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国際人権NGO資料

アムネスティ・インターナショナル 年次報告2008
2008年5月1日配信 アムネスティ・インターナショナル 

Amnesty International Report 2008(2007年の人権状況をまとめたもの)のビルマのページの仮訳です。

アムネスティ・インターナショナル 年次報告2008
ビルマ(ミャンマー)連邦

国家元首 タンシュエ上級将軍
死刑制度 事実上廃止
人口 5150万人
平均寿命 60.8歳
5歳未満の死亡率(男/女) 107人/89人(1000人中)
成人の識字率 89.9パーセント

2007年1月から12月の出来事についての報告

 ビルマの人権状況は悪化の一途をたどり、9月には、6週間前に広範囲で始まった抗議を当局が5日間に渡って弾圧する結果となった。平和的抗議は経済的、政治的な怒りが噴出したものだった。この弾圧で100人以上が殺害され、強制「失踪」した者も同じくらいいると思われる。数千人が過酷な状況に拘禁されている。政府は反「テロ」法により抗議参加者の多数を起訴した。この危機に対して国際社会は、西欧諸国が制裁を強化するなどして対応した。少なくとも1150人が政治囚となり拘束されているが、この中には十数年以上前に逮捕された者もいる。
 カイン州北部では軍事攻撃が続き、国際人権法、人道法が広範囲で組織的に侵害されている。ラカイン州西部では、政府が大規模なシュエガスパイプライン計画の交渉を継続しており、このために現地コミュニティの強制移住や強制労働などが行なわれている。

背 景
 9月、政府は新憲法の草案指針を完成させ、民主化に移行する「ロードマップ」7段階の第2段階まで進んだ。12月、憲法起草のため軍やその他官僚からなる委員会の委員54人を任命した。主要野党である国民民主連盟(NLD)は、この過程には早期の段階から加わらず、このプロセスに対する批判を犯罪とする法は有効である。
 政府は3つを除いたすべての民族集団勢力と停戦したが、7つの民族州のすべてで強制移住、強制労働、軍のポーターとして働かされる状態が続いている。
 ビルマに関する国連事務総長特別顧問の訪問を受けた後、ビルマ当局は国民和解に関する対話開始に向けてアウンサンスーチーと会談したが、彼女は過去18年間のうち12年間を自宅軟禁下に置かれたままだ。

表現の自由
 NLD党員は一年を通して嫌がらせの対象となり、離党した人も多い。民主化を求める活動家やデモ参加者は逮捕された。とくに、1988年の民主化運動で中心的となった学生が2005年に結成した88年世代学生グループ(88G)は、当局の標的となり脅迫された。
 経済がすでに停滞しているなか、政府が8月に燃料価格を大幅に値上げしたことがきっかけとなり、全国に平和的抗議が広がった。9月、パコックに集まってデモをしていた僧侶を当局が攻撃し、主に、ヤンゴン、マンダレー、シットウェー、パコック、ミッチーナーなど各地での抗議を僧侶が主導するようになった。9月25日から29日、当局は抗議に参加していた人びとを暴力で弾圧した。僧院が襲撃を受けて閉鎖され、器物は破壊されたり押収されたりし、僧侶は殴られ拘禁された。それ以外の抗議参加者の家屋や避難場所も夜間を中心に襲撃を受け、当局は友人や家族を人質にして指名手配人物に圧力をかけ、それ以上抗議する気をそいだ。反対派宗教指導者らが新たに結成した全ビルマ僧侶連盟(ABMA)という集団が主に狙われた。当局は写真を撮ったりデモの様子を録画したりし、後になって、そうした記録があると市民を脅し、また襲撃に利用した。弾圧が行なわれている間は全国でインターネットが切断され、ある小集団が弾圧後1カ月を記念してデモを行なった際には、ジャーナリストが標的となり、逮捕された。

