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田辺寿夫(シュエバ)

そりゃビルマ語は上手になるさ
2004年11月20日配信 「ビルマ人のスキップ」第38回(『恋するアジア』第45号)

ガラス越しの対話

2004年10月19日、警視庁蒲田警察署から出てきたシュエバはフーっと大きく息を吐いてつぶやいた。

「まいったなあ、あのビルマ語には」

それから気をとりなおしてかたわらのS弁護士にこう言った。

「でもがんばりますよ。彼は真面目ないい男ですものね」

この日シュエバはいわゆる弁護士接見(面会)の通訳をつとめた。接見の相手は、出入国管理及び難民認定法違反で逮捕され、蒲田警察署に留置されているビルマ国籍のH君(32歳)である。

2003年の後半から滞在期限超過者(オーバーステイ)の取り締まりはきわめて厳しくなった。東京都、警視庁、入国管理局は協力して25万人ぐらいいるとされる超過滞在者をむこう5年で半減させるとの目標を掲げてその摘発に力を入れている。ビルマ人も次々捕まっている。捕まった人たちは普通すぐに強制退去の手続きがとられ母国に送還される。しかし、H君は起訴された。それはH君が単なる滞在期限超過だけではなく、インドで入手した他人名義のパスポートで日本に入国した「不法入国者」でもあるからである。

H君の故郷はビルマ連邦北部のチン州の山間僻地。インド国境にほど近い。1996年12月、学生運動に参加したことからMI(軍情報部)に追われていると察知したH君は歩いて国境を越え、インドでしばらく生活した。インドのビルマに国境を接するあたりのミゾラム、マニュプール、アッサムなどの州にはチン民族あるいはきわめて近い民族の人たちがたくさん住んでいるという。ビルマではH君は学生運動のほかに自分の属するチン民族の一支族マーラ(Mara)の政治組織マーラ人民党(MPP)に参加したこともあった。インドにもMPPの支部があり、H君はビルマ軍事政権に反対する活動に加わった。

そして日本へやって来たH君はやはりビルマ軍事政権に反対し、民主化と諸民族の権利拡大をめざして活動した。ビルマへ帰れば、反政府活動をしたことを理由に逮捕され、投獄されるからと日本政府に難民認定を申請しようとしていた。ビルマ人難民弁護団の事務所に相談にも行った。しかし申請の直前に捕まった。

とここまで訊き出すのがたいへんだった。シュエバの方は彼の顔と名前をきちんと覚えていなかったが、H君はシュエバと会ったことをよく覚えていた。信頼して一生懸命話してくれるのだが、そのビルマ語の訛り、発音のくせがなんともすごい。シュエバがスエバとしかきこえない。S弁護士の言葉を通訳してシュエバが話すビルマ語はきちんと理解する。しかし彼の言葉は何度も何度も訊きかえさないと意味がとれない。字に書いて細かいことを確認しようとしても、分厚いガラスに隔てられた面会室では紙のやりとりもできない。二時間ほどの接見だったがシュエバの疲労は相当なものだった。

別れ際、H君は弁護士にお礼をいい、シュエバにも頭を下げながらこう声をかけた。

「ウー・スエバ、よろしくお願いします!」

発音は訛っていても心がこもっていた。

タインインダー

ビルマ語にタインインダーという単語がある。「もともとこの土地に住んでいる人たち」という意味で、普通は原住諸民族と翻訳される。現在、ビルマ(ミャンマー)連邦の版図となっている地域に先祖代々居住する人たちということになる。ビルマの国語辞典にもそう説明してある。H君がその一員であるチン民族も含まれている。

