簒奪 シャン州における強制移住と超法規的処刑の実態

第2部


クンヒン郡での強制移住

クンヒン郡 (Kun Hing)
移住村落数:185
移住世帯数:9551

◎地域の状況

 クンヒン郡に住む人々の大半は農民であり、チークノキの深い森に囲まれた、山がちな同地域の渓谷を耕作している。

 シャン州軍の停戦派の第7旅団が、クンヒン―カーリーを結ぶ街道の北側とクンヒンの北東一帯で活動している。

◎移住の経緯

 移住が始まったのは1996年の3月。ナムパン川とサルウィン河に挟まれた村落、およびクンヒン―ムンペンを結ぶ街道の南側にある村落に対して、主要な移住地3カ所へ移動せよとの命令が下された。また5月には、クンヒン町の南でナムパン川より西にある村の大部分に対して、主要な移住地4カ所へ移動せよとの命令が下された。

 1997年の3月から5月の間に、国軍はクンヒン町の南側全域の移住を開始した。1996年以降の移住地と1996年に対象としなかった村に対して、クンヒン―ムンペンを結ぶ街道に沿ってクンヒン町の北側か東側へ移動するように命令が下された。

 ケンカーム地域の村人は、5月9日までに移動するよう命じられた。国軍から与えられた準備期間は3日間だった。村人の中には、移住の最中ですら国軍からポーターになるよう命令されたものもいた。

 ケンカームの寺院に全員で集まるように命令がありました。寺院では一カ所に集められて監視されました。部隊の指揮官は、猶予は明日一日しか与えない、翌々日には荷物をまとめて移動せよと告げました。期限日は5月9日でした。朝になると兵士たちは何人かをポーターに指名しました。想像してみてください、移動を命じられたばかりで、次はポーターとして荷物運びをしろというのです。自分の持ち物を運ぶことなんてできるわけありません。連行された人の妻の中には泣き叫ぶ人もいました。
(KHRG:ケンカーム出身の村人へのインタビュー、1997年8月30日)

◎1997年におけるクンヒン郡での超法規的処刑

 クンヒンは、シャン連合革命軍が軍事行動を行っている主要な地域であるために、国軍は非常に無慈悲なやり方で移住を進めた。元の村にいるのが見つかれば必ず射殺された。また村人の多くが焼殺された。シャン兵がビルマ人非戦闘員25人を1997年6月13日にクンヒン郡西部のパーランで殺害した際には、数週間後にその報復としてシャン人の民間人多数が殺害された。

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でクンヒン郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。たとえばLIB332は「国軍第332軽歩兵大隊」と読み替えてください]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年1月28日 2(うち1人は撲殺) ロンモー LIB332
97年2月10日 2(撲殺) サイムン IB43
97年3月下旬 1僧正(袋に入れられて沈められ溺死) ケンカーム IB246
97年4月初旬 ナンパン付近 IB246
97年4月中旬 ホーリン IB246
97年4月18日 1(撲殺) ノンハイ LIB378
97年5月8日 ナーマーコー Div 55
97年5月13日 1(強かんされ殺害) ウォロン付近 IB44
97年5月30日 ワンクンホヤー IB246
97年6月10日 クンヒン町の西 LIB524
97年6月11日 10 ワンパイ LIB524
97年6月16日 29 サイカオ LIB513
97年6月16日 27 ターパホ IB246
97年7月3日〜4日 96(拷問の後殺害) クンミー LIB524
97年7月6日 クンホーホー LIB516
97年7月11日 26(拷問の後殺害) ケンロム―クンヒンを結ぶ街道 不明
97年7月12日 17(斬首) ケンロム―ケントンを結ぶ街道 不明
97年7月20日 ノーンパマン LIB376
97年7月24日 サイムン LIB524
97年7月28日 1(強かんされ殺害) ネークン LIB516
97年8月6日 サイムン LIB524
97年8月中旬 ナーモン IB44
97年8月18日 クンヒン刑務所 不明
97年8月18日 クンサー LIB516
97年8月19日 クンサー LIB516
97年8月20日 ワンマイ LIB516
97年8月7日 ワンラオ LIB516
97年9月2日 ルクロン LIB442
97年10月5日 62 サイレン LIB524
97年11月18日 クンサー IB246とIB120
97年11月18日 カーンケー Div55
合計 319人    

