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その他の寄稿

根本 敬(上智大学外国語学部教授)「おいしくないトウモロコシの理由」
2013年2月1日配信 雑誌『青淵』第767号(財団法人渋沢栄一記念財団発行)

 「期待と実際が大きく違う」ということは人生でよくあることだが、いまから25年前にビルマ(ミャンマー)の汽車の中で食べたトウモロコシの味もそのひとつである。私にとってトウモロコシは常に甘くておいしい日本のスイートコーンに他ならなかった。そしてそれはどの国で食べても基本的に同じはずだという思い込みがあった。その幻想をぶち壊してくれたのが、あのときのビルマのトウモロコシなのである。

 1985年から87年まで、私は日本の文部省アジア諸国等派遣留学生としてビルマ連邦社会主義共和国(現在のミャンマー連邦共和国)に国費で留学していた。当時の首都だったラングーン(ヤンゴン)の大学教員寮に住みながら、いろいろ国内各地をまわり、1987年2月には南部の港町モールメイン(モーラミャイン)に3泊4日で出かけた。行きは長距離バスを利用したが、帰りは鉄道を利用し、モールメインの対岸にあるマルタバン(モウッタマ)駅から出る早朝のラングーン行き始発列車に乗った。青空のきれいな日だった。

 気温がぐんぐん上がり30度を軽く超したころ、鉄道はのんびりと時速50キロくらいで稲作地帯を走っていた。ほとんど朝食らしい朝食をとらなかった私は、一緒に旅についてきてくれたビルマ人の親友と共に、途中で食べ物を買うことにした。とはいっても、列車に食堂車はないし、ときどき外から飛び乗ってきて「車内販売」をやっては飛び降りて去っていく「ゲリラ売店」の人たちから買う気も起こらなかった。そこで列車が駅に停まるたびにいろいろな人が食べ物を売りにやってくるのを利用することにした。

 ある駅に停車した時、ホームですぐに目に入ったのがトウモロコシだった。若い女性が茹でたてのトウモロコシを何本か並べたお盆を頭上に載せ、こちらにすたすたと近づいてきた。人なつっこい表情で「できたての茹でトウモロコシはいかが?」と声をかけてきた。私は窓から身を少し乗り出して値段を聞いてみた。想定内の額だったので親友の分も含め2本買うことにした。すると売り子は「サイズが小さいから4本買わない?安くするから」と言ってきた。私はとてもおなかがすいていたので悩むことなく「じゃ、そうしよう」と即答した。売り子はつづけて「思い切って全部買わない? 6本あるけど--」とたたみかけてきた。これには一瞬ひるんだ。

 しかし、たとえ親友と一緒だから6本くらい問題なく食べられるだろうと判断し、また売り子の女性の笑顔に負けたこともあり、「わかった、全部もらうよ」と答えてしまった。女性はこれ以上はないという笑顔を見せると、6本のトウモロコシを大きな葉っぱにくるみ、こちらに手渡してくれた。私は当初の言い値より20%くらい割り引いてくれた代金を支払った。

 席にすわってふと横にいる親友の顔を見ると、なぜか浮かない顔をしている。彼は「本当にトウモロコシを6本も食べるのか」と私に聞いてきた。「もちろん3本ずつ二人で分け合うんだよ」と答えたが、親友は「僕は1本で十分だ」とおもしろくなさそうな表情で言うので意外に感じた。まさか親友がトウモロコシを嫌いなはずもあるまいと私は無邪気に思い、彼が心のなかで何を気にしていたのか全く想像することはなかった。当時の私はビルマに留学してから1年半がたっており、その間、好物のトウモロコシを食べる機会が一度もなかったので、葉っぱを開き1本目の黄色いあつあつの粒を見たとき、うれしさと喜びが心の中に満ち溢れ、期待をもってかじりついた。

 しかし----、「異変」に気付くのに1秒もかからなかった。まったくおいしくないのである!固いし、ちっとも甘くないし、ぱさぱさした感じで、私がイメージするトウモロコシの概念から全くはずれたシロモノだった。表情が凍てつき、食べるスピードがまったく上がらない私を見た親友は、「トウモロコシを半ダースも買うなんて、僕には信じられない。こんなもの‐‐」と言葉をもらした。「えっ?なぜそれを先に言ってくれないの?」と思ったが、その瞬間、私は遠い昔の小学校の担任の先生の話を思い出した。

 その先生はアジア・太平洋戦争の末期、学童疎開のため東京の親許を離れ、栃木県に移り住んだ経験を有していた。ある日の学級会で、トウモロコシを遠足のお弁当の一部として持ってきて良いかどうかをこの先生に尋ねた同級生がいた。先生は「別にかまわないけれど」と答えたあと、「先生は戦争中、学童疎開で毎日毎日トウモロコシばかり食べさせられたんだよ。だからもう二度と食べようとは思わないんだ」と付け足した。私たちは驚き、「えーっ?! 先生、トウモロコシを毎日食べていたんですか。うらやましい!それをいまは食べないなんて信じられない!」と大騒ぎした。すでにこのころ(1960年代後半)、日本では現在ほど甘くはないものの「スイートコーン」なるものが出回っており、1950年代後半生まれの私たち子供にとってトウモロコシはおいしい食べ物のひとつとして当然のように認識されていたからである。「学童疎開のときに毎日食べさせられたあのトウモロコシはおいしくなかったんだ。全然いい思い出がない」と先生がいくら説明してくれても、その意味するところが全く理解できなかった。

 それから20年ほどがたち、ビルマの汽車のなかでおいしくないトウモロコシとショッキングな出会いをした私は、この先生の話を思い出すことによって「おいしくないトウモロコシの理由(わけ)」が一瞬にしてよく理解できるようになった。すなわち、トウモロコシは食糧危機から人類を救ってくれた貴重な穀物の一つとはいえ、もともと固くて、甘くなくて、ぱさぱさした食べ物なのである。やわらかくて甘くてそれなりに水分も含まれたおいしいトウモロコシというのは、人間が贅沢を覚えて品種改良を続けた結果、先進国でのみ手に入るようになった特殊なトウモロコシなのである。25年前のビルマにおいては、トウモロコシはまさに「単なる」穀物の一種類に過ぎず、お腹を満たす食べ物ではあったものの、おいしさを楽しむものでは断じてなかった。

 汽車のなかの私は自己責任を果たすべく、6本のおいしくないトウモロコシのうち5本を義務として食べ切った。我ながらたいしたものだと思う。残りの1本は親友が食べたが、半分を残して列車の窓から投げ捨て、走り寄って来た野良犬にやった。これもなんとも忘れられない光景である。ただ、その犬がトウモロコシを食べたかどうかは覚えていない。