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その他の寄稿

百年目のノーベル平和賞
2001年11月1日配信 菅原秀 月刊公評二〇〇一年十二月号 

百年目のノーベル平和賞

月刊 公評二〇〇一年十二月号 十一月十五日発売
特集 共生

ジャーナリスト  菅原 秀

なぜノルウェーなのか?

ノーベル賞に六つの部門があることは良く知られている。毎年十二月十日には、スウェーデンのストックホルムで授賞式が行われる。しかし、六つの部門のうち平和賞の授賞式だけは、お隣ノルウェーのオスロで行われる。
 ダイナマイトの発明で巨万の富をなしたスウェーデン人アルフレッド・ノーベルが、世界平和に貢献する賞を制定するよう遺言を残した結果が、ノーベル賞である。ノーベルは科学賞や文学賞などをスウェーデンの機関で扱うように指示し、一番重要な平和賞に関しては隣国のノルウェー国会で扱うように言い遺している。

 なぜノルウェーなのだろうか? この疑問をスウェーデン人の友人にぶつけてみた。
 「スウェーデンでは当時、王立アカデミーが幅を効かせていたのだが、そこに集まる学者たちはエゴイストの集団で、バランス感覚を必要とする平和賞を授賞する能力はなかった。ノーベルは学者たちの馬鹿さ加減に嫌気が差していたので、平和賞だけはノルウェーに任せようと考えたのさ。一番大事な平和賞がノルウェーに行ってしまったということは、スウェーデン人がいかに馬鹿かと言う歴史の証明だよ」
 ともっともらしいことを言う。

 ノルウェー人の友人にこの話をしたら、げらげら笑い出した。
 「納得するね。実に正確な分析だ。でも、ノルウェー人もスウェーデン人に負けず劣らず十分に馬鹿だし、この計算で言ったら、どの国も平和賞なんて扱えないね。日本が扱うことにしたらどうだろう?」
 日本といわれて、ぎくりとした。日本がノーベル平和賞を扱ったら、さまざまな問題が噴出して、ノーベル平和賞はあっという間に空中分解するに違いない。そう考えると、ノルウェーがとっても立派な国に思えてきた。
 「ま、あなたの質問はとても重要だと思う。ノルウェーの外交官だったら誰でも知っているはずだ。外交官に聞いてみるといい」

 たまたま招かれたレセプションで、ノルウェー大使館の一等書記官の女性に出会った。
 「スウェーデン人によれば、スウェーデン人は馬鹿なので、平和賞をコントロールする能力がないそうです。それで、ノルウェーに託したそうですが」
 と話したとたん、彼女もまたげらげら笑い出し、床に転がりそうになりながら、居並ぶ外交官たちに、私のおかしな話を伝え、さらに笑い転げている。
 「スウェーデン人が馬鹿だから、平和賞がノルウェーに来たなんて、ぜひオスロでそのジョークを話してください。大受けすると思うわ」

 ひとしきり笑った後で、彼女は大まじめで、その理由を答えてくれた。
 「スウェーデンは、フィンランドとは陸続きで、その先はロシアに続いています。さらにバルト海をはさんで、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ドイツ、デンマークの各国に対面しています。これら隣国との外交バランスの舵取りを永久にしなければならないというのが、スウェーデンの宿命です。それに対して、ノルウェーはスウェーデンという国によって、これらの外圧から緩和されています。また当時のスウェーデンとノルウェーは連立国家だったのです。ノーベルは平和賞の中立性を守るために、ノルウェーの存在を頭に描いていたのです。もちろんスウェーデンの人々もこのアイデアに賛成しました。スウェーデン人は地理的理由で国際共存のあり方にとても敏感だったので、こうした決定をしたのです。これで、スウェーデン人が馬鹿でないことが理解できたでしょう?」

権威を維持するためのシステム

 ノルウェー国会は、五人の平和賞委員を任命し、極秘の審査をして授賞者を決定する。各国からデータを集めるのは、ノルウェー・ノーベル財団であり、この財団によって分析された後、五人の委員に届けられる。この五人へのロビー活動などは決して認められず、ノルウェー国会もその決定作業に関与することはできない。
 平和賞候補を推薦する資格があるのは、「今までの平和賞受賞者」「列国議会同盟メンバー」「国際法学会メンバー」「大学教授」などである。

