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田辺寿夫(シュエバ)

天から降ったか、地から湧いたか~ビルマ人難民認定申請希望者の渦のなかで~
2003年10月23日配信 

不安と焦燥

10月11日土曜日の昼過ぎに都内のある法律事務所に出向いた。在日ビルマ人難民弁護団の事務局長をつとめるW弁護士の事務所である。W弁護士から、「2003年5月30日事件(ディペイン流血事件)以後ビルマ人の難民認定申請希望者が急増して、てんてこまいの状況になっている。個別に応対しているとたいへんだから、申請希望者に集まってもらって、申請の主旨や申請書の書き方などまとめて説明したい、通訳に来てくれないか」と依頼されていた。

説明会は午後一時から。ビルマ人の会合は予定時間に始まらないことが多いのだが、この日はそうではなかった。定刻には会議室が一杯になった。置いてあるテーブルを外へ持ち出し、替わりにパイプ椅子を入れても入りきれない人がいた。廊下に立ったまま話をきくことになった人も少なくなかった。

総勢60人は越えていた。男性が多いが女性の姿も結構見られる。夫婦らしい二人連れもいる。年齢はほぼ20代から40代にかけての人が多い。緊張した顔が並んでいる。これまでビルマの人たちの政治集会やデモなどでは見かけなかった人たちが多い。この一見普通の人たちまで難民認定を申請しようとしているのだろうか? いったいどうなっているのかなどと考えてしまう。

顔なじみの人たちもいた。ビルマ民主化同盟(LDB)や国民民主連盟・解放地域(NLD・LA)日本支部のメンバーたちである。こちらは既に難民認定を受けているか、在留特別許可を認められている人がほとんどである。先輩として、これから難民認定を申請したいという人たちにアドバイスをするために来ているとのこと。

NLD・LA日本支部の議長Tさんは、真新しい写真入りのメンバー・カード(党員証)を集まった人たちのうちの該当者に配っている。そうか、民主化組織に入って活動を始めた人もこの中にはいるのか。それにしても、今、何故、こんなにたくさんのビルマ人たちが、一斉に難民認定を申請しようとするのか。会議室にすし詰めになった人たち、立ったままの人たちの熱気のなかで、もうひとつ釈然としなかった。

迫害を受ける恐れ

W弁護士はホワイト・ボードを使いながら、難民の定義から説明を始めた。「難民認定とは国際的な条約にもとづいた制度です。人種・宗教・国籍、属する社会的集団、政治的意見の故に本国に帰れば迫害を受けるという十分に根拠のある恐怖を有する人を難民として認定し、これを保護する制度です」。「ですから、みなさんがビルマへ帰れば、どういう理由で、どんな風に迫害を受ける恐れがあるのかを、申請書やそれに添えるステートメント(陳述書)にきちんと書く必要があります……」

みんな真剣にメモをとりながら聴いている。すでに申請フォームを手にしている人もいる。弁護士はさらに、ビルマの一般的な政治状況をくどくどと説明するより、自ら経験した事実をしっかり書くように、デモに参加した、尋問された、拘束されたといったことがあれば新聞記事でいう「5W1H」をしっかり書いてほしいと話をつづけた。

日本入国の経緯、滞在期限超過(オーバーステイ)になった理由、パスポート・査証(ビザ)入手のためにブローカーに金を払ったりした場合はそのことも書くようにとの説明あたりから質問が出始めた。

「俺のパスポートは他人名義だけどいいんだろうか?」

「オレはショーパス(船員の臨時上陸許可証)だけで入国したけど、かまわないのですか?」……・

実にさまざまな入国の経緯がある。それぞれに、苦労しながら日本への入国をはたしているのだ。日本でも居酒屋や飲食店の厨房で働きながら、可能な方法で母国へ送金し、留守家族の生活を支えているのだろう。彼らが真面目に働いているのはわかる。それにしても、現実に彼らに迫害は迫まっているのだろうか?

