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その他の寄稿

根本 敬 「成田に着いたら別れてあげます」
2007年9月1日配信 『青淵』2007年9月(第702号)

 その昔、私は2人の女性から結婚を申し込まれたことがある。しかし、それは私がモテ男だったということでは全くなく、特別の背景と事情に基づくプロポーズだった。相手のプライバシーがからむエピソードとはいえ、すでに20年がたち、もはや公にしても誰も傷つかない話だと思うので、ここにその顛末を紹介することにしたい。

 1985年10月から87年10月までの2年間、私は日本の国費留学生(文部省アジア諸国等派遣留学生)として、当時のビルマ連邦社会主義共和国の首都ラングーンに留学していた。年齢は20代後半、ビルマ語を学びながら、公文書館などで史料調査をしたり、国内各地で独立運動関係者に対する聞き取り調査に従事したりしていた。その間、老若男女さまざまなビルマ人と分け隔てなくつきあい、女性の友人や知り合いも数多くできた。もっとも、相手が女性の場合、基本的には男女の「グループ交際」を通じてのつきあいであり、一対一で会うということはごく稀であった。

 ところが、いよいよあと2ヶ月ほどで日本に帰るというとき、私と個人的な話をしたいと言って、2人の女性が私の住む大学教員寮(男子寮)に別々にやってきた。寮の個人部屋に家族でない女性を招きいれることは禁じられていたので、食事の時間帯以外は誰も来ない1階の食堂に入ってもらい、そこでそれぞれの話を聞いた。

 最初にやってきた女性Aさんは、私より年下の20代前半、中国系のビルマ人で、色白で背が高く、社交的で「おきゃん」タイプの人気者であった。当時のビルマは独特の社会主義体制下にあり、経済的には今以上に貧しい国であったが、彼女の家は比較的裕福で、彼女自身いつもきれいな服を着て現代的なお化粧をしていた。そのAさんが寮の食堂で私と一対一になるや、たいして緊張した様子もなく、いきなり「結婚してほしい」と言い出したので、私は絶句してしまった。しかし、沈黙は続かなかった。彼女が一方的に話を続けたからである。

 いわく、「今のビルマにいても自分の能力を生かせる仕事につけないし、この国の将来に希望も持てない。日本に行って仕事をしてお金を稼ぎたい。でもビルマ政府の方針が厳しいから、なかなかパスポートを取って海外へ出ることができない。また日本のヴィザを得るのも容易ではない。そこであなたに協力してほしい。私と結婚して、私を日本に連れて行ってほしい。結婚して夫婦になれば、ビルマ政府も妻が夫の国に行くことを認めパスポートを発給するだろうし、日本政府もすぐにヴィザを出すだろう。だから私と結婚してほしい。」

 きわめて単刀直入のプロポーズである。しかし、あまりに荒っぽい申し入れなので、私は「ちょっと待って」と、一方的に話を続ける彼女を止めた。「あなたはそれでよくても、私はどうなる?愛し合って結婚するのではなく、こんな事情で夫婦になるというのは私の人生が混乱するので困る。」

 これに対し、彼女は間髪いれず答えた。「心配はご無用。成田に着いたら別れてあげます。」これには再び絶句するしかなかった。しかし、こちらが沈黙してしまえば、Aさんがますます話を続けるばかりだろうと思い、とっさの判断でローザ・ルクセンブルクの話をすることにした。ローザ・ルクセンブルク(1870-1919)とはドイツ社会民主党の指導者のひとりで、社会主義者・経済学者として日本でもよく知られた女性である。第一次世界大戦後、武装蜂起に参加し、捕らえられ、虐殺されたことでますます有名になった人物でもある。もともとはポーランド王国の生まれで、その後、大学を出て左翼活動に参加すると、活動の拠点をロシアの圧力が強いポーランドからドイツに移すべく、グスタフ・リューベックという男性と偽装結婚してベルリンに脱出、すぐに別れて革命運動に身を投じる。このローザの話をして、私はAさんに次のように言った。

 「いまのビルマが経済的にも政治的にも問題だらけで、多くの国民が政府に不満を抱いていることは私もよく知っている。あなたがローザ・ルクセンブルクのように、ビルマを脱出して海外で勉強し、革命の準備をしてビルマに戻り、祖国の改革と発展のために身を捧げたいというのなら、私もそれを意気に感じてあなたとの偽装結婚に応じよう。成田空港に着くまでのあいだ、夫婦を演じてもいい。」

 Aさんの反応は淡々としていた。「そのローザとかいう女性のことはいまはじめて知った。私は政治に関心がないので革命に興味はない。日本に行って、なんでもいいから仕事をしてお金をため、それを持ち帰ってビルマでお店を開き、タイからの輸入品を売るビジネスをしたいだけ。」

