| ビルマ情報ネットワーク | |
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『カチン人〜人権と民主主義を獲得するために〜』
証人尋問9月27日(水)は裁判所で通訳をつとめた。難民として認めない処分の取り消しを求める行政訴訟のなかで、ビルマ人原告の実姉が法廷で証言することになり、その証人尋問の通訳にあたった。証言者シャーリー・セン(Shirley Seng)はタイ王国チェンマイ市在住、今年59歳、ビルマ(ミャンマー)北部カチン州やシャン州北部に住む少数民族カチン(正確にはカチンと総称される民族グループのひとつマル民族)の一員である。尋問は東京地裁712号法廷で午後1時30分に始まった。 まず主尋問。原告代理人の弁護士が質問に立つ。原告は「難民」として認めるべき人物、すなわち母国へ帰れば迫害を受ける人物であることを証人の答えから引き出すのが狙いである。これがおよそ90分つづく。つづいて反対尋問。被告(国)側代理人である法務省付き検事が質問する。こちらは原告が難民には該当せず、たんなる不法滞在者にすぎないことを明らかにしようとする。これも90分。あわせて3時間、主尋問と反対尋問のあいだに5分間の休憩があっただけ。日本語をビルマ語に、ビルマ語を日本語にと通訳はほとんどしゃべりっぱなしである。人ひとりの運命にかかわる重大事である。一言一句、正確を期さねばならない。神経を張りつめる。証人シャーリー・センさんにとっても厳しい体験であった。このところ急に冷え込んだ日本の気候のせいもあってやや風邪気味。さらにはじめての法廷とあっていやがうえにも緊張する。時にのどをつまらせたり、咳き込んだりもする。対面して座っている通訳のぼくには彼女が心身ともに疲労して行くのが見てとれる。辛そうだったが彼女はがんばった。長丁場をなんとか乗り切った。 波乱の人生シャーリー・センの現在の身分はタイ国民である。タイの旅券を持って来日した。しかし法廷では「私はカチン民族であり、カチン民族の人々のために活動しています」と明言した。彼女は1947年にビルマ連邦シャン州北部クッカイ郡に生まれた。両親ともにカチン民族であり、父はドゥーワ(Duwa)と呼ばれる部族長であった。1970年、やはりカチン民族のゾーセン(Zau Seng)と結婚したことで彼女の運命は変わる。 ゾーセンは1961年にカチン独立機構(KIO=Kachin Independence Organization)およびその軍事部門であるカチン独立軍(KIA)の創設に加わり、結婚当時すでにKIAを率いてビルマ政府軍とのたたかいを繰り返していた。法廷でKIO/KIAの主張はどのようなものだったのかと問われたシャーリー・センは夫の言葉を引用して次のように答えた。 「カチン民族は歴史的に独立不羈の民族である。誰の支配も受けてこなかった。カチンの文化があり、カチンのリーダーがいて、カチンの国があった。いまはビルマ人に支配されてしまっている。この支配を打ち破ってカチンの独立を回復するためにKIO/KIAを創設した、ゾーセンはそう言っていました」 政府軍、それに当時中国の支援を受け、ゲリラ活動を展開していたビルマ共産党(BCP)軍とたたかいながら部隊とともに中国、タイと国境を接する山岳地帯を駆けめぐる生活である。彼女はついては行けない。バンコクに住むことになった彼女は夫の指示を受け、時にやってくるKIA兵士の世話をしたり、武器やユニホームなど必要な物品の調達につとめたりした。夫ゾーセンもたたかいの合間にバンコクへあらわれた。夫婦は3人の子どもに恵まれた。しかしゾーセンは1975年に暗殺される。妻シャーリー・センが聞いたところでは、政府軍がKIAにもぐりこませたスパイによって射殺されたという。 大幅な自治権と民族自決権を要求して武装闘争を展開するKIO/KIAは中央政府(当時は軍人が主導するビルマ式社会主義政権)にとっては叛乱者であり憎むべき仇敵であった。シャーリー・センは夫暗殺の報をきくや、自分にも生命の危険がおよぶと判断し、自宅を離れて身を隠し、タイ政府に保護を求めた。幸い、夫ゾーセンと親しかったタイ国軍の将校が協力してくれた。その後1979年にはタイの市民権を得ることができた。 家族の受難タイに住んでいたシャーリー・センはこうして一応身の安全を確保することができた。その間、シャン州クッカイの実家ではなにが起こっていただろうか。彼女は女性6人、男性5人あわせて11人もの兄弟姉妹の次女である。彼女を含めて上から6番目までは女性、その下の5人はすべて男性である。このうち四男が今回の裁判の原告である。この一家の人びとは次女が叛乱組織のリーダーと結婚しているというので、日常的に政府当局の監視を受けていた。 長男は1988年の民主化闘争に参加し、その後も政治活動を行なったとして2回にわたって投獄され、2000年に釈放された後に衰弱死した。41歳だった。