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ロヒンギャー民族がビルマにおいて置かれている立場について

平成10年(行ウ)第148号・平成11年(行ウ)第1号

原   告 **********
被   告  法務大臣

準備書面(10)

2000年6月8日

原告訴訟代理人
弁護士 伊藤和夫
同  高橋 融
同  梓澤和幸
同  市川正司
同  岩重佳治
同  近藤博徳
同  鈴木雅子
同  田島 浩
同  樋渡俊一
同  福地直樹
同  毛受 久
同  山崎 健
同  山口元一
同  渡邉彰悟

東京地方裁判所民事第3部 御中

第1 ロヒンギャー民族がビルマにおいて置かれている立場について

1 ロヒンギャー民族をめぐる歴史的背景

1 アラカン州(アラカン州は1990年に現在の軍事政権により「Rakhine州」(ラカイン州)と改名された。しかし、「Rakhine」はアラカン州にいる主流の少数民族を指している一方、「アラカン」はより包括的であるため、以下、「アラカン州」という。)に住むイスラム教徒であるロヒンギャー(ロヒンジャ)民族について、これまで研究はあまりなされておらず、不明な点が多いのが現実であるが、概括的には以下のような歴史的特徴を持つ。

2 ビルマの西海岸地方を構成するアラカン地方には古くから仏教国のアラカン王国が栄えていたが、同地方に15世紀頃、ベンガル地方(現在のバングラデシュ)からイスラム教徒が流入してきた。またそれ以前からもアラカン王国には交易を目的にイスラム教徒のアラビア商人が沿岸の諸港に出入りしていた。

3 アラカン地方で多数を占めたのは仏教徒アラカン民族であるが、15世紀以降はイスラム教徒との共存が始まったものと推測される。しかし、ベンガル地方から流入してきたイスラム教徒達は、アラカン地方とベンガル地方との間を比較的自由に移動し、時々の政情や、食糧事情(農産物の育成を左右する天候などの状況)を見ながら、乾季には簡単に渡れる両地方を遮るナーフ河を渡り、より条件の良い方に移動し生活したものと考えられる。

4 19世紀以降の英国植民地期においても、状況に基本的変化はなかった。英国がおこなった10年ごとの国勢調査(センサス)においても、常にアラカン地方にはかなりの数のイスラム教徒が存在した。

5 20世紀に入り仏教徒ビルマ民族によるナショナリズム運動が盛り上がっていくなか、イスラム教徒に関しては、選挙を通じて植民地議会や新憲法制定議会の議員となる者が数名いたほかは、特に積極的政治的活動をした事実は見出せない。しかし、1948年の独立に際して、アラカン地方に独自の州が認められなかったことに不満を持つ仏教徒アラカン民族の政治リーダーらが様々な形で政治運動を開始すると、アラカン地方に住むイスラム教徒達の政治運動も活発化し、1960年代初頭には、ムジャヒディンを自称する人々によってイスラム原理主義に基づく武装分離闘争が展開されるに至る(結果的に国軍によって封じ込められ敗北)。

6 この頃(1960年代初頭)から、アラカン地方に「ロヒンギャー」を名乗るイスラム教徒集団が顕在化しはじめ、ビルマ政府と対立関係に入る。ビルマ民族中心主義に基づくビルマ式社会主義を進めたネィ・ウィン政権が、少数民族の政治的主張を軍事力で抑え込んでいくなか、それと反比例するように、「ロヒンギャー」たちは自分達の民族意識を強め、古くからのアラカン地方におけるイスラム教徒在住の歴史と自分達の存在を重ね合わせ、ビルマに昔から住む固有の一民族としての権利を主張しはじめた。

7 これに対しビルマ政府は、彼らをロヒンギャーではなく「ロヒンジャー」と呼び(ビルマ語に「ギャ」の発音が存在しないため)、歴史的にベンガルとアラカンを好き勝手に移動してきたビルマ語を解さないイスラム教徒集団とみなし、闇貿易や犯罪、治安撹乱に関わっている反ビルマ的集団として非難、彼らのビルマにおける公式の居住権を認めてこなかった。よって扱いも差別的・乱暴になり、そうした経緯から1991年にビルマのアラカン地方からバングラデシュ側へ25万人ないし30万人といわれるロヒンギャー難民が出るという事件が発生した。