◎移住地の状況

 1996年、クンヒンの南の移住地ワンラオとサイカオでは、村人たちに対して畑を耕すために5日間まとめて元の村に戻ることが許可された。1997年3月にクンヒン町へ移住させられた後、村人たちは移住地から3マイル[1マイルは約1.6キロメートル]以上遠くへ行くことを厳しく禁じられていた。しかし1997年8月、田植えが行われる間はクンヒンに近い側に住む農民の一部には、7日間まとめて元の畑を耕す許可が出され、米を植え収穫することが可能だった。どこにいても射殺されるのではないかとの恐怖感から、農民たちは急いで刈り入れだけを済ませた。米を刈ってそれをバッグにいれるだけで脱穀を行わなかった。

 1997年を通じて、クンヒン町周辺に移住させられた村人は、屋根葺き用に竹を細く切り分ける作業、詰所建設のための硬木の伐採、およびクンヒンとカーリーに駐留する国軍兵の基地建設に強制的に従事させられた。くわえて基地を囲む柵と、街道に沿った検問所の建設をも行わねばならなかった。


ナムサン郡での強制移住

ナムサン郡 (Nam Zarng)
移住村落数:181
移住世帯数:7296

◎地域の状況

 ナムサンは肥沃なナムテン川平野に位置し、農業の盛んな地域として知られている。ショウガはこの地域の主要な作物のひとつである。

 ナムサンには中華主義者・国民党が建設したとされる小さな滑走路があり、ビルマ軍は現在、同地域にレーダー観測所を設けている。

◎移住の経緯

 1996年3月中旬、ナムサン郡とムンナイ郡に駐留する国軍第247軽歩兵大隊によって、ノンヘー一帯で移住が開始された。ナムサン―クンヒンを結ぶ街道の北側にある村のほとんどは南側へ強制移動させられ、沿道あるいはトンホーンロンにある国軍の基地近くの移住地に向かわされた。

 1996年4月、ムンパンに駐留する国軍第55歩兵大隊は、ナムサン南東のロイラッ一帯の村人にワンノンコーンモンに移住するよう命じた。村人が移動のために与えられた猶予は3から5日間だった。

 1997年3月初めには、ナムサン―クンヒンを結ぶ街道の北側にある移住地すべてが南へと移動させられ、道沿いのコーラムやハイネンにある既存の移住地に移された。またワンノンコーンモンの移住地は、ナムサン町へ移動させられた

◎1997年におけるナムサン郡での超法規的処刑

 ナムサンでの強制移住事業は、クンヒンで行われたのと同様、非常に無慈悲に行われた。1997年を通じ、コーラムの移住地内あるいはその周辺では、子どもを含む村人が殺害された。自宅で殺害された人、野菜取りや釣りをするために移住地の外を歩いていたところを見つかっただけで殺害された人もいた。

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でナムサン郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年2月21日 6 3人は子ども(砲撃により死亡) コーラム移住地 IB246
97年2月22日 コーラム移住地 IB246
97年3月3日 コーラム移住地 IB99
97年3月3日 ワンプン IB99
97年3月8日 1(射殺) コーラム移住地 IB246
97年3月下旬 ナムテン IB246
97年4月上旬 トンホーンの西 LIB378
97年4月上旬 ホーナーの西 LIB8
97年3月28日 20(撲殺) ワンプイ IB246
97年3月28日 1 僧正 コーラム移住地 LIB524
97年3月29日 コーラム移住地 LIB378
97年3月30日 3(魚釣りの最中に射殺) コーラム移住地 IB246
97年4月3日 3(野菜探しの最中に射殺) コーラム移住地 IB246
97年4月3日 3(ポーターにされ死亡) クンサームジョン Div55
97年4月4日 コーラム移住地 IB246
97年4月4日 7(稲の収穫中に殺害) パーソン IB246
97年4月9日 クンヨム IB246
97年4月10日 コーラム移住地 IB246
97年4月10日 テーサン Div55
97年4月14日 2 少女(強かんの後殺害) コーラム移住地 IB246
97年4月中旬 4(魚釣りの最中に射殺) マーハー IB246
97年4月中旬 ワンナン付近 IB246
97年4月17日 ワンプイ LIB246
97年4月18日 ノーンハイ LIB378
97年4月19日 2(耕作中に強かんされ殺害) クンジョン IB246
97年4月29日 パマイ LIB515
97年5月4日 クンサイ IB246
97年5月5日 1(家から連れ出され殺害) コーラム移住地 IB246
97年5月8日 5(パラウン人) ノーンカイ IB246
97年5月10日 1(物売りの最中に強かんされ殺害) コーラム移住地 IB246
97年5月11日 パマイ IB246
97年5月11日 2(竹を切っていたところを殺害) コーラム移住地 IB246
97年5月11日 15(パラウン人) パンガー IB66
97年5月14日 ワンナン IB246
97年5月14日 ホーナー IB246
97年5月22日 テーサン IB246
97年5月23日 ジッター LIB515
97年6月7日 1 少女(強かんされ殺害) コーラムの西 IB66
97年6月7日 6(蜂蜜集めの最中に殺害) コーラム移住地 LIB378
97年8月10日 4(拷問の後殺害) コーラム移住地 IB246
97年9月9日 2(強かんされ殺害) ムンヤン IB66
159人    

