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国際社会

ビルマ情勢に関する声明
2003年6月4日配信 日本ビルマ救援センターほか

ビルマ情勢に関する声明
日本ビルマ救援センター
FBC日本語サービスセンター
2003年6月4日

 ビルマ(ミャンマー)の民主化指導者で、反政府政党・国民民主連盟(NLD)のアウンサンスーチー書記長、ティンウー副議長ら一行19人が30日深夜、ビルマ軍事政権=国家平和発展評議会(SPDC)によって、ビルマ北部サガイン管区内で拘束されてから5日が経とうとしています。一行の詳しい消息は依然明らかになっていません。

 この事件の直後から、ビルマ全土で大規模な民主化運動への弾圧、大学など教育機関の閉鎖が実施されています。首都ラングーン(ヤンゴン)では、アウンシュエ議長らNLDの中央執行委員7人全員が自宅軟禁状態に置かれ、アウンサンスーチー氏、ティンウー氏らとともに一切連絡が取れない状態が続いています。ラングーンのNLD党本部に続き、地方支部も相次いで閉鎖を命じられ、党員数百人が身柄を拘束されているとの情報が伝えられています。

 また複数の情報筋によれば、スーチー氏らが拘束された際に現場付近にいた200人以上のNLD党員・支持者、学生、僧侶らの消息が不明になっています。
 このうち少なくとも13人はサガイン管区内のカンチ刑務所に投獄されていることが、タイに本部を置く政治囚救援組織「政治囚支援協会」(AAPP)の調べで明らかになっています。また国際人権NGOアムネスティ・インターナショナルは少なくとも100人の消息が不明であることを確認しています。また31日には前日の事件への抗議行動の際に、僧侶1僧、学生2人が死亡したとの情報が伝えられています。

 一行の拘束に先立ち、30日夜には、軍政の大衆翼賛組織「連邦団結発展評議会」(USDA)のメンバーらが、NLD支持者を襲撃する事件が発生しました。軍政はこの事件の被害を死者4人、負傷者50人と発表しましたが、ビルマ亡命政権「ビルマ国民連邦連合政府」(NCGUB、本部ワシントンDC)は、実際には70人余りの死者が出ているとの情報を発表しています。
 また目撃証言や複数の情報筋によって、この襲撃事件は軍政が言うようなNLDとUSDAメンバー間の「小競り合い」ではなく、USDAとビルマ軍当局による大規模な組織的襲撃であったことが次第に判明してきました。

  私たちはこうした事態を強く憂慮し、ビルマ軍事政権に次の8点を求めます。

・今回の事件に関連して拘束された人の人物特定と、アウンサンスーチー氏ら被拘束者全員の即時無条件釈放
・今回の襲撃事件で負傷した人々への適切な医療措置の実施
・中立的な第3者による事件の調査実施と全容の解明
・軍政が閉鎖した全国の国民民主連盟(NLD)事務所の即時再開
・公共教育機関の即時再開
・民主化と国民和解に向けた、軍、民主化勢力、民族勢力での3者対話の開始
・ビルマ全土での停戦実現および各民族勢力との和平交渉の開始
・ビルマ政府が行っている、宗教、民族、ジェンダー、セクシュアリティの違いを根拠にした差別、抑圧の停止

【背景情報】

 ビルマでは1962年の軍事クーデターによってネウィン将軍(故人)を中心とし、社会主義を標榜する軍事独裁政権が成立したが、経済の疲弊への不満とビルマ全土での民主化要求によって88年に崩壊した。この政権の後継者として、学生らを中心とした民主化運動の弾圧後の同年9月に、新政権「国家法秩序回復評議会」(SLORC)が成立した。
 軍政下で行われた1990年総選挙では、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)などの民主化政党と民族政党が圧勝した。しかし軍政はこの選挙結果の受け入れを拒否し、現在まで政権の座に就いている。軍政は97年に最高意思決定機関を「国家平和発展評議会」(SPDC)へと改称した。

