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祖国民主化の夢、日本で活動続けたいミャンマー活動家に聞く東京新聞 軍事政権が支配するミャンマー民主化運動に携わる在日ミャンマー人、キン・マウン・ラットさん(46)が、法務省の身柄拘束から約五十日ぶりに仮放免された。「帰国すれば迫害を受ける」と申請した難民認定は退けられ、逆に不法滞在で国外退去処分を受けたラットさん。仮放免は法務省が、こうした処遇に反発する世論に配慮したものだが、来年一月中旬までの期限付きの措置にすぎない。身の危険を顧みず、ラットさんはなぜ日本で祖国の民主化を目指すのか。その思いを聞いた。(社会部・市川隆太) ■逃亡の恐れない仮放免となった今月十九日、ラットさんは妻のマリアさんに涙で迎えられ、東京都大田区の自宅に戻った。十月末以降、拘束を続けた日本政府を批判しつつも、「収容先の入国管理局の職員は親切でした」と語った。 ラットさんは言う。 「私に逃亡のおそれがないから、人道に配慮して仮放免すると野沢太三法相が言ったのには、がっかりです。難民申請した私が逃亡するはずないでしょう?政府は私の問題をフィリピンに押しつけようとしている」。法相は、ラットさん夫妻と、小学校と保育園に通う二人の娘を、妻の母国フィリピンに送還しようとしているのだ。 国外退去処分の取り消しを求めて、ラットさんは裁判を起こしたが、東京地裁、東京高裁とも訴えを退けた。現在、最高裁で係争中だが、これまで裁判所が軍政に迫害される危険を否定し、難民認定の必要を認めなかったのは(1)ラットさんが軍事政権に反対する「在日ビルマ人協会」(BAIJ)の幹部ではない(2)在日ミャンマー大使館で旅券の更新を受けている−などの理由による。 ラットさんはこうした司法判断にも反論した。「幹部だけが運動しているのではありません。私はBAIJの創設時からのメンバーです。ビルマ(ラットさんはミャンマーと呼ばない)では政治活動に関与すれば弁護士もいない軍事法廷に引きずり出され、五、六年、身柄拘束されたり、拷問される。帰国すれば私もそうなります。また旅券の更新ができたのは一回目はビルマで民主勢力が伸び、大使館も私たちを露骨にいじめにくかったから。二回目はわいろを握らせたからです」 ■厳しい監視国家ラットさんによればミャンマーは極端な監視国家で、国民には外泊の自由さえないという。 「知人の家に泊まる場合でも、警察、町長らへの報告義務がある。警察の抜き打ち検査があるから、内証で外泊などはできない。違反者は罰金。米英のラジオ放送を聞いたのがばれただけでも、反政府活動として軍事裁判にかけられ、三年間の身柄拘束です。スー・チー(ミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏)を支持する英国の音楽グループのCDも輸入禁止になりました」 電話も盗聴されているという。「ビルマにいる母への電話では、決して政治がらみの話はしないし、母も絶対に聞こうとはしません」 ■在留特別許可をラットさんの来日は一九八八年。ミャンマー民主化運動にかかわったことから在留資格の更新をあきらめ、九二年からオーバーステイの状態が続く。難民と認められなくても、法相の裁量による「在留特別許可」があれば日本にとどまることができる。全国約三万人が許可を求める署名に応じたが、野沢法相は送還の方針を崩していない。 それでもラットさんは、日本で祖国の民主化運動に携わり続けたいと言う。 「私は生まれてからビルマで自由を感じたことが一度もありません。民主的な国にするため何かをしたいが、ビルマでは自由に動けない。エンジニアや医師たちも続々と米国やシンガポールに逃れ、祖国の民主化を願っている。だから私も、ビルマの一日も早い民主化のため、日本で活動していたいのです」
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(c) ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo) 1997〜年
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