項
世界のすべての地域における、特に植民地及び従属国・従属地域における人権および基本的自由の侵害に関する問題
ミャンマーの人権状況
国連特別報告官ラジャスーマー・ララ氏の、人権決議1997/64に基づく辞令に従って提出された報告
A SLORCの再編成
B 民主主義の統治に関する権利
C 超法規的処刑、即決もしくは恣意的処刑
D 恣意的拘留
E 拷問および残酷、非人道的、もしくは卑劣な待遇あるいは罰
A 国際的な標準
B 公民としてのミャンマー女性の生活
C 難民の女性の状況
D 女性と強制労働
A 結論
B レコメンデーション
1.ミャンマー の人権状況に関する人権委員会特別報告官の任務は、特別報告官が総会へ提出した報告書にそれぞれで記述されている。(書類付属書A47/651、A48/578、A49/594および追加1、
A50/568、A51/466、およびA52/484)
さらに人権委員会に提出されたものにも記述されている。(E CN.4/1993/37、E/CN.4/1994/57、E/
CN.4/1995/65と関連1、E/ CN.4/1996/65とE/ CN.4/1997/64)
その任務は、1992年3月3日の決議1992/58として委員会によって明瞭に示されている。
さらに1997年4月16日の決議1997/64は、特別報告官にミャンマー政府と直接の連絡を続けて任務を遂行することを要求している。(この決議は、経済社会委員会によって1997年7月22日、決議1997/272として承認された)
その任務はミャンマーの人権状況を調べることを目的としており、自由、家族、弁護の機会を奪われた政治的指導者を含めたミャンマーの人々、また個人的な自由への制限の撤廃、ミャンマーの人権の回復への動き、さらには民主主義の統治システムの設立に向けた進捗状況を調査することも含まれる。
2. 決議1997/64で、委員会はミャンマー政府に対し、委員会の任務に全面的に協力するように訴えた。 特に、特別報告官の全面的な任務の遂行を可能にするため、ミャンマー政府が前提条件なしで調査を保証することを求めた。それには任務遂行の過程で特別報告官が適切な人物に会うことを保証されることも含まれている。同時に国連事務総長に対し、特別報告官にすべての必要な援助を与えるように要請した。さらに第52回国連総会および第54回委員会会議で、特別報告官が報告を行うことも求められた。
3、ミャンマーの人権状況に関しての諸国家の憂慮は、過去6年にわたって国際連合のさまざまな専門機関によって決議されてきた。とりわけ、最近の国連総会決議52/137と委員会決議1997/64がある。
これらの憂慮は次の形で要約できよう。
(a) ミャンマーでの人権侵害には次のようなものがある。
裁判によらない、即決か、あるいは恣意的な処刑を含む継続的な人権侵害。一般市民の殺害、拷問、恣意的逮捕および拘留。収容者の死。適正な法律上の手続きの欠如。とりわけ適正手続きなしで秘密裏に拘留者の裁判を行っていること。意見、表現、集会、結社の自由への極端な制限。移動の自由の侵害。強制移住。成人および子どもの強制労働、これには軍のための荷役が含まれる。政府機関による女性と子どもの虐待。民族、および宗教的な少数派に向けられた抑圧措置。
(b)1990年の選挙で人々は民主主義統治設立の意志表示をしたが、それに向けた必要なステップが欠如していること。
(c) 国民会議 (National Convention) の議事運営手続きに関し、1990年に民主的に選出された代表者を除外し、その後公式に会議から除外された国民民主連盟(NLD)のメンバーを含む代表者たちへ極度な制限を加え、さらに文書の配布のために人に会うことを許可せず、国民会議の運営はタッマドー(ビルマ国軍)の指導のもとに行われており、この会議が民主主義の修復に向かって必要なステップを形成するようには思われない状況である。
(d) 表現の自由、集会、結社の制限。さらにアウンサンスーチーと他の政治的指導者に対する移動の制限。継続的な逮捕および国民民主連盟のメンバーと支持者へのいやがらせ。労働組合員と、穏やかに権利を行使する学生への表現の自由、集会、結社の制限。選出された代表者への辞表の強制。アウンサンスーチーに対する継続的な攻撃。すべての大学および、1996年12月に学生デモが行われた大学の閉鎖。
(e) 強制移住と、少数民族に対する人権侵害。その結果、隣接する国に難民の流入をもたらし、さらにその難民に攻撃を継続し、死、破壊およびさらなる移住をもたらしていること。
(f) 「子どもの権利条約」に違反し、子どもの権利を侵害していること。
特に現存の法律には条約を履行するための適正さが欠如しており、子どもたちを組織的にリクルートして強制労働を行わせたり、少数民族や、宗教的な少数派に属する子どもに対する差別などが行われている。
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1.1997年11月12日、特別報告官は第52回国連総会に、ミャンマーの人権状況についての暫定報告書を提出した。(A52/484、annex)。 ニューヨーク滞在中、報告官は、政府およびNGOの代表者、あるいはミャンマーの人権状況について詳しい人々と会見した。
2.特別報告官は任命されて以来、ミャンマー政府の協力を求め、さらにミャンマーを訪問して国内を旅行し、ありのままの状況を調査し、任務遂行に必要な適切な政府代表者およびその他の人々と会見することを求め続けた。この事実に留意していただきたい。国連総会および人権委員会がミャンマーの人権状況の包括的な査定が出来ることを保証するためである。
3.さらに、1996年11月の国連総会に特別報告官の最初の報告が提出され、ミャンマー連邦終生大使が特別報告官の査定に同意しない旨を表明したことにも留意していただきたい。大使は、しかしながら、特別報告官のミャンマー訪問は、適切な時期に認められるであろうことを表明した。1997年4月の委員会の第53回会議で、ミャンマー終生大使は同様の表明をした。これらの表明にもかかわらず、これまでのところミャンマー当局は特別報告官の訪問を認める措置を取っていない。
さらに最近では、1997年11月の国連総会での人権状況についての討論の間に、ペタインティン終生大使
(Ambassador U Pe Thein Tin) は、再び特別報告官による査定に関して難色を示し、さらに特別報告官は適切であるとみなされた時期にミャンマーを訪問する機会が得られるであろうと繰り返した。
特別報告官は、任命されて以来2年以上にわたってこの件での進展がなく、国連総会と委員会との求めにもかかわらず、訪問の機会が得られなかったことを残念に思う。
4、特別報告官の報告に対してのミャンマー当局による批判の理由は、主に、報告の中で「人権とはまったく無関係の理由で政府に反対している人たちの見解に留意すべきだ」。と書いてあることにあると考える。それは、もし国連総会と委員会が、政府に反対する人々の意見を真剣に調査し、有意義な結果を得るなら、それを理論的に考える立場にあるミャンマー当局にとっては、特別報告官の訪問に同意することが不可欠となるからである。
5、ミャンマー政府の代表者たちとの人権に関する苦情の論議を避けているのは、特別報告官ではないことが指摘されなくてはならない。それどころか、ミャンマーの人々と直接面談することを拒否し続けているのは、まさにミャンマー政府当局である。
特別報告官に出来ることはと言えば、タイ−ミャンマー国境区域のタイ側、つまりミャンマーの外部で、多数の強制移住者に接することだけである。