殺害と過剰な力の行使
 4月18日、エーヤワディ管区で、人権擁護と促進グループのメンバー2人が50人以上に襲われ、頭部を負傷し入院した。村の上級警官数名と連邦連帯発展協会(USDA)事務局長がその場にいたと言われる。
 9月、抗議参加者に対して5日間に渡って弾圧があった際、31人が死亡したと確認されたが、実際には100人以上が犠牲になったようだ。国家治安関係者やその支持を得た集団から、ゴム弾や実弾が平和的なデモを行なっていた群集に向かって発射された。この銃撃で死亡したり負傷したりした人数はわからない。軍用トラックや橋などから発砲があったという目撃証言や、犠牲者の身元からすると、当局は、デモ参加者の指導者であるか指導者だと思われる人を故意に狙っていたようだ。
 9月27日、ヤンゴンにある第3国立高校の生徒、テッパインソウとマウントゥンリンチョウが撃たれ、死亡した。
 9月27日、日本人ジャーナリスト長井健司が至近距離から撃たれ、殺害された。
 国家治安関係者やその支持を得た集団は、抗議に参加していた人びとを棒で殴った。抗議に参加していた僧侶・市民、また傍観していた人びとも犠牲になった。こうした殴打が無差別に行なわれたケースもあったが、特定の個人を狙い、追いかけて殴り倒したケースもあった。
 22歳のNLDメンバーであるコーコーウィンは、9月27日にヤンゴンのスーレーパゴタ付近で殴られた際の負傷が原因で死亡した。

人道に反する罪
 カイン州でのタマドゥ(国軍)による軍事攻撃は、規模はいくらか縮小したものの続いており、組織的な国際人権法、人道法の違反が広範囲に見られ、その規模は人道に対する罪に相当する。人権侵害としては、家屋や農作物の破壊、強制「失踪」、強制労働、移住、カレン族の殺害などがある。

政治拘禁
 8月に大規模なデモが始まる前でさえ、当局は政府に批判的で知られた人びとを政治的理由でおおぜい逮捕しており、なかにはわずか数カ月前に釈放されたばかりの人もいた。9月25日から29日にかけて弾圧が起きる以前、いったん抗議が始まるとNLDや88Gのメンバー多数が逮捕された。その多くは弾圧に先立って行なわれた明らかな予防的措置だった。
 弾圧の最中はおおぜいが一斉検挙された。当局は一年を通して抗議者やその支持者を逮捕し続け、10月には3週間の夜間外出禁止令を出した。子どもや女性も含め3000~4000人の政治囚が拘禁され、年末時点でそのうちの700人が拘禁されたままであると考えられる。少なくとも20人が公正な裁判の国際基準に違反する手続きで、反「テロ」法により起訴され、判決を受けた。被拘禁者や被告人は弁護士の支援を受けられなかった。
 88G指導者であるコーコージー、ミンコーナイン、ミンゼヤー、ピョンチョ、テイチュエは、国連安全保障理事会が1月にビルマに関する決議を採決する前日、起訴されることなく釈放された。コーコージー、ミンコーナイン、ミンゼヤー、ピョンチョは抗議に参加したとして8月21日および22日に再び拘束され、テイチュエは約1カ月間隠れていたが、10月13日につかまった。
 コメディアンでかつて良心の囚人でもあったザーガナーは、9月25日に弾圧が始まった頃に拘束された。彼は10月17日に釈放されたが、数日後に再び拘禁された。
 88Gの女性リーダーであるミイミイ、テッテッアウンは、それぞれ10月13日、19日に逮捕された。2人とも8月のデモに参加したが、身を隠さざるを得なくなった。テッテッアウンの夫も拘束され、母親と義理の母親も拘束されて人質にされた。
 ABMA指導者で9月の抗議を主導したウーガンビラは11月4日に逮捕され、国家反逆罪で起訴されたようだ。人質にされていた家族2人は拘束されたままだ。
 NLD青年部のメンバーであるススヌウェは、国際労働機関(ILO)に強制労働を報告して拘禁されていたが、2006年7月に釈放された。その後、11月13日、反政府的なポスターを貼っていたところを拘束された。
 11月24日、国家和解に関する対話についてのアウンサンスーチーの声明を公に否定しなかったことから、カチン独立機構(KIO)のメンバー8人が逮捕された。
 良心の囚人であり、NLD指導者であるアウンサンスーチー、ティンウー、メイウィンミン、タンニェイン博士は、全員が起訴も裁判もないままに拘束が続いているが、拘束期間が最長の1年間延長された。とくにメイウィンミン、タンニェイン博士は1997年10月から拘束が続いている。シャン民主連盟のクントゥンウーなどの指導者も拘禁されたままだ。アウンサンスーチーはビルマに関する国連事務総長特別顧問と面会することを3度許されたが、自宅軟禁が解かれることはなかった。