1990年の総選挙ではタインインダー・ニイニュッイエ・パーティー(National Unity Party=NUP。ビルマ語略称タサニャ。民族統一党)という政党が選挙戦に加わった。NUPは1988年の民主化闘争の過程で解体したビルマ社会主義計画党(BSPP.マサラ)の後を継ぐ軍人主導の党であるとして国民の反感を買い、当選者は10人しか出せなかった。一方で民主化を掲げる国民民主連盟は総議席485のうち392議席を獲得した。人びとは党名にあるタインインダーを同じ字母Taで始まるタレイサン(動物。けだもの)と読み替え、あれは「けだもの統一党」だぜとからかったものである。

この政党の名前からわかるように、タインインダーは英語ではNationalと置き換えられ、民族を問わず国民すべてを指すのが本来の使い方である。したがっておよそ5000万~6000万の人口のうち最大多数を占めるビルマ民族も当然包含される。公的にはそうであっても、実際に普通のビルマ人が日常会話の中でタイインダーと言うときには、ビルマ民族以外の諸民族を指すことが多い。一方で、原住というくくりがあるから英領時代に移って来たとされる中国系やインド・パキスタン・ベンガル系は含まない。つまりタインインダーは、一般のビルマ民族の人々の感覚では、135にのぼるとされるいわゆる少数民族とほぼ同義語となっている。ちなみにビルマ政府の発表による民族の区分けはたいへん細かく、人口およそ75万~150万とされるチン民族グループは51の支族に区分けされ、H君の属するマーラはそのうちの一支族ということになる。135はそうした支族をも含めた数である。

シュエバにとってこのタインインダーは馴染みの言葉である。ビルマ人たちの集まりでシュエバがビルマ語で演説することはよくある。演説とまでは行かなくとも、ワイワイ話し合う機会は多い。また日本人も出席するような集会では通訳をつとめる。ビルマ人たちは概してニコニコときいてくれる。そして大抵の場合、こういう誉め言葉が飛んで来る。

「ウー・シュエバのビルマ語はタインインダー並みにうまいね」

シュエバははじめこの誉め言葉が嫌いだった。ビルマ語はまあまあ上手だけれど、純粋のビルマ民族の人ほどではないというニュアンスにきこえる。もちろん日本人であり、音感も良くない(声調のあるビルマ語は音痴では上達しないという説がある)シュエバがビルマ語をネイティブ並みに話せるわけがない。それは重々わかっている。それでもどうせ誉めるのなら、こっちはお世辞として聞くのだから、なにもわざわざタインインダー並みと振らなくてもいいではないかと。

ビルマ語の実力についての評価はともかく、シュエバはビルマ民族の人びとがこのタインインダーという表現に込める意味合いを胡散臭く感じとっていた。ビルマ民族の人びとは自分たちもビルマ連邦に居住する民族でありながら、タインインダーの中に自分たちを含めない。自分たちは別なのだ、自分たちこそがこのビルマの地の主人公なのだ、ほかの民族もいるにはいるが、あくまで自分たちが中心なのだという、いわばビルマ民族の中華思想にもとずく優越感、さらには差別意識めいたものがふんぷんと臭ったからである。

似たもの同士

実際のところどうにかこうにかビルマ語会話ができるようになった時期には、シュエバにとって、タインインダーの人たちの話すビルマ語の方がわかりやすかった。外国語を学ぶ初学者にとっては何語でもそうだろう。いきなり流暢な言葉にぶつかるとあたふたしてしまう、少しはボキボキしていた方がとっつきやすい。

考えてみれば、タインインダーの人たちが、もの心ついたとき耳にする言葉はビルマ語ではない。チン語であり、カチン語であり、カレン語であり、シャン語なのである。5歳頃から学校に行くようになってビルマ語を学び始める。学校教育はすべてビルマ語で行なわれる。その学校も十年生(日本の高校三年生にあたる)までは、たいてい生まれ育った土地の学校に通うから、その間、学校ではビルマ語、家へ戻ればそれぞれの民族言語ということになるという人も多いだろう。大学に進学し、親元を離れて、マンダレー、モーラミャインといった地方の中心都市や首都ヤンゴンで学ぶようになってはじめて朝から晩までビルマ語の世界に暮らすことになる。チン州タンタラン郡に生まれ育ったH君は十年生まで地元の学校に通い、大学ははじめチン州のすぐ東隣りのザガイン管区・カレーミョウに進学し、三年生からはヤンゴンへ移ったという。

