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田辺寿夫(シュエバ)

変化の兆し~アウンサンスーチー誕生日の集いに参加して~
2007年7月12日配信 

主のいない誕生日

2007年6月17日、南大塚ホールでビルマ民主化運動の指導者、1991年ノーベル平和賞受賞者アウンサンスーチーの誕生日を祝う集いが開かれた。1945年6月19日生まれのアウンサンスーチーは今年で62歳になる。実際の誕生日より2日早いが、彼女が書記長をつとめる国民民主連盟(NLD)を支持する海外組織・国民民主連盟・解放地域(NLD-LA)日本支部は日本で働くビルマ人たちが集まりやすい日曜日にこの集会を主催した。

アウンサンスーチーの誕生日がめぐって来るたびに日本ではお祝いの集会が開かれる。上座部仏教の教えが浸透しているビルマでは、誕生日には当人がこれまで育ててくれた両親やまわりの人たち、それに社会に感謝を捧げるのが普通である。僧院へ赴いたり、僧侶を家に招いて捧げ物をするのが普通である。仏教徒であり、自宅軟禁中は仏教書を読みふけったというアウンサンスーチーもそうしたいであろう。しかし、アウンサンスーチーは政治指導者として登場した1988年民主化闘争以降、ほとんどの誕生日を自宅軟禁の状態で迎えざるを得なかった。この18年間のうち11年は軟禁状態に置かれていた。

日本に住むビルマ人たち、とくに彼女を指導者と仰ぎ母国民主化の運動を展開している人たちは、敬愛する指導者のかわりに誕生日にふさわしい催しを行なっている。もちろん日本での行事はたんに彼女の誕生日を祝うだけではなく、彼女の指導の下に平和な民主主義国家を建設するという決意をあらたにする機会ともなる。今年も大塚での集会の前に静岡県御殿場市の平和公園にある富士仏舎利塔(ビルマ人はウー・ヌ・パゴダと呼ぶ。ウー・ヌは独立ビルマの初代首相)までビルマの僧侶を招き、スンカッ・フルーダンブエ(僧侶に食物やお布施を捧げる行事)を行ない、僧侶から法話をきき、アウンサンスーチーと政治囚の解放をともに祈ったという。また誕生日当日の19日には港区三河台公園におよそ200人のビルマ人が集い、アウンサンスーチーと政治囚の解放を求める集会とミャンマー大使館に向けてのデモ行進を行なった。また一部のビルマ人グループは誕生日当日生きた魚を神田川に放流する放生会(ほうじょうえ)を行なってアウンサンスーチーさんの健康を祈った。参加した若者たちは魚を放ったあと秋葉原の病院へ行って献血をしたとのことである。

同時代の人として

アウンサンスーチーとは面識がある。彼女がまだ政治の舞台に登場する前、1985年から1986年にかけて京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として日本に滞在していた時期に何回か会う機会があった。ビルマ語番組のために日本での生活について話してもらった。京都の街をタメイン(女性の巻きスカート)姿のまま自転車に乗って走り回っているといたずらっぽく話してくれた。彼女の仕事を手伝ったこともある。父アウンサン将軍がビルマ独立をめざして日本へ密航してきた三十人の仲間(三十人志士)とともに海南島で軍事訓練を受けた時、教官として教えた旧日本軍人とインタビューしたいともちかけられたのだ。まだ存命だった旧南機関(日本陸軍の諜報機関)の軍人たちに連絡をとってアレンジし、インタビューには通訳としてつきあった。

こういう仕事にはぼく自身興味があった。彼女が生まれる3ヶ月前の1945年3月、アウンサン将軍率いるビルマ国軍はビルマを支配していた日本軍に対して反乱に立ち上がった。その時ぼくの父は上等兵としてビルマ戦線で苦戦を重ねていた。ぼくは2年早い1943年生まれだがアウンサンスーチーにはほぼ同時代人としての親しみを感じた。その彼女が政治指導者になるとは思いもしなかったが。

ともかくたいへんに頭の鋭い人だった。立ち居振る舞いや物言いは際立ってきっぱりしていた。しかし決してわがままではなく他人へのおもいやりもある人という印象を受けた。日本からの電話インタビューの通訳をつとめたこともある。土井たか子社民党党首(当時)が2002年に自宅軟禁から解放された直後のアウンサンスーチーと電話会談をしたことがあった。社民党本部から電話をかける土井党首の隣でぼくは通訳にあたった。こんなやりとりをはっきり覚えている。

「スーチーさん、外国へ出られるようになればぜひ日本へ来てください。政治にたずさわるアジアの女性同士ゆっくりお話をしましょう」

「外国へ行けるようになったら私はまずノルウェーに行くつもりです」

「どうしてノルウェーなんですか?」

「私たちのビルマ民主化運動をいちばん助けてくれている国はノルウェーですから」

普通なら同じアジアの女性政治家として先輩である土井党首に敬意を表して、いちおう、来日したいですねぐらいは言うところだろう。

彼女はしかし、まず訪問するのは日本ではなくノルウェーだとはっきりと意思表示した。原則を揺るがせにしない信念の人である。それは決して土井党首への不満や批判ではないが、ビルマ民主化の運動を日本が腕を拱いて傍観していることを彼女なりに指摘した言葉であるとぼくは受け取った。