 この中で、列国議会(IPU)というのは耳慣れない団体であるが、この団体は全世界の国会議員が加盟する団体であり、日本の衆参両院の国会議員も自動的に加盟することになっている。
 日本の国会議員も、積極的に推薦状を集める活動をしている。かつては日本の議員が中心になって佐藤栄作を強く推し、ノーベル平和賞受賞を実現した経緯がある。その後も、日本の国会議員は、中国の人権活動家や、日本のNGO活動家を強く推したことがあるが、日本からのまとまった推薦活動は、かつてのような大きな動きは形成しきれていないようである。

 また、新聞で報じられている通り、佐藤栄作への授賞については、ノルウェー側もノーベル平和賞の趣旨にかなわないものではなかったかと考えているふしがある。
 佐藤栄作の受賞理由は、非核三原則を導入して、日本を核を持たない国にする努力をしたというものである。日本の核武装を恐れる国際社会に対して、強い安心感を与えることになった。しかし、ノーベル平和賞には、「受賞の是非を問う論争の的にならない人物」を選考するという基準がある。
 佐藤栄作の場合は、日本国内での是非を問う論争が持ち上がり、特に野党支持者の人々がノーベル平和賞の権威を認めないようになってしまったという経緯がある。こうした結果が生じるような選考は、ノーベル賞が持つ信頼醸成を損なうことになる。ノーベル委員会はより慎重にならざるを得ないことになった。
 また、今年の平和賞の最終選考には中国の法輪功が残っているが、受賞を取り逃がしている。法輪功に平和賞を与えた場合、中国側からの非難の渦が湧き上がることは容易に予測できるので、選考基準を満たしていたものの、ノーベル委員会は授賞をためらわざるを得なかったのだろうと思われる。

 ノルウェー・ノーベル財団のルンデスタッド事務局長によれば、今年の平和賞候補は百三十六人だったそうである。二千五百人の推薦状を得た候補が今年の最大数だったそうであるが、過去には七十五万の推薦状を得た候補もいると言う。
 しかし、推薦状の数で決まるわけではなく、ノーベル財団が推薦状に書かれている内容をもとに、候補者の経歴や業績を調べ上げ、事務局長が五人の委員に膨大な資料を提出する。委員たちは八ヵ月にわたって、これらの資料を読み、不明点があれば何度もノーベル財団に質問し、追加調査を依頼する。  ノルウェー国会は、五人の平和賞委員を任命し、極秘の審査をして授賞者を決定する。各国からデータを集めるのは、ノルウェー・ノーベル財団であり、この財団によって分析された後、五人の委員に届けられる。この五人へのロビー活動などは決して認められず、ノルウェー国会もその決定作業に関与することはできない。
 平和賞候補を推薦する資格があるのは、「今までの平和賞受賞者」「列国議会同盟メンバー」「国際法学会メンバー」「大学教授」などである。

 この中で、列国議会(IPU)というのは耳慣れない団体であるが、この団体は全世界の国会議員が加盟する団体であり、日本の衆参両院の国会議員も自動的に加盟することになっている。
 日本の国会議員も、積極的に推薦状を集める活動をしている。かつては日本の議員が中心になって佐藤栄作を強く推し、ノーベル平和賞受賞を実現した経緯がある。その後も、日本の国会議員は、中国の人権活動家や、日本のNGO活動家を強く推したことがあるが、日本からのまとまった推薦活動は、かつてのような大きな動きは形成しきれていないようである。

