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国際人権NGO資料

アムネスティ 年次報告2004-ビルマ
2004年5月1日配信 アムネスティ・インターナショナル 

『アムネスティ・レポート 世界の人権 2004』(編訳:社団法人アムネスティ・インターナショナル日本)のビルマ(ミャンマー)に関する国別報告をアムネスティ日本ビルマ調整チームの許可をいただいて転載したものです。書籍版とは若干表現が異なる可能性もありますので、正式な引用は書籍から行ってください。

アムネスティ・インターナショナル 年次報告2004
ビルマ(ミャンマー)連邦

ビルマ(ミャンマー)連邦
首都:ヤンゴン
国家元首:タンシュエ上級将軍
政府首班:キンニュン上級将軍(8月以降)
死刑制度:存続
女性差別撤廃条約:批准
女性差別撤廃条約選択議定書:未署名

2003年1月から12月の出来事についての報告

 5月30日、最大政党である国民民主連盟(NLD)のアウンサンスーチー書記長を含む指導者、支持者がビルマ(ミャンマー)北部を遊説中に軍事政権側の支持者により襲撃された。少なくとも4人が殺害され、軍政を批判した人びとの多くが逮捕された。5月30日以降、逮捕された人びとの多くが長期の懲役刑を宣告された。軍事政権である国家平和発展評議会(SPDC)とアウンサンスーチーによる対話の進展は2003年中もみられなかった。シャン、カイン(カレン)、カヤ-、モン州の一部でSPDCによる反政府勢力の掃討作戦が行われており、少数民族の民間人は引き続き、強制労働を含む広範囲にわたる人権侵害に苦しんでいる。

背景
 2003年前半、アウンサンスーチーや他のNLD指導者は支持者と会い、NLD事務所を再開するためにビルマ(ミャンマー)国内の多くの地域を遊説していた。5月30日の襲撃事件以降、SPDCによりすべてのNLD事務所は閉鎖され、2003年末の時点で閉鎖されたままである。
 8月の内閣改造により、ソーウィン上級将軍がSPDC第1書記に任命された。また、同月にキンニュン上級将軍は軍政から民主主義への移管のため、7段階の「ロードマップ(行程表)」を発表した。
 8月、SPDCは1996年3月以降開催されていない国民会議を再召集することを発表した。この国民会議は1988年9月に国軍が再び権力を掌握した際に廃止した1974年憲法に代わる憲法の草案を作るため、SPDCが1992年に開催したものである。SPDCは国民会議を組織するために2つの委員会を設立したが、2003年末の時点でそのメンバーの全リストは公表されていない。国民会議への参加に同意した停戦中の少数民族グループもあるが、1990年の総選挙で議席の82%以上を獲得したNLDの参加は不透明である。
 2月にはいくつかの民間金融機関が破綻し、同国の経済的な困難を深めている。
 例年のように国軍はカレン民族同盟(KNU)やカレンニ民族進歩党(KNPP)、シャン州軍(南部方面軍)(SSA-Sounth)、モン州の小規模な武装反政府集団と小戦闘を行っている。12月にSPDCはKNU、KNPPと停戦について話し合いを行った。同月にSPDCとKNUは一時停戦で同意したが、局地的な戦闘は引き続き報告されている。

死刑制度
 8月、最高裁判所は1962年から88年にかけて軍事政権に君臨したネーウィン将軍の3人の孫と義理の息子に対する死刑判決を支持した。11月にはジャーナリストや政治家を含む7人が不当な政治裁判の後、大逆罪のため死刑を宣告された。死刑の執行は報告されていない。

5月30日の事件とその余波
 5月30日のNLD指導者と支持者への襲撃はザガイン管区の人里を離れた地域であるディペイン近郊で夜に起こった。SPDCは4名が殺害され、50名が負傷したと発表した。反政府側の情報によるとそれ以上の死傷者がいると伝えられている。SPDCは独立した調査を認めていないので、死傷者の人数を確認するのは不可能である。
 襲撃者はNLD支持者に対し鉄や竹の棒を打ちつけ、致命的となる結果をもたらすこともあった。激しく打ちつけられ、服をはぎ取られた女性もいた。
その際に多数のNLD支持者が逮捕され、カレー刑務所に囚われているNLD副議長で70歳代後半になるティンウーを含む24人が2003年末の時点で未だ拘禁されている。事実上の自宅軟禁状態にあるアウンサンスーチーは医者と国連、赤十字国際委員会(ICRC)の職員にのみ会うことが認められている。彼女は5月30日の襲撃事件以降に拘禁された人びとが釈放されるまで、彼女自身の解放を拒否することを国連のミャンマー問題特別報告者に伝えた。

