トップページ >  コラム:田辺寿夫(シュエバ) >  ビルマ人のスキップ >  マイケル、結婚おめでとう!

田辺寿夫(シュエバ)

マイケル、結婚おめでとう!
2000年3月20日配信 「ビルマ人のスキップ」第20回(『恋するアジア』第27号)

やったね、マイケル

二人は色鮮やかな民族衣装で精一杯おめかししている。マイケルも奥さんになる人も小柄だから、日本風に言えばお人形さんのように愛らしく、初々しく、ほほえましい。拍手とともに「よっ、マイケル、大統領!」、「ふたりともかっこいいよ、おめでとう」といった声がさかんに飛び交う。奥さんの方は、恥ずかしいのかうつむき加減、マイケルはといえば、うれしくて笑いがとまらない。白い歯がこぼれっぱなしで、みんなにひやかされている。

二人が席についたところで、司会者が登場、二人のなれそめなどを紹介し、新しく誕生した夫婦を見守ってやってほしいと口上を述べた。そして、このパーティーの準備一切は、すべて友人たちが手伝ってくれたことも披露した。出席者のなかには、日本人も4、5人まじっていた。ビルマ語から日本語への通訳は例によってぼくがつとめた。

実はこの日の前日までの数日間、マイケルは自分たちの結婚パーティーの準備などできる状況ではなかった。6月8日に行なわれた小渕前総理の葬儀にビルマ政府の代表として国家平和発展評議会(SPDC=軍事政権の最高機関)第一書記キンニュン中将が参列したからである。キンニュン中将は序列では議長、副議長に次いで第三位になるが、実力ナンバー・ワンと称されている。国営新聞や国営テレビなどへの露出度は軍政幹部のなかで群れを抜いて高い。日本で母国民主化のための活動をしているビルマ人たちにとっては、言ってみれば不倶戴天の敵である。EU(ヨーロッパ連合)加盟国は、民主化への努力の不足や、人権侵害を理由に、ビルマへの制裁を科している。それは軍事政権高官140名に対して入国を許さない、また彼らのEU加盟国内にある資産を凍結するというものである。この高官リストのなかにはキンニュン中将も含まれている。だから、キンニュン中将はヨーロッパの各国へは入国できない。それが、葬儀に参列するという名目ではあれ、日本へ大手を振ってやって来る。

在日のビルマ人たちは、キンニュン来日に抗議する行動に立ち上がった。大使館の前で、宿泊先の帝国ホテルに押しかけて、さらにはキンニュンの行動を追って国会周辺でと、彼ら、彼女らは抗議デモを繰り広げた。日本の警察も国威のかかった葬儀であり、多くの外国要人の参列があったせいか、ふだんより警備は厳しかった。そんななか、マイケルも連日、抗議行動に参加した。とてもお祝い事の準備をするような時間はなかったし、そんな心境にもなれなかったであろう。

だから、日曜日のパーティーは手のあいた仲間たちがすべてをお膳立てしてくれた。食事はダンバウ(インド風炊き込み御飯)が出た。これは料理の腕に自信のある友人たちが前もって作ってくれた。ケーキや花を準備してくれた友人もいた。なかには、どさくさにまぎれて、区民施設では本来許されていない缶ビールをかなり大量に持ち込んで、これはビールの好きなウー・シュエバ(シュエバおじさん=ぼくのこと)のためだと弁解していた者もいた。

マイケルと奥さんはこうした仲間たちの好意に大いに感謝していた。そして、あたりまえの結婚式や披露宴をしていたならかかったであろう費用のうちの一部を、自分たちの結婚の記念として、タイ=ビルマ国境地帯のビルマ人難民たちに寄付することを、みんなの前で披露した。バックパック・プロジェクトと呼ばれる巡回医療プランのために5万円、難民の子供たちのための学校を建てる費用として5万円、あわせて10万円を贈りたいという新郎新婦の発表は、出席者一同の大きな拍手で迎えられた。

