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田辺寿夫(シュエバ)

政府のホームページがのっとられた!
2000年9月20日配信 「ビルマ人のスキップ」第21回(『恋するアジア』第28号)

キーワードはIT

森首相がこのごろ盛んに口にする言葉にIT(インフォーメーション・テクノロジー)がある。七月の九州・沖縄サミットでも主要な議題として取り上げられた。ITを大衆レベルにまで広く普及させ、そこから関連産業を伸ばしていって、日本経済再生の柱としたいというのが森首相の考えだと伝えられている。

八月後半、南アジア四カ国歴訪の旅に出かけたときも、森首相はIT先進国とされるインドで関連企業や技術者養成施設などを視察している。インドの人たちに囲まれて端末画面をにらみながら、おぼつかない手つきでマウスに触る森首相の姿がテレビでも報道された。

そのIT、ビルマ(ミャンマー)ではどうなのだろうか? ビルマにも良質の技術者予備軍が大量にいる。インド同様旧英領植民地であったから英語能力も高い。決定的に違うのは政府の施策である。一九四八年の独立以来、ビルマは内戦に明け暮れた。共産党勢力やカレン、カチン、チン、モン、シャンなどの少数民族武装勢力に対抗し、連邦の崩壊を防ぐことが中央政府にとっての最重要課題であった。

その後、一九六二年には、国内政治の混乱を救うとの名目で、当時の国軍参謀長ネウィン大将がクーデターを起こして政権を掌握、「ビルマ式社会主義」を標榜して、独自の国家建設が始まった。けれども、軍人主導による国家建設は成功せず、一九八七年には、国連の指定する後発発展途上国(最貧国)にまで落ち込んだ。この間、「鎖国」といわれるほどに諸外国との交流を制限したこともあって、経済・社会などさまざまな分野で遅れをとってしまった。

この軍人主導の体制に挑んだのが一九八八年の民主化運動であった。しかし、これもまた国軍の武力によって鎮圧され、現在にいたる軍事政権の支配がつづいている。軍事政権は一方で、外資導入を含む市場経済化をめざしているが、なによりも民主化を求める勢力の制圧に力を注いだ。

軍事政権が市場経済化をかかげてからすでに十二年が経過したが、インフラの未整備、政情の不安定など、リスクの大きさは依然としてあるところから外国資本の進出は思うようにはかどっていない。とてもIT産業を興したり、IT技術者の養成に乗り出したりする余裕はない。

しかしビルマでもコンピューターの普及は進んでいる。大学の閉鎖がつづいていたこともあって、行き場を失しなった多くの若者が街のコンピューター教室に通う姿が見られた。彼らの学んだ知識・技術を国内で生かすことは難しい。なんとかして外国へ出ようということになる。なにしろ、私信や電話ですらが検閲され、インターネットによるアクセスですらが時に軍事政権から一方的に制限される国である。

国旗が消えた

八月二日、インターネット上のビルマ政府のホームページに異変が起こった。いつもならアクセスした途端に、国歌が聞こえ(端末にスピーカーがある場合)、へんぽんと翻る国旗がアレンジされたカラーのトップページが出てくる。ところが、なんとこの日、トップページを開くと、フリーダム・フロム・フィアーという英文がいきなり目に飛び込んできた。「恐怖からの自由」。これはアウンサンスーチーの論文集のタイトルである。彼女がノーベル平和賞を受賞した一九九一年に出版され、日本では同年、集英社から「自由」という題名で出版されている。

つづいて、「学生指導者ミンコーナインを釈放せよ!」とやはり英文で読み取れた。ミンコーナイン、なつかしい名前である。ミン(王)コー(に)ナイン(勝つ)、一九八八年まで二六年間にわたって独裁的に支配した、王の如き存在であるネウィンを倒して、民主的な政府を作ろうとの意図でつけたと思われる変名である。彼は一九八八年三月から動き始めた学生運動を見事に指導した。名前のとおり、一党独裁の政党・ビルマ社会主義計画党議長であったネウィンを引退に追い込んだ。アウンサンスーチーらの担ぎ出しにも成功した。

学生や市民の組織が結集し、民主化実現は目前かと思われた一九八八年九月、国軍が武力を発動、デモ隊に発砲するなどして民主化組織を制圧し、治安維持を名目に軍が全権を掌握して、国家法秩序回復評議会(SLORC)のもとに軍事政権が発足した。その後、ミンコーナインは逮捕された。インセイン刑務所に投獄されているといわれるが、消息はわからない。いまや伝説的な存在になっている。