住民の苦情は特別報告官による委員会と国連総会への報告に反映されることになる。特別報告官はそれが、当局自身のためでもあることを確信している
さらに、国際連合を代表とする国際社会に誠意を示す意味で、訪問を受け入れるべきであると考える。これはミャンマー政府の憲章にも、国際連合と共に協力すべきであることが明言されており、その合理性を証明することにもなるであろう。
6. ミャンマー政府による協力の欠如にもかかわらず、特別報告官は政府部内、およびそれ以外のソースから、多くの助言と情報を受け取った。同じく、さまざまな方法で、ミャンマーの状況に関連した個人からの情報を受け取った。同様に、国連総会と人権委員会が憂慮する問題に関し、ミャンマーの状況を記述したいくつかのきちんと文書化された報告を受け取った。それに劣らず重要なことは、ミャンマーから逃げてきて、タイ−ミャンマー国境に沿って移住している人々からの直接の連絡により、情報を受け取り続けたことである。
7.今回の報告は1997年12月19日まで特別報告官が受け取った情報に基づいており、さらに特別報告官からの、国連総会への報告にも記述されている。
この報告書ではいくつかの問題は扱われていない、総会で論じられるであろうある特定の問題を更新するためである。
委員会決議1997/64によるパラグラフ4(a)に応えて、報告官は入手可能な情報に基づいて女性の章を加えた。
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A.SLORCの再編
1.1997年11月15日に、国家法秩序回復評議会(SLORC)は解散し、19人のメンバーから成る国家平和開発評議会(SPDC)として再編成された。(1997年11月15日付のSLORC通知
No. 1/97)
その目的は
「秩序のある躾られた民主主義の出現を保証する」ためであり、「すべての国民のための、平和で近代的な国家
」を確立することにある。
4人の元SLORC最高指導者、 タンシュエ上級大将、マウンエイ大将、 キンニュン中将、ティンウー中将は
SPDCの中での地位を維持している。さらに、ウィンミン中将がSPDCの第3書記に任命された。他のメンバーには、海軍と空軍の最高司令官および12人の陸軍地域
指揮官が含まれている。
2. 1997年11月15日付のSPDC通知 No.2/97は、同じく、40人のメンバーによる内閣を設立した。2つの新しい省、軍事省と電力省が作られた。
同じ日付の、SPDC通知 No.3/97ではさらに14人の顧問グループを形成したことを発表した。このグループは、政権と内閣での地位を失っていた13人の元SLORCメンバーから成り立ち、14番目のメンバーはソーミント少将である。
B. 民主主義統治に関する権利
1.国連総会への報告提出にあたって、特別報告官は政党への制限解除に関して積極的な態度が出始めていたとの見解を示した。特に国民民主連盟(NLD)が集会を開催する件に関して顕著であった。この件での当局の変化を歓迎する。しかしながら、当局は次のパラグラフが示すように、集会の開催場所の制限、集会の協議事項への制限、出席者の数への極度な制限、および集会の監視という形をとった。
2.1997年9月27−28日には、前の年と異なり、当局はNLDがアウンサンスーチー書記長住宅で9周年記念全国大会を開催することを許可した。およそ600人の代表者が2日間の集会に出席し、逮捕者は出なかった。しかしながら特別報告官は、数多くのNLDメンバーが諜報員と機動隊によって、アウンサンスーチー宅へのアクセスを拒否されたという報告を受けた。 1997年9月28日、およそ30人のNLDメンバーは、治安部隊によってトラックの中に押し込まれ、首都の郊外1時間の場所に連行され、2、3人ごとに道ばたで降ろされ、帰宅させられた。
1.NLDが集会開催の許可を求める場合、当局は集会が特定の目的に向かうことを想定して許可を与えているように思われる。目的以外の論議は許されないように思える。1997年10月10日、当局はNLDが宗教的式典を開催するのを許可した。およそ200人の著名人が書記長宅での行事に出席した。政府公式発表 No.A- 0171は、1997年10月16日の日付で、「式典が純粋に宗教的な活動であり、純粋に伝統的な宗教的儀式以外は行われないという期待のもとに適切な開催資格を授与した」と述べている。
2.1997年10月28日、アウンシュエ会長、チーマウン副委員長、ティンウー副委員長およびアウンサンスーチー書記長によるNLD代表団が、ヤンゴンの北のマヤンゴンのオフィスでNLDの地元のメンバーと会見することを計画した。当局は集会が行われるのを阻止する処置をとり、NLD代表団がオフィスに到着したところ、誰もいなかったので、そのまま帰ったと報告されている。
SLORCインフォメーション・シート No.A - 0186とA - 0187によれば、1997年10月28日の日付で、
「NLD代表者は同じく(当局によって)このような活動(大集会)は、治安および秩序安定のために、アウンサンスーチーの大学通りの屋敷内で行われるべきであると助言された」。と述べられている。
3.当局は集会開催の許可を出す時はいつも、出席人数を制限している。NLDの9周年記念日を祝う式典に関して、1997年9月26日の日付で当局が与えた認可は、出席人数をを300人に制限している。
1997年10月10日の宗教的な式典を祝うことに関して当局は、「招待客の数は100人以内でなければならない」と制限した。(政府インフォメーション・シート
No. A - 0171参照)
4.最終的には、集会は当局によって厳密に監視され、集会に出席した人々の名前はシステマティックに登録されている。1997年11月24日、77回目のナショナルデーを祝う記念式典がアウンサンスーチーの自宅で開催された。特別報告官が受けた報告によれば、式典に出席する人々は大学通りの入口で、当局が招待者の名前をチェックして登録し、写真を撮り、半時間待つことを強要された。当局が付近の交通を整理して、集会出席者が公共の順序を乱さないための適切な処置をとる必要があることは納得できる。しかし、出席している人々の登録をし写真を撮ることは完全に不必要なことである。それどころか、このような行動は基本的な集会の自由と個人的な自由を阻害するだけでなく、意図的な妨害である。
5.自宅軟禁解放のほぼ2年後には、NLD書記長の行動と社会、政治的な活動の自由に対し、絶え間のないいやがらせ、および中傷を含む重大な制限が科され続けていることが報告されている。週末に行われてきたアウンサンスーチー宅からの演説が止められ、彼女の家に通じる道路にはバリケードが立てられた。さらにアウンサンスーチー本人と訪問者の両方が警察あるいは軍によって常時監視されている。1997年10月24日のSLORCの声明によれば、アウンサンスーチーの政治的な活動は「法律の枠組みに従う限り、……」制約されていないとし、「彼女の行動についての政府による制限はない。事実、当局はただ彼女自身の安全のために家の外での活動に注意するよう、さらに法律および条例の枠組みの中で平和、平穏と秩序安定を乱さない政治的活動を行うように要請するだけである」。としている。
この声明から、適切な法律と規則が、政治家が通常必要時に得られる国家による保護のために機能しているのではなく、国家自身がそれを破っているのではないかという重大な疑問が持たれる。