こうした環境は、高校を卒業してから外国語大学でビルマ語を学び始めたシュエバとさほど変わらない。もちろんシュエバにはずっと日本に住んでいたというハンデはあるが。シュエバにとってビルマ語は外国語であり、タインインダーにとってもビルマ語は公用語ではあってもマザータング(母語)ではない。シュエバのビルマ語には、有気音と無気音の区別(例えばKaとKha)が判然としないとか、声調がめちゃくちゃだとかの欠点がある。タインインダーの話すビルマ語にも発音でいえば、濁るところで濁らない、濁らないでいいところで濁る、声調などおかまいなしといった点が耳につく。H君の場合はシュエバがスエバになり、ガウンサウン(指導者)がカウンサウンになっていた。

そうしたビルマ語を耳にしたビルマ民族の人たちのなかには、面と向かって言わないまでも、心のうちで「なんだ、ロクにビルマ語もしゃべれないのか」と見下す人もいる。それは歴史的にもずうっとあったことであろう。H君も多分ビルマ民族の人たちからそんなふうに思われていたに違いない。なにも彼らの責任ではないのに、たかが言語のことで見下したり、軽蔑したりすることはないじゃないか。シュエバはそう思うようになった。しかも残念なことに、そうした少数民族の人々を見下すような言動をしているビルマ民族の人たちには、それが差別であるとか、蔑視であるとか、自分たちの方が傲慢であるとかの自覚はまったくない。こうした義憤といくらかの同情も手伝ってシュエバはタインインダーの人たちにビルマ語を介しての「同志的連帯感」を抱いた。

「タインインダー並みのビルマ語だって。結構じゃないか。誉めてくれてありがとうよ」

タインインダー日本民族

2004年4月18日、シュエバは都内高田馬場で開かれた在日のビルマ国籍を持つ少数民族の人たちの会議に出席した。新しい組織の結成記念集会である。組織の名前はAUN(Association of the United Nationalities)、ビルマ語ではニイニュッゾー・タインインダーミャー・アプエと言う。在日のチン民族のリーダーが中心となり、カチン、カレン、チン、シャン、ラカイン、モン、ラフー、パラウン、ナガーなど諸民族の人々に呼びかけて結成した組織である。

集会の何日か前にシュエバは相談を受けた。新しい組織の日本語の名称をどうしたらいいだろうと。シュエバははじめビルマ語のタインインダーミャー(ミャーは複数形)に「諸民族」とか「全民族」という言葉を当てようと考えた。一般のビルマ民族の人たちはタインインダーの中にビルマ民族を入れないことが多いが、少数民族の人たちと話していると、彼らはビルマ民族をも含めて考えているように思えたからである。しかし、実際の構成メンバーはほとんどすべていわゆる少数民族の人たちであり、民主化とともに「諸民族平等の連邦国家の樹立」、「民族自決権の尊重」をかかげる組織である。シュエバは少数民族という用語が必ずしも好きではないが、ここはビルマの中で権利を尊重されることの薄かった少数民族の人々の集まりであるという要素を強調したかった。結局、日本語の名称は「在日ビルマ連邦少数民族協議会」となった。

集会には70人ぐらいの人々が集まった。男性も女性も色彩豊かなそれぞれの民族衣装を着けている人たちが多かった。H君もそのなかにいたと後できいた。チンやカチンの人はともかく、本のなかでしか知らなかったナガー(チン民族同様インドとビルマの国境の両側に住んでいる)やラフー(タイ国境に近いシャン州に住む)の人たちまでいることにシュエバは驚いた。