2 ビルマ国籍法の特異性

 ビルマでは1982年に新国籍法(市民権法とも訳す)が制定され、それ以降、国民を3ランクに分ける分類方法がとられている。トップランクの「国民」に分類されるのは、第1次英緬戦争が起きた1823年より前から代々ビルマに住んでいた事が証明できる人々である。

 次のランクである「準国民」は、1823年以前からの先祖の居住は証明できないものの、1948年独立時の国籍法において国籍を認められた人々である(インド系、中国系、ユーラシアンなどが多い)。
これ以外の人々は、帰化申請を求められ、第3ランクである「帰化国民」に分類されるが、その際にも両親のいずれかが「国民」か「準国民」であること、さらにビルマ語をきちんと話せ、良い性格を持ち、健全なる精神を持っていること、などの条件がつく。帰化を申請できない者は「外国人」とされる。

  これら3分類は、事実上、ランクごとに法的権利が制約され、トップランクの「国民」に適用される権利が、「準国民」や「帰化国民」には適用されない事例が存在する。たとえば、公務員になれるのは「国民」のみ、大学の理工系・医学系に入学が許されるのも「国民」のみ、といった状況である。

 この法的取扱いは特に、1961年の無国籍の削減に関する条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)、児童の権利に関する条約に違反しているほか、慣習国際法のいくつかの基本原理を違反しており、1993年国連はSLORCに対しその法律を無効にするか修正して国際基準に合わせるようにと要請している。

 1995年の国連特別報告官であった横田洋三氏も、当時のビルマの人権状況の報告の中で、

「内務大臣であるMya Thinn 大佐はRakhine州のイスラム教徒は現在の帰化規定においてミャンマーの市民と認められていない、またいわゆる外国人居住者とさえも登録されていないということを確かに覚えていた。従って、彼らの地位ではビルマ国内を自由に移動できないし・・・公務員になることは許されないし高等教育を受けることも禁止されていると内務大臣は加えた」

 と述べている。
 この状況は現在でも変化しておらず、海外の人権擁護団体からもしばしば非難されている。

3 ビルマにおけるロヒンギャー民族の位置付け

 ビルマ「国民」は、政府公式分類によると135の諸民族から構成される。その中の筆頭はミャンマー民族で、人口の7割弱を占め、そのあとをシャン、カレン、アラカン、モン、チン、カチン、カヤーの7少数民族が順に続く。この他に127の少数民族が存在するわけであるが、実はそれらの中にロヒンギャーという民族は「存在」しない。なぜならば、現政権の国家平和開発評議会(SPDC)をはじめ、独立以降のビルマ政府は、一貫してロヒンギャー民族の存在を認めない立場を取ってきたからである。現在でもその姿勢に基本的変化はなく、彼らに対する軍事政権の姿勢には厳しいものがある。1991年にビルマのアラカン地方からバングラデシュ側へ25万人ないし30万人といわれるロヒンギャー難民が出た際も、軍事政権は国連難民高等弁務官や国際世論に説得されるまで、「ロヒンギャーなるものはビルマ連邦に存在する民族ではない」と公言し、難民の帰還に消極的であった。

 このような背景において、1982年新国籍法の下で、ロヒンギャーは、基本的に「外国人」扱いされている。まともにロヒンギャーであることを主張した上で帰化申請をしても門前払いになる。「ロヒンギャーなる民族はビルマにはいない」と政府が解釈しているため、たとえ1823年以前からアラカンに住んでいる事が証明できても、「ロヒンギャー」と主張する限り、それは不法居住であったとみなされる。よって、彼らはロヒンギャーであることを公的には主張せず、様々な書類を上手に作成して、1823年以前からアラカンに住み続けたイスラム教徒であると主張し、ロヒンギャー以外の民族名で「国民」の認定を受けるよう「努力」する。成功すると、ビルマで携帯を義務づけられる国民登録証に「ロヒンギャー」ではない別の民族名が印字され(名称はいろいろあり得る)、宗教欄には「ムスリム」と書かれることになる。