6.1997年12月19日に、ジュネーブでのミャンマー国連終生大使は、特別報告官を支援するために指名された人権高等弁務官事務所高官に対して、「スーチー、予定されたスケジュールを自由に果たす」と題された文書を渡した。文書には1997年12月11日から17日までの日ごとの記述があり、2人の外国の外交官を含む彼女を訪問した人々、あるいは彼女が訪問した党員の名前が記載されていた。アウンサンスーチーが社会的および政治的な権利を自由かつ完全に行使できるためには、社会的および政治的活動、集会および演説の自由に対するすべての制限が、撤廃されるべきであることが望ましい。
7.当局とNLDの間の対話の開始は難しく、当初から不安定であった。1997年12月18日に家族大臣を首班とするSPDC代表は、NLDの5人の中央執行委員会(CEC)メンバーとの会談を行った。
1997年12月19日の会談では、その目的に関したメモが作られた。メモによれば、「会談はNLDと国家平和開発評議会の間で、より良い理解と協力を醸成する目的で、家族大臣によって開始された」。とある。会談では、SPDCは
「NLD中央委員会メンバーに心から助言する。それは当局が憂慮する状態を作ることから思いとどまるべきであり、思いとどまらないならば必然的にNLDに必要な措置をとることを強いられる」と述べた。
特別報告官はこの会談に関してのNLD代表者の見解を述べた情報は得ていない。
8.今日までの特別報告官が知りうる情報としては、これが1997年11月15日に政権が再構成されて以来最初の政府の代表者とNLDの間の会談であった。最近NLD幹部が政府リーダーに会ったのは1997年7月である。その時、アウンシュエNLD会長と2人の中央執行委員会メンバーは、SLORC第一書記キンニュン中将と政治問題を論じている。1997年9月中旬には、SLORCの高官複数がNLDの代表者を招待し、討議をすることとなった。この会談は不成立だった。NLDがすでに決めていたNLD書記長を当局がその受け入れに難色を示したことからと思われる。今後の対話では、代表団メンバーを決めることはNLD自身の自由とされるべきである。
9.特別報告官は、政治的対話の開始に関して、国連総会および人権委員会による助言に従い、1990年の選挙での選出政党および少数民族の代表者を含めた政治対話のために真剣な論議が継続されることを望む。
10.1990年選挙の国民の選択以降、政府が追い求めて来た市民および政治的権利に関する抑圧的政策の変更の内容と度合いを判断するのあまりにも早いと思われる。しかしながら、当局の態度の歓迎されるべき部分的変更が、現在いかに限定されていたとしても、それが継続し、当局が人々の意志を理解することにつながり、民主主義の余白が広がる可能性が望まれる。特別報告官は以前の報告で、政治的権利への侵害こそが、ミャンマーでの人権侵害の元になっていることを調査した。
C. 超法規的な、あるいは即決もしくは恣意的な死刑執行
1.委員会への最近の報告で、特別報告官は、政府が1988年9月18日から1992年12月31日の間に受けた死刑宣告を終身刑に減刑する決定をしたと述べた。今年、特別報告官支援のために人権委員会オフィスが任命した事務官は、ミャンマー終生代表大使から「赦免と減刑」と題された1997年12月1日SPDC発行の文書を受け取った。(命令 No. 1/97)その中に記載されていたものである。
2.それによれば、死刑、無期懲役もしくは10年以上の刑を宣告されている民間人収容者、または軍事裁判所によって判決を受けた者は減刑されて、次のような措置を受ける。
(a)死刑宣告を受けた者は終身刑(実際上は20年間の投獄)に減刑される。
(b) 20年を超える刑期、および無期投獄を宣告された者は、15年に減刑される。
(c)終身刑を宣告された者は、10年に減刑される。
(d) 10年間を超え20年までの判決に処せられたものは、10年に減刑される。
3.この命令は、 法律として、1997年11月15日以前に下された判決に適応される。
4.この命令に基づく赦免と減刑による刑期によって、該当する囚人に通常与えられている権利に対す る影響があってはならない。SPDC の初期の行為の1つが死刑囚への減刑であったことは、生きる 権利の保護という意味では進歩であり、このことについては特別報告官は満足している。
2,特別報告官は即決処刑を鼓舞するような明白かつ組織的な政府政策の存在については確認していない。しかしながら、さまざまな形で、タッマドー(ビルマ国軍)が世界人権宣言第3条にうたわれている生存権を侵害し、市民および反政府活動家を恣意的に殺害しているという頻繁な申し立てがあることを大いに憂慮している。生存権はすべての状況の下で、例外なく、すべての国家を拘束する不文律の性格を持っている。次は、多くの申し立ての一部であり、特別報告官が受け取ったものである。
(a) 1997年6月7日、シャン州ムーンパン郡ワン・チョーンの3人の村人が、 ムーンパン駐留の第332軽歩兵大隊の兵士によって殴り殺されたとの申し立てを受けた。3人の犠牲者の名はルーンザリー、ルーンナンタとサイターである。
(b) 1997年6月13日に、 ムーンパン郡の別な村の5人の村人が、ムーンパン駐留の第332軽歩兵大隊の兵士によって殴り殺されたとの申し立てを受けた。5人の犠牲者は
ナンマーモン村のパンニャ、ナウンハーン村のルーンパエ、ワンクン村のパーカーオ、ロイノイ村のスーナンター、それにロンケーン村のスーナーターである。
3,特別報告官は、超法規的または即時処刑、あるいは恣意的処刑に関して、昨年、ミャンマー政府に生存権侵害に関する3つの書簡を伝達した。
1つめの書簡は、1997年1月3日にタイの難民キャンプに居住していたことろ、武装集団によって殺された3人のカレンニ族に関してのものである。
もう1つの書簡は、1997年1月28日と29日に、SLORCの支援を受けているとされる民主カレン仏教徒軍
(DKBA)によってタイの難民キャンプで処刑されたと報告されている3人の難民についての憂慮である。
3番目の書簡はタッマドーによって1996年10月30日と11月13日に恣意的に処刑されたと報告されている2人のシャン族農民についての憂慮である。
ミャンマー政府からの返答および特別報告官による超法規的な、即決もしくは恣意的な死刑執行に関する所見は書類A/
CN.4 /1998/68/ Add.1 のパラグラフ285-288に記載されている。
特別報告官が以前の報告書で述べたことだが、即決処刑あるいは恣意的処刑についての申し立てや、他の基本的な権利の侵害に関して大量の報告が寄せられている。特に少数民族の住んでいる区域での類似の申し立てが継続している。当局が言及されていることがらに関して広範囲のレベルの高い調査を行うことは最重要である。
これらの行為の大部分が軍による上下関係あるいは兵士同士によって行われたことは事実である。もし申し立てが事実に基づいているなら、これらの行為は軍の上官の命令なしで犯されたはずがない。
D 恣意的拘留
1、1997年の間に、NLDメンバーと支持者、さらに政治活動に関係している人々が、表現の自由を行使したり、集会を開催しようとすると、継続的ないやがらせを受けたり、恣意的に逮捕、拘留されたりしているという報告がなされてきた。
2、1997年6月27日、特別報告官は、拷問に関する質問とともに、恣意的逮捕と拷問の申し立てに関する釈明を求めるため、ミャンマー政府へ緊急アピールを送った。(参照 E/ CN.4/1998/38/ Add.1 para255)。特別報告官は、国際赤十字委員会(ICRC)がいまだに刑務所と留置所への自由なアクセスを許されていないということを特記する。
