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田辺寿夫(シュエバ)

雨降って、地は固まるか?
2007年3月1日配信 

ああ言えばこう言う

毎日、職場で顔を合わせるビルマ人女性がいる。ビルマ向けのビルマ語ラジオ番組を制作する放送局の現場である。彼女との会話は実に楽しい。こちらの話し掛ける言葉に的確に応えてくれる。はじめの応答に使われる言葉はそう多くない。ほとんど決まり文句といってもいい言葉づかいである。ごくごく当たり前の表現でありビルマ語を学び始めた人でもわかる。例えばある月曜日の会話、ぼくはこんなふうに語りかけ,彼女はこんなふうに応える。

「日曜日に、ビルマの人たちの会合が三つもあったんだ。どれにも顔を出したからくたびれたよ」

「レーザーバーデー」

「レーザーバーデー」を直訳すると「尊敬します」になる。休みの日なのに、ビルマにかかわる仕事に精を出されてたいへんでしたね、ごくろうさま、外国人なのにそんなに努力されているのを見てビルマ人の一人として大いに尊敬しますという意味合いである。尊敬してくれるというのだからこっちとしては悪い気はしない。それどころか図に乗って自慢したくもなる。

「その集まりでさ、例によってビルマ語でスピーチしたんだ。なかなかウケていたよ」

「ゴウンユーバーデー」

「ゴウンユーバーデー」は「誇りにおもいます」、「名誉なことです」という意味である。これは自分の知り合いである日本人がビルマ語でビルマ人に語りかけた、なかなか出来ないことである、そんな日本人はめったにいない、あなたのような友人がいることを誇りにおもいますという気持ちであろう。ここまで言われるとほめ過ぎだし、明らかにお世辞である。一方で励まされたおもいがするのも事実である。ありがたいことである。気を良くして会話に弾みがつくというものである。もちろん返ってくるのはほめ言葉だけではない。時にはつらい出来事を話題にすることもある。

「裁判で負けてしまったビルマ人に会ったら、さすがにがっくりしていたよ」

「タナーバーデー」

「タナーバーデー」は「気の毒なことね」とでも翻訳できようか。ここでいう裁判とは「難民として認めない処分の取消し」あるいは「退去強制処分の取消し」を求める訴訟である。裁判に負けると母国へ送還されることになる。しょっちゅう話している話題なので、そうした事情は話し相手のビルマ人女性もわかっている。たいして悪いことはしていないのに、不運な目にあってかわいそうにという彼女の同胞への気持ちがよくあらわれている。

こうした決まり文句はいずれも短いものである。しかし、タイミングよく、間髪をいれず出てくるから会話に勢いがつく。簡単なフレーズではあってもこのビルマ人女性のいかにも素直な、思いやりにあふれた気持ちがよくあらわれている。この人は会話の名人といえよう。もっともっとと話をしたくなる。職場の同僚のあいだでもこのフレーズはけっこうはやっている。

ニュースの翻訳者がいたとしよう。ふつう英文のニュース原稿をビルマ語に翻訳し、それをスタジオで詠む。そうした翻訳・アナウンスの仕事にあたるのは在日のビルマ人たちである。本職ではない。「今日はむずかしいニュースを上手に翻訳したよね。レーザーバーデー」。「今日のアナウンスは本職なみだったよ。ゴウンユーバーデー」。「直前に新しいニュースが飛び込んで来て差し替えたから翻訳一本無駄になったよね。タナーバーデー」といった具合に使う。今ではすっかりなじんだその三種類のビルマ語決まり文句を思わず使いたくなる出来事が起こった。

ボイコットだ!

2007年2月24日土曜日、池袋のエコトシマ(豊島区生活産業館)で開かれたビルマ市民フォーラム(PFB)例会での出来事である。例会では根本敬(PFB運営委員・東京外国語大学教授)さんが「ロヒンギャー問題」の歴史的背景:「仏教国」ビルマの中のイスラム教徒たち」というテーマで講演をすることになっていた。迫害を受けているロヒンギャー民族について、ビルマの民主化・人権にかかわる問題のひとつとして理解を深めようとの主旨である。

始まる前に会場はいっぱいになった。100人はいただろうか。立ち見の人までいる。大盛況である。ロヒンギャーの人たちのコミュニティがある群馬県館林市から車でやって来た人が目立って多い。驚いたことにBRAJ(Burmese Rohingya Association-Japan=在日ビルマ・ロヒンギャ人協会)のメンバーのほかに、昨年やはり館林でBRAJから袂を分かって別組織JARO(Arakan Rohingya Organization in Japan)を立ち上げた人たちもいた。