◎移住地の状況

 1996年については国軍は移住地に一切の物資を供給しなかった。またコーラム移住地では、最初の一カ月間で約40人が病死したことが報告されている。村人が自分の田畑を耕作することはほとんど認められなかった。トンホーン移住地に住む村人は、近くにある国軍の基地で強制的に働かされ、小屋づくりをさせられた。またコーラム移住地に住む村人は、付近に駐屯する第510軽歩兵大隊のために森を切り開き、そこで豆の栽培を行うよう強制された。

 1997年には、コーラムに移住させられた村人が、近くの基地に駐屯する兵士のために道の両側を切り開き、穴を掘り、水を汲み、薪を集めさせられた。付近の村から移住させられた村人に対しては畑に戻ることが許可されていたが、許可を受けている村人でも兵士に見つかれば射殺された。このためわざわざ畑を耕しに戻る人はほとんどいなかった。


ライカー郡での強制移住

ライカー郡 (Laikha)
移住村落数:201
移住世帯数:8735

◎地域の状況

 ライカー郡は昔から非常に肥沃な土地があり、人々の暮らしも豊かであった。郡東部には耕作と放牧に適した平野が大きく広がっている。米、大豆、ゴマが豊富に栽培されており、どこに行っても家畜の群れに出くわすような土地であった。

◎移住の経緯

 ライカー郡の移住は、1996年3月に始まった。1996年には約80カ所の村落が主な6つの移住地へと移動させられた。そのほとんどは、ライカー―ムンノン間の沿道にある。

 1997年3月には、国軍はターモー(ライカー郡北西)の移住地で生活していた村人を、ライカー―ムンノン間の沿道の移住地へと移動させた。4月4日に国軍はターモーの移住地に砲撃を行い、3人が殺害され3人が負傷した。そして4月8日を移動の期限日に設定した。4月10日には、ターモーの移住地の大部分が焼き払われた。このとき生きたまま火をつけられた人もいた。

 そして6月27日、国軍はライカー―ムンノン間の沿道の移住地に住む村人に対して、ライカー町に戻れとの命令を行った。7月3日までにワンチーの移住地に住んでいた村人は、全員がライカー郡西部の移住地に移動した。そして7月7日には、ワンチーおよびサーライクムの移住地に住んでいる村人に対して、同じ場所に移れとの命令が下された。

 7月中旬までには、ライカー町の東および北東にある約180カ所の村落、合わせて約4万人がライカー町、あるいは広い基地があるパンポーン移住地へ移動した。

◎1997年におけるライカー郡での超法規的処刑

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でライカー郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年3月9日 2(迫撃砲による死亡) クンホーン LIB515
97年3月20日 1(家財道具を輸送中に殺害) ワンコン LIB515
97年3月30日 2(強かんされ殺害) ノーンコー IB246
97年3月30日 ホープン IB246
97年3月下旬 マーコー LIB515
97年3月31日 4(村にいたところを殺害) ワンパン LIB515
97年4月4日 3(手榴弾により殺害) ターモク移住地 LIB515
97年4月7日 1(木に吊り下げられて射殺) クンユン LIB515
97年4月14日 ワンワン LIB515
97年4月24日 ワンホコー LIB515
97年5月 2(撲殺) ワンモム村付近 LIB515
97年5月27日 テーレン LIB515
97年6月3日 2(家財道具を整理中に強かんされ殺害) テーレン LIB424
97年6月 9(斬首) ワンプンムン LIB515
97年6月10日 ノーンレーン LIB515
97年6月10日 ロイテーン LIB515
97年6月28日 18 パーンサン LIB515
97年12月19日 ワンフェイ IB12
58人    