3.緊急アピールは、1997年6月13日に、ビルマ労働組合連盟の2人の執行委員会メンバーと家族が、情報局によって逮捕されたことに言及したものである。同じく全ビルマ石油化学組合のメンバーであるウ・ミョーアウンタンはヤンゴンのミンガラドン国際空港で妻子とともに拘留されたと言われる。同じく、国際輸送労働者連盟(ITF)の関連団体であるビルマ海員組合事務局のウ・キンチョーは、自宅で妻とともに拘留されたと伝えられている。申し立てによると、彼はすでに拷問にかけられており、妻は1993年に拘留された時に性的に虐待されている。ミョーアウンタンとキンチョーおよび一緒に拘留された家族が、今回の留置期間中に拷問あるいは他の虐待を受けるかもしれないという恐れがあることをアピールに記述した。
4.緊急アピールでは、同じく次の NLDメンバーが1997年6月13日から拘留されているとの特別報告官への報告も加えた。
キンマウンウィン(コ・サニーとして知られている。NLDの公式ビデオカメラマン)
チョーアウンタン(アウンサンスーチーNLD書記長の親類で元アシスタント)
ドー・キンマタン( チョーアウンタンの姉妹)
ウ・シュエミン(チョーアウンタンの夫)
ウ・オーンミン (80歳を越すNLDのアドバイザー)。
5.1997年7月24日、ミャンマー政府は上記の7人がテロリスト活動に関係していることがわかったと回答してきた。(キンマタンとシュエミンをそれぞれグエママタン、ウ・シュエミンアウンと訂正してきている)。彼らは外国の大使館と国のリーダーの住宅に対する爆弾攻撃、および変圧器の爆破、電話線の切断および労働者の煽動を計画していたとされ、チョーアウンタンは、外国人がアウンサンスーチーに会う約束をすることに関与したのことである。ミョーアウンタン、グエママタン、チョアウンタンはアウンサンスーチーへの経済援助を得るために外国人と秘密の接触を持ったとされている。ミョーアウンタン、グエママタン、チョアウンタン、キンマウンウィン、ウ・オーンミンは、バンコクで開かれる難民のための慈善ショーに向けてアウンサンスーチーがカレン族の民族衣装を着ている映画をプロデュースして、国外に持ち出すことを画策したと言われている。ミャンマー政府は拘留された人々は留置期間中、虐待される心配はないと付け加えている。拷問および他の残酷な虐待や、下劣な待遇は、ミャンマーでは適切な法律と規則によって禁止されており、当局の担当機関によって良心的に履行されていると回答してきた。
1、1997年11月4日、ふたりの特別報告官が、さらにもうひとつの緊急アピールをミャンマー政府へ送った。1997年10月28日と29日の夜、報告によれば8人が治安部隊によって逮捕された。うち7人がNLDのメンバーと言われる。(参照 E/ CN.4/1998/38/ Add.1 para 256)
2.申し立てによると、ヤンゴン郊外のNLD マヤンゴン地区オフィスで、アウンサンスーチーとのミーティングを開催しようとしたところ、逮捕された。集会は10月28日の朝に予定されたが、治安部隊がバリケードを組み立てて開催を阻止したと言われる。多くのNLD支持者が逮捕され、その後解放されたと伝えられている。
次の8人はまだ拘留されると思われる。
ドー・マイウィンミン (NLD地区オーガナイザー兼マヤンゴン地区選出議員)、キンマウンミン
(NLD中央青年部メンバー、ラタ地区書記)、ドー・サンサン (NLDセイッカン地区副会長、NLDの女性リーダー)、ウィンウィンタイ(ヤンゴンNLD青年部メンバー)、ウ・ソーミン
( タケタNLD会長)、ドクター・タンネイン(チャウクタン地区選出議員 )、ウ・ウィンタウン
( マヤンゴンNLD事務所会長)、ウ・ミャータウン( マヤンゴンNLD事務所の家主)。
また若干の書類が持ち去られたと言われる。
伝えられるところによれば、彼らは陸軍情報部員を含む治安部隊によって逮捕され、連行された場所は不明である。アピールでは彼らが留置期間中、拷問あるいは他の虐待を受けるかもしれないという恐れを述べた。
1.ミャンマー政府は特別報告官たちの手紙に対し具体的な返答はしなかったものの、特別報告官支援のために人権委員会事務局から任命された事務官が、ミャンマー終生大使から1997年12月10日付のオフィシャル・インフォメーション・シートNo.A
- 0241を受け取った。これらのケースについての情報が記載されていた。それによれば、
「1997年12月9日に、インセイン更生センターの特別法廷は1950年の緊急措置法第5条に基づいて、NLDの7人に判決を下した。
「治安あるいは連邦法と秩序の回復を阻害する手段で、民衆の道徳、民衆もしくは民衆の一部に国際的な害を与えた罪」
(a)ドクター・タンネイン
(b)ウ・ソーミン
(c)ウ・ウィンタウン
(d)ウ・ニャンタウン
(e)ドー・マイミン
(f)マーマーウィンウィンタイ
(g)ウ・キンマウン
「法廷は1950年の緊急措置法5条(j)に基づき、被告6人に裁決を下し、さらにウ・キンマウンには1950年の緊急措置法5条(j)および16条、さらに1986年のギャンブル法の各法の違反に基づき裁決を下した。法廷はドクター・タンネイン、ウ・ソーミン、ウ・ウィンタウン、ウ・ニャンタウン、ドー・マイミン、マーマーウィンウィンタイに刑期6年、ウ・キンマウンに刑期8年を宣告した。
1.特別報告官が受け取った情報によれば、被告たちは弁護士をつけることを拒否され、1997年12月2日に開かれた聴聞会では自分たち自身を弁護することも許されなかった。
2.1997年11月6日に、選出議員のミンソーリン博士と、非合法のモン民族民主連盟(MNLD)書記長) が、1997年2月23日に第50回モン・ナショナル・デーの祝典を準備した容疑で、1950年の緊急措置法5条(j)に基づき、逮捕されたとの報告があった。ミンソーリン博士はモン州ムドンで逮捕された、しかしどこに拘留されているか、どういった状態に置かれているかはわからない。
3.1997年11月19日、ミャンマー当局は伝えられるところによればタウンエイとチットキンを逮捕した。タウンエイは 、ヤンゴンの南オカラッパ地区の建物の所有者であるが、伝えられるところによればNLDにオフィスを賃貸することに同意したことで逮捕された。チットキンはNLDオカラッパ支部の支部長である。
4.恣意的拘留ワーキング・グループは、1997年7月11日にミャンマーでの拘留のケースを記述して、ミャンマー政府に連絡した。ワーキング・グループは、手順に従い、1997年12月2日に、意見 No. 20/1997を裁決した。裁決文書は書類E/CN.4/1998/44の付属書2に含まれている。
以下がその要約である。
5.1995年2月4日の恩赦で釈放された61歳のキンシンアウンは、医者でありNLDのメンバーであるが、反政府団体を支持した最近の活動のため1996年7月23日に 再逮捕された。彼は以前、1993年8月3日に逮捕されており、許可を得ずに文書を印刷・配布し、公文書を不適切に利用し、国家の団結を不安定にしたとして、1993年10月15日に20年の禁固刑を宣告されていた。キンシンアウン博士のケースはすでに1994年4月に、ワーキング・グループによってミャンマー政府に通知されていた。ワーキング・グループは、その決定 No.13/1994で、彼の留置は恣意的なものであると宣言した。彼が再逮捕されたのは、NLDのメンバーであることと関係があると信じられる。
