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国連機関

世界各国の信教の自由に関する年次報告書 2003年版
2003年12月18日配信 米国国務省民主主義・人権・労働局

編注:ムスリムへの迫害の分野についてのみ訳出したものです。キリスト教徒、仏教徒の状況については、2004年版の全訳を参照ください。

世界各国の信教の自由に関する年次報告書 2003年版
ビルマ(抄訳)
米国国務省民主主義・人権・労働局
2003年12月18日

 ビルマは1962年以来、非常に抑圧的で独裁的な軍事政権の支配下にある。国軍が大規模な民主化運動を残虐に弾圧した1988年以来、軍の高級幹部からなる軍事政権は、憲法と議会がないまま、法令による統治を行っている。1974年に施行された最新の憲法(訳注:現軍事政権は1988年にこの憲法を停止している)は、立法と行政が信教の自由を規制することを次のように認めている。「民族は自らの宗教を公言する自由を享受すべきである。ただし、こうした自由の享受は法や公共の利害を侵害しない範囲で行われる」 政府に登録された宗教を信ずる人の大半は、自ら選んだ信仰の実践をおおむね許されている。しかしビルマ政府は特定の宗教活動に規制を課し、信教の自由への権利を頻繁に侵害している。

 信教の自由の尊重が限定付きであることについて、本報告書が扱う期間で変化はない。国内に張り巡らされた治安機関によって、ビルマ政府は宗教団体を含む、ほぼすべての組織の集会や活動への潜入か監視を行っている。政府は人権と政治的自由を促進する仏教徒聖職者の活動を組織的に制限し、少数派に属する宗教(訳注:仏教以外を指す)による礼拝施設の建設を妨害または禁止し、民族的少数者が住む地域の一部では、特に民族的少数者集団に対し、仏教以外の宗教を否定し、仏教を強制的に奨励している。
 キリスト教徒は、教会の新設許可を得るのが、大半の地域でますます難しくなることを引き続き経験している。ムスリムの報告によれば、ビルマのあらゆる地域で、モスクの新築または既存のモスクの拡張が実質的に禁止されている。ムスリムを狙った暴力事件が引き続き発生した。ムスリムへの移動制限、また活動と信仰の監視は近年、全土で強化されている。

 宗教上の多数派である仏教徒と、少数者であるキリスト教徒やムスリムとの間には社会的緊張があるが、その主な原因は植民地期と現政権の優遇政策にある。ムスリムへの偏見が広く存在している。

 1988年以降、米国政府の対ビルマ政策の主たる目的の一つは、信教の自由への権利など、人権の尊重を拡大することにある。国務省は3月、「国際信教の自由法」に基づき、特に信教の自由の深刻な侵害があるとして、ビルマを「特に憂慮すべき国家」(CPC)の一つに指定した。国務省は1999年、2000年、2001年もビルマをCPCに指定している。この報告書が扱う期間内で、米国大使館は、政府関係者、民間人、研究者、他国の外交官、国際メディアの代表部、世界のビジネス界の代表部、また仏教、キリスト教とイスラームの宗教組織の指導者などビルマ社会のあらゆる層との接触を通して、信教の自由を促進した。

第1部:宗教分布
 人口の過半数を上座部仏教徒が占める(略)。見習い僧を含む仏教僧侶は30万人(成人男性信者の2%)である(略)。宗教的少数者としてキリスト教徒(大半がバプテストだが、カトリックと英国国教会の信者もいる)、ムスリム(ほぼスンニ派)、ヒンドゥー教徒、伝統的な中国や各民族の宗教の信者がいる。政府統計によれば、約9割が仏教徒、キリスト教徒とムスリムは各4%である。しかしこれらの数字は人口に占める非仏教徒の割合を低く見積もっている。(略)

