| ビルマ情報ネットワーク | |
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ワ人の強制移住が再開今季は1万人が目標との観測も
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| 地域名 | 位置 | 人数 |
| ホーヨ・ホーパン | ムントゥン郡 | 100人 |
| ムンジョー(ムンチャ) | ムントゥン郡 | 800人 |
| ムンヨーン | ムンサ(ムンサート)郡 | 600人 |
| タンヤーン郡 | シャン州北部 | 1,500人 |
移住したワ人の間ではマラリア、下痢などの患者が急増し、2003年10月後半から12月5日までに計147人の死者が出た。このため移住計画は一時中断していた('Sickness
and death hit Wa - again', Shan Herald Agency for News, December 7, 2003.)。
だが2003年12月末以降、ビルマ軍の6輪および4輪トラックが国境の町や村で毎日見かけられるようになっているという。地元のシャン人筋は「普通なら1日3台が通るところだが、1月28日には12台、30日は10台だった」と述べた。
一方、ラフー人筋は12月30日に40台のトラックが通るのを目撃したと話している。そのほとんどがムンチャ方面へ向かっていた。ここはワ軍が2003年3月に敵対する民兵組織から奪った新しい町だ。その後に一帯では「よそ者」が排除されたが、実際には、こうした人々は移住計画が再開されるはるか以前にやって来た人々だった。ナコーンムーからの情報によれば、ムンチャに近い田んぼのうち村人4人分が7月10日に整地させられた。
ワ軍に近いシャン人商人は、今季は1万人が目標とされるだろうと話している。
ラフー民族発展機構の報告書『不穏な動き』(2002年:報告書日本語版)は、強制移住対象となった男女、子どもの人数を12万6,000人程度と推計している。しかしワ軍最高司令官のパオ・ユーチャン(タ・パン)によると、ワ人総人口の2割近い10万人を対象とする計画全体のうちで、2002年までに移住したのは約65,000人だ。ジェーン・インテリジェンス・レヴューは2003年1月に「移住は2、3年以内に終えるつもりだ」という氏の発言を伝えている。
2003年12月29日付のバンコク・ポスト紙も、チェンライ県メーファールァン郡のビルマ側、ムンサ郡のヨーンカで行われているタイ王室主導の「ドイ・トゥン開発プロジェクト」の責任者ディットナット・ディットクン氏が、「ワ州でも代替作物事業を行う予定なので」、ワ側とビルマ側にワ人のタイ国境への移住計画を中止するよう要請していると報じた。(Wassana Nanuam, 'Rangoon asked to scrap relocation plan Moving Wa 'could revive drugs threat'', Bangkok Post, December 29, 2003.)
こうした動きを、チェンマイ県ファーン郡のある消息筋は「タイ側が何を言っても、ワ側はまったく気に留めていない」と評した。(訳・編集=箱田徹)
出典:'No stopping the Wa exodus', Shan Herald Agency for News, February 6, 2004.
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(c) ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo) 1997〜年
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