たたかいは一息ついて

EU(ヨーロッパ連合)加盟国は、民主化への努力の不足や、人権侵害を理由に、ビルマへの制裁を科している。それは軍事政権高官140名に対して入国を許さない、また彼らのEU加盟国内にある資産を凍結するというものである。この高官リストのなかにはキンニュン中将も含まれている。だから、キンニュン中将はヨーロッパの各国へは入国できない。それが、葬儀に参列するという名目ではあれ、日本へ大手を振ってやって来る。

だから、日曜日のパーティーは手のあいた仲間たちがすべてをお膳立てしてくれた。食事はダンバウ(インド風炊き込み御飯)が出た。これは料理の腕に自信のある友人たちが前もって作ってくれた。ケーキや花を準備してくれた友人もいた。なかには、どさくさにまぎれて、区民施設では本来許されていない缶ビールをかなり大量に持ち込んで、これはビールの好きなウー・シュエバ(シュエバおじさん=ぼくのこと)のためだと弁解していた者もいた。

マイケルと奥さんはこうした仲間たちの好意に大いに感謝していた。そして、あたりまえの結婚式や披露宴をしていたならかかったであろう費用のうちの一部を、自分たちの結婚の記念として、タイ=ビルマ国境地帯のビルマ人難民たちに寄付することを、みんなの前で披露した。バックパック・プロジェクトと呼ばれる巡回医療プランのために5万円、難民の子供たちのための学校を建てる費用として5万円、あわせて10万円を贈りたいという新郎新婦の発表は、出席者一同の大きな拍手で迎えられた。

在日のビルマ人たちは、キンニュン来日に抗議する行動に立ち上がった。大使館の前で、宿泊先の帝国ホテルに押しかけて、さらにはキンニュンの行動を追って国会周辺でと、彼ら、彼女らは抗議デモを繰り広げた。日本の警察も国威のかかった葬儀であり、多くの外国要人の参列があったせいか、ふだんより警備は厳しかった。そんななか、マイケルも連日、抗議行動に参加した。とてもお祝い事の準備をするような時間はなかったし、そんな心境にもなれなかったであろう。

実はこの日の前日までの数日間、マイケルは自分たちの結婚パーティーの準備などできる状況ではなかった。6月8日に行なわれた小渕前総理の葬儀にビルマ政府の代表として国家平和発展評議会(SPDC=軍事政権の最高機関)第一書記キンニュン中将が参列したからである。キンニュン中将は序列では議長、副議長に次いで第三位になるが、実力ナンバー・ワンと称されている。国営新聞や国営テレビなどへの露出度は軍政幹部のなかで群れを抜いて高い。日本で母国民主化のための活動をしているビルマ人たちにとっては、言ってみれば不倶戴天の敵である。

二人が席についたところで、司会者が登場、二人のなれそめなどを紹介し、新しく誕生した夫婦を見守ってやってほしいと口上を述べた。そして、このパーティーの準備一切は、すべて友人たちが手伝ってくれたことも披露した。出席者のなかには、日本人も4、5人まじっていた。ビルマ語から日本語への通訳は例によってぼくがつとめた。

二人は色鮮やかな民族衣装で精一杯おめかししている。マイケルも奥さんになる人も小柄だから、日本風に言えばお人形さんのように愛らしく、初々しく、ほほえましい。拍手とともに「よっ、マイケル、大統領!」、「ふたりともかっこいいよ、おめでとう」といった声がさかんに飛び交う。奥さんの方は、恥ずかしいのかうつむき加減、マイケルはといえば、うれしくて笑いがとまらない。白い歯がこぼれっぱなしで、みんなにひやかされている。

よくできた子供に学ぶ

通訳をしていたぼくに、司会者は突然、主賓として祝辞を述べるようにと役割を振ってきた。見渡したところ、出席者のなかでぼくが最年長のようである。ビルマの集まりでは、ルージー(年長者)はルージーらしく振舞わなければならない。なにも用意していなかったが、頭に浮かんだことをそのままビルマ語で話しはじめた。

……マイケルおめでとう。奥さん、これからマイケルと仲良くしてください。ぼくには、マイケルと同い年の娘がいます。だから、マイケルは自分の息子のように思えます。でも、この息子は親に迷惑をかけるドラ息子ではありません。たいへんよくできた息子で、親にいろいろなことを教えてくれます。自分の利益を度外視して、国のために、人々のために、ひたすらがんばっている姿を見ると頭がさがります。そんなマイケルとつきあっていて、ぼくたち日本人がなんとかしなければならないことがたくさんあることに気づきました。