4 ロヒンギャー民族に属しながら国民登録を得た者の立場

 ところが苦労して書類上「国民」となっても、原告がそうであるように、ビルマ政府は彼らを「国民」として公平に扱わないという現実がある。ひとつは彼らがイスラム教徒であるためである。後述するとおり、上座部仏教が優勢なこの国では、政府や軍の高官も圧倒的に仏教徒が多く、イスラム教徒への差別感情や偏見を抱くことが一般的である。特に、原告の場合、本名は *****、父の名前は ***** と、誰が見ても一目でイスラム教徒とわかる。また、ロヒンギャー民族は、顔立ちも仏教徒ビルマ人と異なり、肌は黒く、彫の深い顔をしている。警官や軍人たちは、原告のような人間を捕まえたり取り調べるときは、とりわけ乱暴になることが多く、そうした事例はさまざまな人々によって証言されている。とりわけ原告の場合、1996年暮の民主主義を求める学生決起において、ロヒンギャーでありながら運動指導者の1人として活動し、逮捕されているので、ビルマ政府側から見れば、もともと抱いているイスラム教徒に対する偏見に加えて、本来なら「国民」になれないはずの男が書類上「国民」になり、国家の治安を乱したという解釈を抱く事になる。原告が官憲に必要以上に殴られたと語っているのは、そうした政府の認識の反映といえる。

5 身分証明書の未発行

 ロヒンギャー民族に、市民権の剥奪状態が続き、ロヒンギャー民族に対する差別と迫害が続く原因として、新身分証明書の未発行問題がある。1989年にビルマ政府は全市民に顔写真、彼もしくは彼女の父親名、住所などだけでなく、民族と宗教の記載を含む新しい身分証明書を発行し始めた。身分証明書は常時携帯し、旅行用チケットを買う際、子どもを学校に入学させる際、自分の州地域以外に住む友人宅に泊まる際、全ての民間機関を含む職を求める際、土地の購入や交換そして他の日常的な行動の際に身分証明書の番号を提示しなければならない。すべてのビルマ在住者が新しい身分証明書を申請しなくてはならなかった、そして古い身分証明書の保持者も市民権の証拠を再度立証しなければならなかった。

 ところが、ビルマにおける新しい身分証明書発行過程は特に少数民族居住地域において未だ終わっていない。その過程はたいへんゆっくりしたものであり、ロヒンギャー民族に対しては実際何も行なわれていない。したがって、旅行用チケットを買う際、子どもを学校に入学させる際、自分の州地域以外に住む友人宅に泊まる際、全ての民間機関を含む職を求める際、土地の購入や交換そして他の日常的な行動の際のすべてにおいて、ロヒンギャー民族は、法的な拒絶を余儀なくされるわけである。

 以上のような状況、即ちアラカン州のロヒンギャー民族の大多数が被っている差別的な法とその実践はUNHCRによって確立された基準による「迫害」に相当する(上記ヒューマンライツウォッチ1997年報告同旨)。つまり、「当該者に害を与える性質のもの、例えば生計をたてる権利、宗教を実践する権利、通常利用可能な教育施設へのアクセス権に対する容易ならぬ制限という結果を引き起こし、」それによって「当該者の心に将来の存在に対する懸念と不安の気持ちを生み出す」(同上)のである。

6 イスラム教徒に対する文化的差別

 ロヒンギャー民族は、前述のようにイスラム教徒であるが、ビルマは多民族であると共に、多宗教国家でもある。上座部仏教徒が人口の9割近くを占めるが、キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、精霊信仰も少なくない数存在し、その中でイスラム教徒は全人口の約4パーセントを占めている。これら諸宗教間において、仏教徒とキリスト教徒、仏教徒とヒンドゥー教徒との関係はふつう比較的平和で安定しており、人々の間で問題が生じるということは希である。しかし、仏教徒とイスラム教徒との間では、20世紀以降、政治的不満や経済的不満が国内に充満した際に、前者(仏教徒)による後者(イスラム教徒)に対する暴動がしばしば発生しており、これは現在でも変わりない。例えば、1997年3月にも、ビルマ市内にあるイスラム教徒のコミュニティがビルマ人によって襲撃されるという事件が起きた。これは、1988年以来幽閉されている仏教徒政治指導者に対する政府の待遇批判をそらせるために、政府によって誘導されたものであろうと多くの報告が指摘した。