 ビルマには民族的多様性が存在し、民族と宗教の間には一定の相関性がある。上座部仏教は多数派であるビルマ民族と、東部と南部に住む民族的少数者のシャン人、モン人の大半が信仰する。ビルマのほとんどの地域では、宗教と社会階級の間に一定の相関性が存在する。非仏教徒は多数派である仏教徒よりも、教育水準が高く、都会的で、商業に対する関心が強い。

 (略)イスラームはロヒンギャと一部インド人、ベンガル人の間で主要な宗教であり、アラカン(ラカイン)州で広く信仰されている。(略)

第2部:信教の自由の現状
法と政策面での枠組み
 1948年の独立以来、民族少数者の住む地域の多くが反政府武装闘争の拠点となった。(略)歴代の文民および軍事政権は、信教の自由を国家統一への脅威につながるものとみなす傾向がある(訳注:非ビルマ民族の有力な反政府運動には、カレンやカチン、チンなどキリスト教徒が住民の多数派、あるいは指導部の多数派を占めるものが多かった)。

 国教はない。だが実際には、政府は上座部仏教を優遇してきた。歴代政権は、文民政権と軍事政権も共に露骨に仏教を優遇し、結び付いてきた。(略)

(略)

信教の自由への制限
 政府は上座部仏教を引き続き優遇し、組織を管理し、僧団の活動や表現を制限してきた。一部の僧侶はこうした管理に反発している。(略)

(略)キリスト教徒は、教会の新設許可を得るのが大半の地域で困難さを増していることを引き続き経験している。ムスリムの報告によれば、ビルマのどの地域でもモスクの新築が実質的に禁止されており、既存のモスクの修繕や拡張の許可を得るのは非常に困難である。仏教徒がパゴダや僧院の建設許可を得る際に、似たような苦労をしたとの報告はない。(略)

(略)

1960年代以降(訳注:ネウィン独裁政権の誕生以降)キリスト教徒とムスリムは、宗教出版物を輸入するのが難しくなった。宗教的か世俗のものかを問わずあらゆる出版物が現在も検閲の対象になっている。民族語に翻訳された聖書の輸入を合法的に行うことはできない。政府の許可があれば印刷はできるが、許可を得るのに苦労することが多い。(略)

(略)

政府発行の身分証明書には、宗教が明記されていることがある。国民と永住者にはこの証明書の常時携帯義務がある。身分証明書に宗教を明記するかどうかを決定する一貫した基準は存在しないと思われる。国民はまた、公的申請書類の一部で宗教を明記することを義務付けられている。例えば旅券には、民族と同じように宗教を記入する専用の「欄」がある。

 非仏教徒は公共部門での昇進に際して雇用差別を経験している。非仏教徒の閣僚は一人だけだ。この同じ人物(軍の階級は准将)が陸軍で唯一の非仏教徒の将官である。政府はムスリムの兵役参加を妨害し、中級職以上への出世を望むキリスト教徒かムスリムは、上司から仏教への改宗を勧められる。

 ビルマ西部湾岸地域のアラカン州に住むムスリム系マイノリティであるロヒンギャは、過酷な法的、経済的、社会的差別を受け続けている。政府は、英領期開始時点で先祖がビルマに住んでいなかったのではないかとして、 ロヒンギャのほとんどに国籍を認めていない。これは、非常に条件の厳しいビルマの国籍法が定めた国籍取得要件である。バングラデシュから帰還したムスリム系少数者のロヒンギャは、移動と経済活動が政府によって激しく制限されたと訴えている。
 ビルマの他の外国人への措置とは異なり、これらのムスリム住民には外国人登録証が発行されない。このため自分の村を出ようとするたびに、郡の軍政当局から許可を得る必要がある。当局がロヒンギャ、あるいは他の非仏教徒アラカン人にラングーンへの渡航許可を出すことは一般的ではない。しかし賄賂で許可が下りることもある。
 さらに政府は中等教育の対象を国民に限定している。このためロヒンギャは初等以上の教育を公立学校で受けることはできず、公務員になることは不可能である。報告によれば、そのうち特にムスリム住民への移動と信仰の制限が、この報告書が扱った期間内でも増加し続けている。

