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世界各国の信教の自由に関する年次報告書 2004年版
2004年9月15日配信 米国国務省民主主義・人権・労働局

世界各国の信教の自由に関する年次報告書 2004年版
ビルマ
米国国務省民主主義・人権・労働局
2004年9月15日

 ビルマは1962年以来、非常に抑圧的で独裁的な軍事政権の支配下にある。国軍が大規模な民主化運動を残虐に弾圧した1988年以来、軍の高級幹部からなる軍事政権は、憲法と議会がないまま、法令による統治を行っている。現在のところ憲法は施行されていないが、(訳注:2003年に)再開された制憲国民会議に政府が提案した原則は「公序および良俗、健康(……)を条件として、良心の自由と、信仰の表明および実践の権利」を認めている。政府に登録された宗教を信ずる人の大半は、自ら選んだ信仰の実践をおおむね許されている。しかしビルマ政府は特定の宗教活動に規制を課しており、信教の自由への権利を頻繁に侵害している。

 信教の自由の尊重が限定付きであることについて、本報告書が扱った期間で変化はない。国内に張り巡らされた治安機関によって、ビルマ政府は宗教団体を含む、ほぼすべての組織の集会や活動への潜入か監視を行っている。政府は人権と政治的自由を促進する仏教徒聖職者の活動を組織的に制限し、少数派に属する宗教(訳注:仏教以外)による礼拝施設の建設を妨害または禁止し、民族的少数者が住む地域の一部では、特に民族的少数者集団に対し、仏教以外の宗教を否定し、仏教を強制的に奨励している。憲法起草の諸原則には「本国は、本邦の国民の大多数が営む信仰として、仏教に特別な位置を認める」とある。

 キリスト教徒は、大半の地域で、教会の修理や新築に必要な許可をこれまで同様なかなか得ることができない。ムスリムの報告によれば、全土に渡って、モスクの新築または拡張が実質的に禁止されている。ムスリムを狙った暴力事件が引き続き発生した。本報告書が扱った期間内では、ムスリムの活動への監視および、ムスリムの移動と礼拝への制限も行われた。本報告書が扱った期間内には、ムスリムと仏教徒の間で激しい暴力的な衝突があった。宗教上の多数派である仏教徒と、少数者であるキリスト教徒やムスリムとの間には根強い社会的緊張があり、その主な原因は植民地期と現政権の優遇政策にある。南インド系のビルマ人(大半はムスリム)への偏見が広く存在している。

 米国政府は、政府関係者、宗教指導者、民間人、研究者、他国の外交官、国際メディアの代表部などビルマ社会のあらゆる層との接触を通して、信教の自由を促進している。大使館員は現地の非政府組織(NGO)と宗教指導者に支援を行い、支援がなければ孤立しがちな人権NGOや宗教指導者との情報交換の橋渡し役を務めた。米国国務省は「国際信教の自由法」に基づき、特に信教の自由の深刻な侵害があるとして、1999年以来、ビルマを「特に憂慮すべき国家」(CPC)の一つに指定している。

第1部:宗教分布
 ビルマの面積は67万6552平方キロメートル、人口は約5,000万人である。人口の過半数を上座部仏教徒が占める。しかし実際には、大衆的なビルマ仏教は「ナッ」と呼ばれる仏教以前の土着の神々への信仰も含み、占星術、数霊術、占いと共存している。見習い僧を含む仏教僧侶は40万人(成人男性信者の3%)で、衣服や毎日の食べ物の寄進など生活に必要なものを在家信者に依存している。ごく少数ではあるが、女性出家者(訳注:ビルマ仏教では尼僧として出家することはできない)もいる。宗教的少数者としてキリスト教徒(大半がバプテストだが、カトリックと英国国教会の信者もいる)、ムスリム(ほぼスンニ派)、ヒンドゥー教徒、伝統的な中国や各民族の宗教の信者がいる。政府統計によれば、約9割が仏教徒、キリスト教徒とムスリムは各4%である。しかしこれらの数字は人口に占める非仏教徒の割合をほぼ間違いなく低く見積もっている。ムスリム指導者側は700~1000万人(人口の約14~20%)の信者がいると主張するが、これも確認することができない。ラングーン(ヤンゴン)にはユダヤ教信者の小さな共同体がある。シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)が一つあるが、本報告書が扱った期間には、宗教的集会もなく、また宗教儀式をつかさどるラビ(ユダヤ教聖職者)もいなかった。

