| ビルマ情報ネットワーク | |
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2007年9月26日から10月31日までの情勢ビルマ情報ネットワーク こちらのページは更新されません。 ・最新情報:2007年反軍政・民主化蜂起の動向・2007年9月26日から10月31日までの情勢 ・2007年9月22日から9月25日までの情勢 ・2007年9月18日から9月21日までの情勢 ・2007年8月15日から9月11日までの情勢 10月31日の情勢10月31日 ビルマ情報ネットワーク イラワディなどの情報によれば、10月31日朝8時頃、中部の都市パコックで約100の僧侶が3列縦隊で慈経を読みながら1時間ほど街頭を行進した。多くの住民が僧侶に手を合わせた。軍政側は参加した僧院の特定を急いでいる模様。僧侶が街頭を歩くのは先月末の大弾圧以来初めてとなる。軍政の追及を逃れて潜伏中の僧侶団体の幹部は10月後半にデモを準備していると語っていたが、今回のパコックの動きがそれに該当するのかなど詳しいことは不明。 10月12日の情勢 10月13日 民主化運動家の逮捕と拘禁が続いている。軍政は手配している活動家本人が見つからない場合にその家族を拘束して、本人に出頭させようとする手段にも出ている。また、収容先で少なくとも2人の活動家が死亡したことが確認されている。 ラングーンでは、ラングーン総合病院など病院に警察が詰めている。銃撃による負傷など、デモ参加によって負った可能性のあるけがで病院に来た者がいれば報告するように医者や看護士に指示している。 学生活動家などが反軍政パンフレットを配ったり反軍政のスローガンをスプレーで書いたりするといった活動をしている一方で、軍政はラングーンとマンダレーで国民会議を支持する集会を開いている。高校生がこういった集会に出るように強制されており、学校では高校生の写真を撮って、連邦団結発展協会(USDA)の会員証を渡している。集会に出る際には会員証を携帯していなければならない。 ▽収容先で2人が死亡マンダレー管区チョーパダウン郡の国民民主連盟(NLD)党員ウィンシュエ氏が収容先で死亡した。氏は9月26日に、デモ行進を支持し参加していたために仲間5人とともに逮捕されていた。6人はプレーク郡の警察署内に拘禁されていた。当局は10月9日にウィンシュエ氏の妻に連絡を取り、氏が収容中に心臓発作で死亡し、遺体は火葬したと告げた。 最近釈放された人々からの情報によれば、僧侶を含むデモ参加者数人が収容中に死亡した。激しい拷問や、けがの治療を受けられなかったことが原因だった。亡くなった一人のタンアウン氏(48)はチャイッカサン拘置所にいたが、けがや内出血への治療を受けられなかったために9月30日に死亡した。ビルマでは一般に、尋問の際に殴打、肛門への暴行、局部への電気ショック、水責め、火のついたタバコを押しつけるなどの残虐な拷問が行われることが多い。 ▽多数が逮捕される10月13日早朝、88世代学生グループの主要メンバーで、8月から当局が探していたテイチュエ氏が逮捕された。同じ家に隠れていた88世代学生グループのメンバー4人(アウントゥ、ティンティンエー、コーコー、ヘインテッ各氏)と、家の所有者(氏名は今のところ不明)も逮捕された。目撃者によれば、当局関係者約70人が家を襲ったという。 当局はデモの際に撮影したビデオや写真を手がかりにするほか、地元の連邦団結発展協会(USDA)からの情報を使ってデモ参加者を探し出している。USDAからの情報に基づいて10月9日にはパベダン区の若者10人が逮捕された。またサンチャウン区の国民民主連盟(NLD)党員の女性が10月11日に逮捕された。同じく10月11日の夜には男子学生4人と女子学生1人が逮捕された。 88世代学生グループのフラミョーナウン氏が2007年10月10日に逮捕された。目の治療が必要になったために医者に行こうとしていたときだった。付き添っていた学生2人も逮捕された。