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国際人権NGO資料

アムネスティ・レポート 世界の人権2009:ビルマの項
2009年5月29日配信 アムネスティ・インターナショナル

ビルマ(ミャンマー)連邦
Union of Myanmar

国家元首:タンシュエ上級将軍
政府首班:テインセイン将軍
死刑制度:事実上廃止
人ロ:4920万人
平均寿命:60.8歳
5歳未満の死亡率(男/女):105/87人(1000人中)
成人の識字率:89.9%

2月、政府は、年内に憲法草案に関する国民投票を行い、続いて2010年には選挙を行うと発表した。
5月、国民投票が予定された日のわずか1週間前にサイクロン・ナルギスが南部地域一帯を襲い、およそ240万人に被害を与えた。8万4500人以上が死亡、1万9000人以上が負傷し、5万4000人近くが行方不明のままである。政府はその余波の中で救援物資の支給を遅らせたり、条件をもうけたりし、援助を申し出た国々にも人道的支援の提供を認めなかった。5月下旬に国連事務総長が訪問したのを受けて規制は緩和されたが、政府は依然として援助を妨害したり、被災者を避難場所から強制退去させたりした。
政府はまた5月に主要野党、国民民主連盟(NLD)のアウンサンスーチー書記長の自宅軟禁を延長した。年末時点で2100人以上が政治犯として収監されていた。その多くは2007年の大規模デモに関連して、不公正な裁判で判決を言い渡された。東部ではカレン民族の民間人を標的とし、人道に対する罪に匹敵する軍事攻撃が続き、この年で4年目を迎えた。政府が民間企業や国営企業と協力して進める石油や天然ガス、水力発電の開発は一連の人権侵害を引き起こした。

背景

2007年末に新憲法を起草するために設置された委員会(指針では起草期間は14年間とされる)は2月にその作業を完了した。これは政府による民主化への「ロードマップ」7段階の4段階目にあたり、その後国民投票と選挙が行われ、新政府が樹立される見込みである。NLDは1995年以降、この手続きに参加していない。アウンサンスーチーは1月、政府の渉外担当者と2007年の一斉検挙以来2度目の会見を行い、11月には自党の指導者と会見した。
年末時点で収監されていた長期の政治囚の数は、1988年の民主化を求める大規模な蜂起以来最高となり、2007年と比べて2倍近くとなっている。2100人以上の政治犯(その多くは良心の囚人)がなおも獄中におかれた。

強制立ち退き

サイクロン・ナルギス襲来後数日以内に、家が壊され、村が水に浸かって避難した被災者を、政府は公有・私有の避難場所から強制的に立ち退かせ始めた。アムネスティはサイクロンに続く1カ月間だけで、政府による強制立ち退きの事例を30件以上確認した。多くの事例で援助はまったくないか、不十分だった。さらに当局は憲法案をめぐる国民投票を実施するために、学校や僧院に緊急避難した被災者を退去させた。
■エーヤワディ管区のボーガレーとラブッタでは5月19日、地方当局者が多くの人たちを船に乗せ、彼らをミャウンミャ郡やモービン郡の村などへ強制的に送り返そうとした。当初ボーガレーに避難した人たちのうち、現地に5月25日までとどまっていたのはわずか10パーセントにすぎなかったとみられている。
■5月23日、ヤンゴンの当局者が3000人以上のサイクロン被災者をいずれもヤンゴン管区にあるシュエーボーカン郡の公設避難所と、ダラ国立高校内の非公式避難所から強制的に移動させた。
■5月25日、およびその直前、当局者がおよそ600人をミャウンミャ国立高校内の非公式避難所からラブッタへ強制的に移動させた。
地方当局者による強制立ち退きはまた天然ガス開発や西部ラカイン州で進められる韓国主導によるシュエガスパイプライン計画とも関連して行われ、地方当局者は開発計画に反対する地域住民を逮捕したり、拘禁したりした。地域住民の中には潜伏する人たちもいた。ラカイン州の別の場所では、中国主導による陸上石油開発プロジェクトを推進するため、地方当局が近隣住民の土地を没収した。

