トップページ >  コラム:田辺寿夫(シュエバ) >  ビルマ人のスキップ >  ああ結婚! おお結婚!

田辺寿夫(シュエバ)

ああ結婚! おお結婚!
2001年9月20日配信 「ビルマ人のスキップ」第26回(『恋するアジア』第33号)

日曜日が忙しい 

六月から七月にかけて四週連続日曜日ごとに都内へ出かけるはめになった。いずれも在日ビルマ人カップルの結婚披露宴である。客として招かれたのではなく、そのうちニ回は司会、あとのニ回は司会の通訳をした。場所は、東京大飯店(新宿)、椿山荘(目白)、それに大塚のホテル・ベルクラシックがニ回とそれなりに立派な会場であった。

ビルマ人カップルの結婚式・披露宴なのに、なぜ日本人のぼくが司会や通訳を頼まれるのか、すこし説明が要る。集まってくるのは、ほとんどが新郎新婦と知り合いのビルマ人たちだが、どの宴にも、少なくて五、六人、多いときは十数人の日本の人たちも招かれて出席している。日本で働くビルマ人の多くはたいへんまじめで、職場では日本人の同僚や上司といい関係を持っている。新郎新婦はそれぞれ、そうした親しい、あるいは世話になっている日本人たちに披露宴に出席してくれるようにと心をこめて招く。そうなると、司会進行はビルマ語だけではすまない。日本語をまじえる必要が出てくる。司会者の話しているビルマ語をそのまま日本語に通訳し、日本人の来賓が述べる祝辞は、逆にビルマ語に通訳する、そうしないと宴が盛り上がらない。だから、ビルマ語ができる日本人であるぼくが重宝されることになる。

こうした仕事は、一九九〇年代の初め頃、一九八八年の民主化闘争が目的を果たせず、軍事政権が登場した後、多くのビルマの若者が日本へやって来るようになった。そうした人たちの中から日本で結婚するカップルも出てきた。ごく親しい、顔見知りのビルマ人に頼まれて結婚式・披露宴で司会や通訳をするようになった。そのうちに在日ビルマ人社会で、口コミで、ウー・シュエバに頼めばうまく行くよという評判が広がり、知らないビルマ人たちからの依頼も増えてきた。ぼくの方もだんだん慣れてきて、それらしく、気の利いたビルマ語や日本語の言い回しを使いながら司会をこなすようになったせいもあるだろう、やたらと依頼が来るようになった。直接、電話がかかってくることもあれば、ぼくの親しいビルマ人や、ビルマ料理店主、結婚披露宴にはつきもののビデオ・カメラ撮影を業としているビルマ人を通して依頼が来ることもある。この頃は、新郎新婦とは披露宴会場が初顔合わせというケースも多くなってきた。

司会にせよ、通訳にせよ、ボランティアでしていることだから、こちらは無報酬のつもりである。しかし、お礼をお金で渡してくれる人もいる。感謝の意のこもったお礼をつき返すのは、上座部仏教の考え方からすればよくない。他人のためにいいことをした自分の善業(功徳)を否定することになるし、相手の好意を拒否することで、その人の功徳を積む行為にも水を差すことになってしまう。それに、理屈はともかく要らないとつき返すのはカドが立つ。だから差し出されたお礼は素直に受け取ることにしている。それでも、プロのように見られるのは意に染まない。だから、この頃は「報酬はいらないからね」と念を押してから仕事を引き受けることにしている。

ブローカー登場?

慣れているはずの結婚式の司会について妙な体験をした。ビルマ人からかかってきた電話が発端だった。「友人が日本で結婚することになったから司会をしてほしい」というのである。かけてきたビルマ人に名前をきくと、Mと名乗ったが、記憶にはない。しかし、向こうは、誰かの結婚式でぼくに会ったことがあるという。よくあるケースだから不審には思わなかった。挙式は二ヶ月ほど先の日曜日だという。ほかの予定は入っていない日だったので「いいよ」と承諾した。