 さらに重要なことは、ふだんの生活においても、一般に仏教徒ビルマ人はイスラム教徒を嫌うという事実があることである。ビルマ語で「カラー」はインド人を指し、それ自体「色の黒い非仏教徒」という蔑称の響きを持つが、同じ「カラー」の中でも、イスラム教徒に対してはとりわけ偏見と差別が根強くある。民族や宗教や国籍の異なる結婚にさほど目くじらをたてないビルマ人仏教徒も、自分の娘や息子がイスラム教徒と結婚しようとすると大反対をし、勘当することすらある。

 こうした仏教徒ビルマ人によるイスラム教徒への偏見や差別意識が、政府によるロヒンギャー非難(=「彼らはビルマ在住の民族ではない」「彼らは闇貿易をしたり犯罪に手を染めている」「彼らはビルマの治安を乱している」などの一方的見解)と輻輳して、ロヒンギャー民族のビルマにおける安全な居住を妨げている現実がビルマには存在するのである。

7 大量難民の発生

 右に述べたような背景下で、1991年12月から1992年3月にかけてビルマのアラカン州のおよそ25万人ないし30万人のロヒンギャー民族がバングラディッシュへ難民として流出するという事件が起きた。その多くは、ビルマとバングラディッシュのバングラディッシュ側国境近くの街コックスバザールの難民キャンプで生活している。

 しかし、自らも経済的苦境にあるバングラディッシュにとって、ビルマからの大量難民の流入は著しい負担となり、バングラディッシュ政府は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)及び国際社会の激しい非難にもかかわらず、たびたびロヒンギャー難民に対する実力行使を伴う強制送還を行ってきた。
 UNHCRによれば、ミャンマーからロヒンギャーが流出したのは、以下の6つの「流出要因」によるものである。

(1)市民権の欠如、国籍の延長書き換えの不認定。
(2)ミャンマー当局による移動の制限。
(3)強制労働と軍のためのポーター。
(4)強制的な食物寄付、ゆすりと恣意的課税。
(5)土地没収あるいは移住。
(6)高い物価と食糧(米)の欠乏。

 これらの要因が、組織的な人権侵害と、未開発のままに固定された状況と結び付いた結果、ロヒンギャーの大量出国に至ったのである(国連人権委員会へのララ特別報告官による報告)。

 右の報告によれば、ビルマ軍はロヒンギャーを強制的に住まいから追い出したが、それと共に恣意的逮捕、殺害、軍での強制労働、強姦が行われていたというのである。

 その後、バングラディッシュに流れ着いた難民の帰還問題がバングラデッシュ・ビルマ両国政府とUNHCRを中心に進められたが、必ずしも帰還は順調に進んでいない。その理由は、ビルマにおける状況がほとんど変わっていないことをバングラディッシュに戻ってきた難民から聞くことで難民が帰還したがらないということ、そして、送還する難民の受け入れについてのビルマ側の怠慢である。
 このことは、例えば次のような報告に明らかである。


「1997年7月中旬、レフジー・インターナショナルの調査官がコックスバザールを訪れ町の周辺にあるスラム街にいる13人のロヒンギャー民族をインタビューした。彼らはみなインタビューが行なわれた日より2週間前にそこに到着しており、彼らはみな窮乏を理由に逃げてきたと言った。・・・このためバングラディッシュ政府は彼らのほとんどが真正の難民ではなく経済移民であると結論づけた。それでもなお、食糧と経済上の機会の欠如が脱出のもっとも緊急理由であったとしても、さらに尋問すると彼らの人種と宗教的信仰を理由に差別され、強制労働、恣意的な徴税、移動の自由と教育機関へのアクセス否定のような虐待を被っていた事実が明らかになった。」(ヒューマンライツウォッチ1997年報告)。

