トップページ >  コラム:田辺寿夫(シュエバ) >  そのほか >  帰る人、帰れない人

田辺寿夫(シュエバ)

帰る人、帰れない人
2005年5月14日配信 

Mさん:二度と日本へは来ません

2005年5月10日(火)、いずれも在日ビルマ人が被告人である二つの裁判の法廷通訳をつとめた。まず午前10時から東京地方裁判所412号法廷で公判が開かれた。被告は40代前半のビルマ(ミャンマー)国籍の女性Mさんで、起訴された理由(公訴事実)は出入国管理及び難民認定法違反である。法廷通訳の依頼は裁判所から来る。受けたならば公判の前に弁護人(国選)と一緒に、被告人が留置されている警察署に行き、接見することになる。そこで事情を訊いたり、裁判の流れや予想される結果などを説明する。しかし、Mさんについては接見に同行しなかった。弁護人の話では、Mさんは日常会話程度の日本語をこなせるので、接見での通訳は必要なかったとのこと。したがってMさんとは法廷ではじめて顔を合わせたことになる。すらっとした痩せ型の明らかにインド系の風貌の女性だった。

認められた滞在期限を過ぎて日本に住んでいる外国人は自ら法務省入国管理局に出頭して、自分が不法在留者であることを申告すれば、多くの場合収容されることはなく、そのまま本国送還の手続きがとられる。警官の職務質問などで、不法在留であることが明らかになったケースでも、いったん警察署に留置されたのち、身柄は入国管理局の収容施設に移され、さほど時をおかずに本国送還(退去強制)となる。しかし、Mさんは起訴され、裁判にかかることになった。

それはMさんが単に滞在期限を超過していただけではなく、他人名義の旅券を持って日本へ入国し(不法入国)し、そのまま不法在留者として居つづけたからである。起訴状に因れば、Mさんは2001年10月に他人名義のパスポートを使って日本へ入国した。その後、都内の中華料理店で働いていたという。その中華料理店が閉店したため、Mさんは今年中には帰国しようと考えていた。ところが今年の2月に都内の商店街を歩いていて警官からの職務質問を受けた。そして不法在留が明らかとなって逮捕され、武蔵野警察署に留置された。

ここまではよくある話なのだが、検察官の冒頭陳述や証拠についての説明を通訳していて驚いた。Mさんは実は1993年にも日本に入国しているというのだ。この時は自分名義のパスポートで来日し、査証(ビザ)は短期滞在(普通は90日。就労はできない)であったにもかかわらず、2000年まで日本に滞在し、働いた。しかし、逮捕されることはなく、自ら入国管理局に出頭して帰国した。この場合、不法在留のペナルティーとして5年間は来日できないことになっている。だからこそMさんは今回他人名義のパスポートでやってきたのだ。ブローカーを通してそのパスポートを入手するのに日本円にして80万円ほどを支払った。この支払いのために借金をしたがそれはもう返却しているとのこと。

何故それほどまでしてMさんは日本をめざしたのだろうか? 誰しもが大学へ進学できるような状況ではないビルマにおいて、Mさんは最高学府であるヤンゴン大学で化学を専攻した理学士である。薬剤師の資格も持っている。法廷で、情状酌量を求める目的で行なわれる弁護人の質問にこたえて、Mさんは「父が早く亡くなったため、母と妹2人の生活を支えるために」日本へ来て働きたかったと説明した。さらにこれまでに母国にどれくらいの金額を送金したかとの質問には、およそ400万円にのぼると答えた。

法廷でこうしたやりとりを通訳をしていて心配になった。たいていの場合、出入国管理及び難民認定法違反で起訴されても、判決には執行猶予がつく。執行猶予がついても、滞在資格のない外国人は自由の身になるのではなく、入国管理局の収容施設に拘束されるのだが、少なくとも刑務所に行くことはない。けれどもMさんは明らかに「稼動目的(金を稼ぐために)」で日本へ入国している。しかも二回目の来日であり、不法入国者でもある。日本の当局が一番嫌う「悪質」なケースである。こうした事例が増えることを防ぐため、見せしめとしてMさんへの判決には執行猶予がつかない可能性もあるのではと気になったのである。

弁護人はMさんが家族のためにと働いていたこと、母国へ帰れば、薬剤師の資格も持っているから、働いて生活を支えることは可能であり、もう二度と日本へ来ることはないことなどを裁判所が斟酌して執行猶予つきの判決を下すよう求めた。公判の最後に裁判長がMさんになにか言うことはありませんかとたずねた。Mさんは日本語でこう話した。

「私は母に送金したい一念で日本で働きました。そのために日本の法律を破ってしまいました。深く反省しています。後悔しています。今は体の具合がよくありません。ビルマへ戻ればまず健康を取り戻してから仕事を見つけて一生懸命働きます。二度と日本へ来ることはありません。お約束します」

判決は懲役2年6月・執行猶予5年というものだった。判決言い渡しのあと、Mさん自身は執行猶予(この制度はビルマにはない)の意味がわからず、通訳であるぼくに小声で「私はどこへ行くの?」ときいてきた。「入国管理局に移ってから、ビルマへ帰る手続きをすることになるよ。元気でね」と答えるとMさんは少しほっとしたような表情で、警官と入国管理局職員に付き添われて法廷から姿を消した。

