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国際社会

日本企業には人権という発想がないのか?
1999年6月1日配信 USインタラクティブ

 この小論は、国際交流基金の阿倍フェローシップ・プログラムによる出版原稿の抄録です。カール・シェーンバーガー氏は、フリーランサーのジャーナリストで、ロサンゼルスタイムズ紙やフォーチュン誌での執筆を経て、現在はカリフォルニア大学人権センターに所属して研究を行っています。氏の著書「レビ族の末裔 地球市場と人権」は、来年早々にグローブ・アトランティック社から出版の予定です)

USインタラクティブ(1999年6月)より
日本企業には人権という発想がないのか?
カール・シェンバーガー

 人権擁護の側に立つ者は、ビルマを「90年代の南アフリカ」と評することを好む。そういう比較は、誇張とも思えるものの、確かに、ビルマの強権政治を緩和する要因はほとんどないと言える。ノーベル賞受賞者、アウンサンスーチーは、南アフリカの反体制指導者だったネルソン・マンデラのような戦略を採用している。マンデラは国際的な経済制裁という手法を巧みに利用し、アパルトヘイト旧体制に改革を迫ったのだから。人権NGOのいくつかは、スーチーの理念を支援し、民間資本に焦点を絞って大きな国際企業をビルマから撤退させようとしてきた。理屈は単純である。外国企業は、支配者である軍事政権を援助するだけで、庶民の悲惨な生活を持続させるからだ。

 サンフランシスコに本社を置く資本金60億ドルの衣料品会社、リーバイ・ストラウス社は、ビルマで操業を始めた米系企業のさきがけだったが、1992年に、ビルマでの事業から手を引いた。同社はビルマで、現軍事政権とつながりのある地元企業二社と契約して事業を行っていた。その後、一社また一社と、大きな米系多国籍企業が市民側の圧力に屈すると同時に、ビルマの狭いビジネス市場という現実に屈したのだった。米国議会は1997年、市民感情に依存する形で、公式に経済制裁を行う法制化を果たし、米系企業のビルマへの新規投資はすべて禁じられることとなった。1998年末には、米系企業はほぼビルマへの貿易を放棄した。大手の石油会社ユノカル社だけは唯一、逆風の中で事業を継続した。

 一方、日系企業は全く異なる姿勢で、自由に同国市場へ参入している。人権をめぐる騒動も、軍事政権の悲惨な経済構想も、特にどうといってビルマ市場の長期的な潜在性へのアプローチを妨げはしなかった。自動車メーカーのスズキの楽観性は、同社が1998年後半に発表した計画によく表れている。同社は資本金1000万ドルの軽自動車とバイクの組立工場をラングーンに建設するとしたのだ。これはミャンマー・自動車ディーゼル産業社との合弁によるものだった。

 通常、日系企業の戦略は冷静かつ周到であり、リスク回避の傾向がある。ビルマは、本国日本を覆う経済の先行き不安とはうらはらに、魅力的な市場だというわけだ。丸紅の政策顧問である関アキノリは、ビルマに対する日本の関心には、一定の感傷が存在することを認めている。すなわち、ビルマは元々、第二次世界大戦時に、旧大日本帝国軍による解放を歓迎した国なのだと。しかもさらに強固な論理がある。関氏は「純粋に経済予測だけから言うなら、ビルマは東南アジアの後進国であるものの、厖大な潜在的魅力と未開発の資源を秘めている」と言う。

 実際、貿易商社三井物産は徐々にではあるが、ラングーン郊外の新しいミンガラドン産業地区を賃貸している。同地区ではハイテク大手の富士通が単純機能の電話機製造の組立を行っているほか、多品種食品加工大手の味の素が、巨大なコンテナからグルタミン酸ソーダ調味料を地元小企業向けに再包装している。これらの投資はいずれも大きなものではないにせよ、眠りにたゆたうこの国がいずれ必ずなす目覚めを予期しての、地歩を固める戦略だった。