6、政府はワーキング・グループと特別報告官にキンシンアウン博士は1993年に有罪を宜告されていたということを知らせてきた。臨時措置法第5条(j)、印刷出版登録法第17、20条、およびビルマ国家機密法第5条(1)(4)違反によるものである。政府は刑事訴訟法の第401条(1)に基づき、これからは法律に従うという当局への厳粛な誓約をした後、キンシンアウン博士に恩赦が与えられたと附記した。しかし、政府はさらにつけ加えて、キンシンアウン博士はその誓約に従わなかった、その結果与えられた恩赦は無効になり、本来の残された刑期を果たすことになったと述べている。
7.情報筋は、政府の答えに関して、キンシンアウン博士が拘留されているのは、表現の自由を行使したからだと繰り返している。博士に対しての罪状は1993年1月のNLD全国大会に際して、NLDメンバーに送った手紙と関係があると思われる。
8.ワーキング・グループは、決議 No.13/1994でキンシンアウン博士は恣意的に拘留されていると宣言した。その中で政府は、なぜ博士が誓約に従わなかったか、恩赦の停止に至った活動は何か、誓約の違反は何であるかについて明示し損ねていることを指摘している。
9.ワーキング・グループはキンシンアウン博士 が再拘留されたのは、前回と同様、平和裏に表現の自由の権利を行使したという事実によるものと認識した。
したがって、ワーキング・グループは次のように結論づけた。
「キンシンアウン博士の自由の剥奪は恣意的であり、世界人件宣言の第9条と第19条に違反しており、ワーキング・グループに提出されたケースのカテゴリー2に該当する」
ワーキング・グループは従って、政府に対し状態を修復の適切な措置を取り、世界人件宣言の基準と原則に従うよう要請した。ワーキング・グループはさらに政府に対し、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の参加国になることを勧めた。
10.キンシンアウン博士の特殊なケースについては、特別報告官は前任者の横田洋三教授が人権委員会に提出した報告書(E/ CN.4/1994/57)および(E/ CN.4/1995/65)の記述を想起する。横田教授は1993年と1994年にミャンマーを訪問した時、インセイン刑務所で個人的にキンシンアウン博士に会っている。
11.1993年に横田教授がキンシンアウン博士に会った時、刑務所の監視員および職員と、カメラマンが同席した。キンシンアウン博士は、イギリスで医学を学んだので、英語が流暢だが、特別報告官とはビルマ語で話すように指示されていたことが明らかだった。キンシンアウン博士は特別報告官に対し、特別報告官に会った人たちは問題にされ、10年の投獄を宣告される可能性が高いと言った。
従ってどのように特別報告官の質問に答えるか注意深く行う必要があった。もし間違った答えをすれば、彼の20年の実刑判決が40年になる可能性があった。彼は同じく現在の投獄の根拠が現存の法律によるものであると述べた。この発言は政府が知ることとなった。さらに裁判は特別な法廷でなされ、普通の法廷ではなかったことも述べた。彼が、弁護士を雇わなかったのは彼自身の選択によってであった。自分自身で弁護することを望んだからである。彼は判決を受けたばかりだったが、適正手続きを通じて控訴するつもりであった。キンシンアウン博士は、刑務所での処遇は優遇されており、最初の週には新しい歯を受け取りさえしていたと語った。会談の終わりで博士は、40年間刑務所にいることは望まなかったと繰り返した、そしてそれ以上のことを語ることを拒んだ。
12.1994年に、横田教授はインセイン刑務所で再びキンシンアウン博士に会った。教授は囚人の房に入ることを許されなかった、しかし錠がかかっているドアの格子を通して博士と話をすることができた。刑務所の看守およびインタビューを記録する数人の職員がおり、カメラマンも同席した。インタビューは非常に短かった、博士は神経質だったが、健康状態は良好に思われた。
1993年の会見とは異なり、キンシンアウン博士はビルマ語と英語で特別報告官に語りかけた。1993年に、博士は適正手続きを通じて控訴するつもりであったことを述べていた。今回は横田教授に対し、まだ控訴していないと述べた。しかしなぜ控訴しないかの理由については述べなかった。会談の最後に、博士は心の底から民主的な政府に奉仕することを好むと繰り返した。
13.特別報告官は、市民的、政治的な権利を常識的に行使することを違法とする法律がミャンマーに存在すると言うことを確認することができた。
(参照 A/ 51/466 annex chaps. III and IV).
これらの法律の下で有罪を宜告されたり拘留されている人々はすべて、本当の意味で、政治犯である。SPDCはこれらの人々に恩赦を宣言し、釈放のための緊急ステップをとるべきである。
E. 拷問および残酷な、非人道的あるいは虐待、処罰
1.特別報告官はタッマドーの兵士によって犯された拷問行為について、多数の申し立てを受け取り続けている。特別報告官はすでに、国連総会と人権委員会への以前の報告で、これらのケースの一部について報告している。
2.拷問の問題に関して、特別報告官は同じくミャンマー政府に対し、申し立てられている拷問のケースのいくつか問い合わせている。1997年2月21日付の手紙では、シャン州とモン州およびタニンタウィ地区で、 少数民族メンバーに対してミャンマー陸軍がいまだに拷問と虐待をおこなっていることを示す報告を、ミャンマー政府に伝達した。これらの報告によれば、少数民族メンバーが陸軍のためのポーターとして仕えることを強いられる。要求された荷を運ぶことができない人々は、竹の棒あるいはライフル銃の台じりで打ちすえられると報告されている。食物、水、休養と医療が不足しているが、これらは通常の罰則の方法であると報告されている。
3.同じ手紙で、特別報告官はミャンマー政府に対し、1996年12月のヤンゴンでの学生デモの際に、警察によって多くの人が殴打されていたという申し立てについて、回答するように依頼した。
4.1997年4月25日、ミャンマー政府は、1996年12月の学生デモの際に暴力を受けた者はいないとの回答を特別報告官によこした。 ポーター虐待の申し立てに関しては、ミャンマー政府は、軍隊を助けるための民間労働者の求人が法律および3つの基準に基づいて規定されていると述べた。該当者は失業していなければならない、ポーターとして働くために身体的に適正である、さらに求人の前に妥当な賃金の合意がなされなければならない。さらに、政府によれば、ポーターは決して戦闘現場への兵隊に従うように要求されていない。従って危険にはさらされていない。(参照 E/ CN.4/1998/38/ Add.1 paras258-267)
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1.決議1997/64で、人権委員会は、委員会決議1992/58に基づく特別報告官の権利・義務拡張を行い、情報収集と分析の際に、ジェンダーの見地を念頭におくことを特別報告官に求めた。
1.ジェンダーを念頭に置いた報告と分析には、次の状態にジェンダーが決定定役割を果たしているという条件を必要とする: (a) 人権侵害が行われている。(b)暴力が発生する状況。(c)暴力の結果の被害者の発生。(d)救済策への有効性とアクセスの可能性。