◎移住地の状況

 7月に大規模な再移住が行われた。その結果、じっさいその場を見た人によれば、数え切れないほど多くの人が通りで物乞いをしたり、寺院の中や道端の木の下で寝泊りするなど、町は社会的に混乱した状態に陥っていたとのことである。

 町に移住させられた人々は、同時に国軍によって強制労働に従事させられた。村人たちは、ライカー―ムンノンを結ぶ街道に沿って4分の1マイルごとに、シャン兵の見張りとして立たされた。一カ所には二人が配置され、一週間交代で昼夜とも見張りをしなければならなかった。

 ライカーに移住させられた後、ライカー―ムンノンを結ぶ街道付近に畑のある村人は、元の畑での農作業を許可する証明書の発行のために180チャットを要求された。


ケースィー郡での強制移住

ケースィー郡 (Ke See) :北部南部
移住村落数:364
移住世帯数:11663

◎地域の状況

 ケースィー郡の北部はほとんどが丘陵地帯となっており、農民の多くが丘側で農作業をし、水稲の代わりに陸稲や落花生などの作物を栽培している。このため自家消費分をすべてまかなうだけの米が生産できず、他の郡から購入する必要がある。しかし落花生、コーヒー豆、茶、ニンニクといった作物は豊富に栽培されている。

◎移住の経緯

 1996年、ケースィー郡での強制移住は3月から7月の間に行われた。5日間以内の移住を命じた書類が村人に届いた。ケースィー町の北東に住む村人は、ケースィー―ムンスーを結ぶ街道まで移動させられた。町の南に住む村人は、町の近くかケースィー―ムンノンを結ぶ街道沿いに移動させられた。ムンノン付近の村人はムンノンか、ムンノン―ライカーを結ぶ街道、あるいはムンノン―クンヒンを結ぶ街道沿いに移住させられた。

 1997年3月、ムンノンの南にあるワンジン移住地の村人に対し、ライカーに移動するよう命令があり、家の多くが焼き払われた。5月には、パンペン移住地の村人がライカーへの移動を命じられ、同様に家は焼き払われた。ナムモン、ウィアンカオ、ノンエイというムンノンにある移住地も、5月にムンノン町に移動させられた。

◎1997年におけるケースィー郡での超法規的処刑

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でケースィー郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年4月1日 ムンノン付近 Div55
97年4月22日 パッポ LIB523
97年6月4日 ナーケーン LIB515
97年6月13日 ナムトゥムネー LIB520
97年6月26日 フェイオー LIB515
97年10月17日 14 ムンノン LIB424
97年11月27日 12(許可証携帯するも元の村で射殺) ワンパン LIB524
45人    

◎移住地の状況

 1996年、ムンノン付近の移住地に移動させられた村人が、仕事がないために物乞いをせまられる状況にあるとの報告がいくつかあった。ムンノン移住地の村人は付近の駐留地で強制労働に従事させられている。ワンジン移住地では、国軍は村人の持っていたすべての米を没収し、一人につきコンデンスミルク2缶を支給した。

 1997年、コーラム近くのパンニム移住地に移動させられたワンジンの村人のように、既存の移住地に移動させられた人々は、既存の住人よりも一層厳しい生活を迫られていることがわかった。耕作地が不足しているためである。

 新しく来た人たちは困難な状況にあります。昨年移住させられた人たちは、水もなく痩せていても、道の近くを耕しています。しかし新しい人たちが耕す場所はもうありません。移住地から離れた場所を耕しに行けば射殺されるからです。
(SHRF:ワンジン出身の村人へのインタビュー、1997年9月28日)

 国軍第242軽歩兵大隊の司令官から1997年12月1日に発行された命令によれば、ムンノンに移住させられた村人は、町から半径3マイルより外側を耕作することは禁じられている。その外側に出るには7日を超えない範囲での外出許可を申請し、許可された日数分だけの食糧を持参しなければならない。ケースィーに移住させられた村人も、町から半径3マイルを超えての耕作が禁じられている。またワンケム地域の国軍兵は畑の周囲の柵を故意に破壊したため、野生の動物が村の畑の中に入り、まだ収穫されていない農作物を荒らしてしまった。

 1997年12月以降、ムンノンに移住させられた村人は、ジャングルで石を切りだして基地の周囲に壁を築く作業に5日交代で動員され、塹壕掘りの強制労働に従事させられている。くわえて村人たちは同地域の街道を半マイル毎に警備する仕事も強制されている。これは各地点には2人ずつが5日交代で行うことになっている。