W弁護士は説明のなかで、集まったすべての人の申請を引き受けるわけではない、申請書や陳述書を読んだうえで、十分に難民に該当すると弁護士の側で判断した人についてのみ代理人として申請をバックアップすると付け加えていた。

帰るに帰れぬビルマ人

ビルマ人に限らず在日外国人不法滞在者への取り締まりはとみに厳しくなっている。説明会で顔を合わせたビルマ民主化同盟議長のKさんはこのところ連日のように、捕まった人たちの友人・知人に頼まれて都内の各警察署の留置場や入管の収容センターを巡っているという。ビルマ人の多くはオーバーステイの身であるので、友人が留置されている警察や入管には行きにくいから、すでに難民認定を受け、滞在資格を持っているKさんが頼まれるのである。

Kさんによると、2003年に入ってから9月初旬までにすでに170人ぐらいのビルマ人がオーバーステイで捕まったとのこと。ビルマ人の居住が多い都内大塚や高田馬場でも大規模な手入れがあった。ビルマ人たちは戦々恐々のていである。駅のホームや周辺でいつもきかれたビルマ語の会話もこのごろ影をひそめているという。

説明会より後のことになるが、10月17日には法務省・東京都・警視庁がむこう5年で25万人の不法残留者を半減するために取締りを強化するとの「共同宣言」を出した。滞在期限超過になっている外国人にとって情勢は一段と厳しさを増している。

それに、オーバーステイの外国人はタイミングを見計らって入管に出頭すれば、普通はそのまま帰国できるが、ビルマ人の場合はなかなか難しい。帰国(強制退去)にあたっては有効なパスポート(ビルマの場合はパスポートの有効期限は普通3年なので、期限切れの人がたくさんいる)、またはそれに代わる証明の類が必要である。

在日ビルマ人から月額1万円の税金を徴収している在日ビルマ大使館は、税金を支払っていないビルマ人のパスポート期限延伸やなんらかの証明を出すことに簡単には応じてくれない。軍事政権を嫌って払わない人、面倒ではらわない人が大勢いる。そうなると折角出頭して帰国しようとしたビルマ人であっても、帰国できない事態となる。摘発され、2~3ヶ月間留置されたあと、出入国管理及び難民認定法違反で裁判にかかり、執行猶予付きの判決が出れば、本来ならそのまま帰国となるのが、ビルマ人の場合は、在日大使館との税金の問題が片付かなければ、入管の収容所暮らしが続くことになる。

溜まっていた税金を全額払えずに、それでも帰国した後に払うとの約束で大使館からなんとか身分証明をしてもらって帰国したビルマ人もいた。ところが、空港でいきなり捕まり、逮捕・投獄されたとケースもあるというニュースが伝わってきている。ますますヤバイ。

そんなこんなでビルマ人にとっては、帰ろうとしても帰るのが容易でない。かといって、オーバーステイのままではいつ摘発されるかわかったものではない。なんとか日本に残れる手立てを考えたい、そのひとつの選択肢が難民認定申請となるとも考えられる。

民主化の夢は遠のいて

ビルマの人たちは概して楽天的である。母国で反政府的な言動があったために目をつけられ、これはヤバイと日本へやって来て、働きながら民主化運動をしていても、近い将来、軍事政権の支配は終焉して民主主義国になった母国へ帰国できるだろうと考えていた人が多い。だから難民認定申請のような面倒なことなどしなくていいやという気風があった。決定が出るまで時間がかかるし、必ずしも認められるわけではない。門は狭い。加えて、若く、イキのいい活動家のなかには、「日本政府に保護を求めるなんて男らしくない」と「粋がって」がんばる人も少なくなかった。それが今年の5月30日を境に変わった。

5月30日の事件では、国民民主連盟(NLD)の一行を、政府の御用団体であるUSDAのメンバーが待ち伏せして襲撃し、60人を越える死者を出した。アウンサンスーチー書記長、ティンウー副議長ら多くの党幹部・活動家たちは拘束され、NLDは政治活動が出来ない状況に追い込まれた。国際社会は軍事政権を激しく非難し、民主化への努力を行なうよう圧力をかけているが、軍事政権はいっこうに応じようとしていない。

8月25日には国家平和発展評議会(SPDC=最高権力機関)第一書記キンニュン大将が首相に任命された。SPDCの将軍たちのなかでは比較的柔軟な考えを持ち、「開明派」であるとされるキンニュン首相は民主化に向かうロードマップ(行程表)なるものを発表した。10月7,8日に開かれたアセアン+3首脳会談では、このロードマップがある程度評価され、ビルマ情勢についてはしばらく静観しようとのムードになった。軍事政権は5月30日事件以来の厳しい批判をとりあえずかわしたことになる。

しかし、このロードマップなるものをビルマ人たちはまったく信用していない。ビルマ人からすれば、そもそもその第一項目にある「国民会議の再開」がまず噴飯ものである。国民会議(アミョウダー・ニイラーカン)は、1990年総選挙におけるNLDの圧勝をうけて、NLDに政権を渡したくない軍事政権が「新政権を樹立するためには新しい憲法が必要だから、その骨格について広く国民の意見をきく」との名目で作った組織である。1993年から始まった国民会議の討議からは新憲法には「議員の25%は軍推薦議員とする」、「軍は国にいったん事あらばすべての権力を掌握する」といった軍優先の草案内容が伝わってきた。NLDは国民会議が内容も手順も非民主的であるとして、1995年末以来出席を拒んでいる。その国民会議をまた開催して新憲法草案を審議するといっても、ビルマの国民にとっては何の新味もない古証文に過ぎない。