2.「ジェンダー」という言葉は女性と男性との社会的に組み立てられた役割を述べる場合に使われる。それは社会と共同体の中での性的アイデンティティーの差を意味する。歴史的には、異なった文化が異なった形でジェンダーを形成する。そして女性の役割は、それぞれの社会で異なった形がとられる。男性の役割との関係は、長い時間にわたって、かなり多様に変化してゆく。つまり、女性に対しての差別や不平等な待遇が組織的であったり、公共の制度の仕組みに反映されていたり、法律上、事実上の家族関係に作用していたり、経済上の不利や、法制度など、それぞれの社会によって多様である。適切な法律によって、性的な差別あるいは不平等を根絶させることに十分成功していないのはこういった理由のためである。他の基準、つまり教育、社会とその制度の運営などが、社会通念や伝統的な価値観を変えるために必要である。
A. 国際的な基準
1.ミャンマー政府は多くの国際的な協定と宣言によって拘束されている。国が国際協定を順守することで、女性に対する差別を禁止し、人権を謳歌することを保証するためである。普遍的な差別と不平等の禁止については世界人権宣言の第2条と第7条にこううたわれている。
「すべて人は、人種、皮膚の色、性、……又はこれに類するいかなる事由による差別を受けることなく……」
さらに、
「すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。全ての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する」
市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2条(1)、第3条および第26条にも類似した禁止事項がうたわれている。女性差別に対するいっそう厳密で明確な明白な規定が、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」にうたわれている。
1.女性たちの売買と売春の取締は、1956年3月14日にミャンマーによって署名されて、まだ批准されていない「人身売買及び他人の売春による搾取の禁止に関する条約」によって規定されている。
2.特別報告官はさらに「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」(総会決議48/104)に留意して欲しいと考える。第2条は、女性たちに対して(a)家庭内(b)一般的な共同体(c)国家、による暴力を禁止している。宣言の第1条は「女性に対する暴力」を、「公衆の面前か私生活で起きたか否かにかかわらず、ジェンダーをもとにした暴力、それが直接あるいは間接に強制、自由の恣意的束縛、脅しを含む身体的、性的、あるいは心理的な障害や、女性への苦渋をもたらす行為」と定義している。
3.特別報告官は「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」をミャンマーが批准したことを歓迎する。1997年8月21日にミャンマーでも有効になったこの宣言の第1条は、女性への差別を「性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻しているかいないかを問わない)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう」と定義している。ミャンマー連邦は宣言の18条に基づいて、1年以内に、女性差別撤廃委員会に対し、この条約を効果的にし実行を促進するために、立法、裁判、管理に関する措置をどうとったかに関しての報告を提出することを要求される。
4.ミャンマー訪問の欠如により、特別報告官が現地での包括的な女性たちの状態について報告することが不可能である。次のパラグラフは、特別報告官が研究した若干の法律および条項と他の資料である。
5.1988年にSLORCによって否認された1974年のミャンマー憲法の第22条によれば「すべての市民は法律のもとで、人種、宗教、地位あるいは性別にかかわらず平等である」。加えて第154条で女性たちの権利は明確に定義されている。
(a) 女性は平等な政治的、経済的、社会的、文化的な権利を享受する。
(b) 母親、子ども、および母になろうとする者は、法律によって定められた権利を享受する。
(c) 市民として生まれた子どもは平等権を享受する。
(d) 女性は結婚、離婚、不動産の分割、相続および子どもの保護に関して、法によって保証された自由と権利を享受する。
憲法が拒絶された後に、女性の権利を保証するためのいかなる法や条例も、かつての憲法で保証されたような形で制定されていないように思われる。
B. 公民としてのミャンマー女性
1.男性と同様、政治的に活発なミャンマー女性、特に反体制政党や活動家たちに対しては、しつこいいやがらせや、恣意的な逮捕がなされる。SPDCや、内閣、あるいは1997年11月15日の SPDC通知 No. 3/97で発表された14人のメンバーによる顧問グループには、女性がいないと思われる。
2.この報告のパラグラフ19に関して、ミャンマーの国連終生大使が送ってきたメモでは、中央女性活動委員会の集会が1997年12月11日から17日の間にアウンサンスーチー宅構内で何回か行われたことを伝えている。これは政治的な分野で、少なくとも反対派内部では女性たちが活発であるということを意味している。
C 難民女性の状況
1.特別報告官はミャンマー難民の状態および国内での移住者について前回の報告書で述べている。特別報告官が受け取った証言に基づき総会への報告には、強制労働、
ポーター、餓死から逃れるために逃げた多くの難民に関して記述してある(A/52/484)。母親を看病したり、幼い子どもちを抱えている女性たちの状態は特に厳しい。
難民女性たち、特に独りでいる女性は、避難する際のあらゆる局面で男性たちよりも権利を侵害されたり被害を受けやすい状態にあることには疑いがない。特別報告官が受け取った情報によれば、難民の流れが継続しており、そのことを深く憂慮する。1997年10月下旬から11月初旬にかけて、おもに女性、子ども、老人によるカレン族難民で、50人ないし100人が、タイの国境からおよそ2キロのウンパン地方バン・レトンク、バン・ティジョーチ、およびバン・クイレトーに流入した。ミャンマー軍が彼らを取り巻き、国境から離れたコントロール区域に連行した。
D. 女性と強制労働
1.近年、若い少女や老人を含めた女性が、インフラ整備プロジェクトや交戦地帯でのポーターとして強制労働に従事させられる例が増加している。このような補償なしの強制労働が、ミャンマーが「強制義務労働に関するILO協定29号」を批准しているにもかかわらず継続している。特別報告官はいくつかの機会に、開発およびインフラ整備プロジェクトでの強制労働の利用について報告してきた。これらのプロジェクトではたとえ妊娠していたり、幼児を抱えていたりしていても、強制的にリクルートされる。激しい仕事に耐えられない弱い人たちは代わりの人を雇うか、あるいは罰金を支払わなければならない。
仕事の現場では、強制された労働者は適切な医療処置が受けられない。さらに、報酬を受けないだけでなく、自身の食物を調達しなければならないと報告されている。不在の間、女性は自分たちの農地で働くことができない、したがって家族のための食糧の欠乏をもたらす。仕事の現場では、女性たちは男性たちと同様、極度の疲労と事故に合う危険に直面し、適切な医療処置が受けられない。さらに多くの女性が乱打、強姦と殺人のような重大な人権侵害の被害に合っている。
2.特別報告官は1度ならず強制ポーターについても報告している。ポーターにかり出される女性たちは、男性たちよりいっそう攻撃の対象にされやすい。次のように報告されている。(a)ポーターとして働くことを強制される。(b)人間の盾。そして(c)しばしば強姦の形で終わる兵士のための慰安のため。
