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田辺寿夫(シュエバ)

チェンマイの光と影 ビルマ・メディア会議に出席して(1)
2005年11月12日配信 

山の中で語り合う

シュエバがタイ国チェンマイ(Chiang Mai)を訪れたのは1年ぶりのことだった。11月7日と8日に開かれた第三回Burma Media Conferenceに出席するためである。この会議はBMA=Burma Media Associationが主催したもので、在外のビルマ人ジャーナリスト、評論家、作家・詩人、それにジャーナリストになるべく学んでいる若者たちなどあわせておよそ100人が参加した。この人たちは例外なく母国民主化の運動で活躍し、軍事政権による迫害を逃れて国外へ脱出、現在も活動をつづけている。なかでもタイ国で活動する人たちが一番多かった。しかも、そのうちの多くがいまだにタイ国における在留資格も就労資格も持っていない。ちなみに難民条約を批准していないタイ国には、日本のような難民認定制度はない。未批准国では本来国連難民高等弁務官事務所が保護すべき人に手を差し伸べるはずなのだが、タイのUNHCR事務所はタイ政府に遠慮して、なにもしてくれないという。

彼ら、彼女らは日本風にいえば不法滞在・不法就労外国人である。いつ捕まるかわからない。捕まると軍事政権下のビルマへ送還される。そこではまた迫害が待っている。生命の保証もない。だから、あまりひと目につかないようにと、チェンマイの市街から車で一時間もかかる山の中のリゾートホテルで会議は開かれた。2日間カンズメ状態だった。しかしそのおかげでセッション以外にも食事、飲み会、カラオケと楽しみながら交流する時間が十分あり、シュエバも学生時代に合宿のような雰囲気楽しむことができたのだった。

どこにでもいるビルマ人ジャーナリスト

BMAの主なメンバーと今回の会議の企画・運営にあたった人たちはほぼ重なっている。ほとんどが短波ラジオのビルマ語放送を持つ各国の放送局のプロデュサーであり、記者である。英国BBCからは8人、米VOAからは3人が参加していた。このほかにRFA=Radio Free Asiaから9人、DVB=Democratic Voice of Burmaからも9人が参加していた。RFAはワシントンに本部があり、アメリカ政府からの資金で「自由と民主主義・人権」のためのラジオ短波放送を行なっている。各地に支局あるいは特派員を置いており、今回の会議にはアメリカのほかに、ノルウェーやタイのバンコクとメソート(Maesot),それにインドのニューデリーに駐在するビルマ人記者たちが出席していた。DVBはノルウェー政府の理解を得て、オスロからビルマ語短波放送とTV番組を放送している。またビルマ語だけではなく、少数民族語による放送も行なっている。チェンマイの会議にはタイに住んで、シャン、カレン、カレンニ、カヤンなどの民族語の放送に携わる人たちも顔をそろえていた。

こうした放送関係者のほかに、雑誌・新聞・インターネットを通じて活動する人たちもいた。代表的なものとしては、バンコクで発行されているビルマ語紙キッピャイン(Khit Pyaing)、同じくタイで発行され、インターネットでも読めるビルマ語・英語誌イラワディ(Irrawaddy)、インド・ニューデリーで発行され、やはり英語・ビルマ語併用でインターネットにも搭載しているミジマ(Mizzima)などがある。こうしたメディアの代表者たちも会議の中で積極的に発言をしていた。

シュエバが見たところ、彼ら、彼女らは技術と専門知識、センスとジャーナリスト魂、それに母国民主化への情熱をあわせ持っている。世界の各地に散らばって活躍しているこの人たちが母国で戻れるようになれば、ビルマのメディアはあっというまに素晴らしく充実するだろうに。それがビルマ以外の土地でしか仕事ができないとは、なんとも皮肉な状況だなあとシュエバは慨嘆したくなった。

英語はちょっと……

2日間の会議では一日に4つのセッションが行なわれた。午前中の2つはパネラーの発言も質疑応答も英語である。ビルマをカバーしている外国人記者やNGOで働く外国人がおもにパネラーをつとめたが、それに伍して英語でプレゼテーションをこなすビルマ人もいた。ディスカッションに参加するビルマ人もいた。しかし聴衆の多くは、だまりこんでいた。英語はちょっとなあという雰囲気である。ビルマ語で行なわれた午後の2つのセッションになると、みんなは俄然元気になり、積極的な発言が飛び交った。

外国人であるシュエバも実は英語のセッションのひとつでパネラーをつとめることになっていた。しかし、英語でしゃべるのはとてもじゃないができないと実行委員会のメンバーに頼み込んで、ビルマ語のセッションに移してもらった。シュエバは報道の自由について自分の経験したことの一端を話した。

……日本のように報道の自由が保障され、それが当たり前とされている国であっても、ジャーナリズムに携わる個人と組織が、不断の努力を怠れば、権力を有する側(政府や政党。経済界)から圧力を受け、心ならずも節を枉げるような事態に立ち至ることがある。ビルマのジャーナリストたちはもっと厳しい状況のもとでがんばっている。めぐまれている日本人ジャーナリストはもっと見習わなければならない。

