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田辺寿夫(シュエバ)

いま、イスラムに向けられる目
2001年12月20日配信 「ビルマ人のスキップ」第27回(『恋するアジア』第34号)

オサマ・ビン・ラディン余波

数年前まで、ビンラシッドビンという競走馬がJRA(中央競馬)で走っていた。競走馬としてはずいぶん変わった名前である。実績や血統はさして気にせず、アジア風の名前であれば応援したくなるぼくは、彼がレースで走るたびに声援をおくっていた。一流馬の域にはとどかなかったが、そこそこの成績はあげていた。在日ビルマ人の友人にラシッドという男がいるし、この馬の名前はどうもイスラムっぽいと思って、マレーシア人の友人にその意味をきいたことがある。

「うーん。こりゃ変だよ。これだけじゃ意味がとれないんだ。ビンのある位置がおかしい。例えばラシッド・ビン・モハメッッドなら、モハメッドの息子のラシッドという意味になるんだけどね。マレーシアの首相を知っているだろう? 彼の名前はマハティール・ビン・モハメッドなんだよ。つまり、ビンというのは父親の名前の前につけるんだ」

というわけで競走馬ビンラシッドビンの名前の意味と命名の由来はいまだに判然としない。中央競馬会の規定では、馬の登録名はたしかカタカナ九文字以内と決められているから、長々とは命名できない。止むを得ず、一部を省いてこんなおかしな名前をつけられたのかも知れない。

昨年の夏、ぶらっと北海道を旅行した。千歳空港に程近いノーザンホースパークとかいう競馬に関係するレジャー施設まで足を伸ばした時、思いがけなく、現役を引退して馬房に繋養されていたビンラシッドビンに再会した。とても種牡馬になれるような成績ではなかったから、おそらく、乗馬用の馬として余生をすごすべく訓練されているのだろう。なつかしくて「おい、元気かい?」と声をかけたのだが、彼は大きなお尻をむけたままで、こちらを振り向いてくれなかった。別に名前の不備を恥ずかしがったわけではないだろうが。

そして今、アメリカでのテロ事件、それにつづくアメリカ主導のテロ撲滅の武力行動についてのニュースが世界中を駆けめぐっている。毎日、テロの首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンという名前が登場する。ビンラシッドビンのことがあったから、今度はぼくにもすぐわかった。これは「ラディンの息子のオサマ」だと。しばらくして、正確には、そうではないことを知った。

中東問題の専門家によると、渦中の人物のフルネームは、オサマ・ビン・ムハンマド・ビン・アワド・ビン・ラディンだという。これはつまり、ラディンの息子であるアワドの息子ムハンマドの、さらに息子であるオサマということになる。となると、ラディンはオサマの父親ではなく、曽祖父(ひいおじいさん。ビルマ語ではアボウ)にあたる。しかし、オサマを含めてこのサウジアラビア出身の一族はみなビン・ラディンを名乗っているから、西側のメディアはビンラディンをファミリーネーム(姓)のようにあつかっているとのこと。

今のところ(2001年10月中旬現在)、オサマ・ビン・ラディンはアフガニスタンを実効支配しているタリバンのもとにかくまわれているとされる。アメリカの激しい攻撃を受けているタリバンがいつまで持ちこたえられるか、なんとも言えないが、タリバンはオサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しには応じていない。テロ行為に関する明らかな証拠があれば第三国に引き渡してもよいとタリバンが声明を出したが、ブッシュ米大統領は、もはや交渉の余地はないと拒否した。

窮地に追い込まれたオサマが、今後、身の安全のために、アフガニスタンを脱出するとすればどこへ行くのだろうか。まわりにはイスラム国家がたくさんあるからそのどこかだろう、なかでも反米路線を貫くフセイン大統領のいるイラクあたりではという声が出ている。在日のビルマ人イスラム教徒によると、ビルマ(ミャンマー)もオサマの逃亡先の候補にあがっているとのこと。順位からすると七、八番目だそうだ。まあ、意外性があって、人の目を欺くにはいいかも知れない。

ビルマにもたくさんのイスラム教徒(ビルマではふつうムスリムという)がいる。英領時代に当時の英領インド(現在のインド、パキスタン、バングラデシュ。ビルマも1937年までは英領インドの一州だった)からやって来たムスリムの子孫たちがビルマ全土に散らばっている。また、ビルマ連邦の西端、バングラデシュと国境を接するラカイン州には、前号でも紹介したイスラム教徒であるロヒンギャー民族の人がたくさん住んでいる。そのほかに、パンデー・ムスリムと呼ばれる中国から南下してきた中国系イスラム教徒もいる。