 儲け口の発掘には抜け目のない貿易会社である日本の商社のほとんどが、ラングーンに十分な地歩を築いている。剛腕で鳴る経団連も、代表団派遣や経済シンポジウムを通じてビルマとの貿易と投資を先導し続けている。日本政府も支援を惜しまず、最近はビルマへの二国間経済援助の助成に関する施策を検討し始めた。不承不承ではあれ、かつて、すなわち現軍事政権が1990年の国会議員選挙の結果を無視した時には、二国間経済援助を凍結していたのであるが。

 日本政府は、少額とはいえ横やりの入らないビルマ向け「人道援助」の枠を広げてきている。問題になっている2000万ドルのラングーン国際空港のインフラと各種設備の向上資金もこれに含まれる。巨大民間企業である大成建設が、同空港の元請けに指名された。同空港への援助額は、日本が持つ表面上は「紐付きでない」海外援助計画の枠からいえばささいなものだ。1990年代後半には90億ドル程度で、日本株式会社の有望なビジネスチャンスを形成していたのである。しかし、取引にたずさわる商社としては、ビルマ援助計画においては一層の規制緩和が見込めると期待している。

 丸紅社長で、経団連加盟150社から成る日本ミャンマー経済委員会委員長を務める鳥海巌が1998年、ラングーンでの経済協力会議の席上、軍事政権の経済計画相であるデービッド・エーベル准将に「われわれ民間部門としましては、これは日本政府からミャンマーへの積極的なシグナルであると理解しております」と語った。「言うまでもなく、外交政策というものはきわめてデリケートな問題です。日本政府はミャンマー側が解決に当たるべき諸問題に干渉することは控えなくてはなりませんが、同時に諸外国との関係をも考慮しないわけには参りません」

 ビルマのビジネス環境は、かつてのアメリカ企業へのそれと比べて、日本の貿易会社や欧州の石油会社にとって決して良いものではない。大きな違いは、各々の国における人権状況であり、日本の場合は、この欠如のケースであるといえる。ビルマでの海外取引の評価をする場合、ビルマ国内の社会的制約が大きな危険要素になる。米連邦政府の制裁による規制がなかったとしても、ビルマに留まる米企業は、人権活動家の活動によって、政治的な攻撃に耐えうる状況ではなくなっていった。

 しかし日本では、国際的な人権活動にたずさわる有力なNGOの陰は極端に薄い。日系企業は、地球規模で展開する監視団体に、日本語で、またその社会の中で、煩わされることがないのである。サンフランシスコに本部のある多国籍企業資料・活動センターなどの、米国の人権活動団体は、人権問題に関して日系企業にターゲットを絞り始めている。同センターは1999年夏にはインターネットのウェブサイト上に、「コーポレートウォッチ」というアドボカシー情報サイトの日本語版もスタートさせる計画を立てている。

 同サイトによって、日系企業が将来、国内、海外の双方の外圧に耐えうるのかどうかが見ものである。日本国内の草の根活動家は、国内の環境問題では、企業に圧力をかけてきたものの、日系企業が海外で何をしているのかの関心を欠いている。

 アジア太平洋資料センター(PARC:本部・東京)は、日米軍事同盟反対を目的に、1960年代に設立された左翼活動家のグループである。1998年には、(スポーツ用品メーカーの)ナイキに反対する国際キャンペーンに関する日本語報告書でトラブルに見舞われたことがあるものの、広報担当者は日系企業の海外での労働慣行について、同様の調査をする計画はないと語っている。

 この件で行動を起こす可能性のあるグループとしては他に、NGOとしては小さいが、進出企業問題を考える会(TNCモニタージャパン)があるが、このグループは旧来の環境問題だけの姿勢を脱し、人権問題や雇用問題にも焦点をあてる努力をしている。「日系企業の労働基準は、あまりにもいい加減である」と言うのは、同グループ事務局長の佐久間真一である。「海外であれば、何でもござれという感じだ」。