 ビルマには民族的多様性が存在し、民族と宗教の間には一定の相関性がある。上座部仏教が支配的なのは、多数派民族のビルマ人(訳注:ここでは民族としてのビルマ民族)のほか、民族的少数者では東部のシャン人、西部のアラカン人、南部のモン人である。キリスト教は、ビルマ北部の民族集団カチン人や西部のチン人、ナガ人の間で支配的な宗教である。他方で伝統的な土着宗教を信仰している人々もいる。キリスト教はまた、南部と東部の民族集団カレン人、カレンニー(カヤー)人の間でも広く信仰されているが、カレン人、カレンニー人の多くは上座部仏教徒である。ヒンドゥー教は主にインド人が信仰する。インド人は大都市部や中南部に集中して居住している。キリスト教カトリック信者もいる。イスラームはアラカン(ラカイン)州で広く信仰されている。同州では少数者ロヒンギャの主要な宗教で、イラワディ(エーヤワディ)管区では、ビルマ人の一部、インド人、ベンガル系住民の主要な宗教である。民族的少数者の中国人は、伝統的な中国の宗教を一般に信仰している。伝統的な土着宗教は、北部に住む小規模の民族集団によって広く信仰されている。こうした宗教から派生した信仰のあり方が民衆の仏教儀礼に強く残っており、その度合いは地方で顕著である。

第2部:信教の自由の現状
法と政策面での枠組み
 同国は1962年以来、非常に権威主義的な軍事政権によって支配されている。「国家平和開発評議会」(SPDC)と自称する現軍事政権は、1988年以降、憲法と議会なしの統治を行っている。再開された制憲国民会議が則ることになる、憲法起草の原則によれば「公序および良俗、健康(……)を条件として、良心の自由と、信仰の表明および実践の権利」が存在する。政府に登録された宗教を信ずる人の大半は、自ら選んだ信仰の実践をおおむね許されている。しかしビルマ政府は特定の宗教活動に規制を課しており、信教の自由への権利を頻繁に侵害している。

 1948年の独立以来、民族少数者の住む地域の多くが反政府武装闘争の拠点となった。政府は1989年以降、大半の民族武装勢力と停戦協定を継続しているが、本報告書が扱った期間では、シャン人、カレン人、カレンニー人の反政府武装闘争が続いていた。ビルマ政府とカレン人の主要な反政府組織のカレン民族同盟(KNU)は、2003年12月に平和会談を開始し、一時的な休戦に至った。本報告書が扱った期間の最終時点でも休戦状態は継続していた。歴代の文民および軍事政権は、信教の自由を国家統一への脅威につながるものとみなす傾向を持っている(訳注:非ビルマ民族の有力な反政府運動には、カレン人やカチン人、チン人などキリスト教徒が住民の多数派、または指導部の多数派を占めるものが多い)。

 国教はない。しかし実際のところ政府は上座部仏教を優遇してきた。憲法起草の諸原則には「本国は、本邦の国民の大多数が行う信仰として、仏教に特別な位置を認める」とある。歴代政権は、文民政権も軍事政権も共に露骨に仏教を優遇し、結び付きを有していた。

 宗教団体であるかどうかを問わず、事実上あらゆる団体が政府への登録を義務付けられている。政令によって「正真正銘の」宗教団体は登録を免除されてはいる。しかし実際には登録された団体だけが財産の売買や銀行口座の開設をすることができる。組織運営上こうした行為が必要なために、ほとんどの宗教組織が政府登録を行っている。宗教団体は宗務省の承認を得て内務省に登録する。またビルマ政府は、認可宗教団体に対し、電力等の公共サービスを優遇価格で提供している。

 仏教教義の学習は、すべての小学校で用いられる国が定めた教育カリキュラムに含まれている。履修しないことも可能であり、実際履修していない生徒もいた。しかし全生徒が毎日仏教の祈りを唱えることが義務付けられている。祈りの間に部屋を出ることがムスリムの生徒に許されている場合もあるが、仏教徒ではない生徒に仏教の祈りを唱えることを強制する学校もある。また政府は仏教僧侶を育成する国立大学2校と、上座部仏教の教義を外国人に教えるために設立された大学1校に資金援助している。

 国民の休日には上座部仏教の祭日が数日のほか、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラームの祭日も含まれている。

 ビルマ政府は、異なる宗教を信仰する人々の相互理解を促進するために、形ばかりの試みを行っている。政府はラングーンや他の大都市に多宗教型の記念碑を整備した。1998年にはラングーン管区チャンドー周辺に新しい多宗教広場を建設する計画を発表した。建設予定地にあてたのは、仏教徒、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、ムスリムの墓地を移転させ、政府が1997年に回収した土地の一部だった。政府はキリスト教記念碑の案が十字架を含むデザインだったことに難色を示し、計画は2001年に中断した。2003年に広場建設の再開が口頭で許可されたが、十字架を使わないことが条件となった。

信教の自由への制限
 政府は上座部仏教を引き続き優遇し、組織を管理し、僧団(訳注:サンガ。僧侶の全国組織で日本仏教の宗派別組織に類似)の活動や表現を制限してきた。一部の僧侶はこうした管理に反発している。ビルマ政府は1990年10月に、公認僧団9宗派以外の仏教僧侶の組織を禁じた(訳注:「サンガ組織関連法」第8条、1990年10月31日。この措置は、同じ月にマンダレーで軍人が参加した宗教行事をボイコットした僧侶の抗議行動への対策として行われたとされる)。9宗派は「国家サンガ大長老委員会」(SMNC)の権威に従属する。同委員会の委員は僧侶によって間接的に選出される。また軍政は「仏教に矛盾し、仏教に有害な活動」をした僧侶を軍事法廷で裁く権限を国軍の指揮官に与え、僧侶に行動規範を課した。違反者は、公衆の面前で即座に僧籍が剥奪され、しばしば刑事罰を受けることになる。2001年にはタェイットで2人の女性出家者がこの規約に違反したとして逮捕され、7年の刑を宣告された。

