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田辺寿夫(シュエバ)

詩や文学はエネルギーの源~ビルマ文芸講演会に参加して~
2005年12月5日配信 モウタウチェー誌

生活の中の文学

2005年11月27日、シュエバは都内池袋にある豊島区民センターで開催された第四回ビルマ文芸講演会に出席した。雨季が明け、過ごしやすい乾季を迎えたビルマでは、この時期(ビルマ暦ではナットー月)にサーソードーネ(文学者の日)があり、全国各地で作家・詩人たちを招いての講演会が行なわれる。もともとは僧侶たちが高僧の前で暗記した仏典を読み上げる試験(サーピャンブエ)がナットー月に行なわれることから、文学者の講話会もこの時期に催されるようになったという。東京でも「文学者の日」に因んだ催しが2001年から開催されるようになった。こうしたビルマ文芸講演会には、軍事政権の弾圧を逃れて外国に住み、自由な文筆活動を通じて民主化運動に貢献をしている在外のビルマ人作家が次々にやって来るようになり、今では水祭り(4月)や雨安居明けのダディンジュッ祭り(10月)とともに日本のビルマ人社会の恒例行事の一つになっている。

文芸講演会を主催するのは高田馬場のマンションに書棚を置いてビルマ語の本を並べ、貸し出しもする図書館を運営するビルマ人たちのグループ「モウタウチェー」(旧名アハーラ)である。図書館活動は政治活動ではない。しかし、言論・出版の自由がなく、厳しい検閲制度のある軍事政権下のビルマにおいては、こうした活動も政治運動の色彩を帯びてくる。彼らは軍事政権によって発禁とされた本の類も入手して置いている。民主化を訴える詩や評論が満載された機関誌も発行している。当然、軍事政権からは敵視される。実際、「モウタウチェー」のメンバーは例外なく民主化活動家でもある。(旧アハーラの活動や2002年の文芸講演会については拙著『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』角川書店 2003参照。なおビルマ人による、ビルマ人のための図書館は名古屋や韓国ソウルにもある)

日本で不法滞在、不法就労の身で、入管や警察の摘発におびえているビルマ人たちである。それにもかかわらず自前の図書館を作ってしまうほどにビルマ人たちは文学好き、読書好きである。活字に飢えている。自分でも書く人が多い。日本風に言えば同人誌めいた雑誌の類はビルマ人社会には溢れている。ごく最近のこと、シュエバは東京・品川や茨城県牛久にある入国管理局の施設(Detension Centre)に収容されているビルマ人たちが出した、その名も『トゥエティッ(新しい血)』という雑誌を見て驚いたことがある。「塀の中」のビルマ人たちが連絡をとりあい、民主化運動にかかわるような短編小説、評論、詩、漫画などをそれぞれに書き、そうした原稿を面会に来た友人に渡す。友人たちが「塀の外」で編集・印刷し、出来上がったものをまわりのビルマ人たちに無料頒布する。もちろんまた面会に行って「塀の中」の執筆者たちにも渡すという具合である。収容されたおかげでもモノを書く時間が出来てありがたいと「喜ぶ」豪傑すらいるくらいである。収容を奇貨として今後の活動のための「新しい血」をたくわえ、注ぎ込んでいるのだといわんばかりであった。

なかでも詩を好む人が多い。幼い頃から韻文に親しんでいる彼ら、彼女らにとって、詩はむずかしいものではない。ほとんど自己表現のひとつの手段のようにさえなっている。文芸講演会を開くにあたっても詩人が呼ばれることが多い。今回招かれたのはアメリカに住むマウン・スアンイー(1937年生まれ)とオーストラリアからのマウン・スィンチェー(1934年生まれ)である。ビルマ中部ミンジャン出身のマウン・スアンイーは詩人であり、かつては教科書の編纂にもかかわったビルマ語学者でもあり、書誌学者でもある。もう一人のマウン・スィンチェーはイラワジ・デルタ地帯ワーケマ出身のカレン人。やはり詩人であり、民俗学者であり、民主化運動家でもある。二人ともビルマ人なら誰でも知っている文化人であり、いうまでもなく一貫して軍事政権に反対しつづけてきた。