 1998年末には、進出企業問題を考える会と数十にのぼる日本およびアジアの環境・労働問題グループが、「進出企業に関するアジアNGO憲章」を発表した。これは人権と労働基準を提示した行動規範である。しかし、その内容は威圧的で耳ざわりであり、ほとんどの進歩的な企業を納得させることはもとより、企業の狭量な壁をうち破ることは出来ないものになっているようだ。さらにいうと、強調されているのは日本での雇用の保障であり、日系企業が海外で行う労働者酷使に対する防護措置ではないのだ。このことは、社会活動家と経営側双方が併せ持つ、日本社会独特の、囲い込まれた島国根性的な精神性を映し出している。

[編注:「アジアNGO憲章」に関するシェーンバーガー氏の否定的な評価について、「進出企業問題を考える会」事務局長の佐久間真一氏から次のような回答をいただきましたので以下に掲載します。なお「憲章」本文はこちらからご覧ください。(→多国籍企業に関するアジアNGO憲章)]

 当会事務局会議で対応を検討し、次のような結論に達しました。1.著者のカール氏とは、「コーポレイト・ウォッチ」日本語版立ち上げの相談で来日中のアミット氏と喫茶店で面談した(佐久間・伊庭)際に30分ほどお会いし、会の活動と「NGO憲章」について説明した経過がある。

2.カール氏は、批判している「多国籍企業に関するアジアNGO憲章」の原文を読んでいないものと思われる。「NGO憲章」は起草者は日本側(進出企業問題を考える会)であるが、韓国、香港、タイ、フィリピン、インドネシアの関係団体及び98年11月の「多国籍企業に関するアジア地域セミナー」参加者の共同討議の上に採択されたもので、「NGO憲章」が「日本の雇用を守るためのもの」とか「日本社会独特の島国根性的な精神性を反映したもの」との批判は、日本人及び日本社会に対する偏狭な偏見に満ちた「為にする批判」というほかない。また、「憲章」に盛られた各条項は、ILOの宣言やOECDの指針など国際的に認知された基準をベースにまとめられており、同氏の「内容は威圧的で耳ざわりであり、ほとんどの進歩的な企業を納得させることはもとより、企業の狭量な壁をうち破ることはできないもの」との批判は、原文を読んだ上での批判とは到底思えない。

3.カール氏の的外れな批判は、当会の活動や「憲章」に賛同した関係団体の信用に関わるものであるが、「憲章」を読めば批判のいい加減さがすぐに分かる、偏見に満ちた「為にする批判」であることから、反論に値しない。また、無責任にもカール氏の小論を掲載した国際文化交流協会の意図は不明であるが、同協会のホームページの執筆者の多くは「危機管理論」などのいわゆるタカ派の論客で占められており、道徳的に批判の対象とならない。

 以上のような結論から、当会では「無視する」ことを確認した経緯があります。


(以上、進出企業問題を考える会事務局長、佐久間真一氏のemailより引用)

 日系企業は、ビルマで事業展開することの非難から免れているとはいえない。米国の州や市の地方自治体には、いわゆる経済制裁法を制定するところが増えている。これはビルマで事業を行う国内外の企業を罰することを目的としている。南アフリカのアパルトヘイトの終焉を早めるのに役だった政治運動を繰り返しているわけだ。マサチューセッツ州は対南アフリカ法を復活させ、ビルマにも同様の措置を発動させ、日系企業をことにその監視リストにあげている。この中には、大手の多国籍建設会社、大林組が含まれている。同社はマサチューセッツ水道局と15億ドルに及ぶ契約を落札した企業共同体の代表である。大林組は、日本政府が援助計画としてラングーンに建設する看護婦寮にも関与していたために、すんでのところでこの契約を逃すところだった。