 2003年1月には、女性出家者3人が1950年の緊急事態法(訳注:主要な治安立法の一つ)違反で逮捕された。この3人はラングーンで、生活必需品の価格引下げ、政治対話の進展、政治囚の釈放を求める街頭行動を行った。僧籍を剥奪され、7年以上の刑を宣告された。

 軍事政権(訳注:1988年に政権を奪取した)は1990年代の早い時期から、自らの正当性を拡大する手段として、仏教と自らを結びつける努力を特に行っている。国家が管理する報道機関は、政府役人が仏教僧侶に礼拝し、各地のパゴダ(仏塔)で寄進をし、パゴダの新設、改築、復旧または維持に関わる儀式を行い、各地の仏教施設を建設または改築する際の資金や食べ物、無償労働による、表向き自発的な「国民の寄進」の準備場面を頻繁に映像や文章で報道した。国営新聞は、仏教経典から引用した文言をスローガンとして大きく一面に定期的に掲載した。政府は仏教の教えに関する書籍を出版している。国営メディアの報道によると、政府後援の大衆組織「連邦団結発展協会」(USDA)は数百万人が参加する仏教文化講座を開設している。なお同協会への参加は、完全に本人の自発的意思によらないこともしばしばある。政府当局は2003年12月に、政府が寄進した僧衣やその他の物品を受け取らなかったとして、僧侶26人の僧籍を剥奪して逮捕した。その後2004年2月には6年から17年の刑を言い渡した。

 政府は、国家サンガ大長老委員会(SMNC)が管轄し、僧侶養成を行う国家仏教徒大学のラングーン校、マンダレー校の2大学への資金供給を続けている。政府と仏教僧侶、仏教学校との橋渡しは、宗務省の仏教永続伝道局(DPPS)が主に担当する。1990年代半ばには、政府はラングーンの国際上座部仏教宣教大学(ITBMU)に建設資金を供出した。同大学は1998年に開学した。同大学の設立目的は「ビルマの仏教に関する知を世界の人々と分かち合う」こととされる。講義の主要言語は英語である。原則として一般に門戸を開放しているが、軍の情報機関が承認するか、政府寄りの長老住職が推薦した志願者だけに入学を許可しているとの報告がある。

 軍政は、国内に張り巡らされた治安組織を引き続き用い、宗教団体など、ほぼすべての組織の会合や活動への潜入または監視活動を行っている。あらゆる宗教が行う活動とその組織はさらに、表現と結社の自由に対して政府が課す広範な規制の対象となっている。政府は宗教関係の出版物やムスリムの説教など、あらゆる出版物を管理下に置き、検閲を行っている。5人以上が集まる屋外での会合一般は、宗教上のものも含めて禁止されている。こうした管理と監視は、宗教活動に関わる、思想と意見の自由な交換を損なうものである。ビルマ政府はすべての宗教団体メンバーの活動を密接に監視し続けている。宗教指導者や信者の一部が過去に政治的に活発化したことが監視を行う理由の一つである。政府は1995年に政党の党員が得度することを禁じた。この方針は現在でも有効だが、厳密に適用されてはいない。

 ビルマ政府は少数派の宗教を信仰する人々への差別を行い、教育、布教、教会建設の動きに規制を加えてきた。

 政府は、キリスト教の拡大に反対する仏教徒住民を支持し、一部地域でキリスト教の聖職者が布教することを禁じている。例えば2002年4月初めに、政府はカチン・キリスト教バプテスト会(KBC)に対し、カチン州で設立125周年記念式典を催す許可を突然取り下げた。その後2002年11月に式典の挙行が許され、信者約3万人が参加したと報告されている。また2001年11月には、キリスト教バプテスト青年会議に対し、シャン州の州都タウンジーで信者3千人が参加する集会の開催を当初不許可とした。2002年5月に集会が許可されたが、参加者は3百人に制限された。

 政府は1960年代中頃(訳注:ネウィン独裁政権の誕生以降)から、国内に外国人宣教師が永住して布教活動をすることを通例許可してこなかった。この時期に外国人宣教師ほぼ全員が国外に追放され、各地にある主としてキリスト教団体関連の私立学校や病院は国有化された。政府がこの全国規模での財産没収に補償を行ったかは不明である。独立以前から同国で活動している高齢のカトリック司祭や修道女数人には滞在の許可を与えてきた。カトリック、プロテスタント、その他のキリスト教諸教派は、外国人聖職者や修道会関係者を旅行者として時折ビルマに入国させている。しかし彼らの活動を、当局が改宗行為に関わるものと認識しないよう注意を払っている。1962年以前に設立されたキリスト教神学校も活動を継続している。しかし2000年になって、軍当局は1976年以来ザガイン管区タム郡(訳注:郡は州の下の単位)で活動していた聖書学校を閉鎖した。