人道的アクセスの欠如

5月2日から3日にかけてサイクロン・ナルギスがビルマを襲ったあと、政府は3週間にわたって外国からの援助の申し出を拒絶し、被災者が食糧や避難場所、医療品をもっとも必要としていた時期にエーヤワディ・デルタへの経路を遮断した。政府当局はまた国内の民間支援団体がこのデルタに援助物資を運ぶことも妨げた。5月24日に政府の憲法草案に対して賛成投票することや、働くか軍に入隊する意思を表明することを援助や支援の条件とする当局者もいた。一部の兵士や地方当局者は被災者向けの援助物資を没収したり流用したりした。

政治犯

政府は憲法反対運動を行ったり、サイクロン被災者を支援したり、人権や民主主義の擁護活動を行う人たちを拘禁した。少数民族の指導者や活動家も、新憲法が施行された場合の情勢や自分たちの立場・利益について懸念を表明したために拘禁された。9月には政府が10人の政治犯を釈放したが、そのうちの1人、著名なジャーナリストでNLDの上級役員でもあるウーウィンテインは翌日、再逮捕された。
■政府は抗議集団「世代の波」のメンバー少なくとも16人を逮捕したが、その多くは憲法をめぐる国民投票に反対する人たちだった。11月にはこのうちの10人が平和的な政治活動を理由に最長7年6カ月の刑期を言い渡された。その中にヒップホップのスター、ザヤートーも含まれていた。
■少数民族シャンの最高政治指導者である老齢の良心の囚人、クントゥンウーは健康を害した。政治的移行の公式計画について私的に議論したことで2005年に93年の懲役刑を言い渡されていた。
■コメディアンであり、ディレクターでもあるザーガナーは6月4日に政府のサイクロン・ナルギス対策を批判したとして逮捕された。サイクロンのあと、ザーガナーは民間ドナーによる人道的支援運動を主導し、危機に関する情報提供を行っていた。10月に平和的反対意見を罰するあいまいな条文に基づいて45年の刑が言い渡された。

武力紛争

東部ではタッマドー(ビルマ国軍)によってカレン民族の民間人への武力攻勢が続けられた。政府軍は国際人権・人道法の広範で組織的な侵害に関与し、これは人道に対する罪に相当する。侵害行為には超法規的処刑や拷問、強制労働、強制退去や強制「失踪」などが含まれていた。

表現の自由

政府は2月、憲法草案承認のための国民投票法を公表したが、それは国民投票への反対運動を理由に逮捕された人たちに最長3年の刑または多額の罰金、あるいはその両方を科すものだった。政府は、平和的に憲法反対運動を行ったり、ボイコットを求めたりする多くの活動家を拘束するためにこの法律を適用した。4月下旬には平和的なデモを行おうとしたことを理由に、70人以上が逮捕された。ジャーナリストや人権擁護活動家は、2008年を通じてその活動がとりわけ標的とされた。
■詩人のソーウェーは1月、バレンタインデーの詩に秘密のメッセージを盛り込んだとして逮捕され、2年の刑となった。
■ブロガーのネーポンラッは1月、自分のブログに公開した画像と風刺漫画を理由に拘禁され、20年6カ月の刑を宣告された。