 この種の積極的行動は、やがては日系企業にとって厄介なものになろうが、かといって必ずしも、文化的政治的な思考様式に深く埋め込まれている人権意識に根本的な変化が起きるとは必ずしもいえないだろう。日本人の多くは、指導者も国民もだが、人権という根本概念、すなわち表現の自由や個人の不可侵が、普遍的であるという観念を自ら受け入れたり自覚するという確信を持てない。こうした思考の方向性は時折、短絡的に「アジアの手法」「アジア的価値」などと呼ばれている。論争には決着がついていない。

 しかし、いわゆるアジア的価値を唱える人々が、企業行動の規則に地球規模で応じ得るような一貫した原則を示せないことも事実だ。個人の優位性を唱える人々は、1948年の国連による世界人権宣言を指摘する。従って、多国籍企業が貿易・金融の分野での単一の国家システムによる事業を、外部に拡大する場合、今日の地球規模の経済下では、それに代わる倫理行動基準を持ち得ないのである。これは、実際の指針としての、たとえて言えば、一般に公正妥当と認められた会計原則(GAAP)のようなものである。これは世界中の会計士が、ますます地球規模での均質化が進む中で、お互いのやりとりのために採用している原則である。

 1999年1月、国連のコフィ・アナン事務総長は、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムの場で多国籍企業幹部に対し、自身が主宰する人権に関する「地球人権協約」へ参加するよう勧めた。しかしアナンは日本からのこの価値を共有するビジネス界の友人を得るのは、きわめて困難であることを認識するだろう。巨大企業の代弁者である経団連は、メンバーに対して規範となる倫理綱領を刊行してはいるが、国際化に対応する倫理の緊急性の主張が欠如している。その中では、海外での労働基準の保護はおろか、結社の自由といった基本的問題を説くことすらしていない。

 1980年代半ば以来、日本は海外の学者やジャーナリストからさんざんにこき下ろされてきている。根本的に日本は米国や欧州と異なる資本主義システムをとり、貿易や企業経営をなし、欧米のモデルに調和しないと。日本の実業界と政府指導者たちは、欧米側の見解への反駁を我慢し続け、そうした批判者たちを「リビジョニスト」として非難し、日本は世界の自由市場システムのやり方を踏襲していると主張している。双方の論争は一連の貿易紛争を引き起こし、ついには日本の商慣行は公正か不公正か、国内市場は開放されているかいないか、海外の投資家や貿易商にとって「機会均等な競争の場」があるか、といった問題にまで行き着いた。

 日本の巨大企業は、国際市場において通常通りにビジネスを展開し、そこでは、ライバルたる欧米企業がおかれている国際的な人権運動が強いる行動に気兼ねすることもない。これでは紛争が生じるわけである。労働基準の領域では「公正な競争の場」がないという不満がそのうち聞こえるようになるだろう。なぜなら国によっては、煩雑な契約条項の採用を余儀なくされ、その履行の監視に高いコストを払う一方で、日本の競争相手にはそれがないと。日米間の貿易摩擦が頂点に達すると、米国側は日本は「経済の枠組みを外れている」と非難した。日本は今や「人権という枠組みを持たない」との汚名を着せられようとしている。

 アナン事務総長が地球人権協約を提案した時、世界中の、つまり、東西南北のあらゆる信念や文化に基づく解釈のすべてについて語ったわけではなかった。アナンが語ったのは、人権保護、労働基準、環境問題などの共通項であった。「これらは普遍的な価値である。文化によって異なるという者はナンセンスだ」と言うのは、国連事務総長付きのエコノミスト、ジョージ・ケルだが、彼はアナンの地球的契約立案の中心人物である。「人権侵害をこうむっている国民に聞けばよい。彼らは人権という価値が普遍的だと言うであろう。否定するのは政府側だけである」

 社会的責任や人権問題に関して多国籍企業が何をする必要があるかの合意がなされない限り、さまざまな価値に関する衝突は避けがたいし、万人が人権とは何かという共通の概念に精通できるようにならない限り衝突は生じる。

(ビルマ翻訳グループ 西村勝也)

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