 キリスト教徒は、大半の地域で、教会の修理や新築に必要な許可を、これまで同様なかなか得ることができなかった。ムスリムの報告によれば、ビルマのどの地域でもモスクの新築が実質的に禁止されており、既存のモスクの修繕や拡張の許可を得るのは非常に困難である。当局は、非公式な礼拝所や許可を得ていない宗教的建造物について、発見すれば破壊すると伝えられている。仏教徒がパゴダや僧院、地域で用いる礼拝所の建設許可を得る際に、似たような苦労をしたとの報告はない。

 チン州では、当局が1997年以来、教会の新設を一切許可していない地域があると伝えられる。政府は、カチン州の州都ミッチーナの幹線沿いでの教会建設を今も認めていない。首都ラングーンでは、キリスト教の様々な宗派に対し、礼拝所を教会ではなく「ソーシャル・センター」と呼ぶよう指導している。ある情報筋は、ビルマ政府が年間10~15ヶ所に限って教会の新築を許可していると推測する。宗務省は「建設地域の人口に応じて」新しい宗教施設の許可を出していると主張する。しかし、パゴダの建設と仏教の礼拝施設の増加要求との間には相関性が見られない。国内のほとんどの地域で、キリスト教徒やムスリムは狭い通りや目立たない場所に小さな礼拝所を建てようとし、地元当局から非公式の許可を受けて建設を行う。だが非公式な許可では、法的な位置づけが曖昧になる。当局の態度や情勢が変化すると、非公式な建設許可は突然撤回され、建設は停止する。施設が破壊されたケースもあった。

 キリスト教徒とムスリムは1960年代以来、宗教出版物を輸入するのが難しくなった。宗教的か世俗的かを問わず、あらゆる出版物が現在も検閲の対象になっている。民族語に翻訳された聖書の輸入を合法的に行うことはできない。政府の許可があれば印刷はできるが、許可を得るのに苦労することが多い。本報告書が扱った期間では、聖書や宗教関連の印刷物が没収されたという報告はなかった。2002年、ドイツの出版社グッド・ブックス・フォー・オール社は、ビルマ国内で聖書1万部の配布許可を得た。ある宗教団体の報告によると、2001年には英語版聖書2千部の輸入を政府当局が許可した。このような許可は過去20年で初めてだった。しかし実際には輸入は行われなかった。2002年5月にビルマ政府は当初の決定を覆したからだ。こうした事情から同国内への聖書の密輸が続いている。

 検閲局は、聖書、コーランのほか、キリスト教やイスラームに関わる出版物一般について、国内での出版に規制を続けた。最も厄介な規制は、検閲局がキリスト教やイスラームの書物で用いることを許可していない100語を超す禁止語リストである。これらの語は、仏教書で長く用いられていた現地語だというのがその理由だと伝えられる。これらの用語の多くは、植民地時代からビルマのキリスト教やムスリム団体の一部が使用し、受け入れられてきたものである。仏教以外の宗教の経典を翻訳し出版する組織は、こうした規制に抗議を行っている。禁止用語の数を12語程度にまで削減することに成功したと伝えられるが、本報告書が扱った期間の最終時点でも、問題は未解決のままだった。さらに検閲局が、異教徒に対する暴力の使用を認めているとも受け取られる旧約聖書やコーランの文章に難色を示しているとの報告もあった。検閲局が承認していない印刷物の所有は犯罪であり、過去には逮捕者や処罰者も出ている。しかし近年、伝統的な宗教関連書を所有していたとして逮捕、処罰されたとの報告はない。

 ビルマ政府は、あらゆる宗教団体の信者について、外国に住む同じ宗教の信者と関係を作り、維持すること、また宗教目的での国外に渡航することを認めている。ただし国外への渡航に際しては、パスポート制限、ビザ発給手続、外国為替管理、宗教に関わらずビルマ国民が行うあらゆる活動に領域を広げて監視を行う政府の諸条件に従わなければならない。政府は、メッカ巡礼をするムスリム、インドのブッダガヤーを巡礼する仏教徒に対し、旅券発給の煩雑な手続きを軽減することがあった。しかし巡礼者数の制限を行っていた。

 政府発行の身分証明書には、宗教と民族名が記される。国民と永住者にはこの証明書の常時携帯義務がある。ここに「ムスリム」あるいは「ベンガリ(バンガリ)」(訳注:「ベンガル系」の意味)と記されていると、警察や出入国管理官からの嫌がらせをしばしば受けることになる。国民はまた、公的な申請書類の一部(旅券など)に宗教を記すことが義務付けられている。

 非仏教徒は公共部門での昇進に際して雇用差別を経験している。本報告書が扱った期間では、非仏教徒が就いた公務員の最上級職は、副検事総長(本人はバプテスト)である。軍には非仏教徒の将官は一人もいない。政府はムスリムの兵役参加を妨害し、中級職以上への出世を望むキリスト教徒かムスリムは、上司から仏教への改宗を勧められる。