フラミョーナウン氏は1988年の民主化運動の際の学生リーダーの一人で、1990年から1996年まで約6年間を政治囚として刑務所に収容されていた。 軍政はデモに参加した2人の活動家、テッテッアウン氏と夫のチッコーリン氏を探していたが、10月9日にチッコーリン氏が逮捕された。テッテッアウン氏はまだ捕まっていないが、当局は10月10日にテッテッアウン氏の母親(54)と義母(74)を代わりに逮捕した。テッテッアウン氏が出頭すれば母親と義母とを釈放するということだった。10月12日に義母が解放されたが、母親はまだ収容中。 有名な映画俳優・監督のチョートゥ氏と妻のミンミンキンペー(別名シュエジークアット)氏が10月11日に逮捕された。夫妻はデモに参加する僧侶を積極的に支援し、寄付をしたり食べ物を備えたりしていた。また有名なコメディアンのザガナ氏とともに、ビルマ芸能界がデモを支持するように働きかけた。ザガナ氏が9月26日に逮捕されて以来、チョートゥ氏は逮捕を免れるために隠れていた。 アウンサンスーチー氏の解放を求めて長年活動してきた活動家のノーオンフラ氏(女性)が10月12日早朝に家を出たところを逮捕された。 ラングーンのマヤンゴン区の国民民主連盟(NLD)青年部のトゥントゥン氏とコーメー氏が10月11日午前3時に自宅で逮捕された。 マンダレー刑務所に収容されている政治囚ボーボー氏の母親ミンチー氏(56)が10月10日午後11時にラングーンのサンチャウン区の自宅で逮捕された。警察は実際には、同居している88世代学生グループのナンソー氏を逮捕しにきたのだったが、ナンソー氏がいなかったので代わりにミンチー氏が逮捕された模様。 警察は10月9日にラングーン南オッカラパ区にある家を急襲した。長い歴史を持つ全ビルマ学生会連盟(ABFSU)を再結成した学生リーダーらを逮捕するのが目的だった。ダゴン大学のハニーウー氏が逮捕されたが、ほかの学生は逃げた。警察は家の所有者であるチッモーチョー氏と妻のシャンマ氏、そして2歳になる娘も逮捕した。10月12日にシャンマ氏だけが釈放された。 10月11日の夜に警察はインセイン区にある家を襲った。西部大学のディーニェインリン氏を逮捕するのが目的だったが、氏は逃げることができた。 ドイツの報道機関EPAの職員で写真家のトゥラソー氏が9月27日以来行方不明になっている。デモの際、EPAに提供する写真を撮っていた。 元政治囚でもある有名なコメディアン、パパレー氏も、9月25日にマンダレーで逮捕されて以来行方不明になっている。 警察は学生リーダー5人を逮捕しようとしてラングーンの南ダゴン、バハン、フモービ、サンチャウン、インセイン各区にあるそれぞれの自宅を急襲した。2人(エイミンミャット氏とイェミャットヘイン氏)が逮捕されたが、残る3人(シェインヤザートゥン、テインミンソー、ピョーピョーアウン各氏)は無事だった。 国民民主連盟(NLD)は10月12日に声明を出し、デモへの関与を理由に逮捕された党員216人のリストを発表した。216人の中には中央執行委員会委員3人(フラペー、ミンティン、ハンゾー各氏)や、中央女性部のレーレー氏が含まれている。NLDはまた、1990年の総選挙で当選した所属議員15人も最近逮捕されたとした。 2007年10月5日にザガイン管区シュエボー郡で、デモを支援したとして6人が逮捕された。6人は国民民主連盟(NLD)党員のアウンミョー氏、塾教師のマウンマウンタン氏とチョーティハ氏、そしてミンニョー氏、タンナインウー氏だった。は拷問によるけがが原因で入院しており、残りの5人は今も拘禁されている。 2007年10月3日に国民民主連盟(NLD)のフラアウン氏(1990年選挙当選議員)、タンルウィン氏(マンダレー支部副議長)、ミンテー(タジ郡支部副議長)の3人が逮捕され、行方不明となっている。 ▽僧侶への弾圧ラングーンのバハン区にあるササナゴニ僧院には治安部隊がまだ詰めている。