獄中で受けた激しい拷問のため内臓がボロボロになっていたという。二男はビルマ=タイ国境で反政府活動に加わった後、台湾にわたって住んでいる。三男もまた政治活動のために逮捕され、一年以上獄中生活をおくった。四男も1988民主化闘争に参加した。そのことと、姉がカチン反乱軍の指導者の妻であることから当局につけねらわれる。彼は逮捕を逃れるために、ブローカーに多額の金を支払ってパスポートおよびビザの手配を依頼し、1990年に就学生として日本へやって来た。シャーリー・セン自身は1990年にバンコクからチェンマイへと移った。ビルマ国境に近いチェンマイの方が、同胞カチン民族のためにより働けると考えたからである。 休戦協定は結ばれたが・・・KIO/KIAとビルマ政府は1994年に休戦協定を結んだ。KIAは武装解除はしていないが政府軍との交戦はなくなった。 カチン州やシャン州北部は平和は訪れたのだろうか。人権侵害はなくなっただろうか。原告側代理人である弁護士の質問に答えてシャーリー・センは次のように述べた。 「KIAが交戦しないのをいいことに政府軍はむしろ兵力を増強し、これまでKIAが支配していた地域にもどんどん入り込んできています。軍の駐屯地を置くからと、カチンの村人を強制的に移住させたり、道路建設や灌漑水路の建設工事のために強制労働を強いています。さらに恐ろしいのは、軍事政権の支配のもとで貧しい暮らしをしている家族のなかの若い女性たちが、学費のためや家計の足しにするためにという気持ちから、国境へ行けばいい働き口があるよといったブローカーの甘言に乗り、人身売買の対象にされてしまったりしています。また政府は若者たちに暗にアヘンの吸引をすすめ、彼らを堕落させようともしています。私の目からすれば、軍事政権はカチン民族を根絶しようとしているようにさえ見えます」 この発言が出たところで原告側代理人の弁護士はすでに裁判所に証拠として提出してある『Driven Away』(日本語版)を持ち出した。シャーリー・センが中心になっているKWAT(Kachin Women's Association Thailand)がまとめた「中国=ビルマ国境で起きているカチン民族女性の人身売買」という副題がついた報告書である。シャーリー・センは自分を含めたメンバーのカチン女性達が危険をおかして国内へ潜入して情報を集めた結果がこの本であると話した。KWATとしては、さらなる悲劇を防ぐために、女性達への啓蒙活動やシェルターを設置するなど手をつくしていることを話した。さらにシャーリー・センはこの報告書が世界の人権団体のあいだで評判になっており、アメリカやベルギー、ドイツ、デンマークなどから招待されてカチン女性の状況について報告を行なったことも述べた。この本はすでに英語、ビルマ語、日本語で出版されており、現在タイ語版と中国語版が翻訳・出版作業中であるとのこと。 弟は帰れば捕まりますシャーリー・センの弟は日本で難民認定を申請したが二度にわたって不認定となり、現在不認定取消し訴訟の最中である。本人には退去強制令がすでに出されおり、仮放免の身である。裁判で負ければ即強制送還が待っている。この弟がビルマへ送還されればどうなるか、姉シャーリー・センはこう証言した。 「弟はビルマで反軍事政権の活動をしました。日本でもDKN(Democracy for KachinNational)やAUN(Association of the United Nationalities in Japan=在日ビルマ民族少数民族評議会)のメンバーとして、母国民主化、諸民族平等の連邦国家建設をめざして活動しています。そのことはビルマ政府当局も把握しているはずです。おまけにカチン反乱軍リーダーの妻であった、いまも国際的に政治活動をしている私の弟です。ビルマ政府が見逃すわけはありません。帰れば空港で逮捕され、投獄刑を受けます。こうした事情を是非ご理解いただきたいと存じます」 3時間におよぶ証人尋問が終わった。シャーリー・センも、通訳のぼくも披露困憊、声が涸れていた。裁判長が「これで終わります。証人は長時間にわたってご苦労さまでした」と閉廷をつげた時、シャーリー・センは裁判長に頭を下げ、ぼくの方にはにっこりと笑ってみせた。これから先も心配の種は尽きないけれど、とりあえず責任をひとつ果たした、そんな気持ちのにじんだ笑顔だった。【了】 カチン民族についてさらに学ぶために・参考文献
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在日カチン女性協会(KWATJ) |
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(c) ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo) 1997〜年
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