5月30日事件とその後の展開は、海外に住むビルマ人たちにとってはショックだった。民主化に向かうだろう、向かってくれという希望を木っ端微塵に打ち砕いた。彼らは、「軍事政権は本気でNLDを潰そうとしている。対話をする気はない。どこまでも軍人支配を続けるつもりなのは明らかだ」と受けとめた。民主主義の国になったら帰ろうという多くの在外ビルマ人の望みははかなく消えた。こんな状況では帰るわけには行かない、帰れないとなれば日本に居られるようになんらかの工夫をしなければならない。そして一つの選択肢として難民認定申請が浮上する。

大使館前へ行こうぜ

5月30日事件の直後からビルマ人たちは品川区北品川四丁目にあるミャンマー連邦大使館の前でほぼ毎日抗議行動を行なうようになった。周辺が静かな住宅地であることもあって、時間は短い。午後3時から5時までの2時間。しかも「アウンサンスーチーを解放せよ!」とか「民主化闘争は勝利するぞ!」などと叫び声をあげるのは最後の10分間だけである。

抗議デモの隊列に新顔の参加が目立って増えている。今度ばかりは軍事政権の暴挙を許せないという気持ちから、これまで日本での政治活動に参加していなかったビルマ人もいる。何回も参加するために仕事を休むことが重なり、クビになってしまった人もいる。それでも頑張るんだというビルマ人がたくさいる。毎日決まった時間に集まっているから参加しやすいこともある。

民主化に向けて、日本から声をあげるのだという積極的な参加者のほかに、もう一つの参加動機があるようだ。古手の活動家たちからはすでに耳にしていたことだが、難民認定申請のための「証拠づくり」のために抗議デモに参加する人もいるのではと、11日の説明会に出ていてあらためて思った。

難民条約の難民の定義に該当するのは、11日に集まった人たちの場合、ほとんどが「政治的意見」のゆえに母国政府から迫害を受けるおそれがあるからとの理由で申請することになる。となると、その政治的意見にもとずいて政治活動をしている、あるいはしてきたことを申し出る必要がある。ちょうどいい、大使館前の抗議デモに顔を出し、友人に写真を撮ってもらえばいい、大使館側もビデオに撮っているはずだから、軍事政権にも知られ、本国に残した留守家族のもとにMI(軍情報部)が取調べにやって来たりすれば、それは「迫害を受ける恐れ」を証明する要件になりうる。同時に、この抗議デモを主催しているLDBやNLD.LA日本支部に加入しておけば、難民の定義にある政府から敵視される「社会的集団」のメンバーという主張につながる……。

このように難民認定をすることが先にあって、そのために「有利になる」行動をしようとするのは、本末転倒の感、無きにしも非ずである。しかし、こんな思考経路から難民認定申請をしてみようと思いついたビルマ人がかなりいるように思える。

ズルイんじゃないの!

大使館前の抗議デモに、これまで日本での民主化活動にほとんど参加していなかったいわば「新顔」のビルマ人が増えていることは事実である。先輩のビルマ人活動家たちはどう見ているのだろうか?

「5月30日事件の報道から、軍事政権のやり方はあまりにひどい、許せないと感じて、その怒りから運動に参加しようと思った人たちがたくさんいるんだ。彼らは運動をすれば母国へ帰れなくなることを覚悟で参加してきている。日本での仕事がクビになってもかまうものかという人もいるよ」

一方でこんな声もきかれる。

「うーん。オーバーステイの取締まりが厳しいからね。ラワカ(入国管理局のビルマ語略称)に捕まるんじゃないかとビクビクしてるよ。国へ帰ろうとしても大使館に払う税金のことがネックになってなかなか帰れない。うまく帰ったとしても、ロクな仕事があるわけじゃない。軍事政権に苛められるのは目に見えている。となると、なんとか日本に住みつづけたい。日本に居られるために難民認定を申請しよう、申請のために抗議デモにも参加しよう、そういうビルマ人がかなり居るよ」

「難民鎖国」と言われるほどに日本政府の難民認定はハードルが高い。欧米各国では年間四桁、五桁の認定者がいるというのに、日本では年間せいぜい20人ほどが認められるに過ぎない。そのなかで、ビルマ国籍者の認定者はきわだって多い。これは、誰の目にも明らかな軍事政権と民主化勢力の対立という母国の情勢があることと、早くから難民認定に取り組んできた在日ビルマ人難民弁護団の努力に負うところが大きい。