僧院長が全ビルマ僧侶連盟のリーダーでもあるので、僧院長を逮捕しようとしている。 ラングーンの複数の場所に拘束されていた僧侶たちは強制還俗された上、インセイン刑務所、マンダレー刑務所などの刑務所に送られた。 アル・ジャジーラの特集英語ですが、9月末のデモと弾圧の現場を捉えています。 ビルマ国内からの報告 弾圧の模様(前編)(アル・ジャジーラ、2007年10月10日) ビルマ国内からの報告 弾圧の模様(後編)(アル・ジャジーラ、2007年10月10日) 2007年10月8日の情勢 10月9日 ▽ラングーンの川に遺体2007年10月5日午前10時頃、ラングーンのタケタ区とツワナ区を結ぶ橋の下に僧侶の遺体3体があるのが見つかった。これを見に数百人が集まったが、警察が来て群衆を解散させ、遺体を持ち去った。 ▽全ビルマ僧侶連盟(ABMA)の声明全ビルマ僧侶連盟(ABMA)は声明を出し、国連安保理でビルマに対する決議採択の際に拒否権を発動しないよう中国に求めた。軍政が指名手配している5人の指導的仏教僧の1人るガンビラ師がRFAビルマ語サービス(ラジオ)で声明を読み上げた。一部紹介する(非公式訳)。 「中国政府が、ダルフールで数百万の死者を出したスーダン政府を支援していること、自らチベットの僧侶を容赦なく殺していること、僧侶や尼僧、市民を攻撃、逮捕し殺すビルマ軍政を支援していること、そして世界各地で軍事政権や犯罪人の台頭を推進していることから判断すると、中国政府が世界の平和と安定を脅かす結果になっていることは事実だと言える。 「国連安保理で中国が拒否権を再び行使し、ビルマに対する決議をつぶすようなことがあったら、私たち全ビルマ僧侶連盟は全世界に向けて、2008年の北京オリンピックをボイコットし、中国製の製品を買わないよう呼びかけるだろう。またすべての僧侶に対し、世界中で北京オリンピックのボイコット・キャンペーンを繰り広げるよう要請するだろう」 全ビルマ僧侶連盟の別のリーダー、メッタ・ナンダ師もRFAビルマ語サービスに対し、一連の弾圧で逮捕されたり殺されたりした僧侶や尼僧のリスト、および軍政に襲撃された僧院のリストを作成中であると話した。また連盟内に委員会を設置し、軍政の弾圧に関する文書や写真、目撃者の証言などを集めていることも明らかにした。これらの証拠を使って弾圧についての報告書を作成し、ビルマ国民と国連など国際社会に向けて発表する予定。これまでの調べでは、ラングーン管区やカチン州を中心に少なくとも37の僧院が襲われた。氏によれば2000の僧侶が逮捕され、300〜500人が殺された。 ▽逮捕者数2007年10月5日に行われた国連安保理への報告の中で、事務総長特別顧問のガンバリ氏は「ミャンマー政府からの情報によれば、デモに関連して逮捕されていたうち2095人が今日までに釈放された。この中には僧侶728人も含まれており、今後も釈放は続いていく。これは事務総長に変わって私がミャンマー当局に行った要請に直接応えるものである」。軍政の国連大使も同じ会合で「これまでに2095人の僧侶や一般市民が釈放され、今後も釈放が続く予定だ」と述べた。 しかし2007年10月6日付の国営紙(ニューライト・オブ・ミャンマー)によれば「当局は10月4日までに692人を釈放した。10月5日に517人が念書を取った上で釈放された。これまでに1215人が釈放されたことになる」。同紙はまた別の記事で、「533人の僧侶が僧院から連行された。本物の僧侶と偽の僧侶を区別することが難しかったからである。533人のうち、398人が釈放されている」。つまり10月6日の時点で当局が釈放したのは1613人(1215人+398人)である。したがって国営紙の数字と、軍政がガンバリ氏に伝えた数字とは一致しない。軍政がガンバリ氏に示した数字の方が多い理由は不明である。 ▽スーチー氏との連絡役軍政は、アウンサンスーチー氏との連絡役に労働副大臣のアウンチー少将を任命した。過去には、キンニュン元首相に近かったチョーウィン少将が連絡役を勤めていたが、キンニュン首相が更迭されてからは連絡役がいなかった。 2007年10月4日の情勢 10月5日 ▽今日のことば
