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難民認定されず強制送還目前ミャンマー人男性、入管収容から訴え
2003年12月12日 ミャンマー人男性のキンマウラさん(46)が、超過滞在などを理由に、10月31日から東京入国管理局(東京都港区)に収容されている。強制退去手続きのためだ。 「もうダメかもしれない」 普段はけっして弱音を吐くことのないキンマウラさんが最近、肩を落としてこう言った。フィリピン人の妻マリアさん(37)は、 「大丈夫よ、頑張ろう」 と声をかけるのがやっとだった。 マリアさんは、小学4年の長女デミちゃん(9)と、次女ミシェルちゃん(6)の近況を伝えるため、毎日のように入管へ足を運び、夫と面会している。 母国で反政府運動が高まった88年、キンマウラさんは軍事政権を嫌って、日本に就学目的で入国した。その後、研修の在留資格を得て、コンピューターの専門学校で学んだ。 来日直後から、「在日ビルマ人協会」の設立メンバーとして民主化運動に参加してきた。日本で政治活動をしているため旅券の更新は認められないと思い、92年以降は在留期限の更新をやめた。偽造旅券で入国し、都内の飲食店で働いていたマリアさんと出会ったのも、このころだった。 94年に長女が誕生したのを機に難民認定を申請したが、98年に不認定とされ、直後に、家族4人は国外退去を通告された。執行されれば、キンマウラさんは軍事政権下のミャンマーへ、マリアさんと2人の子供はフィリピンへ送られることになる。 一家を支援する在日ビルマ人難民申請弁護団が、一家への国外退去処分の取り消しを求めて東京地裁に提訴したが、一、二審ともに敗訴し、現在、上告している。弁護団の事務局長・渡辺彰悟弁護士は言う。 「日本で生まれた子供たちは、日本語しか話せない。長女は地元のガールスカウトに入って、友達もいる。家族がバラバラにされたり、日本から追い出されたら、彼女たちが受ける心の傷は計り知れない」 キンマウラさんが10年間働いてきた運送会社「吉田運輸機興」の吉田勝彦社長も、こう訴える。 「キム(キンマウラさんの愛称)は、30人のトラック運転手の運行管理をこなす私の片腕。会社になくてはならない存在なんですよ」 日本の入国管理制度をめぐる問題を取材してきたジャーナリストの諏訪勝氏は、こう指摘する。 「日本は例年、国連難民高等弁務官事務所など各種の国際難民機関に数千万ドルを拠出する難民支援大国です。しかし、その半面、難民条約に加入して以来、02年末までの20年間に受け入れた難民はわずか305人。毎年、万単位で受け入れる米英独などに比べ、際立って少ないんです」 キンマウラさんの窮状を知り、一家が暮らす東京都大田区の住民らは、家族4人の日本への在留やキンマウラさんの早期釈放を求める2万人分の署名を集め、法務大臣に提出した。 この問題は国会でも取り上げられ、野沢太三法務大臣が11月26日、キンマウラさんへの特別在留許可は認めないものの、一家全員をフィリピンへ送還する案を示唆した。28日には坂口力厚生労働大臣が閣議後の会見で、「残された道で、何かいい方法がないものか」と、家族が日本にとどまれる措置を探る考えも示した。 記者が11月27日、入管に収容されているキンマウラさんに会うと、前日の野沢法相の発言が耳に入っていたらしく、動揺した様子だった。 「ビルマに帰れば、空港に降りた途端に取り調べを受けて捕まるでしょう。といってフィリピンに送られても、もう46歳の私では言葉はできないし、仕事もない。私の夢は、この日本で妻と子供たちと暮らしたいだけなんです……」 後は、涙で言葉にならなかった。 「在留資格が与えられるべきだと思うが、人道的立場から、今すぐにでも収容中のキンマウラを仮放免して家族の元に帰してほしい。それだけのことが、なぜできないのでしょう」 こう訴える渡辺弁護士には、国会で答弁した小泉首相の言葉が今も忘れられない。 「非常にお気の毒な面もあるが、やむを得ない措置ではないか」 最近の難民認定者数の推移(2002年12月31日現在)
認定者数のカッコ内は、難民不認定とされた人の中から異議申し出の結果、認定された数。内数として計上。(法務省入国管理局調べ) |
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(c) ビルマ情報ネットワーク(BurmaInfo) 1997〜年
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