この日、アクセスした人はみんな驚いただろう。なにしろ、世界に向けての政府のショーウィンドーともいえるホームページに、軍事政権にたたかいを挑んでいるアウンサンスーチーの言葉と、政府によって捕らえられ、獄中にある学生指導者ミンコーナインが登場したのだから。よく見ると、「この画面破壊(クラッキング)は、一九八八年の民主化闘争で倒れた犠牲者たちを忘れないX組織のダニーボーイによって行なわれた」といういわば犯行声明も書き込まれている。X組織のダニーボーイが何者なのかはわからない。多分、国外にいる民主化勢力の一グループであろう。ともかく、これはあきらかにのっとりである。もちろん、民主化派のビルマ人たちは手を叩いて、快哉を叫んだに違いない。

ホームページの効用

ぼくは軍事政権の言うことは信用していない。アドレスがミャンマー・ドットコム(www.myanmar.com)という軍事政権のホームページがあることは知っていたが、アクセスする気はあまりなかった。昨年、ビルマの外国郵便に関する規則が変わってから、定期購読していた新聞が届かなくなり、やむを得ず時々ホームページにアクセスするようになった。ホームページでは、英字国営新聞「ニューライト・オブ・ミャンマー」の主要記事が読めるからである。

なかなか見栄えがよく、構成もそれなりに工夫されている。記事はと言えば、例によって、国家平和発展評議会(SPDC=軍事政権の最高機関)のタンシュエ議長やキンニュン第一書記の動向が紹介されているだけで、面白くもなんともないが、数多く添付されているカラー写真が美しい。七月二十日の新聞主要記事にアクセスした時には、前日の「殉難者の日」に、父・アウンサン将軍の墓前に花輪を捧げ、額づいて祈るアウンサンスーチーの姿が何枚かのカラー写真で紹介されていた。これらは、本物の新聞の薄汚れた印刷よりはずっといい。

ちなみに、軍事政権のホームページをのっとったグループはSPDCを、Silly(頭の悪い)Pimps(ぽん引き) and Dildo Heads(チンポコ頭のやつら) Councilとののしっている。まあきもちはわかるが、少々下品な表現ではある。

さて、在日ビルマ人たちのなかで、パソコンを持っている人たちはこのホームページにアクセスしている。新聞の主要記事が読みたいからではなく、「ナーイエ・ダディン(死亡公告)」に目をとおしたいからだと言う人が多い。ビルマの新聞では毎日、タブロイド版見開き二ページにわたって死亡公告が掲載されている。日本の新聞にあるような新聞社側が書いた著名な人物の死亡記事ではない。親族が故人を知る人に告知するために金を払って掲載しているものである。本来、ビルマ語新聞にしかこの欄はない。それが、在外ビルマ人へのサービスのためだろうか、ホームページにある英語版の主要新聞記事欄の末尾に写真印刷のような感じで、ナーイエ・ダディンのビルマ語ページがついている。

一般にビルマの人たちおたがいのつき合いは濃密である。母国を遠く離れていても、親戚、友人・知人の動向には気を配っている。新聞記事など読みたくもないが、死亡欄だけは毎日目を通さないと気がすまないという人がけっこういるのである。

IT戦争では負けないぞ

八月二日、ビルマ軍事政権のホームページは数時間にわたってのっとられたままだった。翌日には、ビルマ政府がホームページがのっとられたことを認めたとAFPが伝えた。サイトはしばらく閉鎖された。修復はかなりてまどったようである。政府はホームページの作成、運営を外国人を頼んでやっているから、すばやく対応できないのだと、解説するビルマ人もいた。

こうして、ビルマ政府のホームページはかなりの時間にわたって、アウンサンスーチーとミンコーナインという民主化派の指導者たちが占拠したことになる。

書き換えられた画面には、次のような軍事政権に対する挑戦状も書かれていた。

……君等は一人二人の反抗者なら食い止められるだろう。しかし、われわれ全員を防ぎとめることはできない。このディジタル戦争では、君等の持っている武器は役に立たない。負けるのは君等なのだ……

国外にはたくさんのビルマ人がいる。定着した国で民主化運動をつづけている人も多い。民主化団体もたくさんある。民主化運動や反政府活動には加わらないまでも、軍事政権を嫌っている人は多い。彼らのなかには、コンピューターを使いこなし、ITに習熟した人物も少なくないだろう。

ITを使って軍事政権にたたかいを挑もうと、あるいは怨みをはらそうとする在外ビルマ人たちの動きは今後もつづいて行くに違いない。ミャンマー・ドットコムから目が離せない。