▽全体的な動向ビルマ軍政の残虐で非道な行為を目の当たりにして、ビルマ国民の間には大きな衝撃が走り、激しい精神的な動揺が続いている。ラングーン市民によれば、市民は夜が来るのが怖くて仕方ないという。夜になると夜間外出禁止令が適用されるため、通りは静かになる。すると兵士が静かに家屋や僧院を襲撃する。軍用トラックの走る音、犬の吠える声、暴行し、逮捕する相手に向かって兵士が発する怒鳴り声が止むことはない。外出禁止令下のため、人々は家の外に出て、助けに行くことは叶わず、兵士が自分の家の扉を叩き、あるいは蹴破るときのことを思って恐怖に震えている。 ビルマ国営テレビの発表によれば、軍政最高指導者タンシュエ上級将軍が国連のガンバリ特別顧問と2日に会見した際、アウンサンスーチー氏が軍政への敵対的な態度、徹底的な国家破壊策動、国際社会に対するビルマ軍政への経済制裁、そのほかあらゆる制裁措置への呼びかけを撤回すれば、氏と個人的に会ってもよいと述べた。 軍政は他方で平和的なデモの参加者、外国報道機関、一部の政府への攻撃を強めており、国内の政情不安と破壊行為を煽ったと非難している。一部の地域では軍政を支持し、デモ参加者を非難する官製デモに人々が強制的に動員されている。 アウンサンスーチー氏宅の警備が強化された。兵士約200人が自宅前に展開し、20人以上が自宅内に駐屯している。自宅裏のインレー湖では兵士約20人を乗せた監視艇2隻がパトロールしている 4日午後3時30分頃、88世代学生グループのメンバーがラングーン市内の少なくとも二箇所(ミニゴンのヤダナボン公園、シュエダゴンパゴダ東門)にさっと集まった。参加者数は不明だが、今回の暴力的な弾圧の犠牲となった勇敢な僧侶と市民を追悼した。 ▽デモ参加者、支援者の捜索・逮捕が続くビルマ国営放送は、今回の運動に関して2093人を拘束し、うち692人を「今後はデモに参加しない」という念書を取って釈放したと報じた。しかしBBCはビルマ国内の消息筋の情報として、連日の逮捕者は計1万人に達し、その多くがデモを指揮した僧侶だとしている。当局はデモを撮影したビデオを使って逮捕者リストを作成していると言われる。 ニャンウィンNLD報道官は、同党が収集した情報によれば、一連の動きの中で党員190人が拘束されていると述べた。今日は1990年選挙当選議員ミンチー氏(ザガイン管区カター郡選出)が警察に逮捕された。 モン州では外国のビルマ語放送を聞くことが禁止された。この命令に従わなかった住民への嫌がらせや逮捕が起きている。 ラングーンでは、「デモ参加者の写真や資料を持っている」と放送しながら当局者が街を巡回しており、夜には家宅捜索が行われている。またNLD党員や大学生の調査が行われている模様。兵士がパゴダ、僧院、交差点など市内全域に展開しており、バスやタクシーなど交通機関では当局者による容疑者の捜索が行われている。 3日、シュエダゴンパゴダの門前の商店主100人以上が拘束された。シェエダゴンパゴダ前で行われた一連の抗議行動で、仏教僧とデモ参加者を支援した人たちだった。 4日夜、カマユ区の住民100人以上が国軍に逮捕された。2日前の2日夜には、兵士が同郡のアウンミェーターザン僧院の襲撃を行った際、地域住民数千人が集まって兵士と対峙し、僧侶を救う出来事があった。4日の逮捕はこの事件に関するものだ。 タウントウィンジー区では5日午前1時頃、NLD党員のボーニー(キンマウンナイン)氏とアウンコー氏、NLDシンパのチョーナイン氏が逮捕された。 兵士と暴動鎮圧部隊が、軍政の御用大衆団体・連邦団結発展協会(USDA)の地元組織の支援を受けて、南オッカラパ、北オッカラパ、ティンガンジュン、カマユ、タムエー各区の僧院を襲撃した。少なくとも200の僧侶、市民50人が逮捕された。 約2000の僧侶と女性出家者がヤンゴン工科大学(YIT)、国立技術専門学校(GTI)で拘束されており、全体で約6000人が4つの場所に分散して拘束されている。