強制「失踪」
 9月の弾圧以来、少なくとも72件の強制「失踪」が確認された。

刑務所の状況
 2006年に刑務所の状況が悪化したのに続き、5日間の弾圧で当局が数千人を拘禁したため、環境は一層悪化した。大人数を収容できる、非公式で秘密の拘禁施設が設けられたが、これは囚人の処遇に関する国際基準を満たしたものではない。食糧、水、寝具、寝場所、衛生設備、医療といった基本的ニーズも不十分だ。赤十字国際委員会は、一年を通して、刑務所における主要な活動を行なう機会を拒まれていた。

拷問と虐待
 弾圧の最中、ザーガナーを含む複数の被拘禁者は犬用の部屋に拘禁され、品位を傷つけるような環境に置かれた。拘禁中は、拷問や、殴打などその他の残虐で非人道的、品位を傷つける取り扱いがあったと報告された。ある被拘禁者は、裸足で割れたレンガの上に長時間ひざまずかせられ、長時間不自然な姿勢でつま先立ちをさせられた(自転車乗りのポーズと呼ばれる)。拘禁された僧侶は、袈裟を取り上げられ、宗教上飲食してはいけないことになっている午後にわざと食事を与えられている。

拘禁中の死亡
 9月の弾圧後、拘禁されていた囚人数人が取り調べ中の取り扱いが原因で死亡した。死亡した人数は不明である。
 9月26日、ミッチーナーにある僧院の副院長ウーティラバンタ師が拘禁中に撲殺された。彼は、僧院が襲撃された前夜も殴打されていた。
 NLDメンバーであるコーウィンシュウェは、10月9日、マンダレー近くのプラトミョウ警察署で死亡した。政府当局は遺族に知らせる前に遺体を火葬にしたため、彼が拷問や虐待を受けたせいで死亡したことを確認できなくなった。
 9月27日から29日にかけて、夜間にヤンゴンにあるイェウェイ火葬場で多数の遺体が火葬されたようだ。この火葬場が夜に使われることは通常なく、国家治安関係者やその支持を得た集団がこの施設を使っている間、職員は近寄らないようにと指示されていた。少なくとも、ある晩に火葬された数人の遺体は頭髪を剃られ、重傷の痕が残っていたと報告された。

国際社会の動き
 1月12日、国連安保理はビルマを批判する決議を採決したが、中国とロシアが拒否権を行使した。2月26日、ビルマ政府はILOと合意文書を締結した。これは、強制労働の被害者が復讐を恐れることなく、補償を求めることができる制度を作るためのものだ。
 9月末の弾圧時、東南アジア諸国連合(ASEAN)はビルマに関する批判声明を発表したが、11月には、ビルマが新憲章に署名することを認めた。国連人権理事会は10月2日に特別会合を召集し、反体制派に対する弾圧を強く非難する決議を採択した。11月、ビルマにおける人権状況に関する国連特別報告者は、2003年以来初めて、同国を訪問した。国連人権理事会は、フォローアップの派遣を要請するこの報告書に基づき、別の決議を採択した。国連安保理は10月に議長声明を発表し弾圧を強く非難し、国連総会も12月の決議で弾圧を強く非難した。
 10月および11月、ビルマに関する国連事務総長特別顧問が同国を訪問した。米国、EU、その他の西洋諸国は制裁を発動、あるいは強化した。12月、インドはビルマへの武器売り渡しや移転を停止したと伝えられる。

アムネスティ訪問/報告書
10月と11月、代表団がタイ・ビルマ国境を訪問
ビルマ(ミャンマー):全世界に武器禁輸を求める(ASA 16/016/2007)
Myanmar: No Return to “Normal” (ASA 16/037/2007)
ビルマ(ミャンマー):2カ月間に渡り続く逮捕(ASA 16/041/200)