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国際人権NGO資料

アムネスティ 年次報告2003-ビルマ
2003年5月1日配信 アムネスティ・インターナショナル 

『アムネスティ・レポート 世界の人権 2003』(編訳:社団法人アムネスティ・インターナショナル日本)のビルマ(ミャンマー)に関する国別報告をアムネスティ日本ビルマ調整チームの許可をいただいて転載したものです。

アムネスティ・インターナショナル 年次報告2003
ビルマ(ミャンマー)連邦

ビルマ(ミャンマー)連邦
首都:ヤンゴン
人口:4840万人
公用語:ビルマ語
国家元首兼政府首班:国家平和発展評議会(SPDC)議長兼首相タンシュエ上級将軍
死刑制度:存続
国際刑事裁判所設置規程:未署名

*2002年1月から12月の事態についての報告

 5月、最大政党である国民民主連盟(NLD)の指導者アウンサンスーチーが事実上の自宅軟禁から解放された。軍事政権である国家平和発展評議会(SPDC)とアウンサンスーチーとの間で国の今後のあり方に関する非公式の対話が2000年10月に開始されたが、2002年中に進展がみられたとの報告はなかった。
 2002年は、300人以上の政治囚が釈放され、2001年1月以降、500人以上が釈放されたことになる。前年までに逮捕された約1300人の政治囚が未だに獄中にいる。SPDCはNLDと協議し、政治囚の釈放を約束したにもかかわらず、新たにおよそ50人が政治的理由で逮捕された。
 7つの少数民族地域の州、とりわけシャンおよびカイン(カレン)州において、依然として超法規的処刑と強制労働が報告された。シャンおよびカイン(カレン)州の各地で、SPDCによる反政府勢力に対する掃討作戦展開中に引き続き民間人の人権が侵害されている。

背景
 これまでと同様、国軍は、カレン民族同盟(KNU)、カレンニ民族進歩党(KNPP)、シャン州軍(南部方面軍)(SSA-South)との武力衝突をくり返した。5月、SSA-Southはシャン州東部にあるSPDCの拠点数カ所を占領した。SSA-Southにタイ領土からの攻撃を許したとしてタイ政府を非難し、SPDCは2000キロにわたるタイとの国境線を10月まで封鎖した。
 1962年から88年にかけて軍事政権に君臨したネーウィン将軍は、3月、実娘のサンダーウィンとともに事実上の自宅軟禁状態に置かれた。将軍は12月に死去したが、サンダーウィンは自宅軟禁されたままである。将軍の義理の息子と3人の孫は同時に逮捕され、インセイン刑務所に拘禁されている。9月に、この4人は国家反逆の容疑で死刑を宣告された。その後上訴したが、最初の上訴は棄却され、特別上訴は継続中である。将軍一族はSPDCの利益に反する経済活動に従事し、その事業の便宜を図るよう軍部の数人のメンバーに働きかけていたというのが大方の見方である。

政治的・経済的発展
 2002年、SPDCとNLDとの間の対話には実質的進展が見られなかった。国内のNLD事務所数カ所が再開したが、党機関紙を発行する許可を得られなかった。NLD幹部は、SPDCに対し数回にわたって対話開始と全ての政治囚を釈放するよう求めた。政治的変化を求めたり、あるいは追放された反体制派の発行物を所持していた学生やNLDメンバー、その他の活動家が逮捕された。
 2002年後半には、チャット(ビルマの通貨)が1USドル800チャット以上で取引された。公式レートは1ドル6チャットのままであった。米や日用品の価格の高騰、深刻な電力不足、おもだった開発援助の不足により大半の国民が経済的に一層困窮した。農民は、市場価格をはるかに下回る価格で米を政府に売るか、一部を上納するよう強要され続けている。SPDCは依然として、健康や教育、福祉に対してほとんど予算を割り当てていない。
 少数民族居住の州、とりわけ反政府勢力掃討作戦が展開されている地域において、十分な栄養がいきわたらず、予防可能な病気が流行したため、人びとの生活は一層苦しくなっている。シャン州南部では、国軍はSSA-Southに対する掃討作戦において、民間人に強制労働を課したり、超法規的に処刑している。カイン(カレン)州北部のパープン区では数千人のカレンの民間人が住んでいた村を破壊されたあと、軍に見つからないよう密林などに隠れて生活している。カイン(カレン)州南部にあるチャインセージー郡やチャイン郡では、カレン民族同盟(KNU)が武力闘争を続けており、4月の国軍によるKNU掃討作戦中に、民間人が強制労働や強制移住をさせられたり、超法規的に処刑されたりした。モン州、とくにイェー郡で、軍は民間人に強制労働をさせ、土地を強制収用した。

政治囚
 2002年には約50人が逮捕された。その大半は平和的な方法で反政府活動をしていた人びとである。前年までに逮捕された国会議員18人を含め、獄中の政治囚は、およそ1300人にのぼる。


2002年を通して拘禁されていた良心の囚人の中には、ウィンティン、キンキンレー、ウィンテイン、テッウィンアウンがいる。彼らは1999年1月に59年の禁固刑判決を受けた。ポーウートゥン(別名ミンコーナイン)は、刑期満了後も行政拘禁されている約30人の1人である。