拘束・逮捕された僧侶は還俗させられた上、足に枷をはめられ、ラングーンから離れた地域に移送されている。 死者は200人とも言われるが、1000人近いという報道もある。兵士による僧院や個人宅への襲撃が今も行われている。デモ参加者は逮捕を警戒しており、逃走あるいは潜伏している人も多い。僧院への襲撃は回数が増加している。地方から出てきた僧が地元に返される、僧侶が逮捕・連行される、拘束を恐れて潜伏する、または国外脱出を試みるなどの理由で空になった僧院も増えている。 ラングーンの住民の話によれば、検問所が市内の至る所にあり、若くてカバンを持っている一般市民をチェックしている。 ▽ラングーン以外の動き9月末には僧侶と市民が参加した8000人規模のデモがあったマグエー管区パコック郡では2日、1990年総選挙当選議員フラインエー氏(NLD)と住民50人が逮捕された。 ヤカイン州シットウエーでは住民50人以上が逮捕された。 全国各地の僧院で僧侶が覆鉢を続けており、当局側は一般市民が食料を布施するのを禁止している。マンダレーの僧院の中には、僧院内の米を日干ししているところもある。 9月上旬にパコックで僧侶を支援したとして逮捕されたパクコー氏ほか6人には9月24日と26日に判決が下され、長期刑が宣告された。 ▽釈放軍政は国連開発計画(UNDP)現地スタッフのミンングエーモン氏と夫、義理の兄弟、運転手を逮捕した。国連からの抗議を受けて全員を釈放した。 インセイン区の国立技術専門学校(GTI)内に拘束されていた150人の僧侶と女性が4日に釈放された。家族の中には警察から最寄りの警察署に迎えに来るように連絡があった。消息筋によれば、国軍は収容者を4ランクに分類しており、4つとは(1)デモを見たが立ち止まらなかった人、(2)デモを立ち止まって見物した人、(3)デモに拍手し支持した人、(4)デモに参加した人。(1)のグループについては、二度とそのような行動をしないとの念書を取った上で釈放する可能性がある。 ▽各地での行動88世代学生グループ、全ビルマ僧侶連盟などが作る「国民運動指導委員会」は、ビルマ国民に対し、宗教を問わず、10月5日〜7日の3日間、今回の運動の犠牲者と負傷者、被逮捕者への祈りのキャンペーンに参加するよう訴えた。 ミャンマー・ムスリム協会は声明を発表し、ビルマの全ムスリムは多数派仏教徒と共に祈りのキャンペーンに参加すると述べた。 キリスト教会では、カトリックとプロテスタントの指導者がタンシュエに対して暴力停止を求めた。チャールズ・ボー大司教(ミャンマー司教会議総書記)とサミュエル・マーンサンシテー氏(ミャンマー・キリスト教協議会会長)が9月28日付でタンシュエ宛に書簡を送った。 ビルマ全土でキリスト教徒数千人が3日、逮捕された民主化運動参加者の釈放とビルマの平和を願って断食を始めた。一部の教会の牧師は、軍政による運動の武力弾圧を批判した模様。ミッチーナでは57の教会の6000人が参加した。この他カチン州バモー、モーカウン、モーニィンや、シャン州ラシオ、チェントゥン、ラングーン管区、マンダレー管区で行われた。ミッチーナのカチン・バプテスト協議会が最初に呼びかけた。 インドのビハール州ブッタガヤでは4日、10カ国の300以上の仏教僧が、ビルマ軍政の仏教僧への暴力的な弾圧を批判し、ビルマ国内の僧侶に連帯し、慈経を唱えて行進した。僧侶の出身国はビルマ、ブータン、日本、スリランカ、チベット、タイ、バングラデシュ、ヴェトナム、ラオス、ドイツ、モンゴル、インドだった。 オーストラリア政府は2日、駐豪ビルマ大使の人事について、次期大使が軍政関係者であることを理由に、2カ月前に拒否していたことを明らかにした。 ザガイン管区カレーでのデモの模様(9月24日)