 私はこれを聞いて正直、安堵した。これなら彼女を傷つけずに敢然とプロポーズを断れると確信したからだ。「そうか、それは残念。ビルマの革命のためなら結婚してあげてもいいと思ったけど、個人的ビジネスの実現のためには協力できない。」

 幸い(?)、Aさんは私のこの言葉を真に受けてくれ、顔に失望の色を表しながら帰っていった。私の「作戦勝ち」である。しかし、なんとも形容しがたい憂鬱な気分におそわれたことも事実である。

 Aさんのプロポーズ事件の数日後、今度はもうひとりのビルマ人女性Bさんが寮にやってきた。この女性は大学で哲学を教えているインテリで、年齢は私より少し年上の30歳、Aさんと異なり、背は低く小麦色の肌をしていたが、瞳の大きな美人で、いつも上品な雰囲気を漂わせていた。Aさんのときと同じように寮の食堂に入ってもらい、話を聞いた。

 「このままビルマで哲学教師をしていても将来が見えてこないし、私の能力を十分に発揮できない。日本に行く方法を一緒に考えてほしい。掃除婦でも店番でもなんでもする。とにかくこの国を出て、外の世界を見てみたい。日本は発展した国だし、日本人はやさしいので、まずは日本に行って生活をしたい。」彼女は小声で、このような内容をしゃべった。 

 私は留学中、「日本に行きたい」「日本で仕事をしたい」という類の要望をさまざまなビルマ人男女から聞かされた。多くの場合、Bさんのようなインテリや、Aさんのような比較的裕福な家庭の出身者であった。Bさんのような大学の先生の場合、社会主義体制下で学問の自由がなく、授業の負担が週18コマにも及ぶ過剰勤務、そのうえ極端な安月給だったので、外国人と知り合うと海外に出たい意向を告げるということはけっしてめずらしくなかった。こういう場合、私は即座に「自分は一介の留学生にすぎず、何の力もコネもないので、申し訳ないが助けたくても助けられない」旨、明確に答えることにしていた。通常、この一言で、日本行きを希望するビルマ人は去って行ってくれる。しかし、Bさんは立ち去らなかった。そして、しばしの沈黙のあと、もじもじしながら、次のように言った。

 「言いにくいのだけど、もし、私でよかったら、結婚してくださらない?」

 Aさんの件があって数日後のこととはいえ、まさかBさんのような年上のインテリからも「体当たり」プロポーズをされるとは夢にも思わなかったので、私はここでも絶句してしまった。Bさんも意を決しての発言だったのだろう、それ以上は何も語らず、奇妙な沈黙の時が食堂の中を流れた。私はやむを得ず、丁寧なビルマ語を使って「すみません。結婚はできません」と断った。彼女はうつむきかげんのまま「不愉快な思いをさせてごめんなさい」と言うと、寮から帰っていった。その後姿は哀愁に満ちていた。

 以上が私の「女性からプロポーズされた話」の顛末である。上座仏教国のビルマでは、女性の社会的地位は相対的に高く、財産の相続権も王朝時代から男女対等、家庭でも女性は男性と同じかそれ以上の力を持っている。しかし、それでも、女性のほうから男性に結婚を迫るということは今も昔も例外的行動である。プロポーズは男性のほうが悩みに悩んで一大決心をして、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで女性に対しておこなうのが普通である。AさんもBさんも能力や社交性に満ちた女性で、ふつうの国に生まれていれば、おそらく仕事を通じて十分に自己の夢を実現できたであろう。しかし、当時のビルマはビルマ式社会主義という体制のもと、国家が国民の政治的自由も経済的自由も極端に抑圧していたため、彼女たちは自国の将来に希望を見失い、窒息しそうな日常生活のなかで、このような外国人男性に対する「体当たり」的行動に出たのだといえる。私のことを本当に好きになってプロポーズをしてくれたわけでは全然ないので、悲しい話である。

 その後の二人はどうなったであろうか。Aさんのことを知っている別のビルマ人によると、彼女は1990年代初頭にアメリカ人と結婚して米国に渡り、しばらくして離婚、お金をためてビルマに戻り、市場経済に変わった軍事政権下のビルマでビジネスをしているという。これが本当だとすると、まさに初志貫徹で、その行動力には驚くばかりである。一方、大学の哲学の先生だったBさんについては全く情報がない。大学を辞め、ビルマには住んでいないようであるが、どこで何をしているのか全くわからない。あるいは日本にいるのだろうか。

 誤解のないように付け加えておけば、最近私の身の回りでも増えてきているビルマ人と日本人との結婚は、私のこの「体当たり」エピソードとは無縁で、日本国内で知り合って恋に落ち結婚したというパターンが多い。またビルマで出会って恋愛し結婚したカップルも何組か知っている。ビルマ人と日本人との偽装結婚という話は聞いたことがなく、私のエピソードはあくまでもビルマが社会主義時代だったときの「こぼれ話」として理解していただければ幸いである。 

(上智大学外国語学部教授)