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田辺寿夫(シュエバ)

ビルマ軍事政権の終わりの始まり
2003年9月6日配信 「アジア記者クラブ通信」134号(2003年9月6日発行)

キンニュン首相登場

2003年8月25日、ビルマ(ミャンマー)の最高権力機関SPDC(国家平和発展評議会。ビルマ語略称ナアパ)議長(元首)タンシュエ上級大将は、SPDC第一書記キンニュン大将を首相に任命したと発表した。キンニュンは最高権力機関の議長、副議長(マウンエイ副上級大将)に次ぐナンバー3の座を失った。SPDCのメンバーとして残るのかどうかは明らかにされていないが、左遷、あるいは追い落としであるとの見方が一般的である。

なお時事通信(8月26日ヤンゴン発)は、軍事政権当局筋の話として、タンシュエは、マウンエイをSPDC第一副議長に、キンニュンを第二副議長に指名したと報じている。事実ならば、キンニュンは少なくとも名目上はナンバー3の座を保つことになるが、現在の段階では確認されていない。

タンシュエの声明には「国家・現住諸民族およびすべての国民の利益のために、政府各省庁の活動をより効果的にし、より良い結果をもたらそうと」キンニュンを首相に任命したとある。文面からは、これまで無きにひとしかった首相職(タンシュエが兼任していた)にキンニュンをあてることで、やはりSPDCの陰に隠れて存在感の乏しかった政府各組織の機能の強化を図ろうとする意図が読み取れる。それは単なる口実であると読む人の方が多いが、タンシュエを筆頭にいわゆるタカ派の将軍たちが多い軍事政権幹部のなかでは、比較的穏健・開明的と見られてきたキンニュンに首相の肩書きをつけて国際舞台に送り出し、一段と強まってきている民主化・人権にかかわる国際的な非難をかわそうとしているのではとの観測も出ている。

外電は、やはり軍事政権当局筋の話として、10月7,8日にインドネシア・バリ島で開かれるアセアン首脳会談にはキンニュン首相が出席の予定と報じている。ともかく、キンニュン首相の誕生は、5月30日事件以後の国際社会からの非難の高まりへの、軍事政権のおそまきの対応であるといえる。

地方遊説でなにが起こったのか?

2003年5月30日夜、ビルマ北部ザガイン管区の小さな町ディペーイン附近の田舎道で、最大政党・国民民主連盟(NLD)の地方遊説隊が、USDA(連邦団結発展協会)メンバーを中心とする暴徒に襲われる事件があった。事件直後に軍事政権は死者は4名、NLDのアウンサンスーチー書記長、ティンウー副議長らを「身の安全のために」身柄を保護したと発表した。

すぐに軍事政権の発表は真っ赤な嘘であることが明らかになった。目撃者をはじめとする民主化勢力側の情報、在ビルマ・アメリカ大使館の調査結果などによれば、襲撃は計画され、USDAは動員されたものであり、死者の数は60人以上、負傷者多数、アウンサンスーチーやティンウーも負傷したというのである。軍事政権の方もアウンサンスーチーの拘束は「国家防禦法(戦前・戦中の日本の治安維持法にあたる)」を適用したものと発表した。軍事政権はアウンサンスーチーを恐れたのである。

拘束される直前の5月29日、北ビルマ・ザガイン管区モンユワ市でのアウンサンスーチーの演説を録音したDVDはいま日本にも届いている。例によって「民主主義とはなにか?」、「なぜビルマに民主主義が必要なのか」などと、誰にでも分かるようにやさしく説く語り口は生気にあふれている。話の切れ目、切れ目には聴衆の「そうだ。そのとおり!」といった気合の乗った合いの手が入っている。彼女の地方旅行におけるスナップ写真もインターネットに掲載されている。アウンサンスーチーの行くところ、民衆の渦である。北部ビルマの中心都市マンダレー訪問の際の映像を見ると、NLD支部の二階バルコニーから顔をのぞかせるアウンサンスーチーに、建物前の大通りの車道と歩道を埋め尽くす市民が手を振っている。画面を通して熱気が感じられる。車など通れたものではない。

2002年5月、軍事政権はアウンサンスーチーを19ヶ月におよんだ二度目の自宅軟禁から解放した。ここに至るまで、軍事政権と民主化勢力との仲介役をアナン国連事務総長のビルマ問題特使ラザリ・イスマイルがはたしたこともあって、世界は「対話」の進展を期待した。アウンサンスーチー自身、「双方の信頼醸成の段階は終わった」と表明した。しかし、その後の一年間、対話は行なわれず、その兆候すらなかった。この間、アウンサンスーチーは組織の再建をめざして何度も各地のNLD支部をまわる旅に出た。

地方を旅行するアウンサンスーチーを迎える人々の数、歓呼の声から、彼女の人気がいっこうに衰えていないことが明らかになった。軍事政権はこれに業を煮やしたのだろう。妨害を始めた。もともと制限つきの旅行なのだが、彼女の行く先々で人垣が出来て交通渋滞が起こる、許された場所以外で演説めいたことをしている、それらは「市民生活の安寧秩序」を妨げるものであるとの非難するようになった。