CNNの映像 ・9月27日の暴力的な弾圧の様子(2007年10月2日) アウンサンスーチー氏とガンバリ国連特使の写真軍政による虐殺の写真 ・川に捨てられた僧侶の遺体(2007年9月末撮影) 2007年9月26日から30日までの情勢のまとめ(犠牲者数推計)10月2日 ▽2007年9月26日デモ隊への発砲と殺害が始まった。前日9月25日夜にビルマ軍事政権は夜間外出禁止令を出し、午後9時から午前5時までの外出と、5人以上での集会や行進を全面的に禁止した。 兵士と暴動鎮圧部隊が、僧侶と市民の集合地点であるシュエダゴンパゴダや、デモの目的地のスーレーパゴダなど、ラングーン市内全域の要所に展開した。治安部隊とデモ隊の衝突が様々な場所で起きた。シュエダゴンパゴダ付近、バハン区、タムエー区、シュエゴンダイン、スーレーパゴダ付近、ヤンゴン市庁舎前など。治安部隊は催涙ガス弾と発煙筒を使って人々を解散させようとし、空中と、またデモ隊に向けて発砲した。複数の目撃証言と全ビルマ僧侶連盟の指導者によれば、5の僧侶と市民2人が殺害された。殴り殺された人と射殺された人がいた。 ▽2007年9月27日26日深夜と27日早朝に、僧侶への大規模弾圧が始まった。ヤンゴンと、カチン州ミッチーナ、モーニン、バモー各郡の僧院が治安部隊によって襲撃された。 27日早朝、ヤンゴン管区司令官オンミン少将の指揮の下、国軍兵士はカチン州ミッチーナ、モーニン、バモー各郡の僧院を包囲した。兵士は敵陣を占領するのと同じようにして、扉を破壊して敷地内に入った。僧侶は激しい暴行を受け、300以上の僧侶が連行された。住民が僧院に来てみると、あたり一面に血が飛び散り、中はむちゃくちゃになっていた。この襲撃で少なくとも7の僧侶が殴り殺されたと見られる。 ラングーンでは深夜と早朝に、南オッカラパ、北オッカラパ、タムエー、ヤンキン、ティンガンジュン、バハン、インセイン各区で僧院への襲撃があった。 ングウェチャーヤン僧院(南オッカラパ区)は教学寺院として有名で、約350の僧がいる。ここでは1988年の民主化運動時と同様に、僧侶がこぞって今回の抗議行動に参加したため、特に軍政から狙われた。27日早朝、20台以上のトラックに搭乗した兵士数百人が、僧院を襲撃した。兵士は僧侶に激しい暴行を加え、200以上の僧侶を逮捕し、夜明け前に立ち去った。夜間外出禁止令が解けてから(注:禁止時間内に外出して、兵士に発見されると逮捕・殺害される危険性が高いため)付近の住民が僧院に向かうと、院内には至る所に血が飛び散り、ひどくショックを受け、重傷を負った僧侶約50人が残っていた。住民はその光景に愕然とした。僧侶たちは複数の僧侶が殴り殺されたと話した。住民が僧侶の傷の手当をしていると、軍が残っている僧侶を連行するために再びやって来た。銃撃すると脅迫されたため、住民は僧院からやむを得ず一旦立ち去ったが、大勢の人を集めて戻ってきて、部隊の行き先をふさぎ、拘束されている僧侶の解放を要求した。情勢は緊迫し、兵士側が人々に実弾を発射すると、住民側は投石で抵抗した。2時間後に応援部隊が到着し、住民に対して発砲した。少なくとも8人が死亡し、遺体は兵士によって持ち去られた。 南オッカラパ区では同日夜に、14番街のシュエヒンター教学寺院が兵士に襲撃され、地域住民が僧侶を守るために集まった。兵士は住民に発砲し、死者・負傷者数人が出た。兵士は70の僧侶を連行したが、行き先は不明。 ヤンキン区では深夜に、モーガウン僧院が同じような襲撃を受けた。兵士は僧院を制圧し、僧侶に暴行し、300以上の僧侶を逮捕して、僧院内の大広間に拘束した。 バハン、ティンガンジュン、インセイン、北オッカラパ、タムエー区でも同日夜に、僧院が兵士による襲撃を受けた。いずれも教学で知られており、各僧院には少なくとも200の僧が住む。ここの僧侶も他と同じような形で襲撃を受け、数百の僧が逮捕された。逮捕者は400を超えると推計される。 2007年9月27日の午前と昼間、ラングーンは小さな戦場となった。武器を構え血に埋えた兵士と丸腰の市民とが対峙した。僧院への残虐な攻撃と襲撃の知らせは市内全域に広がり、人々は激しい憤りを抱いて一斉に街頭に出て、各所で治安部隊と対峙した。