その後、なんの連絡もなかった。予定の日の一週間前に連絡があり、当日、会場に近い山手線のある駅で待ち合わせることにした。二日前になって、今度はよく知っているビルマ人Sから電話がかかってきた。二日後に迫った結婚式のことをぼくにきく。司会をする約束をしていて、当日Mと待ち合わせをして一緒に会場へ行くことになっていると返事をした。Sもその待ち合わせ場所へ来ると言い、その新郎新婦は自分と同郷の知り合いだからくれぐれもよろしく頼むと念押しする。

前日になって、こんどはMからの電話。明日の結婚式について誰かからなにかきいているかと言う。Sから電話があってよろしくと言われたと答える。するとMは「自分は行かないことにした。よけいなやつがしゃしゃり出てきて不愉快になったから」というのである。ぼくは狐につままれたような気分になったが、司会者がいないと新郎新婦が困るだろうと思い、予定通り出かけた。駅にはSが待っていた。会場に向かうタクシーのなかでひとしきりMのことをきかされた。

……あいつはさあ、ウー・シュエバに司会を頼んでやるから、先に5万円渡せって新郎新婦に要求したんだ。それで新郎新婦の方がおかしいと思って俺に相談してきた。ウー・シュエバのことは俺よく知ってるからさ。金なんか取る人じゃないって。それであいつに頼むことはない。断れ。俺がウー・シュエバに連絡してあげるって言ってやったんだ。だから電話したわけ。なんかビルマ人同士のごたごたに巻き込んだみたいで、ウー・シュエバにはすまなく思ってるよ……

そんな話だった。これは一方の当事者の話だから、この通りだと決めつけるわけには行かない。しかしこの話はかなり真実味を帯びているように思える。ウー・シュエバをダシにして、小遣い銭かせぎをしようとしたビルマ人が居ても当然だろう。なにしろ彼ら、彼女らは、劣悪な労働環境のもと、日本のアジア人蔑視の残る社会のなかで、必死に働き、なんとか金を稼ごうとしているのだから。日本へ来るにあたっては、ほとんどの人が借金をし、ブローカーに高額のお金を払って手続きをしているのだから。

ダシにされそうになったぼくとしてはけしからんと怒る気持ちはさしてない。今回の「企み」がもしうまく行ったとして、その「犯人」は、いつかそのうち余裕ができたら、新郎新婦やぼくの前で頭をかいて、あの時はどうもと謝るのではないか、そんな気がするからである。

そんなことがあったせいか、その日の結婚披露宴では、ぼくはいつもより気合を入れて司会をつとめた。日本人のお客さんも、ビルマ人たちも喜んでくれ、面目をほどこした。途中でSがお礼だといって紙包みをぼくに渡した。お金が入っているらしい。「こんなのいらないよ」。そう言ってぼくはその紙袋を司会者の机の上に放りっぱなしにして置いた。お開きのアナウンスをして帰ろうとするぼくのポケットにSがその紙袋を突っ込んだ。ぼくは突き返しはしなかった。

イスラムだっている

ビルマ暦ワーゾー月の満月からダディンジュッ月の満月までの三ヶ月間は仏教徒にとっての雨安居(うあんご)となる。雨季が真っ盛りのこの時期、僧侶は僧院にこもって厳しい修行に明け暮れ、在家の人たちも、戒律を守る日(布薩日)を増やしたりして信仰を高める努力をする。結婚式のような世俗のにぎやかな行事は避けるのが普通である。今年は陰暦の閏年とでも言おうか、ワーゾー月が二回あった。そのドゥティヤ(第二)ワーゾー月の満月が八月四日だった。ダディンジュッの満月は十一月一日である。この間、ビルマ人の結婚式はないはず。八月を迎えて、しばらくは、ゆったりとした日曜日をすごせるわいとひそかに喜んでいた。

しかし、そうは問屋がおろさない。ビルマ人はなにも仏教徒だけではない。八月四日を過ぎてからイスラム教徒のビルマ人の結婚披露宴があった。会場は、銀座の日本料理屋である。そのカップルには前もって会う機会があり、好感を持っていたし、別に司会を頼まれたわけではなかったから、日曜日にはささやかなレップエ(お祝い)を用意して気軽に銀座まで足を伸ばした。

