トップページ >  コラム:田辺寿夫(シュエバ) >  そのほか >  将軍たちの天下はつづく~ビルマの最近の動きから~

田辺寿夫(シュエバ)

将軍たちの天下はつづく~ビルマの最近の動きから~
2002年11月1日配信 「アジア記者クラブ通信」第126号(2002年11月5日発行)

えらくなった将軍たち

ビルマ(ミャンマー)の最高権力機関は言うまでもなく国家平和発展評議会(SPDC。ビルマ語略称ナアパ)である。このおよそ20人の将軍たちの組織が国家の意思を具現している。軍事政権である。行政機関としての内閣(首相はタンシュエ議長が兼任)はあるが、こちらは実務に徹しており、政策を決定するのはSPDCである。そのトップ(国家元首に相当する)はタンシュエ議長であり、次位がマウンエイ副議長、ナンバー3がキンニュン第一書記という序列になる。最近、マウンエイとキンニュンの軍人としての肩書きが変わった。公式な発表があるわけではなく、ある日突然国営メディアの表現が変わるのである。ニュースを読むMRTV(国営テレビ・ラジオ)のアナウンサーは、上から指示のあったその日から新しい階級名で読まねばならず、戦々恐々の体であると言う。間違えたら始末書は確実、左遷されるかも知れない。中将であったキンニュンは大将へと昇進した。この実力者の昇格については以前から噂されていたし、ごく普通の階級名だからどうということはない。

大将だったマウンエイも一階級昇進した。こっちがなかなかややこしい。そもそもSPDCトップのタンシュエの階級はビルマ語ではボウジョウフムジーである。これまでなかった階級名であり、造語である。タンシュエはそれまで大将(ボウジョウジー)であったからそれより一ランク上ということになる。しかし元帥(マーシャル。陸軍ではフィールド・マーシャル)ではないらしい。国営のビルマ英字新聞ではSenior Generalと書く。日本語では上級大将と書き表している。日本語の表記としてはなじまないとは思うが、ロシア(旧ソ連)や中国にはこういう階級名があったような記憶もあってそうしている。

副上級大将ってなに?

さて、今回の昇進である。マウンエイ大将は今度ドゥティヤ・ボウジョウフムジーとなった。これも今までなかったビルマ語であり、造語である。さあ日本語訳はどうすればいいのか。困った。ドゥティヤは「第二の」の意味で、役職名についた場合は「副」があてられる。オッカタは議長、ドゥティヤ・オッカタは副議長というふうに。となるとマウンエイ副議長の今度の階級名は副上級大将となる。これでいいのだろうか? 因みにビルマの国営メディアの英語表記はVice Senior Generalとしている。

このニュースは日本のメディアでは報道されなかった。そう、どうでもいい話ではある。それでもあえてなんらかの解釈を試みれば、SPDCのなかでの序列をはっきりさせたということになろうか。西側メディアでは、SPDC内部の「権力抗争」に注目し、マウンエイを筆頭とする「強硬派」とキンニュンをはじめとする「柔軟派」が引退間近いタンシュエ議長の跡目を争っている云々という報道がよくある。この場合の強硬派・柔軟派なるものは、アウンサンスーチーなど民主化勢力に対する路線、あるいは、国外からの民主化促進・人権尊重についての圧力に対する態度をいうことが多い。またそれぞれの軍人としての経歴を読んで、実戦叩き上げの将軍たちが強硬派、情報畑出身の将軍たちが柔軟派と対置する向きもある。そういう分析に対して、マウンエイを軍人として一階級ランクアップし、タンシュエの次(すなわち順当ならば後継者)に置き、あわせてキンニュンも大将として遇することを明らかにした。ビルマ国軍の序列は、ほれこの通り、きちんとしたものですよと示したといえる。国際社会から期待されている、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)との対話を進めるための「布陣」でないことはたしかである。