ムスリムだと名乗りたくない

アメリカを襲ったテロ事件の衝撃がまださめやらぬ九月十五日、東京・西早稲田で開かれたNPO・難民支援協会の総会で在日ビルマ人と一緒に講演する機会があった。ぼくは、日本の難民認定制度と、その実際の運用について、自分の体験から感じたことを話すように言われていた。もう一人の講演者はビルマ国籍の難民認定者Tさんだった。Tさんは軍事政権から弾圧されているNLD(国民民主連盟)マンダレー支部の幹部だった経歴もあって、日本政府からわりとすんなりと難民認定を受けた。申請にあたっては、ぼくも通訳をして協力したからTさんとは親しい仲である。この日Tさんは、難民認定の経緯と認定はしても、その後、なんの援助もしない日本の制度について、自分の体験を交えて話すことになっていた。

事前の打ち合わせで、経歴を紹介する必要があるからと司会者が彼に色々と質問をした。傍でそれをきいていて気がついた。Tさんはイスラム教徒なのだが、そのことを司会者に言わないのだ。仏教国のイメージが強いビルマが、実は多民族・多宗教・多言語国家であることを日本の人たちにわかってもらうためにも、自分がイスラムであることを言ったほうがいいのではないか。それに、Tさんが難民認定申請にあたって、母国に帰れば「迫害を受ける恐れが充分にある」理由としてあげたのは、政治信条の故だが、仏教徒が多数を占めるビルマで、少数派であるイスラム教徒であることも、体制からの迫害を加重する要因であると考えられる。難民認定申請の体験を語るならば、やはり自分はイスラム教徒であることを明らかにすべきだろう、そう思ったぼくは彼に小声できいた。

「ムスリムだってことは言わなくていいのかい?」

Tさんは、言いたくないし、言う必要もないと答えた。しかし、表情からは、言わないことの不自然さを自分でもわかっているのがうかがえた。打ち合わせの後、Tさんとそのことで少し話をした。この日、日本人の聴衆の前で、自分がイスラムであることを明らかにしないと決めたのは、数日前に起こったテロ事件のせいだった。Tさんはため息まじりにこう話してくれた。

「この間のアメリカでのテロ事件はショックだった。二つの意味で悲しい。ほんとうにイスラム教徒がやったんだとすれば、同じイスラムとして許せない。怒りをおぼえるし、情けない気持ちになる。今回のテロがビン・ラディンたちがやったかどうかはわからないが、ぼくはもともとアルカイダはもちろん、イスラム原理主義者グループやタリバンなどは、本来のイスラムの教義に反する組織だと思っている。イスラム教はもともと平和を尊ぶ教えなんだ。

それに、今回のことで、イスラム教徒以外の人たちが、ムスリムへの憎しみ、恐怖をつのらせることも心配だ。それでなくても、ここ日本でも、世界のあちこちでも、私たちムスリムはなにかにつけ、煙たがられているのに、この上、恐ろしい人たちだと思われ、あつかわれるのはたまらない……」

ビルマで起こっていること

タイでビルマ人たちが発行している週刊誌『イラワジ』は今インターネットでも配信されている。その十月八日付けの記事には、アメリカ軍のアフガニスタン爆撃開始直後に取材したビルマ人ムスリムの反応が紹介されていた。この記事に出てくるビルマ・ムスリム情報委員会のスポークスマンの発言の要旨は次のようなものである。

……・・爆撃対象が軍事施設やテロリストの訓練基地に限定されるなら、ムスリムとして容認できなくはない。しかし、テロ攻撃の確たる証拠提示もない段階で空爆を行なうのは時期尚早である。また無辜の市民を傷つけるべきではない。またこの武力行使がさらなるテロを誘発する可能性があるし、イスラム教徒とのあいだの宗教戦争と化す恐れもある……・・

ここまでは、イスラム諸国や各国のイスラム組織からきこえて来る反応とほぼ同じである。しかし、その先が違う。ビルマ人ムスリム組織のスポークスマンは次のように話を結んでいた。

……・・ビルマに住むムスリムたちは、本当の意味のテロリストの最たるものはビルマ軍事政権であると見なしている。彼らは多くのモスクを破壊し、ムスリムたちに迫害を加えているからだ……・・

無理もない。ビルマ軍事政権はたしかにムスリムに強く当たる。例えば、ロヒンギャーの人たちおよそ三十万人が、一九九一年から九二年にかけて、軍事政権の弾圧に耐えかねて隣国バングラデシュへ難民として逃れ出たこともある。ロヒンギャーをビルマ原住民族と認めない軍事政権は、資産の没収、強制労働のための徴発、婦女子への暴行などをくりかえし、モスクなど宗教施設の破壊や接収も日常茶飯である。常に監視を受ける彼らは隣町へ行くのすら当局の許可を得なければならない。