ロヒンギャー民族以外のビルマ人のなかではアラカン(ラカイン、ヤカイン)民族の人たちの姿が多かった。ALD(Arakan League for Democracy/Exile=在外アラカン民主連盟)のメンバーのほかに、そのALDが加盟しているAUN(Association of United Nationalities=在日ビルマ少数民族協会)の人たちもいた。さらにはNLD-LA(国民民主連盟・解放地域)日本支部の幹部も何人か姿を見せていた。

いつものPFB例会は和気あいあいとしている。この日は雰囲気が異なっていた。開会を前にざわめきのなかに緊張感が漂う。根本さんは、はじめに今日の話をどのように進めるか、それから講演のテーマについて自分の意のあるところを説明した。隣りに座ったぼくは根本さんの言葉をビルマ語に通訳した。それが終わらないうちに何人かが席を立つ。うながされるようにアラカン民族の人たち、AUNそれにNLD-LAの人たちがいっせいに席を立った。「トゥエッチャーゾ(出て行こうぜ)」。たがいにそう言いあっている。席を立った人たちは列をなして会議室の後ろにある出入り口をめざす。出口に近づいたところでアラカンの青年がこぶしを振り上げて叫んだ。

「PFBハー・ミャンマ・ディモクラスィーゴウ・パーウィンサウンユエッテー・アプエアスィー・マホゥッブー」。

声をあげた青年H君を(年齢は40歳に近いがシュエバからすると青年である)よく知っている。ほんの2週間前、2月12日に開かれた第61回連邦記念日の式典ではAUN書記長でもあるH君は司会を担当した。ぼくは通訳として手伝った。彼にとってははじめての大役なのだろう、張り切っていた。きちんと仕切ろうと精一杯努力していた。気配りもしていた。独立闘争、民主化闘争の犠牲者たちに黙祷をささげる場面でH君はわざわざ「それぞれの宗教のスタイルでお祈りしてください」と付け加えていたように。彼の意気込みはぼくにも伝わってきた。いつも以上に気を入れて通訳をした。式典は粛々と進行した。彼は見事にやりとげた。終わったとき、ぼくは「よかったよ」と声をかけてH君の奮闘を称えた。その彼が今日はまた何を血迷っているのかとビルマ語の叫びはききながした。しかし会場の前の方に座っていた日本人の方から日本語に通訳してほしいと言われて、止むを得ず翻訳した。

「PFBはビルマの民主化運動をすすめる組織なんかじゃない!」

仏教徒アラカン人にとっては、同じアラカンに住むロヒンギャーにかかわる問題はとりあげることすらタブーなのであろう。それはわかるがなんという品のない、こどもっぽい反抗だろう。怒りの感情はほとんどなかったが呆れた。うんざりした。気が滅入った。

丁丁発止ははてしなく

いつものように帰りの電車のなかでビルマ市民フォーラムの例会で会った人たちの名前を思い出すかぎり手帳に書き付けた。日本人の知り合いは25人ほど。退席せずに会場に残ったビルマ人のなかで名前と顔が一致する人の数もやはり25人ぐらい。顔は知っていても名前を思い出せない人がかなりいていらいらする。それから退席したビルマ人たち。これはPFBを非難する声をあげたH君を含めほとんど知り合いである。はじまった途端にいなくなったから、一人ひとりしっかりと顔をたしかめたわけではない。見逃した人もいるだろう。12人の名前を書きつけた。この人は残った、この人は出て行ったと思い出しながら名前をメモっていてあらためて退席騒動の顛末をふりかえり、この先のことどもについてもあれこれとおもいが飛んだ。

例会前の一週間、毎日のようにメールが届いた。H君をはじめとするアラカン仏教徒のグループからのものが多かった。ALDの長老格でAUNの議長もつとめたことのあるZさんからのメールも読んだ。日本の大学で歴史を教えているアラカン仏教徒のA先生の意見も添えられていた。アラカン仏教徒の人たちの意見を要約すると、日本のNGOであるビルマ市民フォーラムがロヒンギャー問題などをとりあげるべきではない、さらにはロヒンギャーという民族はビルマには存在しない。バングラデシュから「不法に」移住してきたイスラム教徒がアラカンに住み、「ロヒンギャー」と称しているに過ぎないといったものである。飛び交ったメールは今にしておもえば退場事件の伏線であった。

A先生、Zさんも例会当日顔を見せていたがすぐに退場して行った。この二人とはロヒンギャー問題にかかわる思い出がある。A先生が教鞭をとっている大学で、別の先生に呼ばれて在日ビルマ人コミュニティについて講演をしたことがあった。日本で活動するビルマ人団体のことや高田馬場に集まるビルマ人たちの動きなどを話し、群馬県館林にはロヒンギャーの人たちのコミュニティがあると説明を加えた。聴きに来ていたA先生はすぐさま手をあげて「ロヒンギャーはビルマの原住民族(タインインダー)ではありません。念のため」と発言した。ぼくは苦笑いして「ご意見はうけたまわっておきます」とだけ答えた。姑息ではあったが、頼まれて話をしている身としては聴衆の前で口論はしたくなかった。

