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田辺寿夫(シュエバ)

アタマの栄養・アハーラ
2002年3月20日配信 「ビルマ人のスキップ」第28回(『恋するアジア』第35号)

アハーラの集い

2月10日、日曜日、この頃は在日ビルマ人たちもわけ知り顔で「ババ」と呼ぶようになった東京・高田馬場にある区民施設の一室で、ちょっと変わった集会が開かれた。「アハーラ図書館開設2周年・月刊誌アハーラ創刊1周年記念の集い」である。東京だけではなく、群馬県や愛知県からわざわざやって来た人たちを含めておよそ70人の在日ビルマ人が集まった。

日本人の参加者は5人。そのうち男女2人の若者は、同じ職場で働くビルマ人が軽いノリで呼んだらしい。ほほえましい交流が芽生えるかなと2人に注目していたが、次々に登壇するスピーカーがみんなビルマ語でしゃべるものだから、わけがわからないとばかりに、さっさと引き揚げてしまった。残ったのは日本の図書館関係者2人とぼく。この2人も帰ってしまってはまずいと思い、ぼくは通訳を買ってでて、集会の流れを説明する役にまわった。

母国民主化をめざす政治集会や、在日のビルマ僧を招いての仏教講話の会とはまた違った熱気が会場にあふれていた。図書館の運営にあたる若者たちが中心になり、図書館の利用者、機関誌・月刊「アハーラ」の読者、機関誌にかぎらず、在日のビルマ人社会で発行されている雑誌などに健筆をふるっている詩人、作家、評論家とでもいうべき人たち、たまに登場する程度の投稿者たち、言ってみれば本好き、読書好きの人たちが三々五々集まってきた交流会のおもむきである。

国民民主連盟(解放地域)日本支部、ビルマ民主化同盟など日本で活動する民主化組織の代表たちが次々に祝辞を述べる。ビルマ=タイ国境地帯で活動する学生団体や民主化組織からもお祝いのメッセージが届く。アハーラは図書館活動のほかに、古着を集めて、国境の難民キャンプに送るといった活動も行なっているからである。さらに、アハーラのスローガンのひとつは「自由な言論・出版を実現しよう」であるから、当然軍事政権の支配に反対し、民主化運動団体と手を携えることになる。

アハーラを運営する人たちはもちろん、この日集まったビルマ人のほとんどは、軍事政権とその前身である、やはり軍部主導のビルマ社会主義政権(マサラ。1962ー88)の下で育ってきた。彼らはいちように痛恨のおもいを抱いている。ひとつは教育の荒廃である。1988年の民主化闘争の前後から大学は頻繁に閉鎖され、再開されても教育レベルの低下は覆うべくもなかった。それから、ろくな本は読めなかったという恨み。学術書から小説、週刊誌にいたるまで検閲があるから、政府に都合の悪い部分は活字にならない。だからこそ、もっと勉強したいと願い、自由な言論・出版に熱いおもいを寄せる。そうした気持ちが、たとえ東京で働いていても、読みたい本が自由に読める図書館を開設しようという動きにつながった。

アハーラ図書館(実際は「館」というより「室」)は東京・板橋のマンションの一室にある。アハーラとはパーリ語(巴利語。上座部仏教経典はこの言葉で書かれている)起源のビルマ語で「栄養」と翻訳できる。(アハーラはタイ語ではアハーンと訛り、「料理」の意味で使われるとのこと。例えばアハーン・パマーはビルマ料理となる)ビルマでも、普通は食物から摂取する、体のバランスを保つための栄養という意味で使われ。図書館の名前として採用されたのは、もちろん「読書を通じて頭に栄養をつけよう」という意味合いである。

「息子」よ、めげるな! 

アハーラ図書館なるものが存在していることは知っていたが、初めて図書館まで足を運んだのは1月のある日曜日のこと。図書館の運営に参加している若者の一人で、ぼくの親しい友人であるKが一度見においでよと声をかけてくれたからだ。彼とは埼京線・板橋駅で待ち合わせた。

Kはもう三十代の半ばを過ぎているのだろうが、見かけや話しぶりはどこか幼さが残る学生っぽい若者である。彼からの電話は最初の一声ですぐわかる。決まって「ウー(おじさん!)。チュンノー・バー(ぼくだよ)」である。最初は、「ぼくというのは、どこのぼくだ?」ときき返していたが、この頃はもうすっかり慣れてしまった。