ムンケーン郡での強制移住

ムンケーン郡 (Murng Kerng)
移住村落数:186
移住世帯数:8681

◎地域の状況

 ムンケーン郡は肥沃なナムテン川平野流域に位置している。米が十分に収穫できるほか、ゴマ、落花生、スイカ、パイナップル、オレンジといった果物の収穫もある。ムンケーン産のオレンジといえば、中央ビルマでは有名な作物である。

◎移住の経緯

 1996年、ナムテン川の東に住む村人に対して、国軍は4月にムンケーンの街道の北側に沿った地域に移住させた。同地域のシャン民族軍の一部が1996年9月に投降したため、元の村に戻れた村人もいた。しかしシャン民族軍が反軍事政権の軍事行動を継続したため、国軍は11月中旬に移住地へ戻るよう村人に命令を下した。

 1997年、4月になると国軍は1996年の移住対象とされなかったムンケーン町東部にあるすべての村を町の北と南に移住させた。町の数マイル東、ヤンロイにある数ヵ所の村は火を放たれ、すべてが灰になった。国軍兵は町の近くの村落にある水田にわらをまいて苗を燃やした。この郡の真北にある村落群も、6月に街道沿いにあるバンカイトー町へ移住させられた。

 シャン兵と国軍兵との戦闘が激化した1997年11月には、地元のシャン人民兵組織から大部分が離脱して、シャン人反政府勢力に加わった。このためムンケーン町の西側一帯がムンケーン町に移住させられた。

◎1997年におけるムンケーン郡での超法規的処刑

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でムンケーン郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年1月30日 カイヤーン 不明
97年4月16日 3(撲殺) ロイラム LIB515
97年6月17日 ワントン 地元民兵と国軍
97年10月3日 ナーマーゾー LIB515
97年12月3日 ムンクン LIB517
17人    

◎移住地の状況

 1996年、ムンケーン郡北部の街道沿いの移住地に移動させられた村人は、道路建設に強制的に従事させられた。道に沿ってムンケーン郡の北部へ米を運ぶことは禁止された。また一度に買える米の量は1バイ(計量単位。約250ミリリットル)までと制限された。これはシャン人反政府勢力に対して米を渡さないためである。

 1997年以降、道沿いにムンケーン郡北部と南部に移住させられた村人は、町から半径5マイルを越えて元の村に戻って耕作することを禁じられている。


ムンナイ郡での強制移住

ムンナイ郡 (Murng Nai)
移住村落数:99
移住世帯数:3870

◎地域の状況

 ムンナイ一帯は肥沃な農地として知られている。住民のほとんどは米作農家であり、ピーナッツ・大豆・ニンニク・キャベツといった野菜も栽培している。以前は、自家消費分以上の米の収穫があり、ロイレム郡など近隣地域に販売されていた。 

◎移住の経緯

 1996年、移住は3月に開始された。国軍第247歩兵大隊・第516歩兵大隊がケントン一帯(ムンナイ郡北部)の村落に対して、基地近くの移住地数カ所に移動するよう命令を下した。ナムテン川西部の村落には、ワンノンコーンモン、ナーカンおよびナーロイにある主要な3カ所への移住が命じられた。

 1997年のはじめには、ムンナイ西部のナーロイ移住地と同地域のすべての村落がムンナイ町に移動させられた。6月になると、ケントン付近の移住地も主要な2カ所の移住地に集約させられた。移動には5日間の猶予が与えられた。7月には、ワンノンコーンモン移住地が、ムンナイに移動させられた。

◎1997年におけるムンナイ郡での超法規的処刑

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でムンナイ郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年1月23日 ワンヘー LIB518
97年5月30日 トンホーン LIB520
97年6月21日 ケントン LIB520
97年6月30日 12 村長(拷問され殺害) ケントン LIB332
97年11月13日 ノーンロン タウンジーの部隊
計: 23人    

◎移住地の状況

 1996年には、ケントンの移住地の村人から米が没収された。このときは5日間まとめての元の村に戻る許可が与えられた。1997年には、移住によってケントン地域に住む村人から米が没収され、1人1日あたり2ティンずつの米が配給された。