Zさんとは延々二時間にわたってロヒンギャーについて激論を交わしたことがある。誘われて高田馬場のルビーへ行き、ビールを飲みながら話をした。Zさんは温厚な人物だが、普段から在日ビルマ人弁護団の弁護士やぼくが必要以上にロヒンギャーに肩入れしていると見なしていたようだ。弁護士たちに直接話をするのはむずかしいがシュエバなら説得できると思ったのかも知れない。この時はぼくも引かなかった。ロヒンギャーもビルマ人だ、ビルマを追われて日本へ逃げて来ているのを助けるのは当たり前じゃないかとがんばった。Zさんは彼らを援助するのは反対はしないが、ロヒンギャーはビルマ人(正確にはビルマのタインインダー=原住民族)ではないことを日本人は理解すべきだというのである。もちろん結論は出なかった。ぼくはかなりビールを飲み、声を荒げることもあった。あとでルビーの店の人にほとんど喧嘩だったと言われた。

H君にはPFB例会の10日前、2月14日に会っている。2月4日に開かれた「シャン民族の日」の集まりに協力してくれてありがとうということで、SND(Shan National for Democracy。AUNの傘下組織のひとつ)議長のNさんに呼ばれた時である。高田馬場に開店したばかりの「マイソンカー(Mai Soong Kha=シャン語でありがとうの意味)」で昼飯をご馳走するという。AUNの幹部が何人か同席した。H君も来た。Nさんも例会当日退席したひとりだからロヒンギャー問題についてシュエバを説き伏せようと意図した招待だったのかも知れない。その時点で例会のスケジュールはすでに決まっていた。だからぼくはあまり話しに乗らなかった。ただ会話の流れから彼らが譲れない一線は「ロヒンギャーはビルマ国民ではあってもタインインダー(原住民族)ではない」にあるのではと感じた。といってもそれがどういう意味を持つのか日本人としてはきわめてわかりにくい。わかりにくいけれども、ビルマ人に取り囲まれていて、彼らのあいだで「喧嘩さわぎ」などなるべく起こしてほしくないと願っているシュエバとしては、ロヒンギャー問題についての落としどころはこのへんかなとそのときは思った。

レーザーバーデー/ゴウンユーバーデー/タナーバーデー

一部のビルマ人たちがPFB例会の会場から出て行ったあと、根本さんは淡々と話をつづけた。歴史的事実をふまえ、欧米の研究者たちの発表を紹介しながらのみごとな解説だった。レベルの高い話であるにもかかわらずとてもききやすかった。日本人の参加者には十分な基本的インフォメーションを提供してくれた。ビルマ人だって感服していた。決して一方の肩を持つような発表ではなかった。押し付けなど微塵もなかった。おまけに根本さんは退場してしまったA先生についても、その研究業績や経歴を紹介し、研究者として尊敬しているとまでつけくわえた。通訳をしたぼくから根本さんの話をきいて贈る言葉は「レーザーバーデー(尊敬の念をおぼえます)」である。

そしてPFB事務局。ぼく個人にまで事前に働きかけがあったのだから事務局には「やるな、やるな」、「ああしろ、こうしろ」といった圧力がいろいろあっただろう。渡辺事務局長やスタッフはたいへんだったに違いない。そのまま決行すれば例会で不測の事態が起こりかねないとの危惧もあったかも知れない。しかしPFBの態度は揺るがなかった。きちんとやりとげた。ルビコン河を渡った。立派の一言。拍手をおくる。「ゴウンユーバーデー(誇らしくおもいます)」という使い慣れた言葉を添えて。

もうひとつの決まり文句「タナーバーデー(気の毒に思います)」は、激してわれを忘れたのかPFBを罵ってしまったH君にささげたい。決して嫌味ではない。H君のこれから先のことを心配してである。H君はまれにみるいい男である。竹を割ったようなという表現がぴったりする若者である。日本で同郷のアラカン人女性と結婚した。披露宴でぼくは司会・通訳を手伝った。その披露宴で出会った日本人の音楽プロデューサー兼作家岡田豊さんが書いた本を最近読んだ。『すべてのことの始まりはその男のスケベ心から始まった』(三一書房。2001)という奇妙な題名の本である。ここには日本人主人公の親友としてミャンマー人H君が実名(日本人がきいたままの音をカタカナ表記しているのですぐにはわからないが)で登場する。行動力があり、思いやりもあるオーバーステイの好漢として描かれている。