Kは日本で行なわれるビルマ民主化をめざす集会や、反軍事政権のデモには必ず参加している。熱心で真面目な民主化活動家である。しかし、どうも運に見放されている。日本政府に難民(政治亡命)認定を申請したが、認められていない。彼と同じような境遇で、似たような活動歴のあるビルマ人のうち30人以上が難民として認められている。また、難民としては認定されなくとも、とりあえず日本に住んでいてよろしいという在留特別許可をもらうビルマ人活動家もまた多い。Kはそれももらっていない。今も在日資格なし、仮放免の身分である。毎月入管に出頭して係官にハンコを押してもらわなければならない。ある日突然、仮放免が取り消しになってまた収容される可能性もある。

仙台の居酒屋で働いていて、オーバーステイで捕まり、警察に留置されたのを皮切りに、Kはこれまでにあちこちの警察署の留置場や入管の収容所暮らしを経験している。「どうして俺ばかりこんな目にあうんだ」と愚痴をこぼすことがよくある。すねているようにも見える。そのせいかどうか、日本にある民主化組織に加わって活動するのだが、ひとつの組織のメンバーとしてはなかなか長続きしない。リーダーたちと喧嘩をするほどではないが、組織行動には馴染めないらしい。だから一匹狼のような存在になりがちである。

Kは「あいつが難民に認定されて、なぜ俺はだめなんだろう? 法務省はオカシイよ」などとその恨みや悩みをくどくどとぼくにもらす。「男だろう、いじいじするなよ。他人のことはほっとけ。元気出せよ!」などと偉そうに説教するぼく。でも、実はこのK青年のことが大いに気に入っている。僭越な言い方で気がひけるが、「息子のような気がする」のである。そのKが、このところアハーラ図書館グループの中心メンバーのひとりとして張り切って活動しているときいた。活躍の場を得て生き生きとしている「息子」の姿を見てみたいという気持ちも、アハーラ図書館まで出かけた理由のひとつであった。

文学を語ろう

日曜日の午前11時、板橋駅西口を出てKと一緒に図書館に向かう途中、何人かのビルマ人に出くわした。Kが「ウー・シュエバだよ」とぼくを紹介してくれる。「名前はきいていましたが、会うのははじめてです」と丁寧に挨拶をかえしてくれたビルマ人もいた。

「この辺り、ビルマ人がたくさん住んでいるのかい?」

「ビルマ人だけじゃない、ガイジンは多いよ。ジュージョーが近いから」

Kがニヤッと笑って言った。ジュージョーとは、板橋の隣の駅十条から徒歩10分のところにある法務省入国管理局東京第二庁舎のこと。オーバーステイ(滞留期限超過者。いわゆる不法滞在者)になった外国人が、日本生活を切り上げて母国へ帰ろうとする時は、この入管に出頭して手続きをする。自ら出頭する前に捕まってしまったオーバーステイを収容する施設も庁舎のなかにある。かつて、その施設に収容されていたこともあり、いまは仮放免で、そこへ月に一度の出頭を義務付けられているKにとっては、おなじみの役所である。

Kが案内してくれたのは、駅から歩いて5分ほどのマンションの9階。かなり古びた建物である。エレベーターはなんだか不気味な音がしていた。入り口にも、部屋の扉にも看板や案内はいっさいない。中に入ると、2DKほどのマンションの一部屋にスチールの本棚が壁際一面と背中合わせに並んでいる。隣の部屋にはコンピューターの端末が2台置かれている。こっちは、在日のビルマ人たちにビルマ関連ニュースを提供しているビルマ語週刊誌「ボイス・オブ・バーマ」の編集ルームである。日曜日なので編集スタッフの姿はない。

図書館であり、編集室であるこのマンションには、もちろん数人のビルマ人が生活している。でも彼らは夜遅く寝に帰るだけだから、日中、人の出入りがあってもいっこうに構わない。ぼくが行った日曜日の昼間には、マンションの住民の一人(だと後で知った)と、本を借りにやってきたビルマ人が一人いた。本を借りにきたといっても、本棚をあれこれ物色するでもなく、座り込んで、住人のビルマ人との世間話に興じている。こうやって、たまに趣味の似た同胞と会って話ができるのも図書館があるからこそであろう。