8 ロヒンギャー民族が受けている様々な具体的迫害

1 強制労働

 強制労働はビルマのいたる所で行なわれているが、ロヒンギャー民族への負担は特に深刻である。ロヒンギャー民族のほとんどが未熟な日雇い労働者であるため、強制労働による無報酬の一日労働は家族全員が一日食べられないことを意味する。仕事ができるのは農業的サイクルに多く依存しており乾季(12月―7月)の間はほとんど仕事がない。以前はロヒンギャーの人たちは町や仕事のある地域へ出稼ぎに行っていたが、1991年以来彼らの移動の自由はNaSaKa(NaSaKaはロヒンギャー民族出国後の1992年に設立され、警察、軍諜報機関(MI)、Lone Htein(治安警察)、税関、移民人員担当局(IMPD)の5つの政府機関から成っている。NaSaKaはSLORCとシットエを本拠地にする西部陸軍司令官の直接命令下にあるため、準軍隊組織である。)により厳格に制限されている。出稼ぎができないため、彼らは何を始めるにもほとんど資金がない。また乾季は建設工事に最も適しているときであるため、強制労働の需要がもっとも高く、ロヒンギャー民族への経済的打撃は深刻である。

 この強制労働の問題がロヒンギャーにおいて深刻である事情はILOにおけるビルマ強制労働に対する告発でも明らかであり、強制労働の実態に関する多くの証言者がロヒンギャーによって占められている事実もここで指摘しておきたい(1999年ILO理事会での公表)。またこの調査委員会の報告は、強制労働に焦点を絞ったものであるが、「ミャンマーでの種々の民族グループが経験する人権侵害を強調する結果になった。記述された人権侵害には、超法規的殺害、強姦、拷問、虐待、強制移住が含まれている」(報告F.46項)との指摘もなされていることを付言しておく。

2 土地と財産の没収

 ビルマではすべての土地が政府によって所有されている。借地人は土地使用権を有しその権利は子どもへ相続できるが、ビルマの農業耕地の半分以上を占める米耕作用に設計された土地では使用権を賃貸、売却することができない。準あるいは帰化市民、もしくは外国人居住者として、ロヒンギャー民族の人々は土地使用権を許可されない。もっとも、慣習法はほとんどの村に適用されるため、ロヒンギャー民族も何年間も土地の借用権を獲得することはできる。けれどもMaungdaw, Buthidaung そして Kyauktawの町区の大部分で、軍隊が道路、「モデル村」、軍用兵舎、水力発電所、エビの養殖場、そして他の商業活動場を建設するために土地を没収している。このように土地が没収されても、それに対する所有者への補償は全くされないし、法律で罰することもできない。開発のための土地没収はビルマの少数民族居住地でなされている。ビルマ民族に対しても同様に都市または田舎への移転が強制されるが、彼らには安値で新しい土地や家を買える可能性があるのだが、ロヒンギャー民族を含む少数民族に対しては全くそのような待遇はない。

 土地と財産の没収については次のような事例が報告されている。

(1) Maungdaw町区から60歳の男性が妻と子どもを連れてコックスバザールに到着していた。彼はかなり大きな農場を所有していたが、1997年6月、軍諜報機関職員が彼の家にやって来て彼の土地を手放すよう命令した。彼が拒否すると、翌日、軍諜報機関職員が再度やって来て彼の娘の1人を強姦し2番目の娘を投獄した。11日後、しきりに懇願した後、彼は娘と交換に20日間拘留された。拘留中彼は殴られた。彼が釈放されたのち彼と家族は逃亡した。のちに彼は強姦された娘が死んだと知らされた。国境にたどり着いたとき彼と家族はバングラディッシュの国境警備隊により押し返された。その後ビルマ人のNaSaKa隊は彼と家族の所持金をすべて押収した後、彼と家族を解放した。5日間歩いた後、彼と家族は違う国境線よりバングラディッシュへ入国した。

(2) Maungdawの南から25マイル下がった村出身の50歳の男性は1996年9月に政府によって彼の土地を没収されたとレフジーインターナショナルに語った。のちに仏教徒のビルマ人の家族にその土地が与えられた。彼の預金がなくなるにつれ、生きるために彼の家畜を売った。彼の息子は強制労働の要請から逃れるために村を出ていた。生きる糧がなくなり、ついに彼は残りの家族と共にバングラディッシュへ移った。この男性は過去において難民ではなかった。