 ケントン移住地の様子について、ある村人は1997年にこう語っている。

 彼ら(移住させられた村人)は、村のあちこちと基地の近くに住んでいます。小さな小屋を建て、そこで暮らしています。2から3世帯が一つの小屋で生活しています。お金がある人は、小屋の屋根をふき、世帯毎に分かれて暮らすことができます。しかしお金がなければ一つの小屋を共同で使うしかないのです……。
 昨年(1996年)は、元の村にある畑に戻って農作業をすることができました。しかし今年になって状況は非常に悪化しました。元の家に戻ろうとする人は皆、国軍によって即座に射殺されてしまうのです。多くの人がなくなりました……。
 わたしが(タイに)来る前に、住んでいた地域の北で5、6人が殺されました。西の方では2、3人がまとめて何度か殺されています。ほんとうに恐ろしかった!
(KHRG:ナムトゥム村出身の村人へのインタビュー、1997年8月30日)


ラーンケー郡での強制移住

ラーンケー郡 (Larng Kher)
移住村落数:31
移住世帯数:1157

◎地域の状況

 ラーンケーはナムテン川下流の肥沃な地域であり、シャン州の中でも気候は比較的温暖である。住民の大半は農業を営み、上質のタバコの産地として知られている。またサトウキビ、ビンロウジ、ライム、ココナツ、ゴマも多く栽培されていた。

◎移住の経緯

 1996年、ラーンケー郡に駐屯する国軍第99歩兵大隊と、ムンバン郡から派遣された第55歩兵大隊によって、3月に強制移住が開始された。村人は3から6日間の猶予を与えられ、ラーンケー北西のノンロン移住地への移動を命じられた。国軍は命令に応じなければ殺害すると村人に伝えている。

 1997年、ラーンケー町にほど近い10カ所の村落もが移動の対象となり、ノンロンかラーンケー町へ移住するように命じられた。

◎移住地の状況

 ムンサンへの移住者は、一週間に5日間まで元の畑で農作業を行うことが許可された。しかしこのための許可を申請する必要があり、1週間のうち残りの2日間はムンサンまで帰る必要があった。また村人は、軍事政権の当局者のところへ、身元確認のために数日おきの出頭を繰り返すことが要求されている。同様に、ムンオーから移動させられた村人は、現地の軍駐屯地が発行した許可証があれば、元の村で農作業を行うことができた。

 シャン統一革命軍は同地域での軍事行動を展開しておらず、移住事業は1997年で中断している。


ムンパン郡での強制移住

ムンパン郡 (Murng Pan)
移住村落数:61
移住世帯数:2031

◎地域の状況

 ムンパン郡南部は、チークノキの深い森となっている。北部にある渓谷は非常に肥沃な農地であり、ここでは米、タマネギ、ニンニク、サトウキビ、落花生、大豆、ゴマが豊富に栽培されていた。

 1996年、国軍はムンパン町西部の水田を、広さ約4平方キロにわたって没収した。持ち主への補償は一切行われなかった。国軍は没収した土地を約10ヤード四方に区分けし、一区画を約2万から3万チャットで村人に売りつけた。時を同じくして、町の東部にある古くからのムスリム地区(約80世帯)が、町の西部にある古びた墓地への移住を命じられた。補償は一切なかった。

◎移住の経緯

 1996年には同地域内の村落に対する強制移住は行われなかった。しかし1997年に入ってシャン統一革命軍がムンパンで軍事行動を開始すると、国軍は5月に町外れの村落に対して、町中あるいは街道沿いに移住を命じて対抗した。はじめに47の村落が対象となった。移動に際して12日間の猶予が与えられた。7月8日にシャン兵が町の西門に置かれた警備前哨を攻撃したため、ムンパン町への更なる強制移住が行われた。

◎1997年におけるムンパン郡での超法規的処刑

 SHRFは超法規的に処刑された村人を以下にまとめた。この表には、元の村の付近あるいは1997年時点でムンパン郡内の移住地で殺害後に発見された村人が含まれている。[殺害部隊名の欄中、LIBは軽歩兵大隊、IBは歩兵大隊、Divは大隊を示しています。]

日時 犠牲者数(備考) 殺害場所 殺害部隊名
97年4月上旬 2(撲殺) カンカン Loi Bo Ma-1[意味不明]
97年6月7日 3(撲殺) ワンロン LIB332
97年6月8日 1(撲殺) ムンパン基地 LIB520
97年6月13日 5(撲殺) ムンパン西部 LIB332
97年6月13日 プンキン LIB332
97年8月4日 ホーリン、ロイノイ、クンケーン LIB332
97年9月13日 1 老女(生きたまま焼殺) ウォライ LIB331
97年9月14日 ワンタム LIB331
97年10月8日 14(許可証携帯するも元の村で拷問され殺害) ナーポー LIB332
計: 37人    