サライ・トゥンタン博士は少数民族チン族の70歳代の大学教授である。博士は平和的なデモ活動を行なったことによって2001年11月に逮捕され、2月に7年の禁固刑判決が下された良心の囚人である。博士の健康状態が懸念されている。
NLD青年支部のメンバーであるアウンテイン、チョーナインウーは亡命した反体制グループの雑誌を所持していたために7月に逮捕された。2人は取り調べのあいだ激しく殴打されたという。9月には7年の拘禁刑判決が下された。

テッナウンソー、キンマウンウィンという大学生2人は、8月にヤンゴンのヤンゴン市庁舎で平和的な抗議集会を行なったことを理由に逮捕された。11月には、それぞれ14年と7年の拘禁刑を宣告された。

NLD支持者であるシュエマウンは、11月にマンダレーで逮捕された。逮捕されたのは、貧困層の子どもたちに米を配り、NLDのシンボルである竹製の帽子を編んだあとだったという。

釈放
 アウンサンスーチーは5月に釈放され、国内を自由に移動することを許された。良心の囚人であり、アラカン民主連盟(ALD)の指導者であるエータアウンは8月に釈放された。チン州のグレイシー牧師と作家のミョーミンニェインは2月に釈放された。ミョーミンニェインは1990年以降収監され続けていた。2002年に釈放された政治囚のほとんどは刑期を満了したあとに釈放されたものである。

拷問・虐待
 軍諜報部による取り調べの初期段階で政治囚が拷問を受けているとの報告があった。拘禁中の3人の政治囚が死亡し、1988年以後、拘禁中に死亡した政治囚は確認されているだけでも73人になった。


NLDシャン州副議長で、少数民族シャン族出身のサイパッ(61歳)は、10月、シャン州ケントゥンで拘禁されていたあいだに疑わしい状況下で死亡した。彼は地域でのNLD活動を組織化している最中の9月に逮捕された。また、米税を納めないよう農民を説得していたとして非難されていたようである。SPDCは、彼の死因は脳マラリアであると発表したが、反政府筋の情報では十分な医療手当てが施されなかったのではないかとしている。

刑務所の状況
 1999年に赤十字国際委員会(ICRC)がビルマ(ミャンマー)の刑務所を訪問するようになってから状況は改善している。しかし、囚人にはまともな食事や医療手当てが施されていないため、健康を損なった政治囚もいた。有罪判決を受けた刑事犯は、過酷な状況の収容施設に送られ、社会基盤整備にかり出される危険がある。また、戦闘で殺害されたり虐待される危険、あるいは放置されて死亡するといったおそれのある掃討作戦が行なわれている地域で、軍の荷物運びをさせるために刑務所から連れ出された者もいたとの報告もあった。

強制労働
 「SPDC1999年命令第1号」および「SPDC1999年命令第1号補則」は、軍やその他のすべての政府当局者による強制労働を禁止し、責任者を処罰するものである。しかし、この命令は少数民族居住の7州の多くの地域で徹底されていないと思われる。民間人のなかには軍からこの命令について知らされている人もいたが、強制労働は少しも減少していないようである。
 シャン、カイン(カレン)、チン、ラカイン、モン州およびタニンダーイ管区では、軍による強制労働や、金銭、食料、その他の物品の搾取が続いている所もある。軍の自給の一環として、少数民族の人びとが社会基盤整備や軍が民間人から没収した農場での労働を強いられた。民間人は強制的に反政府武装勢力との交戦地域で、起伏の多い地形を長期間にわたり軍人のために重い荷物を運ぶという運搬作業に従事させられた。

超法規的処刑
 戦闘行為にまったく関与していない少数民族民間人に対する超法規的処刑の報告が続いた。とくに軍による掃討作戦の一環として、反体制の武装グループと接触したと疑いをかけられた民間人が罰せられた。


1月、ルンコン、サイオンタ、サイニュン、パパン、ナンレン、ナインナイン(4カ月)という6人のシャン州ムーンケーン郡出身の民間人はタイへ向かう途中、ムーントン郡で281歩兵大隊兵士により銃殺された。

国際社会の反応
 4月、国連人権委員会は、ミャンマー問題特別報告者の任期を1年延長する第11決議案を総意で採択した。この決議は人権侵害の深刻さに懸念を表明し、SPDCに対して国内における和解を促進するよう強く求めるものであった。12月、国連総会においても同様の決議が総意で採択された。
 5月、米国はビルマ(ミャンマー)に対する経済制裁の期限を延長した。限定的な経済制裁を課している欧州連合(EU)共通政策は4月と、10月に延長された。EU代表3人が2月と9月にビルマ(ミャンマー)を訪問した。
 SPDCとの間で合意した3月協定に基づいて国際労働機関(ILO)は、6月、ヤンゴンに連絡事務所を開設し、9月には常任の連絡担当官を任命した。その担当官はSPDCの実施委員会委員や他の高官と面談したが、2002年末までにSPDC側は強制労働の報告を調査する独立したシステムを確立しなかった。
 国連事務総長の特使が、NLDとSPDCとの政治対話を促進し、政治囚の釈放を円滑に進めるため3度訪問した。国連のミャンマーに関する特別報告者が2月と10月に訪問した際には妨害されることなく刑務所を視察し、ヤンゴン以外を訪問することも許可された。

アムネスティ報告書
紛争地域で迫害される人びと (AI Index: ASA 16/007/2002)
Myanmar: Fear for safety/fear of torture/possible prisoners of conscience (AI Index: ASA 16/011/2002)
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