2000冊ほどあるという本はほとんどがビルマ語の本である。在日のビルマ人たちが読み終えていらなくなった本を寄付してくれたものが多いという。小説の類が一番目につく。政治、経済、社会についての本もある。絶版になったものをコピーして製本したものも見かけた。Kは蔵書の整理や、貸出しノートをつける役目を担当している。「借りて行ってなかなか返しに来ないやつもいるんだ。みんな忙しいからねえ」とつぶやきながら、手製の貸出しノートを見せてくれた。

ぼくは好みの女性作家の名前を出してKに問い掛けた。

「ジューの本はある?」

「だいたい揃っているよ。ウー(おじさん)はジューが好きなんだ」

「うん、ビルマの作家のなかではジューが一番気に入っている。長編はほとんど全部読んだよ」

現代ビルマ文学のなかでは、これまでの、貞節で、しっかり家庭を守るビルマ女性というイメージを打ち破って、社会に進出し、男をむしろ従属させるような強い女性を描くジューの作品から話題が広がり、K、住人、図書館の客もまじえて「俺はこの作家が好きだ」、「いや最近はこっちの方がいいぞ」などとひとしきり作家論がつづいた。日曜日の昼日中、東京の一角で、のんびりとビルマ文学論に花が咲くなんて思ってもいなかった。楽しいひとときを過ごさせてもらった。少しはアタマの栄養になったかも知れない。

正しいビルマ語で書きなさい

さて、高田馬場でのアハーラ開設2周年記念の集いでは、在日各団体やもの書きたちが次々に立ってスピーチをした。ほとんどが自由な言論活動が許されない母国の状況に言及し、今後民主化をかちとって行く過程で、アハーラ図書館の果たす役割は重要であるといった主旨のかなりボルテージの高い議論を展開した。ビルマの状況からすれば当然の流れである。それにしても、同じような話がつづくときいていて飽きてくる。

そんななか、最後の方に、面白い応酬があった。在日10年以上という、民主化活動家であり、もの書きでもある中年の男性が「爆弾発言」をした。

「ものを書くのはいいが、最近の書かれたのを読んでいると、ビルマ語が相当に乱れている。綴りも、語彙の選び方も、文法もいい加減なものが多い。ささやかなミニコミ誌への投稿であっても、文化活動の一環であることを自覚し、しっかり勉強して、きちんとしたビルマ語でものを書いてほしい」

会場から拍手が沸いたこの提起に対して、次に立ったやはり投稿者らしい若者がすぐに反論した。

「ぼくらはろくな教育を受けていない。若い世代ほどビルマ語(国語)力が低下しているのは事実だろう。でもぼくたちにも書きたいことはいっぱいある。正しいビルマ語で書くことは大事だが、多少の乱れはあっても、若者たちが胸のおもいをぶちまける、精一杯の自己表現なんだから大目に見てほしい」

この反論もまた拍手で迎えられた。ちょっとしたルージー(大人)とルーゲー(若者)の対立の様相を呈していたが、険悪な雰囲気ではなく、議論を楽しんでいる感じであった。いいことだと思う。アハーラのめざす自由な言論・文化をめざす活動は、こんなところからもはじめて行けるのではないだろうか、そんな気がした。

会のはじめからKの姿がないのが気がかりだった。会が終わってロビーへ出るとそこにKがいた。仕事があって遅くなり、終わりごろにやって来たのだという。

「かっこよく会を取り仕切っているところを見たかったのに。残念だよ」

「いいんだ。ぼくは裏方に徹することにしているから」

そう言って彼は小説の本を2冊ぼくに差し出した。

「これ、図書館の本じゃないけど。ウーにあげる。読んでみてよ」

そのうちの一冊、有名な女性作家マ・サンダーの「テインポン・パーロ・ラ・マター(直訳すると『雲に隠れて月冴えず』」を二日で読み終えた。二百ページもの本をこんなに早く読了したのは、ぼくにとって最速記録である。秀才で気の弱い兄と、勉強はあまりできないが喧嘩に強い弟、二人を兄と慕う近所の可愛い女の子、いずれも貧しい家庭に育つ三人の波乱の人生模様を描いた、ごくありきたりのストーリーである。しかし、飽きさせない。話の展開が上手なのだ。

読みながらぼくは、純朴で兄おもい、それに女の子にもやさしく、苦境にもめげない弟の姿にKの人生をだぶらせ、小説の世界に引き込まれていた。Kはこの小説をどんな想いで読んだのだろう。どうしてぼくに読ませたかったのだろうか。

アハーラ図書館の活動がさらに広がって行き、それがKの新境地を拓くことにつながってほしい。