 ビルマ西部湾岸地域のアラカン州に住むベンガル系ムスリム少数者(ロヒンギャ)は、過酷な法的、経済的、社会的差別を受け続けている。政府は、英領期開始時点で先祖がビルマに住んでいなかったのではないかとして、 ロヒンギャのほとんどに国籍を認めていない。これは、非常に条件の厳しいビルマの国籍法が定めた国籍取得要件である。バングラデシュから帰還したムスリム系少数者のロヒンギャは、移動と経済活動が政府によって激しく制限されたと訴えている。ビルマに住む他の外国人への措置とは異なり、これらのムスリム住民には外国人登録証(FRC)が発行されない。その代わりに政府は、外国人住民としての優遇的な地位を与える「一時登録証」を発給している。ロヒンギャは自分の村を出ようとするたびに、郡当局から許可を得なければならない。当局がロヒンギャ、あるいは他の非仏教徒アラカン人にラングーンへの渡航許可を出すことは一般的ではない。しかし賄賂で許可が下りることもある。さらに政府は中等教育の対象を国民に限定している。このためロヒンギャは初等以上の教育を公立学校で受けることはできず、公務員になることは不可能である。報告によれば、そのうち特にムスリム住民への移動と信仰の制限が、この報告書が扱った期間内でも続いている。

信教の自由に対する侵害
 政府は言論、出版、集会、移動の自由を規制しており、外交官の移動も規制している。このため、信教の自由などビルマの人権状況に関する時宜を得た、正確な情報を入手することは難しい。権利の侵害に関する情報は、事件が起きてから何ヵ月、あるいは何年も経って初めて明らかになり、その確認が困難あるいは不可能な場合が往々にして起きる。

 軍隊が宗教者を殺害する事件も時々発生する。ビルマ国軍部隊は2002年に、牧師1人を含むカレン人10人を殺害した。殺害の前日には、カレン民族反政府組織のゲリラがこの部隊に待ち伏せ攻撃を行った。

(キリスト教徒の信教の自由への侵害)
 政府の治安部隊と連邦団結発展協会(USDA)はキリスト教徒に対し、聖職者を逮捕する、教会を破壊する、礼拝を禁止するなどの措置を引き続き行っていた。ラングーン近郊の南ダゴン郡とフラインタヤー郡のキリスト教伝道師は改宗行為で告発され、2002年と2003年には、家庭教会や幼稚園を開設すれば逮捕すると脅されていた。2001年を通じて、ラングーンでは当局が80軒以上の家庭教会を閉鎖した。適切な許可なく宗教集会を開催したというのがその理由だ。こうした閉鎖措置は、本報告書が扱った期間を通して、ラングーンやその他の地域で継続的に実施されていた。しかし閉鎖された教会数は不明である。また同時に政府当局は「認可」教会の建設承認の取得を不可能ではないにせよ、困難にしている。

 政府はチン人キリスト教徒の信仰を妨害しようとしてきた。1990年代の早い時期から、治安部隊は、チン人キリスト教徒が村の外側に建てた十字架を自ら、あるいは住民に命令して引き抜いている。十字架のあった場所にはパゴダが建てられることが多く、強制労働が用いられるケースもある。

 政府当局は、キリスト教の説教を検閲し、キリスト教聖職者に改宗行為を再三に渡って禁止しているとの報告がある。伝えられるところによれば、2002年4月、ラングーン郊外に住むチン人牧師2人(タットチ師と、義理の息子のリアンザダン師)とその家族が、当局に登録せずに他人を自宅に泊めたとして逮捕された。しかしタットチ師は必要な申立書類を事前に当局に提出しており、当局からの回答がない状態だった。タットチ師らは北タゴン郡で公然と改宗活動を行っていたため、逮捕は活動を強制的に中止させるためのものだったと伝えられる。両師は改宗行為の停止勧告を拒否したので、北ダゴン警察署からインセイン刑務所に移された。2人の牧師と一家はその後刑務所から釈放されたと伝えられる。

 ビルマ政府は、民族的少数者チン人を仏教に改宗させ、チン人キリスト教徒の改宗行為を妨害しようとしてきた。そのため政府は、キリスト教聖職者を逮捕し、身体的に虐待し、教会を破壊することを特に実施した。1990年までは、チン人の信仰はキリスト教または伝統的な土着宗教が一般的で、政府による干渉はほとんどなかった。政府は1990年以降、キリスト教徒の仏教への強制改宗を支援している。だがチン人の大半は現在もまだキリスト教徒である。この仏教徒への改宗作戦は、チン人の「ビルマ民族化」を目指すその他の試みとも組み合わさっていると伝えられており、チン州内やチン人が多く住む地域に国軍部隊を大規模に増強して駐屯させる、国家が資金を出してビルマ人仏教僧侶を他地域から移住させる、また仏教徒がほとんど、またはまったくいないチン人集落に、金銭や労働の強制的「寄付」をしばしば用いて、仏教僧院や礼拝施設を建設するといったことが行われている。