例えば、1997年6月8日、 ムーンパン駐留のSLORC兵隊がテイフン村の村人17人(男性10人女性7人)を逮捕した。報告によれば兵士たちはカエン・トゥワン地区からムーンパンまで軍事物資を運ぶことを強制した。ムーンパンに着くと、男性たちは釈放され、女性たちはそのまま拘留された。夜間、女性すべてが集団で強姦され、翌朝釈放された。
3.特別報告官は、犠牲者が裁判システムへアクセスすることが事実上不在であることを憂慮する。(目次に戻る)
A. 結論
特別報告官は、人権委員会と国連総会が、ミャンマーを訪問する認可を得るために継続して努力し、さらにミャンマーの終生大使による勇気づけられる発言にもかかわらず、何の返答も得ることができなかったことを残念に思う。この点に関して、特別報告官の報告に対する当局によって浴びせられた批判は、主に、報告が国外で受け取られた情報に基づいており、ミャンマー国内での実態を反映していないというものである。国連総会と人権委員会がその批判が正しいことを理解するためには、特別報告官の訪問にミャンマー当局が合意することが不可欠であるのは当然である。
2.特別報告官は政党活動、とりわけNLDの活動と集会の開催の権利に関して、制限が緩和し初められたことを観察することができた。当局のこの件に関する変更は歓迎されべきである。しかしながら、この変更は純粋に公式な限定されたものでしかないように思われる。当局は集会と表現の自由の行使に対し、それを事実上完全に制御する形をとっているからである。特別報告官は民主主義の統治権への敬意の欠如が、ミャンマーでの人権侵害の元になっていることを指摘したい。この欠如に基づいて独裁的で自分たちだけしか見ない固有の力構造を構成している限り、基本的権利の否定と抑圧につながることになる。特別報告官はミャンマーでの人権状況の真の、そして永続的な改革は、民主主義の統治権への敬意なしで達成されることはできないと結論する。この点に関してとりわけ憂慮されなければならないのは、1990年5月27日の総選挙によってミャンマーで開始された選挙のプロセスが、7年後に至っても、結論に達しておらず、政府がいまだに選挙結果を考慮に入れた民主主義の設立に向かってすべての必要なステップをとる作業を実行しなかったことである。
3.過去数年にわたってミャンマーの人権状況を観察してきたわけだが、特別報告官は不幸にも総括的な次の結論に到達した。パラグラフ69で言及した政治的な活動に関しての、外見上の明白な制限緩和以外は、前回人権委員会と国連総会へ報告書を提出して以来変化がなかったということである。総会および委員会の決議はミャンマー政府によって全面的に無視された。その結果が、第52回国連総会への報告の中の特別報告官の結論となった。(A/ 52/484 annex paras 143-151) および人権委員会第53回会議の(E/ CN.4/1997/64 paras 101-107)。また信頼できる報告によれば、 SLORCの代表とNLDの幹部との間で、1997年7月中旬に会合が行われたという事実があるが、実質的な状況は変化していない。この会合は政治的なものであったとされるが、特別報告官はこの点に関して具体的な情報を把握していない。
1.特別報告官が入手したきちんと文書化された報告、写真および証言によって、超法規的もしくは即時の、あるいは恣意的な処刑、拷問、強制ポーターおよび強制労働がミャンマーの少数民族支配地域で、特に開発プログラムや反乱軍制圧などの枠組みの中で起こり続けているという結論に達した。
2.恣意的逮捕と拘留に関して、特別報告官はこのような人権侵害が合法的であって、そして容易に起き得るという証明がなされない限り、広範に行われているということを疑わない。同時に、独立した司法の欠如、普通の民間人の行為を極大解釈して違法とすること、途方もなく不釣り合いな刑罰の規定、法的根拠や裁判所の許可を伴わない逮捕や拘留などにより、特別報告官はミャンマーで逮捕される人々の多くのパーセンテージが、一般に受け入れられた国際規約と比べて、恣意的になされていると結論づけることになった。この点に関して、特別報告官は多くの政治犯、特に選出議員の継続的な拘留および逮捕の継続、さらにミャンマー内の民主派支持者へのいやがらせに関して、深く憂慮する。
3.ミャンマーの人々やその家族が、政治的な権利の行使のために、しゃべったり行動したりすることは、常に警察あるいは軍情報部による目に見える形、あるいは見えない形での圧力を伴い、同時に逮捕と尋問をなされる危険を伴う状態に置かれている。特別報告官は、NLDのリーダーたちがグループで会合を開いたり、自由に論じたり、プリントやビデオを出版したり、配布することができないということを特記したい。オープンな討論と意見の自由な交換は、軍事政権支持のものでない限り、ミャンマーで起こり得ると想定することは難しい。
4.ミャンマーの移動と居住の自由に目を転じて見よう。自国を離れたり、自国に再入国する権利を含めて、特別報告官は法律と実際の双方にそれらの自由の明確な侵害があると結論づける。特に、過酷で不当なのは、イスラム教のラカインの人々の場合で、人種に基礎を置いた制限が国内、国外の旅行に科せられる。国内追放と強制移住の問題では、特別報告官は政府の政策が移動と居住の自由を侵害しているだけでなく、ある場合には、民族差別を形成していると結論づける。
5.国連総会への報告で、特別報告官は市民権および社会的、政治的な権利の行使に関して分析した。一般に受け入れられている国際的な基準に比べ、ミャンマーの法律には一貫して重大な疑義があると報告した。これらの法律には民族への差別があるように思われる。法律の前に平等であることを保証し損ねており、子どもたちに与えられるべき権利を保護するための特別措置を行っていない。短期的に、この状態は少数民族と、国に住んでいる他の人々双方の重大な権利侵害を生み出し、同時にミャンマーに属していない感覚を生み出す。長期的には、この状態は国家の団結感を欠落させ、多民族、多宗教の国を破壊する可能性のある脱退者の動きを鼓舞し、悪化させる可能性が高い。停戦協定の努力の後に続いている完全な抑圧が答えであるとは思われない。
6.特別報告官は1997年に「女子に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約」をミャンマー が批准したことを歓迎する。この点に関して、1956年3月14日にミャンマー によって署名された「人身売買及び他人の売春による搾取の禁止に関する条約」を同じく批准することを希望する。
B. レコメンデーション
1.前述した結論をもとに、特別報告官は次のレコメンデーションを提出する。
2.政府機関が正真正銘に人々の意志を反映することを保証するために、世界人権宣言の第21条を適応し、すべての市民が世界人権宣言の原則のとおりに、自由に政治過程に参加し、民主的に選出された代表者への権力移譲を通して、民主主義に移行する過程を加速する措置がとられるべきである。ミャンマー連邦政府機関は、それを保証するために、当局側が明確かつ有意義な方法で一般市民に対して責任を持つ態勢を醸成しなければならない。さらに、司法の独立を復活させるステップを取り、当局に法律を順守させ、そして不公平な、理に合わない裁判を、理にかなったものにする手段がとられるべきである。
3.すべての必要な処置は民主主義に移行する過程を加速し、1990年に選出された代表者をその過程で有意義な形で参加させるためにとられるべきである。
