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その他の寄稿

西双版納で出遭ったクリスチャン
2002年10月1日配信 森博行

 9月に西双版納を訪れた。主邑は景洪。こう書いただけでもうすっかり大中国の辺境雲南省、そのまた片隅のエキゾチックな秘境に響く。だが、実はチェンマイからバンコクエアーのプロペラ機、そうサムイ島に飛ぶ例の機体、で1時間20分の隣町なのだ。

 どうも日本の人は「国」というものに惑わされるようだ。中国と聞いて北京や上海をイメージし、ビルマ(現ミャンマー)と聞いてラングーン(現ヤンゴン)やマンダレーを思う。日本に住むおおかたの人々にとって、タイはバンコクなのだろう。でも、そういった近代国家や国境線というものが、東南アジアで明確な形を取り出したのは、たかだか百年ばかりのことにしか過ぎない。

 こう言えばどうだろう。先日シプソンパンナーを訪れた。中心ムアンはツェンフン。12の行政単位(千の田圃)と呼ばれるタイ・ルー族の土地で、それを治めるツァオペンディン(首長)が棲むメコン河岸の城市である。チェンマイからチェントゥンを経由して伝わったラーンナー仏教圏で、文字はタム文字(ラーンナー文字)。チェンマイ(ラーンナー)、チェントゥン(サルウィン河以東のシャン州)、ルアンパバーン(ラーンサーン)の首長と通婚関係にあって、ひとつの文化圏を成していた。

 百年前、19世紀末から20世紀初頭、この辺りに「ちょっといいですか?」と宣教したアメリカ人がいた。名前はW.C. Dodd、プレスビテリアン教会の北ラーオミッションの拠点チェンマイに1886年赴任。ラーオ語(今で言うチェンマイ方言)を修得し、この地域のタイ族首長との付き合い方とラーンナー仏教徒の説得法を心得た彼は、チェンラーイ、チェントゥン、そしてツェンフンで活動した。ロバの背に揺られメコンを舟で流されの快適ではない旅ではあったが、彼の残した報告から当時でもこの地域はひとつの文化圏であったことがわかる。

 今回、景洪に二泊して、風光明媚とされる瀾滄江沿いの橄欖貝・孟罕、昔からチェンマイに向かう主要ルートだった孟海、孟混経由で中緬国境の打洛を訪れた。最終日の朝、景洪市内の曼听公園に立ち寄った。

 元はツァオペンディンの庭園だったという園内を歩き、雲南茶道店の看板を挙げた竹造りの小亭で一息入れることにした。泰族の娘が煎茶式で数種類の茶を煎れる。初めは苦瓜露という灰色をした花茶のようなもの。次は細く棒状になった茴生茶、これは甘い。次に紅茶、これも甘味がある。最後に、烏龍に似た「糯米香茶」、もち米の香りがするというお茶である。香りが良く、確かにそう言われれば炊き上がった御飯の匂いに似ている。飲んだ味もすっきりして良い。


 「プーアール茶はないの?」と訊くと、「これはみんなプーアール!」。景洪から北に200キロばかり行ったプーアール地区は、古来中国では有名な茶の産地かつ取引地なので、全てそこのものと言うことらしい。種類はいろいろあっても宇治茶と言うような。

 「香港あたりでプーアール(ポウレイ)茶と言えば、塊になっていて」と説明しかけると、「ああそれもある」と別の娘が四角い板状にした包を取って来る。娘の首に銀の十字架が掛かっているので、「それは飾りか?」と尋ねると、「クリスチャン」と答えるではないか!プロテスタントなのかカトリックなのか、尋ねても判然としない。「今の教会には外国人はいない、礼拝は泰語ではなく普通話」と言う。

W.C. Doddは、1910年に初めて景洪(Cheng Rung)を訪れている。1917年にはこの地に教会を開き、1919年10月景洪で歿している。1923年アメリカで出版されたDoddの「The Tai Race」(1996年バンコクのWhite Lotusから復刻版)は、自身の経験や当時の北部ラーオミッションの活動を踏まえた19世紀末から20世紀初頭のタイ(Tai)系地域の貴重な文化人類学的資料になっている。

 彼によれば、1919年1月、タイ・ルーの老夫婦に景洪で初めて洗礼を施した。その夫は老紳士で、元は“仏教の司祭”だったと書いているから在家の有力者だったのか。4月の復活祭には男女11名の洗礼準備者がいると記録している。Doddの時代の宣教はラーオ語で、新約聖書のラーオ語訳もされていた。

 当時の景洪は本当に陸の孤島で、一番近い郵便局と電信設備は6日かかる思芽にありそこから飛脚(official runners)で届く。4ヶ月遅れの新聞が読め、クリスマスカードは7月4日に着いたと書いている。最寄りの駅は、フランス鉄道のMengtze(今のハノイ-昆明線Mengziか?)駅まで思芽経由で26日の旅程、タイ鉄道のランパーン駅までは24、5日、ビルマ鉄道の駅へもチェントゥン経由でほぼ同距離だそうである。

 今、目の前で180元と値札がついたプーアール茶を買って行けと勧めるこの泰族クリスチャンの娘18歳は、ひょっとしたらDoddの生きた遺跡なのか?結局、糯米香茶をひとつ70元に値切って買うことにした。(了)