 現地の政府当局者は、仏教に改宗した個人や世帯に月々の支援金を支払うと約束していた。チン州駐屯の軍人がチン人女性と結婚し、仏教に改宗させれば、より高い階級と給与が与えられる。さらに当局は、仏教徒に対し、キリスト教信者よりも安い価格で米を供給し、キリスト教徒が教会に行く日曜日の午前中に仏教徒に追加の食糧配給を行い、仏教への改宗者には強制労働を免除すると伝えられている。チン人の指導者筋によれば、2003年12月にキンニュン首相がチン州を訪問した時、キリスト教徒の小中学生が、首相を讃える仏教儀式を強制された。第三者の情報で確認することはできないが、チン人権機構(CHRO)によれば、2003年1月にマチュピ郡の仏教僧院に強制的に閉じ込められたチン人の子ども5人が脱走している。

 2001年にはカレン州パーン郡で、国軍部隊が、キリスト教会での日曜礼拝から帰宅する途中の若い男性をポーター(荷役人)として繰り返し徴用し、若い男性が教会に行くのを避けるようになったとの信頼できる報告があった。上官に率いられた兵士が、キリスト教徒の礼拝や祝典を繰り返し妨害していた。

(ムスリムの信教の自由への侵害)
 ムスリムを特定の地域に隔離するために、軍政当局が組織的な弾圧と移住を行ったとの信頼できる報告があった。例えばアラカン州のムスリム住民は、仏教徒住民用の建物の建設のために、時間や金銭、資材を強制的に寄付させられた。アラカン州のタンドゥエ、グワ、タウングートなどいくつかの郡では、1983年に政府の法令で「ムスリム・ゼロ地帯」が宣言された。タンドゥエ郡では、元々のムスリム住民がまだ生活しているが、新しいムスリムが畑や家を買ったり、引っ越してきたりすることはできない。グウェ郡とタウングート郡では、ムスリムは地域内に住むことが許されなくなった。

 アラカン州当局はこの2年間で、州都シットウェにあるものを含め、許可なく建てられたとの報告があるとして、モスク約40軒の破壊を命じてきた。類似の訴えがラングーン管区とカレン州からもあった。アラカン州では、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の停止要請を受け入れる以前に、当局はモスク13軒を破壊した。昨年を通し、政府は一部地域でのモスクの修繕を書面で許可している。しかしモスクの再建を確実に阻むため、元の位置には政府の建物や僧院、仏教寺院がモスクの代わりに建てられている。

 2003年には、ムスリムと仏教徒を巻き込む暴力事件が数件発生した。2003年6月には、イラワディ管区でUSDAメンバーが反ムスリム暴力事件を扇動したとの報告があるが、確認はされていない。7月にはラングーンの北280kmにあるピンマナで、反ムスリム暴力事件が突発した。ムスリムの屋台オーナーが、仏教僧の友人に食事を売るのを拒否したことがきっかけだった。警察が事態を収拾したが、ムスリムの住宅と店が被害に遭った。

 2003年10月~12月には、マンダレー周辺とラングーンで、仏教徒とムスリムとの暴力的な衝突事件が数度発生した。ビルマ中部のマンダレーに近いチャウセーでは、安居明け祝いで読経していた僧侶に、ムスリムの若者が暴行したらしいとの情報をきっかけに、複数の仏教僧に引き連られた暴徒が、ムスリムの住宅やモスクを攻撃した。一週間後にもチャウセーでは、仏教徒の暴徒がムスリムの住居やモスクを襲撃する事件が起こり、最低でもムスリム10人が死亡した。当局は反ムスリムの暴力事件がマンダレー近郊に飛び火しないように努めた。11月には、現地の僧院長が逮捕されたことに抗議する僧侶に兵士が発砲し、少なくとも2人が死んでいる。

 2003年10月下旬にラングーンでは、仏教僧と民間人が、ムスリムの住む2つの地区でムスリムの商店と住居を数夜に渡り襲撃した。商店主3人が暴徒から激しく殴打された。

 2003年11月以降、ラングーンとマンダレーでは暴力事件はほとんどない。しかし、北アラカン州マウンドー郡のモスク1軒と付設のマドラサ(イスラム神学校)が何度か襲撃を受けたとの未確認の報告があった。

 政府とこれらの反ムスリム暴力行為を結び付ける直接の証拠はない。だがムスリム指導者やムスリム以外の地元住民は、扇動者は政府と関係があったと強く主張する。目撃者によれば、チャウセーとラングーンの両方で、組織的にムスリム地区へ投入され、終わると撤収された仏教徒の襲撃者が多かったという。

 ピストルや無線機を僧衣に隠し持った僧侶がいたとの情報もある。ムスリム指導者は、ラングーンを始めどこの地域でも仏教徒とムスリムの関係は良好だと語り、扇動者がいたからこそ、こうした暴力事件が発生したことを示唆した。こうした襲撃の発生の仕方や、実行者がどういった人たちなのかは十分に記録されていない。しかし政府といえば、ムスリム住民を保護し、彼らの財産を破壊から守るのがせいぜいだと思われる。暴力事件は仏教徒とムスリムの間の緊張関係を著しく高めた。