 また、新聞で報じられている通り、佐藤栄作への授賞については、ノルウェー側もノーベル平和賞の趣旨にかなわないものではなかったかと考えているふしがある。
 佐藤栄作の受賞理由は、非核三原則を導入して、日本を核を持たない国にする努力をしたというものである。日本の核武装を恐れる国際社会に対して、強い安心感を与えることになった。しかし、ノーベル平和賞には、「受賞の是非を問う論争の的にならない人物」を選考するという基準がある。
 佐藤栄作の場合は、日本国内での是非を問う論争が持ち上がり、特に野党支持者の人々がノーベル平和賞の権威を認めないようになってしまったという経緯がある。こうした結果が生じるような選考は、ノーベル賞が持つ信頼醸成を損なうことになる。ノーベル委員会はより慎重にならざるを得ないことになった。
 また、今年の平和賞の最終選考には中国の法輪功が残っているが、受賞を取り逃がしている。法輪功に平和賞を与えた場合、中国側からの非難の渦が湧き上がることは容易に予測できるので、選考基準を満たしていたものの、ノーベル委員会は授賞をためらわざるを得なかったのだろうと思われる。

 ノルウェー・ノーベル財団のルンデスタッド事務局長によれば、今年の平和賞候補は百三十六人だったそうである。二千五百人の推薦状を得た候補が今年の最大数だったそうであるが、過去には七十五万の推薦状を得た候補もいると言う。
 しかし、推薦状の数で決まるわけではなく、ノーベル財団が推薦状に書かれている内容をもとに、候補者の経歴や業績を調べ上げ、事務局長が五人の委員に膨大な資料を提出する。委員たちは八ヵ月にわたって、これらの資料を読み、不明点があれば何度もノーベル財団に質問し、追加調査を依頼する。

博愛主義から人権尊重への変化

 さて、ノーベル平和賞の平和醸成のメカニズムについて考えてみることにしよう。
 五十年前までの受賞者は、主として博愛主義に基づく活動をしている個人や団体が中心だった。例えば、赤十字国際委員会、ナンセン、シュワイツァーなどが有名である。しかしアフリカの独立運動や、共産主義と自由主義の冷戦などで、平和をおびやかす要素が変化するにつれて、授賞対象者は政治や人権問題に関与する人々に変化するようになっていった。
 しかし、国際関係の緊張の中で平和のバランスを取る授賞者選びは実に困難な仕事である。

 ノーベル委員会は、大きく分けて二つの手法を採るようになって行った。
 一つは、紛争の当事者の代表ふたりに授賞することで、当事者間の調停努力を国際的に認知させ、紛争終結の動きを進展させようという形である。ペギンとサダトの同時受賞、アラファトとペレスそれにラビンとの同時受賞、マンデラとデクラークの同時受賞などが、これにあたると言えよう。
 もう一つは、国家の枠を越える人権活動をしている団体や個人への授賞という形である。アムネスティ・インターナショナル、ワレサ、デズモンド・ツツ、ダライ・ラマ、アウンサンスーチー、ベロとラモス・ホルタなどが、これにあたる。

 現在、世界には三十カ所程度の「戦争」区域があると思われる。この場合の「戦争」区域とはさまざまな国際機関で利用している定義で、年間千人以上が砲火で死亡する戦闘状態が継続されている地域を指す。アジア地域だけに限定してみても、アフガニスタン、カシミール、チェチェン、アチェ、マルク、東部ビルマなど、多くの地域の戦火がいまだに絶えない。また東チモールやタジキスタンも最近までは「戦争」区域であり、いつ再び「戦争」が勃発するか保証のさだかではない。
 こうした「戦争」地域で起きた紛争の原因は、従来のような国家同士のいがみ合いとは違う、新しい形でのいがみ合いであることが多い。つまり、自治、独立、民族、宗教などにまつわるトラブルが、紛争として拡大し、戦争状態に至る例が多いのである。
 こうした紛争に対応する場合には、当事国だけでなく、当事国に対決する民主化勢力やゲリラを含んだ多様な勢力とのトラック(接触回路)が必要になる。

 残念なことに、日本の場合はこれだけ海外進出が進んでいるにもかかわらず、多様なトラックを利用して紛争解決に貢献するという機能が生まれていない。
 日本のNGOは善意のある市民による会費で運営されているささやかな規模のものばかりであり、どの団体も知恵を絞って体を張った援助活動をしているものの、紛争解決に関与できるような情報機能や、ロビー機能を持っている団体は皆無である。せっかく数多くのトラックを持っていても、それを生かすために人材を提供する余裕がないのが現状である。
 海外のNGOは政府機関と連動して紛争解決に参加することが多いが、日本政府には未だにエリート主義が蔓延しており、潜在的なトラックを保有しているNGOの助けを得なくても外交が可能だと勘違いしている職員が多い。したがって、NGOと外務省の共同作業による紛争解決事業が、近隣諸国並みに数多く行われるようになるのには、かなり時間を要するであろう。