ビルマ民族の人たちも顔を見せていた。彼らは日本で活動する民主化団体を代表して、新しく出来た団体へのお祝いと連隊のメッセージを伝えるためにやってきていた。NLD.LA(国民民主連盟・解放地域)日本支部、LDB(ビルマ民主化同盟)、FWUBC(在日ビルマ市民労働組合)などの代表が次々に挨拶し、シュエバの出番がまわってきた。シュエバはAUNの顧問ということにもなっている。集会では挨拶ではなく特別講演ということで30分ぐらいしゃべるように言われていた。

シュエバは開口一番こう語りかけた。

「みなさん、こんにちは。私はタインインダー・ジャパンルーミョウ(日本民族)のシュエバです」

聴衆は一瞬ポカンとしたが、次の瞬間アレーッという感じの笑いと共感(とシュエバは思いたい)の拍手が起こった。もともとビルマ人たちの会合はきわめてカタイ雰囲気に終始する。役職が上の人から順に話をする。内容は原稿をそのまま棒読みするようなものが多い。時に激してボルテージが上がることはあるが、まずもって冗談など入らない。聴衆も会議とはそんなものだと思っている。自分の意見を主張するのではなく、ただひたすら上からのお達しを聞くためのものでしかなかったマサラ(ビルマ式社会主義)時代の会議のなごりなのだろう。

シュエバはそんな雰囲気に一石を投じたかった。なるべく冗談を入れて、出来れば笑ってもらって空気をなごませたかった。かと言って、タインインダー・ジャパンルーミョウ(原住諸民族のひとつ日本民族)と名乗ったのはまんざら冗談でも、ウケを狙ったわけでもない。ほんとうはもっと直截にこう切り出したかった。

「私は、タインインダー並みにビルマ語がしゃべれると言われるシュエバです。この頃は自分でもみなさんと同じタインインダーだと思っています」と。

しかし、そういう言い方をすると、出席しているビルマ民族の人たちが気を悪くするかもしれないと思い、日本民族が昔からビルマの地に住んでいるわけではないが、冗談っぽくタインインダー・日本民族と名乗ったのである。シュエバの気持ちはともかく、このセリフはうけた。気を良くしたシュエバは「ビルマの民族問題と日本人」とのタイトルのもと、ところどころで笑いをとりながら、タインインダー並みのビルマ語で話を続けることができた。(このスピーチ草稿の日本語版はビルマ日本事務所発行の『ビルマジャーナル』2004年4月号に掲載されている)

「民族」も難民の理由

そのAUNの書記長をつとめるパラウン民族のKさんは2004年9月16日に東京地裁でうれしい判決を勝ち取った。

パラウン民族はビルマ連邦シャン州北部、中国との国境に近い山岳地帯に居住し、ラペッ(ビルマのお茶)の栽培で有名である。人口はおよそ30万~40万人と推定されている。パラウンの村に育ったKさんはビルマ国軍の暴行・略奪などの行為に反発し、パラウン民族の権利を守るために、政府軍とたたかう武装闘争組織PSLA(パラウン州解放軍)のメンバーであったこともある。ビルマに帰れば迫害を受けるという十分に根拠のある理由があるとして日本政府に難民として認定するよう申請したが拒否された。

ここでいう難民とは「難民の地位に関する条約(難民条約)」およびその議定書によって定義される人である。すなわち「民族、宗教、国籍、その属する社会的集団、政治的意見の故に国籍国に帰れば迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有する人であり、国籍国へ帰ることを望まない人」である。そういう立場の人を、日本を含めた難民条約批准国は難民として認定し、保護しなければならない。H君がしようとしている難民申請もこれにあたる。

Kさんはどうだろう。パラウン民族であることから迫害をうけつづけたし、今後も受ける可能性がある。武装反政府集団のメンバーであり、日本においても民主化を叫ぶ(ビルマ政府に反対する)組織のメンバーである。当然、現在の軍事政権に反対する政治的意見の持ち主でもある。条約の定義からすれば、民族、社会的集団、政治的意見を理由に十分に難民に該当すると考えられる。

