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ミャンマー民主化議連 ニュースレター

月刊第7号 2002年2月1日発行

ミャンマーの民主化を支援する議員連盟

問い合わせ先:牧野聖修事務所 03-3508-7212




アウンサンスーチーとビルマの人々のための
ノーベル平和賞10周年を祝う東京キャンペーン
東京で成功裏に開催

ミャンマー民主化議連の「アウンサンスーチーとビルマの人々のためのノーベル平和賞10周年を祝う国際キャンペーン」は、昨年12月8日、東京・有楽町の東京国際フォーラム B棟5階「レセプションホール」で開催され、大きな成果を収めました。

この集会は、ミャンマー民主化議連(キャンペーン実行委員長鈴木恒夫議員)と市民団体の連合体による「国際キャンペーン実行委員会」(渡辺彰悟代表)との共催により、市民と国会議員が共に手を携えて行ったものです。

また、林義郎会長の働きかけで、緒方貞子さん(元国連高等難民弁務官)と、明石康さん(元国連事務次長)が賛同者として加わって下さり、さらに元国連ミャンマー特別報告官の横田洋三中央大学教授や、スーチーさんと親しく交流してきた根本敬東京外語大学助教授が、会場で興味深い報告を披露してくださるなど、意義深いものになりました。

国会の閉会直後だったので、ミャンマー民主化議連のメンバーの参加が危ぶまれましたが、江田五月、福島瑞穂、武山百合子の3議員が駆けつけてくださり、役員を含めて約10人の議員の参加を得ることが出来ました。参加くださった市民の方々にも面目が立った次第です。

市民の参加者は約200人。在日ビルマ人が、そのうち50人ほど参加したのは、大きな驚きでした。日本の政治に対し、在日ビルマ人の人々が熱い思いで見つめていることが実感できました。

集会は、牧野聖修事務局長の「オスロで今イベントが行われようとしていますが、私たちの日本での集会は時差の関係で、世界で最初のイベントとなります」という開会宣言から始まり、各来賓が思い思いのミャンマー(ビルマ)に対する思いを披瀝しました。

また、オスロから空輸されたスーチーさんのメッセージが開会寸前ぎりぎりに日本に届き、参加者に深い感銘を与えることが出来ました。鈴木恒夫副会長が声明文を朗読、参加者一同から拍手で採択されました。

 

来賓挨拶抜粋

 

挨拶の一部を紹介します。

 

ミャンマー民主化議連会長林義郎

日本はミャンマーとの関係がとても深かったのだが、だんだんしぼんでしまった。国連特使により対話が進んでいるが、スーチーさんが一日でも早く政界に復帰して欲しい。正常化によって、またミャンマーとの盛んな交流ができるようになることを願う。

 

ノルウェー大使フォセイドブラーテン

ノーベル委員会がスーチーさんに受賞した理由は「暴力を使わずに民主主義を求めた」からだ。ノーベル委員会は、これからもアウンサンスーチーとビルマの人々に光を当ててゆくことだろう。

 

根本敬東京外語大学助教授

スーチーさんに4度目に会ったときは、以前と違って厳しい顔つきだった。日本の企業がビルマへの投資を開始した時期だったが、スーチーさんは「ビルマ人が求めているのは投資ではなくて、民主化の支援です。このことを日本に伝えてください」と語った。彼女が求めているのは、あくまでも話し合いによる和解であり、暴力を絶対否定している。

 

ビルマ国際議連メンバー鳩山由紀夫

 4年前から日本はやっとビルマ人などの難民の受け入れを開始した。国連高等難民弁務官の緒方貞子さんのお叱りのせいだ。しかし、その歩みは亀のようにのろい。私たちは、ビルマの人々が自由に活動できるよう努力しなければならない。



オスロからの報告:新しい戦略を探すビルマ国際議連


元ミャンマー民主化議連事務局長 竹村泰子


 ノーベル財団によるオスロでのノーベル平和賞受賞者34人を招いての授賞式と、アウンサンスーチーがノーベル平和賞10周年にあたることから、ビルマの民主化を長年に亘って支援して来たノルウェー首相、ボンデビック氏の呼びかけによって実現したノルウェー国会前での感動的なイベントについては、私と同行してくれたビルマ国際議連事務局日本担当の菅原秀氏の「オスロからの平和のメッセージ」に詳しく報告されているのでお読み頂くとして、私は12月9日にロイヤル・クリスチナ・ホテルで開かれたビルマ国際議連(PD Burma)の会議の様子を一部分紹介したいと思う。