(3) 南部Maungdaw出身の3人の子どもの未亡人である女性は彼女がてんとう虫を育てていた小さな土地の一角を軍隊が没収したためそこを後にしたと語った。生きる手段がそれ以外になくそしてNaSaKaによって虐待されるのを恐れ彼女はバングラディッシュへと逃げた。

3 恣意的な徴税

 ビルマの徴税は悪名高く恣意的である。土地使用権を行使する条件として借地人は物品で政府に税を支払わなければならない。通常、その物品とは、農民が政府に規定された値段で政府に売らなければならない収穫率の農産物もしくは一定の割り当てられた分担量の農産物である。アラカン州では、米税は土地の収穫率というよりもむしろ農民が利用する土地面積の割合で計算される。その計算方法は肥沃の土地の収穫よりもはるかに少ない量しか取れない最悪な質の土地のみしか使用できないのが通常であるロヒンギャー民族にとって差別的影響を与える。地税に加えて、ロヒンギャー民族は1992年以来増えた様々な新しい徴税を被っている。あらゆる商業に現在税金がかけられている。北部アラカンの各家族は彼らが実際に子どもを育てているかどうかにもかかわらず幼児税を支払わなければならない。
徴税問題については、次のような事例が報告されている。


(1) ロヒンギャー民族の多くが強制的に市場で500 kyatsの値段で唐辛子を買わされ、100kyatasの政府規定値段でNaSaKaに「売ら」されている。


(2) 川へ魚釣りに行くとき竹を切りに森へ行くときにも料金を払わなければならなかったと1996年2月にバングラデッシュに到着した難民がヒューマン・ライツ・ワォッチに語った。仏教徒のRakhines民族は魚するをしないのでこの料金はロヒンギャー民族にのみ課されている。


(3) 1997年に到着した者は税が動物を飼育することにまで拡大していると語った。牛の所有者は1年に80kyats 払わなければならず、やぎの所有者は30kyats支払わなければならない。

(4) さらにロヒンギャー民族は彼らの収穫物を売るために隣村や市場のある村に行く許可を得るためにも料金を支払わねばならないことになっている。7月にレフジ・インターナショナルにインタビューされたMaungdaw町区出身の35歳の男性は、彼が卵や鶏肉を売りに市場へ行くたびごとに20kyats支払わなければならなかったと語った。しかも、軍隊が彼の露店にやって来て彼らの好きなものをただで持っていってしまったため、結局市場へ行くこと自体、彼に何の利益ももたらさなかった。


4 移動の自由

 前述したように、1996年にMaung Thinn大佐が報告し横田国連特別報告官がそれを引用したことから明らかなとおり、ロヒンギャー民族の移動の自由は全くない。

 ロヒンギャー民族はあらかじめ許可なしに彼らの村の境界を超えて旅行することが許されていない。旅行申請は自分の所属する村議会に提出しなければならない。その後その申請は村議会に最も近いNaSaKa事務所に渡される。ここで移民人員担当局(IMPD)、警察、治安警察、軍諜報機関、そして税関のすべてがその申請に同意しなけれならない。同意された場合でも、許可書は有償である。たいていの場合、通行許可証は近くの村への24時間以内の往復のみ有効である。例外としてイスラム教徒のみ一晩そこで過ごすことを許可されている。それより遠くへ、例えばMaungdaw やButhidaungの町の中心地やシットウェ州都へ行くことは実質上不可能である。この取り決めの複雑さとそれにかかる費用は村を出ようとすることを思いとどまらせるためにあると受けとめられている。ビルマにいる者はすべて自分の居住地以外の町や村で一夜を過ごす際地元にあるSLORC事務所に登録しその費用を少し払わなければならないのだが、ロヒンギャー民族のような非市民だけが家を出る前にあらかじめその許可を申請しておかなければならない。アラカン州内でさえ旅行することができないことは、土地を持たないロヒンギャー民族にとって、農作業がほとんどできない乾季に仕事を探すことを極めて困難にする。

9 現状

 以上のような人権弾圧の状況が実態として見られるのであるが、ビルマ軍事政権はいまもロヒンギャー民族に対する態度をほとんど変えていない。ロヒンギャー民族は依然として非市民と見なされ軍事政権が供給するただ働き以外彼らは何をするにも歓迎されない。