兵士が群衆に向けて自動小銃を発射したのは次の場所となる――パンソダン通り、シュエゴンダイン、スーレーパゴダ前、アーロン区、チャイッカサンパゴダ付近、ティンガンジュン区、チャイナタウン、パズンダウン区、38番通とマハバンドラ通りの交差点。複数の消息筋によれば、この発砲で最低100人のデモ参加者が犠牲となり、数百人が逮捕された。 27日午後2時30分、国軍部隊はタムエー区国立第三高校前で抗議活動を行っていたデモ隊の排除を試みた。学校では試験がちょうど終わったところで、校舎から出てきた生徒・教師・親が虐殺の犠牲者となった。兵士を満載した軍用トラックが人々の方に急速に接近し、トラックに轢かれて多くの人が死亡した。兵士はまた人々に向けて発砲し、複数の目撃証言によれば、50〜100人を殺害した。兵士は一旦現場を離れ、その後遺体の回収のために再び戻ってきた。 ▽2007年9月28、29日治安部隊はラングーン市内の僧院の襲撃を試みた。しかしそのうち多くで、地域住民が結束し、兵士に罵声を浴びせるなどして、僧侶を救うことに成功した。 ヤンゴン総合病院からの情報によれば、この2日間で遺体100体が収容された。 医師の証言によれば、軍政はヤンゴン市内のすべての病院に対し、軍からの許可がある場合を除いて、負傷者の救援に救急車を使うことを禁止する命令を出した。憤った勇敢な医師がチョーミン保健相に抗議したが、指示に従うよう厳命された。 ▽2007年9月30日9月30日の夜、治安部隊はタケタ区の僧院襲撃を試みた。標的となった僧院はヤンゴン川に面しているため、治安部隊は川(ボート)と陸(トラック)の両方から僧院を攻めた。騒ぎを聞いた大勢の市民が僧侶を助けに出てきたが、失敗した。住民1人が殺害され、200以上の僧侶が連行された。 ▽証言ビルマ国内の消息筋からの情報を総合すると、26日から30日までの死者は最低でも200人、逮捕者は約2000人と見られる。 消息筋によれば、兵士はイェイウェイ墓地の火葬場で遺体を焼却している。また川に投げ込まれた遺体もある。これは軍政が証拠隠滅のために従来用いてきたやり方である。 9月30日の写真(ヤンゴン)
9月30日の情勢10月1日 ▽ラングーンの情勢軍政はラングーンでの治安部隊をさらに増強し、兵士や機動隊の数は2万人にも上る。国連事務総長のガンバリ特別顧問の訪問中に抗議行動が起こらないようにしようとしている。 前日までの武力弾圧にもめげず、午後1時にはタミン・ジャンクション(別名エイトマイル・ジャンクション)で学生や僧侶ら2万人がデモを行った。同ジャンクションは、ラングーン国際空港からラングーンの街に行くときに必ず通る場所である。デモ参加者たちは軍政への抗議の意思をガンバリ氏に見せるためにここでデモを行った。 治安部隊が到着すると解散し、発砲などはなかった。 ガンバリ氏は29日午後にラングーン入りし、すぐにネピドーに連れて行かれた。そこでテインセイン首相代行、チョーサン情報相、キンアウンミン(文化相)、チョートゥ副外相と会った。軍政のトップ3(タンシュエ、マウンエイ、シュエマン各将軍)には会えなかった。ガンバリ氏は翌朝ラングーンに戻り、アウンサンスーチー氏と1時間半、会った。このほか、国連機関や赤十字国際委員会の職員などとも会った。 ラングーンでは軍政による僧院の夜間襲撃が続いている。午後11時に治安隊がタケタ区の複数の僧院を襲った。これらの僧院はラングーン川に面しているため、治安部隊は陸と川と両方から僧院を攻め、僧侶たちに暴力を振るった上、トラックに詰め込んだ。騒ぎを聞いて大勢の市民が僧侶たちを助けに出てきたが、兵士らは威嚇射撃を行って群衆を解散させた。僧侶を殴ったことについて20代後半の男性が兵士たちに抗議したところ、その場で撃たれて死亡した。駆けつけた妻も兵士に殴打され、遺体は兵士に持ち去られた。 午後7時半に治安隊がインセイン郡東ジョゴンのシュエニャウンビン僧院を襲おうとしたが、その情報を僧侶から聞いた周辺住民数千人が武器に使えるものをかき集め、僧侶たちを守りに出てきた。