また、ビルマの各地からはイスラム教徒と仏教徒の対立抗争事件がしばしば伝えられる。これらは多くの場合、政府が煽ったものである。貧しさや自由のなさのせいで、多くの民衆が軍事政権に不満を抱いている。その不満が直接政府に向かって爆発しないように、あたかもバルブを操作するごとく、「あいつらムスリムのくせして、大きい顔をしやがる」、「おい、あいつらお坊さんに失礼なことをしたぞ」といった噂を飛ばして、ビルマ人民衆の欲求不満の矛先をムスリムに向けさせるのである。こうした情報操作から小競り合いが発生し、事件となる。それを国営メディアが大々的に報道するというわけである。こうしたケースでもムスリムが被害者であるのは言うまでもない。

むろんテロ事件以後、軍事政権はより一層厳しい目をムスリムへ向けている。すべてのイスラム寺院は当局の監視下に置かれているという。空港でも、ハイウェイでも、ムスリムたちは検問にさらされている。ビルマ南端の町コータウン(旧名ヴィクトリア・ポイント)の空港では、離陸前のヤンゴン行き旅客機からムスリムの乗客が引きずり降ろされる事件があったと、十月十日付けの『イラワジ』が伝えている。この町はタイ国のラノーンと接しており、南にマレーシアを控えているところからムスリムが多い。引きずり降ろされた乗客は、イスラム過激派と関係を持っていると疑われてのことらしい。ビルマでは、ムスリムはますます小さくなっていなければならない状況になっている。

難民の先輩として

十月十日付けの朝日新聞夕刊には、在日アフガン人難民認定申請者九人が東京入国管理局に収容されたことが大きく報じられた。ここでいう難民認定申請者とは、先にあげたビルマ国籍のTさんのような人を指す。日本も批准している国際的な難民条約に定義されている難民として、日本政府に保護を求めている人たちである。その定義は「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、また政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために」本国に帰れない人となっている。

アフガン国籍の男性九人は、アフガンの実効支配勢力タリバン(多数民族であるパシュトゥン人が主体)とは対立している少数民族ハザラ人であるとのこと。この人たちは、来日前にタリバンから迫害を受けた経験を持っているし、今回のアメリカなどの武力行使で、さらに母国に帰れば危険が増す状況である。

その難民認定申請者たちを、日本政府は収容してしまった。法務省は、不法入国など「出入国管理及び難民認定法」違反の疑いであるとしている。これはビルマ人難民認定者にもしばしばあったケースである。難民認定を申請しようとする人たちは、命からがら母国を後にして来ている。彼らがまともなパスポートやビザを持っている方がむしろ稀である。それを日本政府は、難民として認定するかどうかより先に、不法入国だ、不法滞在だと問題にするのである。少なくとも、難民認定を申請している人たちに対して、結論が出るまでは拘束すべきではない。これは国際的な慣行でもある。

このまま行けば、彼らは法務大臣の命令によって強制退去(送還)させられることになる。それは人道に反するとして弁護団が結成されたとニュースは伝えている。また前出の難民支援協会も抗議声明を発表した。法務省入国管理局(ビルマ風にした略語はラ・ワ・カ)のやり方に辛酸をなめてきた在日ビルマ人たちも怒っている。

ビルマ人たちは、日本の難民認定のやり方を知悉していることにかけては、在日外国人のなかで群れを抜いている。日本政府が一九九八年から二千年までの三年間に難民として認定した人の数はおよそ五十人。そのうち三十人ほどはビルマ人である。このほかに難民としては認定されなくとも、在留特別許可を得たビルマ人が五十人以上居る。これは弁護団の努力やビルマ市民フォーラムなど市民団体の支援があってのことだが、なによりもビルマ人たちの頑張りがあったうえでの成果である。今回アフガンの人たちが収容された入管の施設で半年、一年と長期の収容生活に耐えたビルマ人は少なくない。強制退去令が出ても「絶対に帰らないぞ。それでも帰すというなら壁に頭をぶち当てて死んでやる」と抵抗を貫きとおして娑婆に出てきた猛者もいる。

難民については先輩である在日ビルマ人たちから、収容され、強制送還されそうなアフガン人を救おうという声が出てくるのを期待したい。そこから、パキスタンやタジキスタンに数千、数万の規模で流出して来るであろうアフガン難民支援のために大金を送るという日本政府が、どうして日本で難民認定を申請している数少ないアフガン人に対しては、非人道的なあつかいをするのかという声を、日本の人たちがあげることにもつながってほしい。