不公正な裁判

11月には多くの略式で著しく不公正な裁判が何度も刑務所の中で行われ、長期刑の判決に結びついた。政府は弁護士に嫌がらせをするなどして被告人の弁護を受ける権利をたえず妨害し、その他の適性手続きの権利も妨害した。裁判官も検察側のあからさまに信じがたい証拠や強要された自白を受け入れた。この月に215人前後に刑が宣告された。ほとんどの裁判が2007年の抗議運動に関連していた。
■11月、88年世代学生グループ(88G)の指導者ミンコーナイン、コーコージー、テーチュエーを含む23人にそれぞれ懲役65年が言い渡された。
■9月、強制労働やこども兵士の徴集に関する情報をILOに提供する手助けをしたヤンゴンのNLD議長、ウーテッウェーに重労働を伴う2年の刑が宣告された。
■11月、2007年の抗議運動を主導した仏教僧、ウーガンビラを弁護したアウンテインと同僚の弁護士、ウーキンマウンシェインにそれぞれ法廷侮辱罪で4カ月の刑が言い渡された。2人は弁護人申請を取り下げる書簡を提出し、その中で自分たちの依頼人が司法手続きを信用しておらず、それ以上代理される意思がないことを明らかにしていた。
■11月には強制労働に反対する活動家、スースーヌウェがインセイン刑務所内の裁判で12年6カ月の刑を宣告された。

国内避難民

ビルマでは2008年末時点で50万人以上が国内避難民となっている。そのほとんどがシャン州とカイン州だが、カヤー州やモン州、バゴー管区や夕ニンダーリ管区にも国内避難民がいる。

司法や憲法・制度上の発展

2月、政府はILOと交わした補足覚書を延長することに同意した。覚書は、公的報復を恐れずに強制労働への不服申し立てを行えるようにすることと、申し立て事例の調査を求めている。現在、兵役を強制されたとされる子どもの多数の事例が調査されている。
また5月、政府は、憲法をめぐる国民投票で有権者の98.1パーセントが投票を行い、そのうちの92.4パーセントが憲法草案に賛成の票を投じたと公表した。政府はこの年、これに先だって国連に長7年6カ月の刑期を言い渡された。その中にヒップホップのスター、ザヤートーも含まれていた。
憲法は過去と将来の人権侵害への免責を保証し、軍部に緊急事態にあたってあらゆる基本艇権利を停止する権限を与え、また軍部に両院の議席25パーセントと、政府高官や裁判官のかなりの部分を確保させるものだった。拷問や虐待からの自由や、不可欠である公正な裁判の保障措置についての条項はない。表現や結社、集会の自由に関する条項はあいまいな但し書きによって厳しく制限されたり、差別的なものとなっている。国民投票に先立って公表された憲法案そのものも多数派言語のビルマ語だけで書かれていた。

国際的な監視

3月と8月、国連事務総長特別顧問、イブラヒム・ガンバリがビルマを訪れた。3月にはパウロ・セルジオ・ピニェイロがビルマの人権状況に関する特別報告者として、任期中最後の包括的報告書を国連人権理事会に提出した。特別報告者の責務が人権理事会によって更新されたあと、新たに任命されたトマス・オヘア・キンタナは8月に初めてビルマを訪れ、9月には国連総会に最初の報告書を提出した。人権理事会はまた3月にビルマに関する決議を採択した。
5月、国連安全保障理事会は2007年の弾圧以来2度目となるビルマに関する議長声明を出した。5月にはまたサイクロン・ナルギスの発生を受けて、人道問題・緊急援助調整官を務める事務総長次官と国連事務総長がビルマを訪問し、事務総長は9月に国連総会に報告書を提出した。11月には国連総会がビルマに関する決議を採択した。国連事務総長によってビルマ問題を議論するために設立され、14の国とEUから構成される「友好集団」もこの年に5回、会合を開いた。
5月、ASEAN事務総長のスリン・ピッツワン博士はビルマを訪れ、サイクロンの救援活動を監視するために政府と国連、ASEANによる三者協議を立ち上げる手助けをした。憲法をめぐる国民投票への国際的な反応は様々で、その手続きや憲法自体を批判する国もあれば、潜在的には前向きな動きだと見る国もあり、米国とEU、オーストラリアはビルマに対する経済制裁をいっそう強化した。

アムネスティ訪問/報告書

Myanmar: Crimes against humanity in eastern Myanmar (5 June 2008)
Myanmar: Human rights concerns a month after Cyclone Nargis (5 June 2008)
Myanmar: Constitutional referendum flouts human rights (9 May 2008)