今回の昇進と奇妙な階級名の出現について、世間でもっぱら揶揄されているのは、どこの国の軍人でもそうなのかも知れないが、なかでもビルマの軍人たちが子供っぽいまでに「位階」にこだわる幼稚さである。ほかにすることはないのかと罵倒したい人もいるだろう。それがないのだ。ビルマは平穏無事、軍人たちの権力の座はゆるがない。だから、新しい将軍の階級を作って彼らは嬉々としている、ように見える。

ナアパ好きの犬

将軍たちの昇格を織り込んだ小話がすでに流布している。例をひとつ。ここには、残念ながらマウンエイは登場しない。マウンエイよりはキンニュンの方がからかいやすいらしい。

ある日のこと。キンニュン大将が役所へ出勤した時、役所の門の前に生まれたばかりの仔犬を抱いた子供がいた。

「おお。なかなかかわいい仔犬じゃないか」

「はい。大将。この犬、ナアパ(SPDC)が大好きなんですって」

「おお、そうか。それは性格のいい犬だ。大事に育てろよ」

そして翌日。キンニュンは、珍しいものをお見せしたいと、わざわざイーマシャル(元帥=フィールド・マーシャルをビルマ人が発音するとフィー・マーシャルになる。勝手に作った上級大将なんて変な呼称は使わないぞという気持ちもこめられている。それにフィーをイーと言い換えている。イーはおならのこと。「おなら元帥」、「屁っこき将軍」となる)タンシュエを門のところへ連れて行った。その日も子供と仔犬はいた。しかし、子供の言い草は昨日とは違った。

「この犬、NLDが大好きなんですよ」

「おい、話が違うぞ。昨日はナアパが好きだって言ったじゃないか」

「はい。この犬、昨日はまだ目が開いてなかったんで……」

そっちを見ないで、こっちを向いて

2002年5月、アウンサンスーチーが自宅軟禁から解放された時、さあこれで民主化に向けての対話の進展があるだろうと多くの人たちが期待した。アウンサンスーチー自身も「互いの信頼醸成の段階を終えて、内容ある対話の段階へと進む」という意味のコメントを出した。ところが何も始まらなかった。

国連やEUの使節がビルマを訪れるたびに、軍事政権はいくらかの政治囚(軍事政権は単に法律を犯した者とする)を釈放することで、「民主化への努力」らしいものは見せているが、肝心の対話なるものはいっこうに聞こえてこない。アウンサンスーチーは今のところ対話はないと話している。

むしろ国民と海外メディアの関心が民主化進展に集中するのをそらそうとしてか、いかにも「国家の大事」というようなニュースを「製造」しているように思える。2002年3月以来の元権力者ネウィンの娘婿およびその三人の息子(すなわちネウィンの孫)による「クーデター計画」の暴露などはその最たるものものである。

ネウィンは日本軍の軍事訓練を受けた三十人志士の一人。アウンサンスーチーの父アウンサンらとともに、現在のビルマ国軍の前身であるビルマ独立義勇軍(BIA)の創設に参加、アウンサン亡き後はビルマ国軍のリーダーとなった。1958年には国内治安の乱れ、政党政治の腐敗を理由にクーデターを興し、時の首相ウー・ヌを拘束して政権を奪った。1962年にもやはりクーデター。そのあとはビルマ社会主義計画党(BSPP)を設立、軍人主導の一党独裁体制による「ビルマ式社会主義」を標榜して、独裁者として君臨した。その独裁体制に国民が不満を爆発させ、ようやくネウィンを引退に追い込んだのが1988年の民主化闘争であった。

ながきにわたって独裁者だったネウィンのイメージは国民のあいだに強烈に残っている。その親族が政府転覆を企てたというのだ。本当なら天下の一大事である。娘婿や孫たちが「タンシュエSPDC議長をネウィンの家に誘い出して、言うことをきかせる。きかなかったら拘束する。そのうえで国家の実権を握る」などと中華料理店で相談していたところを当局が察知して事前に検束したという。この事件に関しては何回か記者会見が開かれ、細かい経緯と武器・弾薬・私兵用のユニホームなどなど証拠品なるものが報道陣に公開された。