また日本でビルマに関連するニュースが大きく取り上げられることはきわめて少ないが、ビルマの問題に関心を寄せるジャーナリストはいる。在日のビルマ人たちは、個人としても、組織としても、日本社会や日本人への真摯なアピールを続けていれば、メディアに取り上げられる機会だってあるはずである……。

シュエバの話はうけたようだった。なにしろ日本人がビルマ語でしゃべる、それも、会場にもいるビルマの少数民族の人たちからすると、オレたちよりうまいじゃないかという程度である。また日本のビルマ人社会で場数を踏んでいるシュエバのことだから、ちゃんとビルマ風に冗談も挟む。会場はシーンとし、それでいて、時々爆笑が起こる、なかなかのプレゼンテーションであったとシュエバは自分をほめることにした。

メディアの世界で働きたい

セッションが終わってコーヒー・ブレイクとなった。シュエバの周りに人垣ができた。とくに若い男女が4、5人が日本のこと、メディアのことを熱心にききたがった。シュエバの方から逆に質問をむけると、メディアの仕事につくべく学んでいる若者たちだという。しかし、彼ら、彼女らはビルマ軍に追われて国境を越えてきた少数民族の人たちであり、タイでの在留資格はない。だから、タイのどこに住んでいるのか、誰から、どんな講習を受けているのか、おおやけにはできないのだという。たとえば色白の、高校生ぐらいにしか見えない、まったく化粧っけのない女性が「日本のメディアがビルマのことをあまり取り上げないなんて残念です」と話し掛けてきた。年齢は23歳、軍事政権の弾圧や強制連行の恐怖から故郷を逃れてきたモン族の一員だと自己紹介をしてくれた。今は国境のスリーパゴダ・パスを超えてタイ国側のサンクラブリ(Sang Khla Buri)のモン民族コミュニティーで幼い子供たちにモン語を教えるなど教育の面倒を見ているとのこと。またモン民族のコミュニティ誌をつくるような仕事もしている。メディアに関心があるし、将来もメディアで活躍したい、だから「講習」を受けているのだと話してくれた。

うらやましいほど目が輝いていた。熱心なのは彼女一人ではない。「講習」仲間のカレンニ(カヤー)の少女、カレンの少年たちも、自分の民族のために働きたい、そのためにも知識や技術を身につけてメディアの世界に入りたい、少年少女のそんな思いはシュエバにしっかりと伝わった。

テクノクラートと地を這う者と

目を輝かせる少年たちがジャーナリストの卵だとすれば、闊達に英語を操る人たちはテクノクラートでも言おうか。

行った先の国の放送局で経験をつみ、今やデスクや部長をつとめている。ジャーナリストとしての条件はシュエバなどよりはるかに備わっている。彼らはメディアを通して母国民主化運動の一翼を担っていることに違いはないが、すでにそれぞれの国で難民として認定され、国籍も持っている。ビルマへは帰れないとしても生活に不安はない。いうまでもなく本人の努力のせいでもある。

しかし、これからメディアの世界をめざそうとする少年少女はともかく、タイの少数民族コミュニティで懸命に働いているビルマ人や国境地帯で今もビルマ国軍と対峙している学生グループや、その周辺にいる人たちとの違いはなんと大きいのだろうとシュエバは感じた。

メソートに駐在しBBCビルマ語番組にニュースを送っているS君はかつてタイとビルマの最南端の国境のタイ側の町ラノーン(Ranong)で働いていた。ビルマから国境を越えてきた不法入国者だから在留資格はない。タイ当局に摘発されビルマに送還され、投獄された。5年の刑期をおえて、彼はまたタイ国へと脱出した。今度はラノーンには住めないからとメソートに住み、ニュースを送っている。顔には刑務所で痛めつけられた傷が残っている。同じようにメソートからDBV特派員をつとめているH君も6年間インセイン刑務所で過ごし、2~3ヶ月前に釈放されたばかりだという。二人とも別に粋がるでもなく、悲壮感もなく、淡々と民主化運動歴と逮捕・投獄歴をシュエバに話してくれた。S君にせよ、H君にせよ、不法滞在者である。つねに捕まる危険がある。それにどうしてもメディアで働きたいわけでもない。おそらくまわりの人たちが少しでも生活の足しにと、放送局の仕事をまわしてくれたのであろう。

メディアは民主化運動の展開のなかで大きな役割を果たすだろう。民主化運動の進展とビルマ人によるビルマ・メディアの充実切り離せないものである。テクノクラートにも比すべき先輩たちは民主化への志を失わず、まわりにも目配りをしてほしい。そして、民衆のなかにあって地を這うような生活を続けている活動者たちとの絆をより強いものとし、そこからメディアの世界をめざそうとする若者たちの成長にも手を貸してやってほしいとシュエバは思った。