H君は当時渋谷の和食屋Tで働いていた。Tはいわゆるチェーン店で渋谷には二軒あった。そのうち職場に近い方の店へはよく立ち寄った。H君がいた店とは別である。しかしこちらの店でも在日アラカン人協会(Arakan Social Association-Japan)に所属するH君の友人が働いていた。彼もまたH君同様きびきびと動くいい男だった。この店では忘れがたい出来事があった。職場の人たちがたまたまこの店で定年退職をするぼくの送別会を開いてくれた。ぼくは事前にH君に電話をかけ送別会の話をした。よろしく頼むよと仁義を切った。送別会の当日、まんなかのテーブルには舟盛りというのだろうか、生きのいい刺身が山と盛られてあった。幹事にきくとそんなたいそうなものは注文していないという。キツネにつままれたような気分である。そこへ店の板長(日本人)があらわれた。正座してぼくに向かって深々と頭をさげ口上を述べた。

「本日はご定年おめでとうございます。いつも店のビルマ人従業員のことを気に掛けていただいてありがとうございます。今日は店の感謝の気持ちを込めて特別のお料理をご用意致しました。どうぞお召し上がりください……」

H君が店の支配人に話を通した結果である。ぼくは職場の上司や同僚たちの前で面目をほどこした。H君やほかのアラカン人店員たちの気持ちが胸にしみた。宴の始めから感極まってしまったぼくがその日、前後不覚に酔っ払ってしまったのはいうまでもない。

H君、ひとまわり大きくなってくれ!

H君はおそらく勢いでPFBを罵倒してしまったのだろう。ぼくはそう思っている。「あつ、やってしまった」と反省しているかも知れない。ぞろぞろと退場してしまった人のなかにも、「まずいことやっちゃったな」とふりかえっている人もいるだろう。PFBに後足で砂をかけたことは消せないがPFBやぼくとの関係を断とうとするつもりはないだろう。3月4日のビルマ弁護団説明会では、H君とも近いアラカン人Mさんと会った。彼は人ごみのなかでぼくに近づき、在外アラカン女性連盟作成のカレンダーをプレゼントしてくれた。そして連れていた5、6歳ぐらいの息子を「こんなに大きくなったんですよ」と自慢そうに紹介して言った。

「ター(息子。坊や)、ウー・シュエバに挨拶しなさい」

「おじさん、こんにちは」

「かっこいい服だね。これなんていうの?」

「ハリレンジャー!」

Mさんは満足そうに自分の息子とぼくとのやりとりを見守っていた。3月6日、やはりPFB例会の席から退場したうちの一人NLD-LAのTさんから電話があった。いつもの早口である。

「メールとどいた? おやじの誕生日の集まりのペイサー(招待状)さ」

「ああ、もらったよ。次の日曜日、エコトシマだったよね」

「そう、ウー・シュエバ、来てくれよ。めし、あるからね。日本人は少ないから、来て、なんかしゃべってよ」

「わかった。なるべく行けるようにするよ」

ぼくとビルマの人たちとの日常的なつきあいはPFB例会ボイコット・抗議事件などなかったかのようにふたたび始まっている。何事もなかったように装ってはいても、退席をした人たちが心のなかで煩悶ぐらいはしてくれているだろうと思いたい。その煩悶から次の一歩を踏み出してほしい。

H君とぼくは今後も共同作業をこなさなければならない。難民不認定取消し訴訟を提起しているH君の本人尋問は2月にあった。通訳はぼくである。まもなくH君の奥さんの本人尋問がある。これもぼくが通訳をすることになる。おたがいそっぽを向いていてはいい結果は出ない。ぼくの方にはなんのわだかまりもない。いつでも声をかけてくれ。

H君はいま原住諸民族8つのグループをまとめるAUNの書記長である。責任は重い。PFB例会でのボイコットはAUNのよびかけがあったのだろうが、見たところチン、カチンやカレン民族の人たちの姿はなかった。AUNのなかに意見の不統一があるのだろうか。団結が弱まれば、それは彼らがめざす民主主義、真の連邦制国家、人権尊重の社会の実現にとってマイナス要因になる。H君がんばれよ。みんなから信頼される書記長になれよ。

ロヒンギャー民族と同じアラカンに住み、時に利害の対立するアラカン人仏教徒のロヒンギャー観がほかの人から言われてすぐに変遷するようなものでないことはよくわかる。でも少なくとも歴代の軍人政権によって植え付けられたロヒンギャー観については疑いをもってもらいたい。すぐに変えろというのではない。時間をかけて問い直して行ってほしい。

H君、君は母国の人権・民主化と真の連邦制国家建設のために日夜たたかっている。敵は軍事政権である。ビルマ人もほかの諸民族の人たちも同じ立場である。そしてロヒンギャーの人たちも同じ目的を持ち、同じ敵とたたかっている。それをいつも心の中においてほしい。たたかいのなかから君のロヒンギャー観が「脱皮」をとげるならば友人としてこれほどうれしいことはない。