 人口4800万人のビルマは典型的な多民族国家である。多数派のビルマ人は人口の6~7割程度を占めるに過ぎない。1948年に英領時代の国境線をほぼ引き継ぐ形で独立したビルマ連邦は域内の諸民族をまとめることに早い段階で失敗し、独立や自治権獲得を目指す闘争が各地で勃発した。またイデオロギーの違いからビルマ共産党も政権を離脱して中央政府との抗争を開始した。
 軍政は40年に渡ってこうした勢力を敵対視し、ビルマ人以外の民族が多く居住する地域に対ゲリラ戦争を遂行した。長年に渡る戦闘は社会の軍事化をもたらし、ビルマ全土は疲弊と混乱の中に陥った。高い識字率と教育水準を誇り、豊富な天然資源と穀倉地帯を有するビルマには発展が約束されていたはずだったが、87年には国連から最貧国に指定を受けるほどに経済は衰退し、88年の民主化運動が起きる要因のひとつになった。

 88年に成立した現軍政は、反政府武装勢力に対し権益の分割を見返りにした懐柔策を行う一方で、残存する民族勢力に徹底的な攻勢を加えている。過去10数年で3倍に膨れ上がったビルマ国軍は、地方の住民に対して強制移住、強制労働、強制徴用、拷問、略奪、強かん、処刑などあらゆる人権侵害を行っており、その過酷さは国連諸機関や人権団体によって繰り返し非難の対象となっている。例えば1996年から98年の間に、東部のシャン州では1400ヵ村、30万人を対象にした強制移住計画がゲリラ掃討の名目で行われている。
 ビルマ軍の地方での軍事作戦の結果、東部のタイ・ビルマ国境に避難した14万人を超す人々(カレン人、カレンニー人、モン人)が難民キャンプで生活しており、インドとバングラデシュ国境ではそれぞれ数万人が難民生活を送っている。この他にビルマ東部だけでも数十万人が国内難民としての生活を、また隣国タイにはビルマ出身者百万人以上が不法移住労働者としての暮らしを余儀なくされている。タイ政府はこうした人たちを難民として認めることを拒否している。

 ビルマは上座部仏教が盛んな国として知られるが、軍政は人口の8~9割を占める仏教徒の不満の矛先をそらすために宗教間対立を煽っている。ターゲットになるのはムスリムであることが多く、ビルマ人の間に根強いムスリムへの差別的感情を煽動して暴動を作り出している。中でも西武国境に住むムスリム系住民のロヒンギャへの差別と抑圧はひどく、90年代初めには30万人近くが対岸のバングラデシュに避難する事件が発生している。

 アウンサンスーチー氏は過去10年間のほとんどを自宅軟禁状態で過ごした。しかしビルマ国民の間で依然として根強い支持を集めていることが、昨年5月の軟禁解除後に行っている地方遊説で明らかになっている。軍政が今回強攻策に出たのは、こうした根強い人気が自分たちの政権基盤を揺るがしかねないとの危惧に原因があるとの見方もある。
 スーチー氏とビルマ軍政との予備対話は、国連のラザリ事務総長特使の仲介で、2回目の自宅軟禁中の2000年10月から始まった。しかし対話は実質的な段階に移行することなく2002年10月に中断し、政治情勢はこう着状態に陥っていた。こうした動きに不満を持つNLD側は最近になって軍政批判を強め、対話を進める努力を行っていない軍政側の不誠実さを厳しく非難した。
 しかし軍政側は先月5月になって、スーチー氏との会談を希望していることをほのめかした。ラザリ特使が10回目の訪問を今月6日から予定していることと合わせ、対話の再開への期待感が一部で生まれていた。今回の一連の事態はこうした矢先の出来事だった。

署名団体
日本ビルマ救援センター(BRC-J)
FBC日本語サービスセンター(FBCJSC)