それでもこれまでに難民認定を受けたビルマ人はおよそ50人、在留特別許可を受けたビルマ人は90人程度である。弁護団によれば現在申請中のビルマ国籍者はおよそ280人にのぼるとのこと。数字だけではよみとれない部分もある。第一次申請で不認定となり異議申立てを行なっている人たち、それも駄目で「難民不認定取消し」訴訟を提起している人たちがたくさんいる。その間、必ずしも身柄が自由であるわけではなく、入管の収容施設に拘束されている人もいる。また、そうした過程でいまだに「仮放免」という不安な身分のままというビルマ人も少なくない。

日本での難民認定申請は何年にもわたって心身の苦痛を伴なうものというのがこうした人たちの理解である。それがどうだ。今まで活動もしないで、国に帰りたくないからと、日本でもっと金を稼ぎたいからと、デモに何回が顔を出し、突然民主化団体にも加入し、ホイホイと難民認定を申請するなんて、それはちょっと身勝手でズルイんじゃないか……。苦労を重ねてきたきたビルマ人からのそんな声もきこえてくる。

諸悪の根源はわかっているが

ビルマ人難民認定申請希望者の急増の背景にはビルマ軍事政権の圧政・抑圧・弾圧があることは論をまたない。国内での政治活動歴があったり、日本で民主化運動に参加した人たちは、軍事政権下のビルマへ帰れば間違いなく捕まり、投獄される。政治色の薄い人であっても、在日中に税金をきちんと払っていなかったため、捕まって投獄されるというケースも出てきている。難民条約の定義を援用するならば、宗教や人種(民俗)のゆえに迫害を被るおそれのある少数民族の人たちも日本には大勢いる。イスラム教徒であるロヒンギャーやインド・パキスタン系の人たち、パンデーといわれる中国系のイスラム教徒、キリスト教徒が多いチン、カチン、カレンなどの人たちである。

また、直接の迫害ではなくても、ビルマに帰れば、強制移住や強制労働、言論・表現の自由、政治活動の自由など政府による人権抑圧は日常茶飯である。そうした「迫害」が予想されるからといって、それがただちに難民性に結びつくかどうかは議論のあるところだろうが、ともかく今は帰りたくないという多くのビルマ人の気持ちはそれなりに理解できる。

ではどうすればいいのか? 政治・経済・社会などあらゆる分野を支配し、民主的な諸権利を踏みにじり、人権を抑圧し、国民に災厄をもたらしている軍事政権を倒し、民主的な国家を建設すればよい。誰しもがそう思っている。そうすれば、在日ビルマ人たちを苦しめている大使館の税金徴収も無くなるはずである。しかし、5月30日事件とその後の展開に見られるように軍事政権の力を背景にした民主化勢力潰し、押さえ込みの現状からは、軍事政権を打倒する展望はなかなか開けない。無力感に襲われるビルマ人がいるのもやむをえない。

それでも希望がないわけではない。5月30日事件の被害者であるNLDのメンバーの何人かは外国へ逃れ、事件の真相を証言しつつある。その証言を収録したビデオは日本でも10月19日に名古屋で公開され、人々に衝撃を与えた。真相の糾明が進み、軍事政権のあからさまなNLD潰しの実態が世界の人々の目に明らかになれば、国際的な圧力はより強まるはずである。ビルマ国内にも勇気ある人々は少なくない。9月26日、手術をおえたアウンサンスーチーさんが退院するのを知って、多くの市民たちが危険をかえりみず、沿道に集まって彼女を迎え、励ました。不屈の闘志で獄中生活に耐えている人たちもいる。希望の灯は消えてはいない。

そして難民認定。少なくとも日本では、難民として認められるのは、理論・実践にすぐれ、政府から追われているような一級の活動家であるというイメージが頭の中にあった。しかし、今の時代、今のビルマのような体制の下では、迫害を受けるのは必ずしも著名な、顕著な理論家・活動家だけではない。庶民レベル、普通の人たちのなかにも該当するたちは大勢いるのではないか。

一方で、オーバーステイの外国人は日本の治安を乱している、とにかく捕まえて送り返せばそれでいいのだという入管行政があり、もう一方には、やたらと間口の狭い、難民の地位に関する条約の精神とはかけ離れた日本の難民認定行政がある。そのなかで身もだえ、手探りで突破口を開こうとするビルマ人たちの渦の中に身を置きながら、今そんなことを考えている。