治安隊は、僧院に火をつけると言い残してその場を離れた。 ラングーンでは多数の市民が検査をされたり拘束されたりしている。警察は道を行く若い男性全員を止め、持ち物を検査し、武器になるもの、デジカメ、理解できない文書などを見つけると没収している。 治安部隊はラングーンの主要な僧院すべてに拠点を設置した。ラングーンの僧侶の大多数は、僧院に閉じ込められているか、タムウェ区のチャイッカサン拘置所やインセイン郡の拘置所(場所はまだ不明)に拘束されている。インセイン郡の拘置所に拘束されていた僧侶4人が、兵士による暴行で負ったけがが原因で死亡したという情報もある。 軍政は武力弾圧の証拠を隠滅するため、弾圧の際に死亡した人の遺体の処理を始めている。イェイウェイ墓地の火葬場が使われており、生きたまま焼かれた人もいるという。 ▽その他の地域マンダレーの情勢。マンダレーでも厳重な警戒が続いている。街中にビルマ軍兵士や機動隊員がおり、軍のトラックが走っている。その中で、午後1時半からマンダレー大学の学生200人以上がマンダレー中心部でデモを始め、数千人の市民も加わった。ビルマ軍はトラックをデモ隊につっこませたり、ヘリコプターを飛ばしたりしたが、けが人などは出なかった。 アラカン州タウンゴッでは、午後2時に僧侶を含む約1000人がデモをした。治安部隊が出てくると、午後3時に静かに解散した。 マグエー管区イェナンジャウン郡では、シュエタウンパーリ大学(国家長老委員会の副議長が運営)の僧侶約100人に先導されて約1万人の市民が午後1時から約1時間、街中を行進した。警察や治安隊もいたが、武力は使わなかった。 ▽国民民主連盟(NLD)党員など民主化運動家の逮捕が続くNLD本部によれば、これまでにラングーン、マンダレーなどでNLD党員85人が逮捕されている。デモの際に逮捕された党員の数は含まれない。 ラングーンでは、ハンゾー氏(NLDスポークスマンで、1990年の総選挙で選出された議員)とドー・レーレー氏(NLD女性部のリーダー)が逮捕された。 拘束されているティンチョー氏が主催している「ミャンマー開発委員会」の委員5人が逮捕された。5人は北オッカラパ区のドー・メイウィン(女性)、ヌウェヌウェエイ氏(女性)、フラミンエイ氏、カマユ区フラテイン氏、タムウェ区のドー・セイン氏(女性)。 29日の夜にもNLD党員3人が逮捕された。3人はチーミンダイン区のパーレイ氏、北ダゴンミョーティッ区のテインセイン氏、カマユ区のマ・チョー氏(女性)。 28日夜にはペグー管区ジゴン郡のNLD議長ドー・キンワイン(女性)と党員のエイコー氏が逮捕され、ピィ(プローム)刑務所に連行された。同郡で僧侶たちが9月22、24、25日にデモをした際、手伝った若い男性10人も逮捕され、郡警察署に収容されている。 アラカン州タウンゴッでは、30日にNLD議長のチョーカイン氏(1990年選出の議員でもある)が、28日に党員のタンペー氏、トゥンチー氏が逮捕された。デモの際に旗を掲げた若い男性3人も逮捕された。デモを指揮したもう2人(キンタンイー氏とセインミンアウン氏)は逮捕を免れ、現在は潜伏中。 マンダレーでは29日夜にマンダレー管区組織委員会のウィンミャミャ氏(女性)が逮捕された。 9月29日のデモ映像(ヤンゴン)
9月28日の映像
9歳の少女が撃たれる(9月27日)
9月27日の映像(上)残り50秒くらいから治安部隊の発砲の様子。(下)ずっと銃声が聞こえます。
流血のヤンゴン 実際の死者は2百人、逮捕者7百人を越す
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(c) ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo) 1997〜年
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