 多くのビルマ人仏教徒のビルマにいる少数派であるイスラム教徒に対する継続的な敵意と人種差別にも変化はない。
状況が何ら変化していないことはララ国連特別報告官の2000年における人権委員会に対する報告においても確認されている。ララ報告官は「ミャンマーの、カレン人、カレンニー人 、シャン人およびロヒンギャーなどの民族的、宗教的少数派は、恣意的逮捕、殺害、軍での強制労働、女性売買などを含むひどい虐待を受け続けている」(要約)と明確に述べ、「特別報告官は、総会と人権委員会への前回の報告と同様、最近政府が『重大な考慮』をすると意思表示したにもかかわらず、いまだ訪問が受け入れられていないことを残念に思う」(59項)とし、「ミャンマーでの人権の一般的状況の具体的な進歩を報告することができない点が、最も不幸なことである。それどころか、ミャンマーでは政治的、市民的な権利への抑圧が継続しており、それらには即決もしくは恣意的死刑執行、兵士による女性と子どもへの虐待、特に少数民族と宗教的少数派への強制労働と強制移住を含む圧制などが含まれる。」(61項)、「特別報告官が今まで得た情報からは、具体的な進歩はまったく観察できない。特別報告官は、人権委員会への前回の報告(E/ CN.4/1999/35)のパラグラフ80から83、および総会への前回の仮報告(A/ 54/440)のパラグラフ50から55に記載したリコメンデーションの繰り返しが必要であると考える」(65項)と述べている。

 要するに迫害の実態に何らの変化の兆しもないということである。

10 難民該当性

1 難民条約及び出入国管理及び難民認定法における「難民」とは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」であるところ、以上に述べたところからすれば、そもそも原告がロヒンギャー民族に属するというという事実のみによってすら、十分な難民該当性があるというべきである。

2 民族という概念は、既に難民の定義に関する準備書面で明らかにしたように、右の「人種」及び「国籍」に該当する。
そしてまた、前述のように、仏教徒ビルマ人によるイスラム教徒への偏見や差別意識が、政府によるロヒンギャー非難と輻輳して、ロヒンギャー民族のビルマにおける安全な居住を妨げている現実がビルマには存在することから、ロヒンギャー民族は「宗教」を理由とする迫害にもさらされているのである。

3 前述のように、アラカン州のロヒンギャー民族の大多数が被っている、市民権の欠如、国籍の延長書き換えの遅延は、「当該者に害を与える性質のもの、例えば生計をたてる権利、宗教を実践する権利、通常利用可能な教育施設へのアクセス権に対する容易ならぬ制限という結果を引き起こし、」それによって「当該者の心に将来の存在に対する懸念と不安の気持ちを生み出す」ことにより、UNHCRによって確立された基準による「迫害」に相当する。

4 そして、原告のように、ロヒンギャー民族に属しながら、書類上は国民登録を得た者であっても、ロヒンギャー民族であることは、外貌、氏名、宗教、出身地などにより明らかであり、ロヒンギャー民族に属する限りにおいて、強制労働、土地及び財産の没収、恣意的な徴税、移動の自由の制限といった様々な迫害を受ける具体的危険に常にさらされている。そのことが、ロヒンギャー民族がバングラディッシュへ大量に難民として流出するという事件を引き起こしているのであって、原告も、同様の迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有していることは明らかである。

5 さらに原告の場合は、1996年暮の民主主義を求める学生決起において、ロヒンギャーでありながら運動指導者の1人として活動し、逮捕されているので、「政治的理由」による迫害を受けるおそれがあるのであって、ビルマに帰国した場合の「迫害を受けるおそれ」は倍加しているといって過言ではない。

なお、以上は、「*****氏がロヒンギャー民族であることについて」(甲第36号証)、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ報告」(甲第32号証)、「ミャンマーの人権状況」(甲第33号証)、「ビルマにおけるロヒンギャ人への人権侵害」(甲第34号証)による。ほかに、参考文献として、「ロヒンジャ民族組織指導者へのインタビュー」(甲第35号証)。






(c) ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo) 1997〜



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