政治的な理由による逮捕、投獄
 1350人以上の政治囚が未だに獄中にいる。この多くが良心の囚人であると考えられている。
 5月30日の襲撃事件以前にSPDCは30人の政治囚を釈放したが、この数は過去3年間に比べて非常に少ない。
 5月30日の襲撃事件の際に逮捕され、その後釈放されたが、12月に再度逮捕された人びとがいる。平和的な反政府活動を行った人びとに対する軍情報部(MI)による恣意的な逮捕が5月30日以降、助長されている。5月30日以降、少なくとも52人が逮捕され、未だ獄中にいる。その多くは後に長期の懲役刑を宣告された。
 2003年末には30名以上の国会選出議員が拘留された。そのうちの13人は、5月30日の襲撃事件に関連しての逮捕である。
 赤十字国際委員会は引き続き、ビルマ(ミャンマー)国内の刑務所、収容施設を訪問している。政治囚への食物、医療は不十分であり、また5月30日に負傷し、逮捕された人びとには適切な医療処置が取られていない。国軍は引き続き、刑務所や収容施設の刑事犯をポーターとしてや地雷を除去させる目的で地雷敷設区の疑いがある地域を歩かせるなど広範囲にわたって利用している。
 裁判が行われる前の政治囚は隔離状態で独房に監禁され、そのことが尋問中の拷問や虐待を助長している。政治的な裁判は公正な裁判のための国際基準からほど遠い。多くの場合、被拘禁者の弁護士を依頼する権利は拒否され、軍情報部や警官の申し立てのみに基づいて長期の懲役が宣告される。

民族的・宗教的少数派
 伝えられるところによると、国軍は引き続き民間人の所有地の多くの土地を補償なしに没収し、また民間人を強制労働に従事させている。モン州イェー郡、タニンダーイ管区イェービュー郡、ラカイン州・カイン(カレン)州・カチン州・シャン州の一部や停戦地域や武力闘争が起きていない地域で強制労働が行われていると報告された。
 10月から11月にかけて、マンダレー、ヤンゴン管区で仏教徒がイスラム教徒に対して暴力を加えたと報告された。イスラム教徒は殺害され、彼らの財産は破壊された。

国際社会の反応
 国連事務総長の特使が、NLDとSPDCの対話の再開と政治囚の釈放を促すために2度訪問した。国連のミャンマー問題特別報告者は3月と11月に訪問した。3月の訪問の際、その報告者は政治囚との面会中に盗聴器を発見し、訪問を予定よりも早く切り上げた。
 4月、国連人権委員会は、ミャンマー問題特別報告者の任期を1年延長する第12決議案を無投票で(コンセンサスで)で採択した。12月、国連総会は5月30日の襲撃事件、その事件後の逮捕、引き続く少数民族への人権侵害を非難する決議を総意で採択した。その決議はSPDCによる「国連事務総長の特使とミャンマー問題特別報告者へのさらなる協力」を求めた。
 7月、東南アジア諸国連合(ASEAN)はビルマ(ミャンマー)軍事政権にアウンサンスーチーを釈放するよう求める声明を発表した。ASEANの歴史の中で初めて公然とASEAN加盟国が非難された。ビルマ(ミャンマー)に経済制裁を課している欧州連合(EU)共通政策は4月に延長され、5月30日の襲撃事件以降、拡張された。米国は8月に経済制裁を拡張した。
 5月、SPDCとヤンゴンの国際労働機関(ILO)の連絡事務所は強制労働をさせられた人びとが補償を受けることができるよう、世話役となる者を独自に任命することを条件に行動計画に同意した。しかしながら、5月30日の襲撃事件以降、「疑念と脅迫」の風潮は被害者が世話役と何の危険も無しに連絡を取ることができる環境を作りえないため、ILOはその計画を履行しないことを決定した。

アムネスティ調査団派遣
 アムネスティによる初めてのビルマ(ミャンマー)訪問が1月から2月にかけて実施され、調査団は軍政幹部、政治囚、一般市民と会合した。前回よりも訪問期間が長かった12月には、調査団は政治的な理由による投獄・法による統治の調査の他、3ヵ所の刑務所で35名の政治囚との面会を行った。

アムネスティ報告書
試される司法 (AI Index: ASA 16/019/2003)
Myanmar: Violent attack on political party members - Independent investigation must take place (AI Index: ASA 16/028/2003)
Myanmar: Amnesty International's second visit to Myanmar - Official statement (AI Index: ASA 16/037/2003)
(訳、アムネスティ日本 ビルマ(ミャンマー)調整チーム)