 出席者一覧は下記の通り。

 司会のトム・アンドリュースは開会の状況報告で

「この11年、ビルマの状況があまり変わってこないということは非常に残念だ。昨年10月からビルマ軍事政権とスーチーとの間で和解のための平和交渉が細々と始まっているが、11年という歳月は軟禁されているスーチーにとっても拘禁されている多くの政治的な捕囚(国会議員も数多く含まれる)にとっても実に長い時間である。今回のノーベル平和賞100周年を機に、生存する受賞者に呼びかけ、昨日、イベントに成功した。我々は次になにをすればよいか?NGOはどう動けばよいのか?」と会議の中心課題を投げかけた。

この時はまだ分からなかったのだが、イベントのTV中継を見たSPDC(国家平和発展評議会=ビルマ軍事政権)が声明を発表した。内容は「我々はスーチーと共に民主国家を建設する。ミャンマーに民主主義を樹立するのは共通の願いだからだ。」というようなもので、期待以上の影響に我々も驚かされた。

ヘレ・ダイン(デンマークの元環境相)はOSCI(欧州安全保障機構)の元会長でもあり、紛争解決の専門家として現在も活躍しているが「ビルマは第二のアフガニスタンになる可能性がある。経済、環境破壊、世界戦略、麻薬等、共通の問題が多い。9月11日の出来事を考慮に入れるべきで、国連の反差別国際会議を利用するのもよいかもしれない。」と語った。    

  彼女の発言を契機に、様々な意見がディスカッションされた。我々の共通の認識として、救援は非常に重要、かつ、迅速を要することが話し合われた。エイズひとつとってみても、ビルマのエイズの拡がりは近隣諸国に脅威を与えており、国際的に大きな救援がなければ、阻止できないのが現実である。

 だれもがアウンサンスーチーを助けたいと思うが、だがどうやって?彼女がもし政権をとっても外交、経済、教育全てに有能な人材がいなければ大変かもしれない。我々も具体的な戦略を明らかに持つべきではないか。

 ボンデビック首相の呼びかけに応じて国会前で開かれたビルマ国際議連のイベントは大成功し、世界に平和のメッセージを発表することができた。

しかし、次へのステップと具体的にどう動くか、というのがこれからの課題だ。

イベントに参加したデズモンド・ツツ師は、平和賞受賞者一同でラングーンを訪問して、民主化を促そうとの提案をした。ビルマ国際議連は、平和賞受賞者たちと手を携えて、今年こそビルマ軍事政権に具体的な働きかけをしなければならない。(以上)

 

ビルマ国際議連戦略会議参加者

 

司会
トーマス・アンドリュース(米前下院議員 ワールドビュ−ライツ)、
トゥリーナ・ヨハンセン(ワールドビューライツ)

 

シェル・マグネ・ボンデビック(ノルウェー首相)

マリット・アンスタット(ノルウェー石油大臣)

金翔宇(韓国国際政策大使)

キンモ・キヨネルン(フィンランド国会議員)

リムキット・シアン(マレーシア民主行動党党首)

ルネ・ヘルスヴィック(ノルウェー ワールドビューライツ事務局長)

アルネ・フィヨルトフト(ノルウェー ワールドビュー・インターナショナル事務局長)

ヘエング・シェロード(デンマーク元外相)

ヘレ・ダイン(デンマーク元環境相)

ギャレット・エヴァンス(オーストラリア元外相)

ヨナス・シェティル(ノルウェー ビルマ国際議連事務局)

竹村 泰子(日本 前参議院議員)

菅原 秀(ビルマ国際議連日本コーディネーター)



オスロからの平和のメッセージ


ジャーナリスト 菅原 秀


ノルウェーのオスロは人口わずか55万人。夕方6時には商店街が閉じてしまう静かな町だが、今年の12月はクリスマス・シーズンとノーベル平和賞百周年記念が重なって、商店やレストランは遅くまでにぎわっていた。ノーベル財団は今年のオスロでの授賞式には生存する平和賞受賞者34人を招待し、5日間にわたってさまざまなイベントを繰り広げた。物理学賞や文学賞などを扱うストックホルムと違って、現在進行中の国際紛争や難民問題にかかわる国際的に著名な活動家が一挙に集まるのだから、町全体が平和を考えるイベントに様変わりしたといってよい。その中でも注目を集めたのはアウンサンスーチーを支援するイベントだった。