Bさん:私は帰れない

Mさんと同じ武蔵野警察署に留置されていた、やはりビルマ国籍の女性Bさんへの判決言い渡しも、5月10日の午後1時10分から東京地裁401号法廷であった。Bさんにとっては3回目の公判である。まだ30歳になったばかりのBさんとは、これまで2回の公判や、武蔵野警察署での接見の際に何度も顔を合わせている。2月のはじめから3ヶ月におよぶ留置場生活がこたえているのか、彼女はやつれた表情で法廷にあらわれた。BさんもMさんと同じように不法在留であり、不法入国である。Mさんはおよそ40分、たった一回の公判で判決まで終わった。おなじように出入国管理及び難民認定法違反に問われているのに、Bさんがなぜ3回もの公判を経なければならなかったのか?

Bさんは弁護人を通じて自分が難民に該当すると主張し、刑の免除を強く訴えたからである。ここで言う難民とは、国際的な「難民の地位に関する条約」およびその議定書によって定義されたいわゆる条約難民をさす。すなわち、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害をうけるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者」であって国籍国へ帰ることを望まない人である。こうした人については、難民条約批准国である日本政府は難民として認定し、滞在資格を与えることを含めて保護する義務がある。

Bさんのこれまでの経歴と行動はこの難民条約の定義とどのようにかかわるのだろうか? まず「人種」。Bさんは少数民族のひとつチン民族の女性である。おもに、ビルマ連邦西北部、インドと国境を接する山岳地帯のチン州に住むチン民族は、軍人の支配する歴代のビルマ政府のもとで、強制移住や強制労働などさまざまな迫害を受けてきた。またチン民族の大多数はキリスト教徒(多くはバプティスト。カトリックもいる)である。これもまた仏教徒の優勢なビルマでは差別や嫌がらせをうける。軍によって教会が破壊され、代わりに仏教寺院が建設されたり、十字架が倒されたりすることはしばしばある。これは定義のなかの「宗教」にかかわる部分である。

さらに「特定の社会的集団の構成員」、「政治的意見」に該当する事実もある。Bさんのお父さんはチン州北部の町の有力者で、アウンサンスーチーの率いる政党・国民民主連盟(NLD)の幹部である。現在も常にその動向は当局の監視の下に置かれ、許可なしに自宅のある町から外へ出ることは許されない。自宅軟禁に近い状況である。1996年にはBさん自身も当局から追われることになった出来事があった。チン民族の反政府組織であるCNF(Chin National Front)の学生たちを自宅にかくまったのである。その学生の一人が後に逮捕され、かくまったBさんも反政府活動に加担したとして、当局につけねらわれた。

逮捕の危険を察知したBさんは陸路山道をたどり(車と徒歩で4日間かかったという)インドへ逃れた。インドでは、ミゾラム州のアイゾールという町で、CNFのメンバーとなり、国外でビルマ民主化と諸民族平等の連邦国家を実現する活動に参加した。インドではBさんは不法入国者であり、不法滞在者であった。インド政府はビルマから逃れてくる人たちをいわば黙認していたが、2000年のはじめにビルマの最高権力機関SPDC(国家平和発展評議会)副議長マウンエイ大将がインドを訪問し、両国間の関係改善がなされてからはビルマ人不法滞在者を厳しく取り締まるようになった。摘発され本国へ送還される危険が出てきた。そこでBさんは活動仲間を通じてインドの旅券を入手し、2000年後半に来日した。

日本ではBさんは軍事政権のやり方を非難し、チン民族の権利拡大、民主的な連邦国家樹立をめざすCNC(チン民族協会。Chin National Community)やAUN(在日ビルマ少数民族協議会。Association of United Nationalities)に加わった。CNCでは執行委員の一人として活躍した。大使館前の軍事政権に対する抗議行動や集会などにも積極的に参加した。こうした行動はすでに在日ビルマ大使館によって把握されており、自分がいま帰国すれば必ずや逮捕され、反国家的な活動を行なったとして長期刑を言い渡されるとBさんは主張する。これは「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」という難民条約の定義をみたすものであるとBさんと弁護人は主張した。

判決では、裁判長は「難民であるから刑を免除すべきである」とのBさんの主張を退けた。Bさんが難民に該当するのであれば、来日後「遅滞なく」入国管理局に難民認定を申請すべきであるのに、そうしていないと指摘した。たしかにBさんが難民認定を申請したのは、逮捕された後である。来日以来4年以上が経過している。Bさんへの判決は懲役2年6月・執行猶予4年というものだった。判決主文を読み上げたあと、裁判長は次のように補足した。

「あなたを難民として認定するかどうかは裁判所が決めることではありません。行政(法務省)が決めることになります。あなたの身柄はこの判決のあと入国管理局に移されます。そこで難民認定についての作業も行なわれることになります」

Bさんは東京・品川にある入国管理局の収容施設に身柄を移される。入国管理局はBさんについて60日以内に処遇を決めることになる。在留許可を与えるか、あるいは退去強制か、さもなくば仮放免を認めるかという三つのケースが考えられる。こうした措置はあくまでBさんの不法在留にかかわるもので、その一方で、法務省入国管理局難民認定室はBさんの難民認定申請についてインタビューをするなどして、認定するかどうかの結論を出すことになる。