いい雰囲気の結婚披露宴だった。出席者は日本人が二十人ぐらい、ビルマ人はイスラム教徒、仏教徒あわせて六十人はいただろうか。会場にあてられた店は新郎が長く働いている店だという。新郎の骨身を惜しまぬ働きぶりをよく知っている女将さんが、宴を取り仕切っていた。女将さん曰く「ご両親がビルマから来られなかったのは残念ですが、私が親代わりになって、結婚を祝ってあげたい。私はこの二人をほんとうの息子・娘と思っています」と挨拶して満場の喝采を浴びた。女将さんだけではない。普段は新郎と一緒に働いているのであろう若い日本人の店員たちが、同僚の結婚を満面の笑みで喜びながら、かいがいしく、にこやかに、料理を運び、お客さんたちをもてなしていた。

女将さんの挨拶をビルマ語に通訳したのは、例にによってぼくである。事前に頼まれたわけではないが、流れで自然にそうなる。つづいて、ビルマ人の司会者はぼくにビルマ側の主賓としてオーワーダー(年長者としての訓示)を述べるようにと振ってきた。これは、日本風に言うならば、ご両家・ご両親になりかわって、リン・ウッダヤー(夫として守るべきこと)やマヤー・ウッダヤー(妻として守るべきこと)などを教え諭す役回りである。何度も通訳をしているから、それらしく話せないこともないが、そこまでビルマ人の領分を侵すのは僭越であろう。そう断ってビルマ語で話しはじめた。

……おめでとうございます。こうしてみんなに祝ってもらえる披露宴ができてよかったね。お店の経営者や同僚の人たちが祝ってくれるどころか、宴を盛り上げようと縁の下の力持ちになって、動きまわってくださっている。どうかみんなの祝福を胸に刻み、これからも「在日」としての苦労はあるだろうけれども、二人で乗り切り、いい家庭を築いて行ってください……

あこがれの結婚

そのあと、ぼくは在日ビルマ人イスラム教徒たちが、いかに結婚に憧れ、結婚のために苦労を重ねているかを、二人のロヒンギャー(ラカイン州に多いイスラム教徒)の友人の例をあげて話をした。この二人は、日本政府に対して難民認定を申請したが認められず、仮放免や拘束など不自由な生活を経験し、ようやく今年になって在留特別許可を取得した。一人は三十歳代半ば、もう一人は四十歳を越えた。

この年齢まで独身でいるのは、イスラムの社会では肩身が狭いとのこと。結婚はしたかったが、不安定な境遇と、イスラム教徒だから、相手がなかなかいないこともあって、できなかった。その二人が念願かなって最近相次いで結婚した。といっても、結婚したという報告をきいただけで、花嫁にはまだ写真でしかお目にかかっていない。

一人はなんとビルマの親戚と電話で話をし、写真を交換したうえで、花嫁候補者の意思を確認し、自分は日本にいたまま、花嫁はビルマ在住のままで結婚を成立させた。もう一人の方は、タイへ出かけた。在留特別許可が認められると、パスポートに代わる旅行証明書が発給され、海外旅行が可能になるからだ。彼はビルマ国境に接したタイの町で、あらかじめ話をつけておいた花嫁候補者が来るのを待った。花嫁候補者はパスポートが下りなかったため、ビルマ側の国境の町まで来て、そこでボーダーパスと言われる通行証を手に入れた。これがあればタイ側へ出てこられる。日本からの男と、ビルマから国境を越えて来たフィアンセはタイの町でとるものをとりあえずイスラム寺院を訪れ、知り合いのイスラム教徒たちに見守られながら、正式に結婚した。式のあと、花嫁はあわただしくビルマへ帰り、男は日本へ戻った。最初のケースの花嫁も、タイの町で結婚した花嫁も、ビルマでパスポートを取得したうえで、花婿の待つ日本へ来ることになっている。

こうした時間と労力を費やした結婚に比べれば、花の東京の銀座で、同胞にも、日本人にも祝福されて、手に手を取って結婚できるなんて、夢のようではないか。銀座での披露宴が盛り上がっているのも、そうした苦労の末に結婚をしたカップルたちがたくさん出席していて、彼らが自分のことのように喜んでいるからでもあろう。若いカップルに幸せあれ。そして、先に紹介したイスラムの男二人の花嫁たちも、なんとか早く来日を果たし、日本で幸せな家庭を実現させてほしいと心から願っている。