紛争解決のためのNGOと政府の協力


 さて、ノルウェーの場合はこうした情報活動や、アドボカシー(目的実現事業)の中心を担っているのはNGOであり、外務省はこれらのNGOを支援し、国家にしかできないサービスを提供すると言う形で、お互いに補完する機能がすでに確立している。
 有名な例では、「オスロ合意」という例がある。これは、敵対しているイスラエルとPLOを交渉のテーブルにつけて、一九九三年に双方の合意文書を作成させた画期的な外交活動である。
 ノルウェーが第一に克服しなければならなかったのは、PLOと交渉をしたものは重罪に処すというイスラエルの「敵国条項」であった。つまり、法律そのものが敵対する相手との交渉を拒んでいたのである。また、PLOはパレスチナに入植して国家を作ったイスラエルの代表権そのものを認めていなかった。したがって、両者の間にあるのは敵対だけであり、解決の道は閉ざされていたのである。これらの困難な条件を乗り越えて、交渉のテーブルを設定できるのは外国勢力でしかなかった。

 オスロのNGOである社会科学研究所の所長だったテリエ・ラーセンは、パレスチナのガザの調査に出向いたときに、ある思いが湧きあがった。ラビンとアラファトを交渉のテーブルをつかせることが出来るのは、自分だけだという確信にも似た思いである。
 想像するにラーセンは、ガザ地区で苦しんでいるパレスチナ人が本当に望んでいるのは、「平穏な暮らし」であるという、ごく単純な事実に気づいただけに違いない。
 ラーセンは、さっそく大掛かりな準備を開始した。ひとつは、ノルウェー外務省に極秘に自分の意図を伝え、表沙汰にならないような協力体制を約束してもらうこと。もうひとつは、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長と直接対話できるチャンネルを作ることであった。

 ノルウェー外務省は、ラーセンを信用するという大きな賭けに出た。後にPLOの秘密代表をオスロに招待したとき、オスロの入管が怪しんで尋問しようとしたことがあった。PLO代表のオスロ訪問を知っていたのは、ラーセン以外にはホルスト外相ほか数人の外務省職員でしかなかった。ノルウェー外務省はラーセンの努力が無駄にならないように、急遽入管の事務所にリムジンをまわし、「この人たちは外交特権を持っている」といって、入管職員が法務省に通報する寸前に救出すると言う、スパイ映画もどきの協力をしている。
 また、イスラエルとPLO双方の意思決定者に直接メッセージを伝えられる人物で、しかも海外政府やマスコミに顔を知られていない人物を探すのも、大変な作業だった。しかし、ラーセンは、それらの難しい仕事をやってのけた。適切な人物を探すのに、ロンドン、パリ、ニューヨーク、エルサレムを何度も往復しなければならなかった。同時に、工作費用の捻出もして行かねばならなかった。

 オスロ合意でラーセンが採った次の作戦は、「おいしい食事」と「森の中の静かな邸宅」を双方に提供することだった。秘密裏にオスロに来たイスラエルとPLOの使節団を交渉のテーブルにつけたものの、そこで開始されたのは連日の非難の応酬だった。
 ラーセンは、決して双方の話し合いに参加しなかった。どちらかから意見を求められても、ただ「時間はたっぷりあります。ゆっくり食事をしながら、十分に話し合ってください」と言うだけだった。

 ラーセンの態度は双方の使節団の心に、微妙な変化を生み出した。
 「自分たちは、戦争をするためにここに来たのではない。平和を生み出すために来たのだ」
 この心の変化により、対話は急激に建設的になり、いがみ合いの原因をひとつひとつ検証して、消去して行くと言う作業が始まり、さらに法律的な裏づけをとるという実務作業にまで至っていった。
 オスロ合意の裏にあったのは、NGOの自由な発想と、それを影で支えた外務官僚の努力であった。今では、ラーセンの仕事に注目する人はほとんどいないが、彼の活動からわれわれは多くのことを学べなければならない。