二人は日本にもファンが多い。東京の文芸講演会にふさわしい人たちである。しかし、主催者たちは、二人ではもの足りないと言って、シュエバまで講演者に加えてしまった。たしかにシュエバはビルマ人のあいだで広く知られている。ビルマ語で一時間ぐらいしゃべるのはなんでもないが、問題は市井のおじさんに過ぎないシュエバが高名な文学者二人に伍して内容のある話をできるかどうかである。

詩人であり、活動家であり

講演会にはビルマ人たちが100人以上集まった。始まる前から文学者たちを取り囲んで旧交を温めたり、故郷の話に熱中している。日本でモノを書いている若者が大先生たちにうやうやしく自著を贈呈している。笑顔が溢れ、声も弾んでいる。11月も終わりの頃、日本はけっこう寒い。着ているものは違うが、こうした交歓風景を見ていて、ビルマの「文学者の日」がそのまま東京へ移ってきたようにシュエバは感じた。

マウン・スィンチェーがはじめに登壇した。カレン人社会の知識人であるマウン・スィンチェーに敬意を表してか、聴衆の中には色鮮やかな民族衣装を身につけたカレン人男女の姿もあった。マウン・スィンチェーは文学者ではあるが、日頃から民主化運動にも挺身している人である。ビルマでは投獄された経験もある。1990年の総選挙には軍事政権に反対するウー・ヌ元首相の政党に属して立候補した。今住んでいるメルボルンから東京に着いてすぐビルマ大使館前に駆けつけ、在日ビルマ人たちとともに軍事独裁政権打倒を叫んできたとのこと。元気である。とても70歳を越えているとは見えない。

「明日にでも駐日ビルマ大使がクビになればワシのせいだよ」

ここで聴衆はどっと来た。彼は聴衆を惹きつけるツボを心得ている。講演時間は一人一時間ほどだが、15分ずつくらいで話を切っては最前列に座ったシュエバの方に顎をしゃくって言う。「シュエバ先生。通訳もしてくれるよな」。会場には「むすびめの会」という図書館関係者たちが集まるサークルのメンバーをはじめ10人ほどの日本人が来ていた。ビルマ語を日本語に通訳するのはシュエバのいつもの役目である。となるとシュエバは気を張って話を聴かなければならない。次に講演するのはシュエバの番だというのに。シュエバはおもわずつぶやいた。「ドォカーバーベー(災難だぜ)」。

わからない単語、聴き取りにくい言葉もある。マウン・スィンチェーの話のなかに「サンシェー首相」という単語が出てきた。ビルマ人聴衆は手を叩いて笑っている。シュエバは慌てた。なんなんだ? こっそり隣りのビルマ人にきいたがわからないと首を振る。そこへ後ろからビルマ語が飛んできた。「ほら、あの髪の毛の長い……」。それでわかった。サンは「頭髪」、シェ―は「長い」である。シュエバは始めからわかっていたかのようにおもむろに翻訳した。