この点に関して、真の、実質的な論議が現在の軍事政権と、1990年の民主主義のための選挙で正当に選出された国民民主連盟および他の政治的指導者、さらに少数民族の代表者を含めて遅滞なく行われるべきである。このような論議を始めるにあたって、1997年7月にSLORCによって、1997年12月にSPDCによって採られたある特定のステップは歓迎されるべきものである。そして積極的にかつ強力に展開されることが求められる。SPDCは論議の性格と実態が本物であって、そしてすべての関係者が納得できるものにしていかなければならない。加えるに、参加政党が対話の目的のために自身の代表団の構成員を決めるのは自由である。
4.国民民主連盟のリーダーとメンバーへのいやがらせを即刻終了させる措置がとられなくてはならない。国民民主連盟書記長が真に攻撃の恐れなしに活動できて、すべての政党が自由に活動することが可能であることを保証する措置がとられるべきである。換言すれば、現在の政治的な権利の停止あるいは、あるいは超法規的な抑圧行政の状態を、終わらせるべきである。政治的な停止状態に取って代わって、政治的な緊張緩和」が恩赦などを伴って行われるべきである。
1.1988年と1990年のデモの後の戒厳令の下で、あるいは国民会議で政治的な権利を行使したために、逮捕され拘留されているすべての、選出議員、学生、労働者、小作農、その他の人たちはすぐに解放されるべきである。政府は同じく、非逮捕者の家族に対して脅迫、脅しあるいは報復の行為が行われないことを保証すべきであり、恣意的逮捕あるいは拘留を経験した人々に補償する適切な処置をとるべきである。
2.憲法と法律は再確立されるべきであり、そして命令と判決が法律の基礎であってはいけない。すべての人権侵害を合法化する規則は緊急に廃止されるべきである。そしてすべての法律は当然広報を通じて周知されるべきである。ミャンマーの法律は国際的な基準に適合されるよう改変されねばならない。とりわけ、生存権を含めた、拷問の禁止、残酷な虐待、あるいは非人道的な待遇、身体の安全の保護、拘留下での人道的および最小限の法律による保護などである。
1.特別の関心がこの国の刑務所の状態に向けられるべきである、そして国際的人道団体が自由に、秘密を保持した状態で囚人と面会することを可能にする必要なステップが採られなければならない。
2.意見表明および表現の自由の享受を保証する緊急のステップが採られなければならない。特に反対意見の表明を合法化し、メディア、文学、芸術的への政府のコントロールを放棄しなければならない。
3.国内および、国外の移動の自由の制限が廃止されるべきである。
4.不動産を自由かつ平等に保持することを妨害するすべての差別的政策を終了させるべきである。そして恣意的に、あるいは不当に不動産を奪われた人々に適切な補償が支払われるべきである。
5.ミャンマー政府は1948年のILOの「結社の自由及び団結権の保護に関する条約」(第87号)の義務を遂行するべきである。この条約に従って、法律によって労働組合の存在と自由に活動する権利を保証すべきである。その点で、ミャンマー政府は、法律と実態の間の非常に重大な矛盾を緊急に排除するために、ILOとの専門的な協力プログラムを通じて、共に注意深く協力することが奨励される。
6.ミャンマー政府は、強制労働を行うことを禁止し、ILO条約第29号に基づきその義務に従うことを強く要請する。これに関連し、ミャンマー政府は「町村法」の下で強制労働の悪習を許している条項を無効にする適切な措置をとるべきである。ミャンマー政府はILOによって設立された調査委員会に協力することを奨励される。
7.強制移住を終了させる緊急のステップが採られなければならない。さらに隣接国難民が流入しないための適切な条件が作られなければならない。村人の移転が必要な場合は、国際的な基準に従わなければならず、村人との適切な協議、適切な補償の支払い、独立した法廷による査定などが行われるべきである。さらに食糧の保証措置、住宅施設、適切な医療、社会環境整備、子どもたちの教育への適切な取り決めなど、強制移住者のために適切な法を作らなければならない。
8.ミャンマー政府はタイとの国境地域に居住する民間人を目標にして、軍事力および砲撃を使用するといった住民の安全を脅かす行動を控えるべきである。この点に関して、即時、あるいは恣意的な処刑およびその他の非人道的かつ深刻な人権侵害の申し立てがおびただしいという条件に鑑み、特に少数民族が住んでいる、あるいは強制的に追い出されている区域で、新しい政府が申し立ての内容についての人権侵害の度合いを調べ、代案としての法案を提案する高レベルの調査が行われることが極めて重要である。
9.ミャンマーのムスリムおよび他の少数民族の本国送還を促進するために、政府は人権尊重の必要条件を作るべきである。政府は、法律および実際面で、安全な帰還と従来の村での再定住が可能になることを保証するべきである。そのために、住民がミャンマー国内で完全な市民的、政治的、社会的、経済的、そして文化的な参加が保証され、抑圧と差別がない状態が促進されなくてはならない。
10.市民権に関する法律は、市民的、政治的な権利の行使の阻害が発生しないことを保証し、一般に受け入れられた基準と一致させるために修正されるべきである。特にこれらの法律の、民族に基づくすべての差別的な条項と、子どもたちが国籍を持つことができない法律上の阻害要因を取り去り、十分に修正されるべきである。さらに、非現実的な管理上の手続きや必要条件なしで市民権を得ることを保証するために、政権によって必要な措置が採用されるべきである。これらの法律は同じく1961年の「無国籍者の減少に関する協定」との整合性を持たねばならない。ミャンマーは、1951年の「難民の地位に関する条約」と1967年のプロトコルを批准することを考慮すべきである。
11.軍および法の執行要員は、看守を含めて、完全に訓練され、国際的な人権基準と人道法に基づいてすべての人々を扱う責任について知らされるべきである。このような基準は、新しい憲法を含めて今後立案されるミャンマー法に取り入れられるべきである。
12.人権侵害が多大であることに鑑み、政府はすべての人権侵害と違反を犯した職員に厳密な規律上の管理と罰則を与え、現在公共部門および軍部門で野放しになっている処罰なしの風潮を終わらせるべきである。
13.ミャンマー政府は誠意をもって国際連合憲章の第55条と56条の義務を果たし、国連とともに共同および個別の行動をとり、人種、性、言語あるいは宗教を区別しない人権および基本的自由を満たすべきである。そのために特別報告官はミャンマー政府に、基本法となる原則の1つとして、世界人権宣言を採用し、ミャンマーの基本言語によるコピーを広く配布することを奨励する。
14.ミャンマー政府は世界人権規約および「拷問、および他の残酷な虐待、あるいは非人道的な処遇を禁止する条約」および1949年のジュネーブ会議で付加された2つのプロトコルへの同意を考慮するべきである。その間、それらの国際的な規約で宣言された原則が応用されることを保証するべきである。あらゆる差別がない人権の保護に対する強固な約束を証拠づけるためである。
15.ミャンマー政府は、十分な資金を配分し、行政および他の措置を採用し、女性の権利に関しての国際的な義務が効率的に実施されることを保証する法律、命令あるいは条例を改正するための早いステップを採らなければならない。さらに、新しい憲法を立案することで、平等で差別のない女性の権利が基本法によって保証されることを確実にする措置をとるべきである。
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