 

平和賞受賞者による呼びかけ

 

アウンサンスーチーの場合は、軍事政権によって現在も実質的な自宅軟禁状態に置かれているので、オスロでの平和賞受賞者の集いに参加できない状態にあった。これを憂慮したノーベル委員会は、アナン氏の授賞式に先立つ12月8日に「アウンサンスーチーとビルマの人々のための特別の祝賀」イベントを行うことを決定した。

 今年はスーチーが平和賞を受賞してから十年目にあたり、未だに解決の糸口の見えないビルマ問題は国際社会の重大関心事だったからだ。

音頭を取ったのはビルマの民主化を長年にわたって支援しているノルウェー首相ボンデビック氏。ボンデビック氏は、ビルマ国際議連という各国の国会議員によるNGOを組織し、国連や列国議会同盟でビルマの民主化を支援するための活動を積極的に行ってきた。このビルマ国際議連には日本からも3人が参加している。

ボンデビック氏の呼びかけに応えた南アフリカのデズモンド・ツツ師は、「アウンサンスーチーとビルマの人々のための特別の祝賀」イベントの実行委員長を自ら買って出て、オスロに招待される平和賞受賞者に参加を呼びかけた。呼びかけを受けて真っ先に賛同の返答したのが、ホセ・ラモス・ホルタ氏。さらに、金大中、オスカー・アリア・サンチェス、ジュディー・ウィリアムズ、ダライ・ラマなど21人の受賞者がそれに続いた。

ビルマでは、昨年十月から軍事政権とスーチーとの間で、和解のための秘密交渉が続いており、ビルマの問題解決のための細い糸がかろうじてつながっている。

この端緒を作ったのは国連事務局長アナン氏が任命したラザリ・イズマイル特使である。しかし、秘密交渉はなかなか進展せず、懸案の政治囚の釈放も、交渉が開始されて以来わずかに197人という状態であり、1,500人もの政治囚がいまだに囚われている。このスピードでは全部の政治囚が自由になるのに十年近くかかってしまう。

ラザリ氏の話では、軍事政権とスーチーとの交渉はまだ初期段階で、信頼醸成の作業が開始されたに過ぎないそうである。世界各国のビルマ人民主化グループは、進展の遅さに我慢が出来ず、スーチーと軍事政権の双方に会談の内容を明確にせよと迫り始めている。

それに対して、軍事政権もスーチー側も固く口を閉じたままで、その内容は一切外部に明らかにされていない。

 

世界各地がイベントに呼応

 

ノーベル平和賞受賞者による今回の呼びかけは、国際社会が軍事政権の側ではなく、自由と民主主義の側に立っているということを軍事政権に明確に理解してもらうことを目的としている。軍事政権が国際社会の意思をはっきりと理解することで、この秘密交渉が民主化の方向に一歩でも早く向かって行くようにとの願いからだ。

特に、ビルマにとって難しいのは少数民族とビルマ軍事政権の軋轢である。少数民族各派はスーチーと国民民主連盟の理念を支持しているものの、軍事政権の出方次第では、大きな内乱につながる可能性もある。スーチーの求心力を高めるためにも、国際社会が軍事政権による強権支配を認めていないことを明確にすることは重要なことである。

オスロの国会議事堂前で行われた「アウンサンスーチーとビルマの人々のためのノーベル平和賞十周年を祝う記念イベント」には、オスロでの参加者だけでなく、世界各地40都市の市民、議員、在住ビルマ人が呼応し、多彩なイベントを展開した。

 

 

情熱いっぱいのツツ師の呼びかけ

 

オスロの国会議事堂前広場には、海外からの映像を中継するための大きな野外ステージが設けられた。もちろん、国際的なVIPを大勢迎える祝賀会なので、ステージと観客席との間にはピストルの弾丸が届かないように百メートルの空間が設けられ、ライフルを装備した警察官数十人が厳重に警備していたのは、いたしかたなかった。

地元の有名ミュージシャンによる演奏の後、ボンデビック首相に先導されたノーベル賞受賞者21人が議事堂バルコニーに登場。ノーベル委員会副委員長のグンナー・シュタルセット氏の歓迎の挨拶で祝賀会が開始された。