「名前は覚えていないが、ホラ、あの長髪の日本の首相に言いたい。ビルマの民主化に向けて、軍事政権にもっと厳しくあたってくれ、圧力をかけてくれと……」

政治の世界と文学の世界に垣根はない

いくつか冗談をまじえた話をマクラに振って、聴衆の関心をひきつけてからマウン・スィンチェーは本題に入った。反英独立闘争、反日闘争、民主化闘争の伝統を持つビルマでは政治と文学の間に垣根はないというのが主題である。まずタキン・コウドーマイン(本名ウー・ルイン)について熱っぽく語った。ビルマがイギリス領インドに併合される1885年より以前に生まれ、イギリス時代、日本時代、独立ビルマの時代までを生き抜いた長命の詩人である。ジャーナリストであり、教育者でもあった。1930年代若者たちが独立をめざしてタキン党(タキンは「主人」の意。ビルマの主人はイギリス人ではなくビルマ人であるとの主張がこもっている。ドバマ・アスィアヨン「われらビルマ人協会」の別名)を結成したときに、はるかに年長である詩人はその主旨に賛同して仲間に加わった。それから彼はタキン・コード―マインを名乗り、反英独立闘争のシンボル的存在となった。詩や評論を通じて常に大衆を鼓舞しつづけた。

マウン・スィンチェーは時にタキン・コードマインの詩を引用しながら話をつづける。詩を翻訳するのは難しい。シュエバはお手上げ状態だったが、聴衆は聞き惚れている。タキン・コード―マインにつづいて、テインペーミン(作家であり、反日抵抗運動の指導者。独立後も左翼勢力のリーダー)、ウー・ヌ(独立ビルマの初代首相。敬虔な仏教徒であり文人でもあった)などの名前が次々にあがる。マウン・スィンチェーは、文学者が政治にかかわり、政治家が文筆に親しむ、それがビルマではあたりまえだと強調した。ほんものの政治家、ほんものの文学者は国のため、国民のために力を尽くすのが当然なのだからと説いた。

詩を引用されると完璧な日本語に移しかえる能力はシュエバにはない。それを謝っておいて、そのかわりにシュエバは図書館関係者が多い日本人の聴衆に「書誌情報」をサービスした。例えば話のなかでマウン・スィンチェーがあげたテインペーミンの有名な小説は日本語にも翻訳されていると付け加えた。(南田みどり訳『東より日出ずるが如く 上・中・下』井村文化事業社 1989)。また、ウー・ヌが日本占領時代の経験をまとめた『ガーフニッヤーティー・バマーピィー(ビルマの五年間)』は『Burma under the Japanese: 1941 -1945 』として英訳されていること。この英訳から一部日本語に抄訳され、昭和三十年前後に月刊誌「中央公論」に掲載された記憶があるので、検索してみてほしいと伝えた。

最後にマウン・スィンチェーは、今年60歳を迎えたアウンサンスーチーの誕生日(6月19日)に寄せて詩人ティンモウが発表した詩を朗誦した。軍事政権に追われてアメリカに住むティンモウは現代ビルマを代表する詩人である。東京での文芸講演会では二回講演しているから、在日ビルマ人にもおなじみの存在である。毅然としたアウンサンスーチーの資質・姿勢をたたえ、彼女より年長の自分もまた、自分のできる分野で、すなわち国民大衆に親しまれ、愛され、ある意味では国民を鼓舞する詩を書くことで、アウンサンスーチーとともに歩んで行きたいとする詩は聴衆の大拍手で迎えられた。

付記:そのあとに通訳の任を解かれたシュエバが登壇し、「日本文学にあらわれたビルマ」という題で話をつないだ。最後に(ビルマ語でもプエテイン=トリというらしい)マウン・スアンイーが「若者たちよ、しっかり学んで、国のために働け」という意味の話をした。それらは後日報告することにしたい。

追記:「むすびめの会」の方がさっそく「中央公論」のバックナンバーを検索してくださった。ウー・ヌの著作の日本語訳掲載の号数が判明した。もちはもちやである。ありがとうございました。以下に紹介する。ご報告のなかで述べられておられる『Burma under the Japanese: 1941-1945』の日本語訳のことですが、調べてみましたところ、『中央公論』への掲載は以下の通りです。ビルマ首相ウー・ヌー『日本占領下のビルマ』(第1章~第2章:昭和30年4月号(第70年第4号、第799号)、第3章~第4章:昭和30年5月号(第70年第5号、第800号)、第5章~第8章:昭和30年6月号(第70年第6号、第801号)