マイケルたちがたたかっている相手の軍事政権と仲良くする日本政府のやり方は変えて行かなければならないのではないか? 国に帰れば、拘束されたり、投獄されることが目に見えているマイケルたちを、日本政府は難民(政治亡命者)として認定し、滞在資格を保証すべきではないか? 彼らが病気になったり、職場で怪我をした時には、ちゃんと医療を受け、補償するような制度が必要ではないか? こうしたことを実現するためには、ぼくたち日本人が声をあげて、行動することが大切だ。そんなふうに考えるようになりました。そうした日本人としての活動がもっと盛んになれば、マイケルたちの母国民主化運動への有効な手助けになると思います。

ビルマ国内の情勢は険悪です。日本のなかでビルマ民主化の活動を続けて行くこともたいへん厳しい状況です。目標達成まではかなり時間がかかると考えなければなりません。揺るがない信念が必要です。ところが、多くのビルマ人の日本での立場はオーバーステイ(超過滞在者)であったり、仮放免中であったりと不安定です。いつ入管に収容されるかわからないという不安を抱えています。また、生活のために、厳しい労働条件のもとで、長時間働かなければなりません。

そんななかで好漢マイケルが家庭を持ったことを喜んでいます。たたかいには休息も必要です。疲れた時には、二人で話し合い、励ましあえる家庭であってほしいと思います。仲良く、ねばりづよく、ときにはのんびりしながらたたかいをつづけてください……

主賓の祝辞としては、格調の高さはなかったかも知れないが、思いつくままのぼくのはなむけの言葉を、二人は神妙にきいてくれていた。

はしゃぐ子供の未来をおもう

この日、集まったビルマ人たちはほとんどマイケルの活動仲間である。仲間内の遠慮のない会話が弾む。結婚披露宴にはつきもののキャンドル・サービスはなかったが、二人はみんなのテーブルを順番にまわって挨拶をした。

若い友人たちが「先にやられたよ」とか「マイケル、うまくやったなあ」とか、さかんにやっかみのまじった、しかしかなり本気の声をかける。なかには、「お二人に、愛情のこもったキスをお願いしまぁーす」と要求するものもいて、笑いと歓声が会場にあふれる。

リラックスしてきた会場で大人たちの間をぬって幼い子供たちが駆けまわりはじめた。2歳から6歳ぐらいまでの幼児が4、5人いる。今日は普段の集会とは違って、お祝い事なんだからいうので親たちが連れてきたのであろう。両親ともビルマ人だが、日本で生まれた子供、日本人の父とビルマ人の母を持つ子、その逆の子もいる。父はビルマ人、母はビルマ人と日本人のハーフという子供もいる。それぞれ生まれはさまざまだが、仲良くさんざめいている。

その元気な子供たちを見ていて、日本でのビルマ民主化運動もそれなりの歴史と年月を積み重ねてきたのだなあという感慨にとらわれた。この子供たちが生まれるはるか前、1988年に、母国に大規模な民主化運動が起こった時、それに呼応して在日ビルマ人による民主化活動が始まった。それから12年の歳月が流れた。

メンバーもずいぶん入れ替わった。帰順、つまり政府に降伏した人もいれば、志を果たせずに人知れず帰国した人もいる。滞在資格がなかなか認められない日本を去って、カナダ、アメリカ、オーストラリアなどへ移った人もいる。日本人と結婚した人もいれば、ビルマから家族を呼び寄せた人もいる。病気になって、日本でさびしく亡くなった若者もいた。歳月が流れ、人はうつりかわっても、民主化への動きは歩みをつづけている。

結婚したマイケル夫妻にもいずれ子供が生まれるだろう。元気に、たくましく育ってほしい。その子もまた何年かすれば、こうした場所で駆けまわることになるだろう。それはそれでいい。でも、できればマイケルたちの子供も、今日この場ではしゃいでいる子供たちも、広い、そのときには平和になっているだろうビルマの大地の上を、思いっきり飛び跳ねてほしいと心から思った。