続いて大会実行委員長のデズモンド・ツツ師が、連帯の呼びかけを行った。「スーチー、聞こえるかい?世界のみんなの声を。皆がビルマの自由と民主主義を求めているよ」という呼びかけが議事堂前広場いっぱいに鳴り響いた。スーチーに届けとばかり大きく手を広げて語りかけるツツ師の写真が、翌日の北欧の新聞すべてのトップを飾った。

会場は、ワシントンと衛生中継で結ばれ、オルブライト元国務大臣が早朝のワシントンから声援を送ってきた。また、ブッシュ大統領もすでに主催者宛に「スーチーの静かで尊厳のある生き方は、私たちに正義への正しい力を示してくれました。スーチーの決意と判断力をほめたたえます」との手紙を寄せてきており、会場で披露された。さすがのブッシュ氏もスーチーの非暴力闘争には脱帽せざるを得なかったわけで、参加した聴衆にある種の感慨を与えたようだった。

というのは、今回の百周年記念に参加した受賞者たちは、それぞれの思いを託した署名簿をいくつか抱えてきていた。スーチーとビルマの人々への支援もその一つであるが、国際刑事裁判所の早期設置を求める声明、京都議定書の早期実現、ABM条約の遵守、などの署名簿が受賞者の間で回覧されていた。ビルマ問題を除いてはどれもブッシュ政権が難色を示しているために実現しない国際的枠組みばかりだ。テロとの戦いの必要性を否定する受賞者はいないものの、受賞者の大部分がアメリカを暗に批判する行動をとっていたということは、象徴的だ。

引き続いて、イギリスのロックバンドU2のボノによる「アウンサンスーチーに捧げる歌」のビデオがロンドンから届き、スクリーンいっぱいに演奏が繰り広げられた。スーチーの戦いに勇気を与えるメッセージを盛り込んだボノの歌が、曇天のオスロの空に向かって響き渡った。

さらにノルウェーの有名ポップ歌手マリ・ボイナが卓越した歌唱で平和の素晴らしさを歌い、ビルマの少数民族パオ人の女児が可愛らしい踊りを披露し、イベントに花を添えた。

当日のメイン・イベントは、ラモス・ホルタ氏による「スーチーとすべての政治囚の釈放を要求する公開書簡」の朗読だった。会場の拍手に包まれながら朗読を終えると、ダライ・ラマ師を筆頭に21人の平和賞受賞者が次々と署名し、衛星中継で世界中に流された。

この日のイベントのニュースは、世界各地の新聞、テレビで報道された。翌日の北欧諸国の新聞は、すべて一面カラーで取り上げていた。

しかし、日本のメディアは東京のイベントもオスロのイベントも取り上げなかった。人権問題の重要性を標榜している日本のマスコミが、こうした努力に光を当てないということは誠に残念である。

 

ビルマ軍事政権が歓迎?の声明

 

大会実行委員長のデズモンド・ツツ師は最後に、「このイベントは今回限りで終わらせてはいけない。これを機会に、世界の人々が手を携えて、ビルマの民主化のための次のステップに進もう」と呼びかけた。

イベントの翌日、オスロの主催者に大ニュースが飛び込んだ。ビルマ軍事政権がオスロのイベントに応える声明を発表したのである。

「SPDC(国家平和発展評議会=軍事政権)とアウンサンスーチーは、共に平和、静穏、近代的、そして発展的な民主国家を建設する。われわれのすべてが勝利の側に立っている。なぜならミャンマーに民主主義を樹立するのは共通の願いだからだ。NLD(国民民主連盟)とSPDCの双方の誤解によって、過去の協力は不可能だった。しかし、今日、われわれは手を携え、共通の目的に向け、同じ道を歩んでいる。われわれはオスロに集まった国際社会の意見と憂慮に感謝する」

ビルマ軍事政権からこうした譲歩を引き出したことは、主催者側の大きな勝利であった。世界各地でこのイベントに参加した人々の声が、確実にビルマ軍事政権に届いたわけである。もちろん、楽観はできない。しかし、今までに国連やILOを始め、あらゆる国際機関からの呼びかけにまともに応答せずに、人権抑圧政策を継続していたビルマ軍事政権が、世界に向けて民主化に向けて歩むと言明したのである。オスロを中心に世界中で挙がった非暴力の声は、確実にビルマ軍事政権に届いたのである。(了)



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