 こうした襲撃の結果を受けて、当局は被害に遭ったムスリム住民にいくらかの補償を行い、チャウセーのムスリム住民には、暴力事件で破壊されたモスク2軒の再建を許可した。現在までのところ破壊された地域の再建は進んでいない。住民のほとんどが前に住んでいた地区にまだ戻っていないからである。さらに政府は、チャウセーとラングーンの暴力事件に参加した容疑で僧侶44人と仏教徒26人を逮捕し、すべての僧院に夜7時以降の外出禁止を命じた。高僧1人が死刑判決を受けたとの未確認情報がある。残りの僧侶への判決については情報がない。こうした措置によって、政府と、普段は優遇されている仏教僧との間に緊張感が生まれ、ラングーン市内の僧院には、敷地内で抗議行動を行ったところもあった(事態は穏やかに収拾された)。ムスリム側では、高僧の殺人の容疑のほか、暴力事件に加担したとして、70人が逮捕された。チャウセーでは2003年12月に31人が判決を言い渡された(1人は死刑)。ムスリム指導者はこの裁判がおざなりなものだと語ったが、容疑の正当性については触れなかった。

 当局はまた、ムスリムの伝統的な祝日を祝うために出された集会願いを承認せず、一つの場所に集まるムスリム住民の数を制限している。

 伝えられるところによれば、2002年3月には、アラカン州内のマドラサを無断で増築をしたとして、ムスリム6人が逮捕された。6人は無断建築の部分を破壊した後に釈放された。またカレン州のある村では4月末にムスリム住民の住居が焼き討ちされたとの未確認の報告があった。

 1991年に数十万人(複数の報告書によれば30万人に及ぶ)のムスリム系少数者のロヒンギャが、反ムスリム暴力の発生後にアラカン州からバングラデシュ(訳注:ロヒンギャの集住地帯であるアラカン州北西部とバングラデシュは、ナーフ川を国境として隣接する)に非難した。この出来事には、確認はされていないものの、国軍部隊が関わっているとされる。バングラデシュ側の難民キャンプに住む2万1千人のロヒンギャ・ムスリムの多くが、宗教的迫害などの人権侵害を恐れて帰還を今も拒否している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、ビルマ当局は送還された国民が再び虐待された極端な事例について調査に協力していると報告した。

(仏教に関わる信教の自由への侵害)
 政府は仏教僧が、社会の他のあらゆる階層と共に、民主主義と民主化勢力との政治対話を求めるような動きを引き続き防ごうとしている。本報告書が扱った期間で、政府当局はこうした仏教僧侶を政府当局の管理下に置こうとしていた。移動制限、逮捕、「規律を乱す僧侶」の追放を徹底するために仏教指導者へ圧力をかけ、また特定の仏教僧院に政党の党員が宿泊することを禁止するなどの措置をとった。信頼できる筋によれば、1990年代に民主化や人権擁護に関わって投獄されていた100人以上の仏教僧侶の身元が特定されている。これらの僧侶の半数は釈放されているが、本報告書が扱った期間の最終時点で、刑務所や強制労働収容所に収容されている仏教聖職者の確かな人数を把握することはできなかった。終身刑に服している仏教僧侶には、「アウンサン赤い星協会」会員でマンダレー出身のウー・カンヤナ師、マンダレーのパヤフィ僧院のウー・カウィヤ師などがいると伝えられる。

 2001年夏にはマンダレーでの仏教儀礼で、全般的に悪化する政治経済状況を批判する説法を行ったとして仏教僧侶1人が逮捕されたとの報告もある。その後にこの僧が釈放されたか、現在も刑務所に収容されているかに関する情報は入手できなかった。2002年に当局は、ある長老仏教僧侶が住持するラングーンの僧院を収用した。この件は不満を引き起こし、その後僧侶8人が逮捕されるに至った。

 政府の役人が、地域住民に対し、特に地方で、仏教徒用の宗教施設やモニュメントを建設、修復または維持するための官製事業へ、金銭や食糧、無償労働を提供するよう命じているとの信頼できる報告が国内各地から寄せられ続けた。政府はこうした寄付を「自発的寄付」と称し、仏教徒と非仏教徒の双方にこの「寄付」を要求する。近年、アラカン州のムスリム住民は、政府の強制労働事業の一環として、パゴダの建設を強制されてきたとの信頼できる報告があった。こうしたパゴダは、ムスリムから没収した土地に建てられるケースがよくある。本報告書が扱った期間内に、アラカン州でそのような行為があったとの報告はなかった。しかしチン人指導者の報告によれば、2003年12月に行われたキンニュン首相の訪問に先立って、チン州ティディム郡のキリスト教徒が、仏教のパゴダや僧院建設のために強制的に駆り出されている。寺院や僧院の解体にも強制労働が用いられているとの報告もあった。

 反政府政党「国民民主連盟」(NLD)の指導者アウンサンスーチー氏は、政府と結びついた勢力から襲撃を受けた後、刑務所に拘束され、現在は自宅軟禁されている。氏と一行(NLD支持の僧侶数人もいた)は、2003年5月にビルマ北西部ザガイン管区を遊説中に襲撃された。政府は襲撃の際、僧衣をまとった犯罪者を使ったとされる。