信教の自由に対する侵害
 政府は言論、出版、集会、移動の自由を規制しており、外交官の移動も規制している。このため、信教の自由などビルマの人権状況に関する時宜を得た、正確な情報を入手することは難しい。権利の侵害に関する情報は、事件が起きてから何カ月、あるいは何年も経って初めて明らかになる。 (略)

(略)

 政府の治安部隊はキリスト教徒に対し、聖職者を逮捕する、教会を破壊する、礼拝を禁止するなどの措置を引き続き行っている。(略)

 ムスリムを特定の地域に隔離するために、軍政当局が組織的な弾圧と移住を行っているとの信頼できる報告があった。例えばアラカン州のムスリム住民は、仏教徒住民用の建物の建設のために、時間や金銭、資材を強制的に寄付させられている。アラカン州のタンドゥエ、グワ、タウングートなどいくつかの郡(訳注:郡は州の下の単位)では、1983年に政府の法令により「ムスリム・ゼロ地帯」が宣言された。タンドゥエ郡では、元々のムスリム住民がまだ生活しているが、新しいムスリムが畑や家を買ったり、引っ越してきたりすることはできない。グウェ郡とタウングート郡では、ムスリムは地域内に住むことが許されなくなり、モスクは破壊され、土地は没収された。モスクの再建を確実に阻むため、元の位置には政府の建物や僧院、仏教寺院がモスクの代わりに建てられている。

 2000年と2001年には、北アラカン州の小さな村のいくつかで、政府がモスクを組織的に破壊している。アラカン州の州都シットウェーでさえ、政府がモスク(わらぶき小屋のようなタイプであることが多い)を破壊したとの信頼できる訴えがある。これらのモスクは許可なしに建設または拡張されたものだった。ラングーン管区でもこうした訴えがある。近年アラカン州のムスリムが、政府による強制労働事業の一環で仏塔の建設を強制されているとの信頼できる情報がある。こうした仏塔は、しばしば没収されたムスリム住民の土地の上に建てられている。しかしこの報告が扱う期間内ではこうした活動は報告されなかった。

 2001年、ビルマではムスリムを狙った暴力が急増した。2001年2月、アラカン州の州都シットウェーの街で暴動が起きた。暴動のきっかけについては様々な、いろいろな面で相反する説明があった。しかし報告は、政府の治安部隊と消防隊が、ムスリム住民のモスクや商店、住居を襲撃から守るためにほとんど何もしなかったことを一致して述べている。
 ムスリムへの襲撃を指揮した僧侶の少なくとも何人かは、僧侶の格好をした、扇動役の軍人またはUSDA(連邦団結開発協会。訳注:軍政の御用大衆組織)メンバーだったとする信頼できる報告がある。暴動が4日間続いた後で治安部隊が介入し、更なる暴力行為は行われなかった。推定で50件のムスリム住民の家が焼かれ、ムスリムと仏教徒双方に死傷者が出ている。
 この暴動以来、政府はこの地域のムスリム住民に対し、元から厳しかった移動制限をさらに強化し、特にシットウェーと地域内の他の町との往来を事実上禁止する措置を執った。2001年には、アラカン人の政治家7人が、暴動を引き起こしたとして7~12年の刑を受けた。

 2001年5月、反ムスリム暴動がバゴー管区タウングーの街(住民9万人のうち、ムスリムはおおよそ2000人)で発生した。暴動はシットウェーと同じパターンを辿った。暴動のきっかけについては様々な説明があったが、治安部隊と消防隊が介入せず、ムスリム住民のモスクや商店、住居が標的となった。
 ここでも、少なくともいくつかの暴力行為を扇動していたと見られる僧侶は、僧侶の格好をしたUSDAか軍人だったとの信頼できる報告がある。軍は暴動が2日続いてから介入し、暴力はすぐに収拾した。だがその前に、広範囲に及ぶムスリム住民の住居や商店と、伝えられるところによればモスク数ヵ所が破壊された。この事件でムスリム10人と仏教徒2人が死亡したと推測されているが、検証は一度も行われていない。