百周年記念に参加できないスーチー

 今年のノーベル平和賞の授賞式は、十二月十日にオスロで行われる。しかし例年と違って、生存する受賞者全員が招待される。ノーベル平和賞制定百周年という記念すべき年なのである。
 恒例の授賞式は、十日月曜日に執り行われるが、その二日前の八日土曜日には、百周年記念祝賀会が盛大に行われる。
 しかし、今年の晴れやかな舞台に参加できない人物がひとりいる。ビルマ(ミャンマー)のアウンサンスーチーである。
 アウンサンスーチーは一九九一年に平和賞を受賞した。しかし、自宅に軟禁されていた結果、その年のオスロでの授賞式には参加できなかった。その後、昨年の九月以来、再び軍事政権に軟禁されており、彼女にとっては受賞十周年記念にあたるこの晴れ舞台にも、再び参加できない見通しとなった。
 この事態を憂慮した元ノルウェー首相ボンデビックは、ノーベル委員会にスーチーのための特別な祝賀を行えないだろうかと打診した。ボンデビックは一貫してビルマの民主化を推進する活動をしてきた有名な政治家である。

 一九九〇年の選挙で圧勝したにも関わらず、スーチーが率いる国民民主連盟(NLD)の議員の議会活動は軍事政権によって否定された上、多くの議員が逮捕監禁されるという事態が続いてきた。軍事政権は、「自分たちで独自の憲法を作る。その後、議会民主制に移管する」と約束した。しかし軍事政権は、約束から十年以上経った今でも議会民主主義に移行しようとしない。彼女が唱えたビルマでの民主主義確立の理念は未だに達成されていないのである。
 同じくスーチーの不参加を憂慮していたノーベル委員会は、この祝賀会に参加できないスーチーを励まし、同時にビルマ軍事政権に対して、国際社会は軍事政権の独裁を許さない旨をはっきり伝えるために、スーチーとビルマの人々のための一時間の特別枠を作ることを決定した。

 これを受けたボンデビックは、ノーベル平和賞受賞者たちに手紙を送り、十二月八日にオスロに集まった際に、参加できないスーチーに代わってその努力を称えるよう呼びかけた。平和賞受賞者たちにとっても、スーチーの立場は他人事ではなかった。多くの受賞者たちは、自国の国家権力に弾圧されたり、投獄されたりしながらも、信念を曲げずに戦い、平和賞を受賞している。しかし、自分たちには、たとえ国家権力ににらまれていても、その意見を発表する場が与えられていた。スーチーの場合、長年にわたって囚われており、国内のメディアのすべてが軍に掌握されている。その結果、自分の意見をメディアに発表することもままならない事態が続いている。自らの信念を実現する場が、国家権力の力によって長期にわたって完全に奪われているのである。もしいったん国外に出ることになれば、スーチーは軍事政権にとって国内にいて欲しくない人物であり、帰国は決して認められないであろう。たとえ軍事政権がその自宅軟禁を解除し、オスロの記念祝典に参加することを許しても、スーチーには国外に出るわけにはいかないという事情があるのだ。

 ボンデビックの手紙に対する受賞者たちの反応は極めて好意的なものだった。南アフリカのデズモンド・ツツが、スーチーのための祝賀委員会の世話役を引き受けた。さらに、ラモス・ホルタ、オスカー・アライアス・サンチェス、金大中などを始め、三十人もの生存する受賞者が、スーチーの祝福のために、喜んで参加するとの意思表明をした。
 また、スーチーへの祝賀をオスロで行うだけでなく、世界各国で同時に行おうと言う声も挙がった。フィリピンのコラソン・アキノは、この趣旨に賛同し、十二月八日の同じ日にマニラのカセドラルで特別なミサを上げるために、シン枢機卿にミサの司祭を取り仕切る交渉をしている。また、アメリカのマドリーン・オルブライトは、共和党と民主党の重鎮を集めて、ビルマの民主化を願う朝食会を行う計画を立てている。隣の韓国では、金大中が設立したアジア太平洋民主指導者フォーラム(FDL―AP)が主催し、千年民主党とハンナラ党の有力者を招待した晩餐会が催される。