政治囚の解放を求めて

アウンサンスーチーの誕生日を祝う集いは18時30分に始まった。300人ぐらい入れる会場はほぼ満員である。色鮮やかな民族衣装を着た女性の姿が目立つ。彼女たちはプログラムの最後の方でステージに上り、ハッピーバースディの歌を歌ったり、ケーキカットの手伝いをした。

舞台にはアウンサンスーチーの大きな写真が飾られている。その舞台にアウンサンスーチーの身辺警護をつとめた経験を持つ2人の若者(といってもすでに40歳代前半である)が身近に接したアンティ(英語auntie=おばさん。学生たちはアウンサンスーチーをこう呼んだ)の人となりを話した。軍がいかに脅迫しても決して屈しない勇気、常に国民のことを念頭に置く姿勢、たとえNLDのメンバーであっても曲がったことを許さない潔癖さ……いかにもアウンサンスーチーらしい逸話が敬愛の念をこめて語られた。

そのあとビデオの上映があった。今年の5月27日にヤンゴン市内の集会を撮影したものである。おそらく素人が撮ったのだろう、画像は暗く、不安定だった。それでも映像は迫力があり、会場からは何回も拍手が起きた。5月27日は、1990年のこの日、30年ぶりに実施された複数政党制による総選挙でアウンサンスーチー率いるNLDが総議席485のうち392を獲得して地すべり的な大勝利をおさめた記念日でもある。国家防御法にもとづくアウンサンスーチーの自宅軟禁の期限が切れる日でもあった。しかしその直前の5月25日、軍事政権は自宅軟禁の期限をさらに1年延長する決定をおこなった。

27日、ヤンゴンではアウンサンスーチーや政治囚の解放を祈る集会が予定されていた。会場はビルマのシンボルともいえるシュエダゴン・パゴダである。この日数百人の人たちがまとまってシュエダゴン・パゴダに向かって行進を始めた。軍と警察がそれを止めた。人々は抗議したが制止はとけなかった。その時、若いリーダーが人々に呼びかけた。

「パゴダに行かさないというならNLD本部に戻ろうぜ。そこで祈ればいいじゃないか」

ビデオで紹介されたのはそのNLD本部での集会の模様である。群衆に話しかけている人物は見覚えがあった。隣の席のビルマ人にたしかめた。ミンコウナイン=Min Ko Naing(本名ポーウートゥン。1962年10月生まれ)である。この日、本部前に集まろうと呼びかけた人物は彼だった。1988年民主化闘争の輝ける学生指導者として今なお人々の記憶にくっきりと残っている人物でもある。全ビルマ学生連盟(ABFSU)の委員長であった。ミン(王。88年当時の独裁者ネウィンを指す)コウ(~に)ナイン(勝つ。やっつける)を名乗って多くの国民の期待を担い活躍した。

1989年3月から2004年11月までおよそ15年間獄中にいた。アムネスティーのいう良心の囚人の一人である。釈放されてからの動きは注目されていた。2006年9月、ミンコウナインを含む同世代の旧学生運動指導者5人が再度逮捕された。国連のビルマ問題決議案が話題になっている時期、憲法草案を策定する国民会議は再開されようとする時期でもあったからいわば予備拘束である。このとき彼ら5人と獄中あるいは自宅軟禁中の政治囚の釈放を求める嘆願署名運動がビルマではじまった。厳しい政府の監視の目をかいくぐって3週間ほどのあいだにビルマ全国から50万人をこす国民の署名が集まった。「解放を願う人びとは白いシャツを着よう!」とか「白シャツを着てパゴダへ集まり解放を祈ろう!」などとよびかけたことからこの行動はホワイト・キャンペーンと呼ばれた。

運動の主体は「88世代学生グループ」と名乗った。拘束された5人は2007年1月に解放された。ビデオの中では、その学生グループのリーダー・ミンコウナインが群集の前に姿をあらわし、熱くよびかけていた。

「みんなで力を合わせて民主主義の国を、人権が保障された社会を実現しよう。そうしてこそ国際社会の一員として胸が張れる。そうじゃないか?」

「そうだ! そうだ!」

群集は拳を振り上げて唱和する。国際社会の一員うんぬんという呼びかけを聴いてぼくは日本国憲法前文にある「国際社会において名誉ある地位を……」という一節を思い出した。誇り高いビルマ人らしさのあらわれた呼びかけだった。

集まった人のほとんどはアウンサンスーチーの顔が描かれ「Free! Aung San Suu Kyi」とのスローガンの入ったTシャツを着ていた。正直驚いた。ビルマ国内でそんなシャツを着ていれば逮捕・投獄の危険があるだろうに。NLD本部敷地内だからだろうか? それとも覚悟を決めて着ているのだろうか? 同時に思った。軍事政権の抑圧にもかかわらずアウンサンスーチーを指導者と仰ぐビルマの国民は自分たちの希望を実現するためにたしかに動き始めているのだと。