強制改宗
 1990年以降、政府当局と治安部隊は、山岳地域仏教伝道団の僧侶の協力を得て、チン人を上座部仏教徒に改宗しようとしている。

 ナガ人キリスト教徒数百人が、国軍によって強制的に仏教へ改宗させられたとの信頼できる情報があった。仏教に改宗すれば政府の仕事を約束するという条件につられて改宗した人々がいた一方で、強制改宗に抵抗して、軍隊から虐待を受け、奴隷労働者として拘束された人々もいた。

 アメリカ合州国から拉致され、不法に移動させられた未成年者の米国民への強制改宗や、アメリカ合州国への帰国拒否に関する報告はなかった。

テロリスト攻撃
 本報告書が扱った期間内に、テロリスト組織による特定の宗教団体を狙った攻撃などの報告はなかった。

第3部:社会の態度
 多数派仏教徒と少数者であるキリスト教、ムスリムとの間に社会的緊張がある。雇用などの分野での優遇措置が大きな原因で、非仏教徒が植民地期に、仏教徒が独立以後にその対象となっている。インド系住民、特にベンガル系住民(多くはロヒンギャ)への偏見が広く存在する。政府は1997年、2001年、2003年に全国各地で発生した反ムスリム暴力事件を助長または扇動したと言われている。

 1994年に、ビルマ政府寄りの武装勢力「民主カイン仏教軍」(DKBA)が創設されて以来、DKBAと、キリスト教徒が圧倒的に多い「カレン民族同盟」(KNU)との間で武力衝突が続いている。DKBAにはキリスト教徒もおり、KNUにも多くの仏教徒が所属していると伝えられるが、2つのカレン民族集団の武力衝突には宗教的色彩が強く出ていた。1990年代半ば、民主カイン仏教軍では、キリスト教徒の村人が仏教への改宗を拒否した場合、村人を拷問または殺害するのが一般的だった。一方でDKBAは、支配下に置いた地域を管理し始めると、キリスト教徒への待遇を大幅に改善したとの報告もある。その一方で、本報告書が扱った期間には、DKBAの指揮官が、同軍を批判した僧院長がいるカレン州ミャワディの僧院6軒を破壊するよう、地元の僧団運営委員会に命じたという未確認の報告があった。

第4部:米国の政策
 ビルマの米国大使館は、同国社会のあらゆる層と接触しながら信教の自由を促進し続けた。本報告書が扱った期間に、大使館員は、ビルマ政府、ビルマ国軍の将校、民間人、学者、各国政府の代表、また外国籍企業や報道機関の代表と、信教の自由の現状が改善されることの重要性について話し合った。同大使館員はまた、仏教、キリスト教とムスリムの宗教団体指導者、民族的少数者の宗教指導者、神学部の教員集団、宗教関連団体や非政府組織(NGO)との会合を定期的に開催した。在ビルマ米国大使は、ムスリム指導者たちのためにラマダン明けの晩餐を催し、カトリックやプロテスタントの長老聖職者のために定期的な接待の席を設けた。

 本邦大使館員は、対市民広報外交(パブリック・ディプロマシー)による接触や、ビルマ政府が許可する範囲内での国内旅行を通して、米国大使館員は地方の非政府組織や宗教指導者たちを援助し、支援がなければ孤立しがちな人権NGOや宗教指導者との情報交換の橋渡し役を務めた。2つの事例で米国大使館はカトリック教会が行う人材育成事業に教育的助言と援助を提供し、紛争解決に宗教共同体が果たす役割を検証する訪問者プログラムを主催した。

 米国国務省は「国際信教の自由法」に基づき、特に信教の自由の深刻な侵害があるとして、1999年以来、ビルマを「特に憂慮すべき国家」(CPC)の一つに指定している。

 2003年7月には「ビルマ自由と民主主義法」と、同法に付随する大統領命令により、同国への新しい制裁措置が講じられ、同国から米国への製品輸入と米国から同国への金融サービスの輸出禁止が実行された。米国政府はこの措置以前に、ビルマ政府への二国間援助を中断し、同国への武器輸出許可証の発行を停止している。さらに米国から同国への輸出を支援するための総合的特恵制度や輸出入銀行の金融サービスを停止した。また米国政府は、ビルマでの米国投資を支援するための海外民間投資会社が行うすべての金融サービスを停止し、同国との貿易拡大に関する積極的な促進策を終了した。さらに同国政府高級幹部とその近親者への査証の発行を中止し、国家平和開発評議会(SPDC)の米国内資産を凍結した。米国政府はまた、国際金融機関によるビルマ政府へのあらゆる金融支援に反対し、同様の措置を取るよう各国政府に働きかけてきた。1997年以降、米国民による同国への新たな投資は違法とされている。

2004年9月15日発行

(訳:箱田 徹、中山 利彦)

出典:Bureau of Democracy, Human Rights and Labor of the U.S. Department of State, 'Burma', International Religious Freedom Report 2004, 15 September, 2004, at: http://www.state.gov/g/drl/rls/irf/2004/35393.htm.