 日本も、この動きに呼応している。超党派の国会議員で作る「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」(林義郎会長)が、都内の会場でトーク・フォーラムを行う計画を立てている。すべての政党に参加を呼びかける予定だ。在日のビルマ人民主化団体も、翌九日に都内に集まり、スーチーの受賞十周年を祝う準備をしている。また、関西の市民団体も、大阪で祝賀のための集会を行うことを計画している。
 世界各国の会場では、スーチーによるビデオ・メッセージが流されると同時に、設備次第ではインターネットでオスロの祝賀会の様子が中継されることとなる。

受賞者たちの新しい動き

 また、ノルウェーの元首相ボンデビックの呼びかけに呼応するかのように、アメリカでは新しい動きが出始めた。
 ノーベル平和賞受賞者六人が、アメリカの大石油資本ユノカルの大株主であるバージニア大学に対して、公開書簡を送付したのである。
 アメリカでは、ビルマの人権侵害が問題になり、ビルマへの進出企業が批判の矢面に立たされてきた。つまり、ビルマは依然社会主義国家であり、この国に進出する場合は、必然的に軍事政権経営の企業との合弁事業をすることになるので、市民団体から「人権侵害を行う軍事政権との合弁事業を停止するように」との抗議を受けつづけていたのである。
 その結果、進出企業のほとんどかビルマから撤退することになった。例えば、ペプシコ、リーバイ・ストラウス、マーシーズ、アコモ、エディ・バウアーなど、一流上場企業が次々と撤退していった。どの企業も「企業活動に人権侵害が伴なってはいけない」という倫理綱領を保持していることから、市民団体からの抗議に対しては、迅速な撤退を決定している。

 アメリカの大手企業が次々に撤退したのにもかかわらず、カルフォルニアに本拠を置く大石油資本ユノカルは頑としてビルマから撤退していない。ユノカルは市民団体からだけでなく、国際労働機関(ILO)からも強い批判を受けている。同社がビルマ沿岸からタイに向けて敷設したガス・パイプラインの建設工事で、数多くの住民がビルマ軍に駆り立てられ、強制労働に従事させられており、ILOが調査に乗り出し、この強制労働の事実を確認したからである。ILO総会は、ユノカルのビルマ事業で発覚した強制労働の実態を問題化し、昨年十二月にビルマをILOから追放している。
 しかしすでにユノカルは同パイプラインに膨大な資金を投入しており、撤退を決意した場合、会社の存亡にかかわる損失をこうむるので、数々の提訴に対しても徹底抗戦を続けている。

 全米の学生たちはユノカルに対して強い抗議を続けてきた。その結果、多くの株主を味方につけることに成功している。しかし、バージニア大学は、未だにユノカル株を保有しつづけていた。今年十月、学生たちの訴えに呼応したノーベル平和賞受賞者のジョディー・ウィリアムス、ホセ・ラモス・ホルタ、リゴベルタ・メンチュ、ダライ・ラマ、オスカル・アリアス、ベティー・ウィリアムスの六人は連盟で、バージニア大学理事会に対して、同大学が保有するユノカル株五万株を放棄するようにとの公開書簡を提出したのである。
 ノーベル平和賞受賞者たちは、博愛主義の枠を越えて、国際的な人権擁護活動のために、連携しはじめた。スーチーの支援は、その第一歩に過ぎない。

 今回の「スーチーのためのノーベル平和賞祝賀会」について、アフガンの難民を支援する日本の活動家が、こうコメントした。
 「ビルマの人々だけでなく、多くの人々が苦しんでいます。アフガンの難民、ブータンの難民など、国際社会から忘れられている人々が限りなく存在しています。今回の祝賀は、こうした人々すべてを応援するものでなければなりません」
 私たちには、圧制から逃れて荒野をさまよっている一千万人以上の人々に救いの手を差し伸べる義務がある。ノーベル平和賞受賞者たちの今回の呼びかけは、言論の自由を奪われているビルマの人々への支援であるが、その支援の輪は、やがて着実に世界全体に広がって行くであろう。(了)