 政府とこれらの反ムスリム暴力行為を結び付ける直接の証拠は存在していないが、軍あるいはUSDAメンバーが扇動したとの報告があった。また伝えられるところによれば、地元政府当局が、年配のムスリム住民に対して襲撃があることを事前に知らせ、暴力を拡大させないために報復しないようにと警告を与えていた。
 こうした襲撃の始まり方や実行者の特徴が完全な形で記録されてはいないが、政府は、ムスリム住民を保護し、彼らの財産を破壊から守るための措置を非常にゆっくりと講じたのがせいぜいだと思われる。こうした暴力は、仏教徒とムスリム双方のコミュニティの間の緊張を象徴的に増大させた。2003年6月には、イラワディ管区でUSDAメンバーが反ムスリム暴力行為を扇動したとの未確認の報告があった。

 この報告書が扱う期間内では、報告のあった反ムスリム暴力事件の回数は昨年に比べて減少している。だがその一方で、伝えられるところによれば、特に2001年秋以降にはビルマ全土でムスリム住民への規制が強化されている。伝えられるところによれば、ムスリムは国内でモスクを新設すること、あるいは2001年の暴動で破壊されたモスクを修復することが許可されていない。当局はまた、伝統的なムスリムの休日を祝うために出された集会願いを承認せず、一ヵ所に集まることのできるムスリム住民の数を制限している。伝えられるところによれば、ムスリム住民への移動規制が全土で強化されている。

 2002年3月には、アラカン州内のマドラサ(イスラム神学校)に無断で増築をしたとして、ムスリム6人が逮捕されたと伝えられる。彼らは無断建築の部分を破壊した後で釈放された。またカレン州のある村で、4月末にムスリム住民の住居が焼き討ちされたとの未確認の報告があった。

 1991年に数十万(複数の報告書によれば30万人に及ぶ)のムスリム系少数者のロヒンギャが、反ムスリム暴力の発生を受けて、アラカン州からバングラデシュに避難した。この事件には、確認はされていないものの、国軍部隊が関わっているとされる。バングラデシュ側の難民キャンプに住む2万1千人のロヒンギャ・ムスリムの多くが、宗教的迫害などの人権侵害を恐れて帰還を今も拒否している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告によれば、ビルマ当局は送還された国民が再び虐待された極端な事例について調査に協力している。

 政府は仏教僧が、社会の他のあらゆる階層と共に、民主主義と民主化勢力との政治対話を求めるような動きを防ごうとし続けている。(略)

(略)

強制改宗
 1990年以降、政府当局と治安部隊は、山岳地域仏教伝道団の僧侶の協力を得て、チン人を上座部仏教徒に改宗しようとしている。(略)

第3部:社会の態度
 宗教上の多数派である仏教徒と、少数者であるキリスト教やムスリムとの間に社会的緊張がある。雇用などの分野での優遇措置が大きな原因で、非仏教徒が植民地期に、仏教徒が独立以後にその対象となっている。ムスリムへの偏見が広く存在する。信者にはインド人またはベンガル人の割合が多い。1991年にアラカン州で、1996年にシャン州とラングーンで、1997年と2001年には全国各地で反ムスリム暴動が起きた。政府はこれを助長あるいは扇動したと言われている。

(略)

第4部:米国の政策(略)
2003年12月18日発行

(訳、箱田 徹)

出典:Bureau of Democracy, Human Rights and Labor of the U.S. Department of State, 'Burma', International Religious Freedom Report 2003, 18 December, 2003, at: http://www.state.gov/g/drl/rls/irf/2003/23823.htm.