なんだかくさいと感じる人が多かった。はじめからでっち上げだと言う人も少なくなかった。中華料理屋で密議をこらすなんて本気でクーデターをしようというにはあまりにも杜撰ではないか。1988年の軍事政権成立の時から、ネウィンが後ろで糸を引いているといわれた。すでに91歳のネウィン、健康状態はすぐれない。この事件をきっかけに軍事政権がそのネウィン離れを内外に明らかにしたとも読みとれるが、それよりもネウィンの知名度を利用して、国家の一大事を喧伝し、国民の目をひきつけ、それを事前に防止した軍事政権の力を誇示したと考える方が普通であろう。それはまた、国民の関心をアウンサンスーチーの動向やNLDの活動から引き離す効果もあったはずである。

首謀者とされるネウィンの娘婿と孫たちにはすでに死刑の判決が下った。いずれ終身刑(遠島流罪)に減刑されるか、恩赦に浴するだろうと噂されてはいるが。

同じようなことがタイ国とのあいだでも持ち上がった。麻薬にからむ少数民族組織との関係にからんで軍事政権とタイ国政府の関係が悪化し、国境が閉鎖された。2002年5月末のことである。ビルマ軍事政権は、タイ国政府が、少数民族叛乱組織を支援していると激しく非難し、御用組織である連邦団結発展協会(USDA)のメンバーを動員して、全国各地で連日非難集会を催し、それが国営メディアで大きく報道された。この時、ビルマ政府はそれまでビルマ語ではタイン、英語ではTHAIあるいはTHAILANDとしていた隣国の呼称を突然ビルマ語ではヨウダヤー、英語ではYODAYAと呼び替えた。ヨウダヤーとはアユタヤというタイのかつての王朝名のビルマ語訛りである。この王朝をビルマ王朝が攻め込んで完璧に滅ぼした歴史があり、現在のタイをヨウダヤーと呼ぶと、見下すことにつながる。それをビルマ政府は平然と公式記者会見でも、国営メディアの報道でもさかんに使った。

これもやはり意図的に事件を大きくし、やはり国内外の関心を民主化・人権尊重への動きからそらそうとしたものであろう。げんに大騒ぎをしたわりには、すでにタイ政府とビルマ政府の関係は修復され、国境の閉鎖も解かれている。

民主化・人権への遠い道のり

今、国際社会では、ビルマ軍による少数民族女性に対する組織的なレイプなどの人権侵害が大きな問題になっている。10月にビルマを訪問した国連人権委員会のピネイロ特別調査官は、軍事政権に対して、少数民族への人権侵害の疑いのある地域に国際赤十字の常駐を認めるよう要請した。

もちろん軍事政権はこの人権侵害を認めていない。これまでの、ビルマには人権問題はない、政治囚はいない、強制労働もない、と強弁するのと同じ論法である。今回の問題についても、少数民族組織や人権NGOが捏造したものだとの反論を繰り返している。普通のビルマ人が、少数民族ではないビルマ族の人でも、軍がレイプや強制連行をするのは日常茶飯のことととらえているのとは天と地ほどかけ離れている。

このピネイロ特別調査官はアウンサンスーチーにも会っている。そのうえで、アウンサンスーチーは地方のNLD支部を訪問するなどある程度の政治活動の自由を認められているとして、「一定の評価」をしたと報道された。しかし、肝心の政治対話の方は「始まる兆し」もないと発言している。

軍事政権はよほどのことがなければ政治対話を始めそうにない。よほどのこととは言わないまでも、内外の圧力が相当に強くなってくれば、これまでしてきたように、政治犯の釈放とか、NLD地方支部の活動再開許可といった、ちょっとした「譲歩」でお茶を濁すつもりだろう。その間、内外の関心が民主化・人権問題に集中しないようにと、ことを構えて、ほかの「国家の一大事」を演出しつづけるだろう。いまのところ、情勢は軍人たちの心胆を寒むからしめるところまでは至っていない。なにしろ、「副上級大将」などを作って喜んでいるのだから。軍人たちに鉄槌を下るまでにはまだまだ忍耐と努力が必要である。