◎移住地の状況

 移住地に住む村人には一切の配給がない。1997年5月に移住が開始されて以来、村人はムンパン町から半径3キロ以上離れて田畑を耕作することを禁じられている。

 町に移住させられた村人のなかには、国軍が1996年に没収し、区分けした町の西部にある農地を購入することになったものもいる。


ムンペン郡での強制移住

ムンペン郡 (Murng Paeng)
移住村落数:24
移住世帯数:285

◎地域の状況

 ムンペン町は、クンヒン―ケントンを結ぶ街道の途中にある主要な交易所である。北部はなだらかな土地で、米の他にココナッツやゴマが栽培されている。南部のムンブーロン一帯は、山に囲まれた谷に位置している。

◎移住の経緯

 ムンブーロン一帯にある村落の多くは、MTAと地元のラフ人民兵組織との交戦があった1993年と94年に、国軍によって移住させられた。しかしその後移住対象となった村落には、同地域に戻るようにとの命令が下された。

 1997年12月22日、同地域でシャン兵の軍事行動が行われたことにともない、ラフ人とシャン人が住む24の村落が再度ムンプーロンとムンレンへの移動を命じられた。移動には7日の猶予が与えられた。

 タイ―ビルマ国境に到着したラフ人難民は、移住を指揮した国軍兵が家畜や持ち物を奪うさまを伝えている。国軍兵は村にいる女性を「シャン兵の食事を用意している」ととがめ、中には強かんされた女性もいる。

 


ロイレム郡での強制移住

ロイレム郡 (Loi Lem)
移住村落数:129
移住世帯数:2445

◎地域の状況

 ロイレム郡の町パンロンは、1948年にパンロン[ピンロンとも呼ばれる]協定が調印されたことで有名な町である。1962年にネウィンが権力を掌握し破棄するまでの間、この協定がビルマ連邦を維持していた。

 パンロン一帯には農民がもっとも多い。米、茶、巻きたばこ用の葉が栽培されている。町はまた、シャン州有数の交易地点としても知られており、中国人が大きなコミュニティをつくっている。ロイレム郡の一部地域は、既に停戦したパオ人の武装勢力の支配下にある。

◎移住の経緯

 1996年、97年ともロイレム郡で強制移住は行われていない。これはシャン人反SPDC勢力が軍事行動を行っていないためである。現在もシャン兵との間での戦闘は行われていない。しかし1998年1月、国軍兵は北部の村落に対してパンロン町への移住を命令した。与えられた猶予は5から7日間であった。期限を過ぎて残っていたところを見つかると、その村人の家は焼かれ、本人は殴られた。

◎移住地での超法規的処刑

 1997年11月23日にハイナン近くで、第513軽歩兵大隊所属の国軍兵によって、パンロン出身の女性一人が強かんの後殺害されたことをSHRFは記録している。

◎移住地の状況

 移住地には配給が一切行われていない。村人が持っていた米は、国軍に没収された後に配給される。移住させられた村人は元の畑を耕作することを禁じられており、基地近くでの掩蔽壕掘りと柵造りに強制的に従事させられている。ポーターに取られる村人もいる。村人は移住先にある畑で賃労働を行い、薪を売って生活を続けている。


ホーポン郡での強制移住

ホーポン郡 (Hopong)
移住村落数:17
移住世帯数:243

◎地域の状況

 ホーポン郡の南部は、とりわけ肥沃な地域であり、シャン州全土でも有数の水田地帯である。北部は山がちで、巻きたばこの葉が栽培されている。

 この地域にはパオ人が多数生活しており、停戦したパオ人の2つの武装勢力が活動している。

◎移住の経緯

 1996年、97年に強制移住は行われなかった。しかし1998年1月、ロイレム郡で行われたのと同時に、国軍兵は郡北東部の村落にロイレム郡パンロン町への移住を命じた。国軍兵は、この地域で戦闘が一切行われていないにもかかわらず、村人が同地域でのシャン人反SPDC勢力の軍事活動を支援していると非難したのである。村人には5日から7日の猶予が与えられた。いくつかの村落が焼き討ちされている。


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