犀(さい)とオオトカゲが暴れた 

「国民はアウンサンスーチーの旅行のたびに迷惑をしている」、「NLDは許可された以外の活動をするな」などと叫んで実際の妨害活動にあたったのはUSDAである。USDAは軍事政権によれば「大衆団体」である。USDAがあげる声は「国民の声」であるとして、国営メディアで大々的に報道された。ディペーイン虐殺事件の主人公もこのUSDAがつとめた。軍事政権はUSDAメンバーたちが集団でNLDの遊説隊に襲いかかったのは、「一般の国民」がアウンサンスーチー、NLDに対して憤った結果であると国営メディアで宣伝につとめている。

一方、5月29日のモンユワ市での演説では、アウンサンスーチー自身、これまでに訪れた町で「USDAのデモそ仕掛けてきた」、「棒や刀を振り回して集会の邪魔をした」、「USDAの宣伝カーが喧嘩を吹っかけてきた」などと指摘している。

USDAは1993年9月に結成され、「連邦の崩壊を防ぐ」、「国民の精神的統合」、「主権の保持」を三大目標としている。これらは、軍事政権のスローガンそのままであり、「外国の力を借りて国家体制を転覆しようとしているNLD」とする軍事政権の主張そのままに行動してきた、あるいはさせられてきた団体である。1999年7月の段階でメンバーの数は1200万人とされる。

このUSDAを多くの人たちは新版「マサラ」と見なしている。マサラとは1988年に崩壊した軍人主導のビルマ式社会主義の時代に一党独裁体制を布いた「ビルマ社会主義計画党(BSPP)」の略称である。その時代は「マサラにあらずんば人にあらず」とされた。就職先を見つけるにも、職場でより良いポストを確保するにも、住宅や生活物資・薬などを手に入れるにも、子どもをいい学校へやるにも、つまりは人並みの生活を送ろうとするには、ともかくマサラに入党し、軍やお役所、地域の有力者らとの顔つなぎをしないことにはなにひとつ実現できなかった。

今、そのマサラがUSDAと名前を変えただけで、同じことが起こっていると人びとは感じている。USDAのメンバーになれば生活がしやすくなる。入らないと「あいつ反政府運動とかかわっているんじゃないか」と白い目で見られる。昔の日本で言えば「非国民」あつかいである。

USDAはそのビルマ語名の一部をとって「ピィカインピョウ」あるは「チャンプン」と呼ばれたが、最近は、とくにディーペイン虐殺事件後は、人びとは「チャンプッ」と吐き棄てるように言う。チャンは犀(さい)、プッはオオトカゲである。ビルマでは犀(チャン)は体はデカいがアタマが悪い、脳みそはほんの少ししかないとされる。オオトカゲ(プッ)の方は見るからにおぞましい容姿であるばかりか、時には昼寝をしている赤ちゃんを襲ったりもする。疫病神あるいは貧乏神と嫌われている。そのチャンプッは衆をたのんでNLDを公然と攻撃した。明らかに軍事政権の意図に沿ったNLD潰しであり、軍事政権には民主化勢力と対話を進める意思などまったくないことが明らかになった。

インガレイ・アケッ/バマー・アチェッ

ビルマ軍事政権の今回の暴挙については国際社会はいち早く反応した。これまでより厳しい制裁を決めたアメリカや西欧諸国は、アウンサンスーチーらの即時解放、NLDの政治活動の保証、虐殺事件の真相究明などを強く要求した。これまで内政不干渉を原則としてきたアセアン諸国ですらビルマ政府にアウンサンスーチーの解放や事態の改善を求めた。そして日本、事件直後に川口外相が「ミャンマーでは民主化は進んでいる。今回のことで事態が悪化したとは思わない。対ミャンマー政策の変更はない」と発言して、世界の失笑を買った日本政府も、その後国際社会の軍事政権批判に足並みを揃え、新規ODA凍結に踏み切った。

在外のビルマ民主化勢力は動きを封じ込められている国内のNLDに代わって、それぞれの国で積極的な抗議行動とロビー活動を繰り広げている。日本では事件の翌日からビルマ民主化同盟や国民民主連盟(解放地域)日本支部などのメンバーが中心となって、連日ビルマ大使館前で抗議デモをつづけている。彼らはデモ、報告会、シンポジウムなども行ない、日本の人たちにビルマ情勢への理解と支援を求めている。そんななかで時々耳にする言葉がある。「ナアパ・アケッ、ド・アチェッ」すなわち「軍事政権の苦境はわれわれの好機」とでも翻訳すべき文言である。1930年代の後半、ドイツによって第二次世界大戦の幕が切って落とされ、欧州戦線でビルマの宗主国イギリスが苦境におちいった時期、反英独立をめざすビルマ人民族主義団体がスローガンとした言葉「インガレイ・アケッ(イギリスの苦境は)、バマー・アチェッ(ビルマの好機)」をもじったものである。

そう、かつてイギリスが苦境におちいった時期に独立をめざすビルマ人たちが勢いづいたように、今軍事政権が最後の悪あがきとして起こしたディペーイン虐殺事件の結果、国際的な批判と圧力にさらされて、軍事政権は苦しんでいる。キンニュンの首相任命は、相変わらずの姑息な手段ではあるが、軍人は軍人なりに彼らの立場の打開をしようとはしているのであろう。国内の民主化勢力はその動きを完全に封じ込めれれているとはいえ、これが何時までも続くとは考えられない。国外の民主化勢力は国際社会の応援を得て勢いづいている。頑迷ではあるが、彼らなりに「国のため」、「連邦のため」、「民族のため」との使命感を持つ軍人たちが本来の兵舎へ戻るための「名誉ある退路」を用意してやることを考える時期にきている。