しかし法務省はKさんは難民には該当しないと判断した。この法務大臣の「難民として認めない処分」の取消しと、あわせて出されている「退去強制令」の取消しを求めてKさんは行政訴訟を提起した。裁判は何年もかかった。その間、Kさんは入国管理局の収容施設に収容された時期もあった。たとえ裁判係争中であっても、Kさんはオーバーステイであり、滞在資格がなかったからである。その後も仮放免という不安定な立場で過ごさなければならなかった。新宿のラーメン屋で働いて生活を支えた。奥さんはビルマ民族のインテリ女性だが、不安定な身分、いつ拘束されるかわからないという不安から鬱状態になり、部屋に閉じこもったままという状態になってしまった。

Kさんは裁判のなかで、自分の活動歴、パラウン民族であるが故に受けてきた迫害・差別の数々を話すとともに、日本での不安一杯の生活の様子、鬱になってしまった奥さんのことまで切々と訴えた。法廷通訳としてシュエバはそれを日本語に通訳した。

9月16日の判決は「難民として認めない処分」については取り消さなかった。日本の法律で定められている難民となる事由発生(普通は来日時と解釈される)以来60日以内に申請がされなかったからという理由である。しかし退去強制についてはこれを取り消すとした。Kさんをビルマに送り返せば迫害が及ぶ恐れがあると認めたことになる。つまり手続き的には難民とは認めないが、実質的には難民であると裁判所は判断した。

判決はうれしいものだったが、それから2週間、Kさんと奥さんはまだ安心できなかった。地裁の判決が不服であれば被告(国・法務大臣)は14日以内に高等裁判所へ控訴することができる。結局、法務省側は控訴しなかった。10月1日、Kさんと奥さんは入国管理局へ呼ばれ、待望の在留特別許可を得た。

翌10月2日の早朝、シュエバはKさん宅へ電話を入れた。きこえてきたKさんの声は、喜びをどうあらわしていいのかわからないという感じの弾みようで、そのくせ泣き出しそうでもあったことがシュエバには忘れられない。

負けるなタインインダー

一方、H君の公判は10月28日に東京地裁401号法廷で開かれた。法廷通訳をつとめたシュエバは、すでに二回面会をして、H君のビルマ語のくせをかなりの程度まで把握していたから、法廷ではよどみなく通訳ができ、ホッと胸をなでおろした。公判はおよそ1時間で終了し、裁判長は懲役一年六ヶ月、執行猶予四年の判決を言い渡した。執行猶予がついたといっても、在留資格なしのH君にとっては、身柄が警察から東京・品川にある入国管理局の収容施設に移るだけのことである。収容されながら難民認定の手続きをすることになる。自由の身にはなかなかなれない。

公判のなかでS弁護士はH君にこう質問した。

「これからあなたは入管の収容施設に入ることになるでしょう。難民認定までは時間がかかります。一年、あるいは二年も収容が続くかもしれません。それでも、あなたはビルマへ帰らず、日本で難民認定手続きをつづけますか?」

H君は答えた。顔には笑みが浮かんでいた。

「収容されてもかまいません。ビルマへ帰れば間違いなく空港で捕まって尋問を受けます。拷問にもあるでしょう。かなりの長期刑を言い渡されて刑務所で暮らすことになります。だから日本で収容されるのも同じことです。日本の収容所の方がビルマの刑務所よりましでしょう。難民認定をかちとれるよう日本でがんばります」

判決のあと、H君は公判中は外されていた手錠を再びかけられ、二人の警官に守られて法廷から出て行った。シュエバの前を通り過ぎるとき、H君はにっこり笑い、白い歯をのぞかせて頭を下げながらこう挨拶した。

「ウー・スエバ、チェズーベーノー(ウー・シュエバ、ありがとう)」

私語は禁じられている。それでもシュエバは黙っていられなかった。

「辛抱しろよ。落ち込むなよ。がんばれ!」