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国際社会

ビルマは信用を回復できるか
2008年5月1日配信 『公評』

ビルマは信用を回復できるか
菅原 秀
『公評』08年5月号

軍事政権を国家承認してしまった日本の失政
 信用という言葉が大きく揺らいでいる。何を信用し、誰を信用すればいいのか。
 ジャーナリストの一人として、どうしても書かなければならないのは、07年9月のヤンゴンでのデモの最中に長井健司記者を殺害したビルマの問題である。
 事件は、ビルマ軍事政権の信用を国際的に失墜させただけでなく、その軍事政権を甘やかし続けてきた日本政府の信用も問われる重大問題だからだ。
 さて、この私の文章を見て、「なんでビルマと書くのだろう。あの国はだいぶ前にミャンマーと国名を変更したのではないか。
 と思われる人が多いかと思う。実は日本と違って他の国々には、この国の呼称変更を認めない人が多く、特に世界のジャーナリストの大部分は未だにビルマと呼称しているのである。
 まずそのことから説明しないと、話がわかりにくくなる。ビルマの人権問題と深く関わっているからだ。

 1989年6月、ビルマ軍事政権は国連に対して、英語での呼称の変更を届けた。それまでのユニオン・オブ・バーマを、ユニオン・オブ・ミャンマーとしたのである。国連のルールでは議席を持っているその国の政権が国名変更を届ければ、自動的に受理しなければならない。したがって国連での国名変更は自動的に行なわれた。
 しかしこの変更に対して、アメリカ、ヨーロッパ各国、北欧各国などが強く反発した。1990年の総選挙でアウンサンスーチー率いるNLDが圧勝したにもかかわらず、政権を委譲せず、そのまま居座っている軍事政権が、国民の信を問うことなく勝手に国名変更することは容認できないと考えたのである。(アウンサンスーチーの日本語表記は、新聞ではアウン・サン・スー・チーだか、本人はビルマの人名表記原則を尊重してアウンサンスーチーにして欲しいと言っている)

 さて変更の理由は何か。
 事情に詳しい田辺寿夫氏は、次のように解説している。

 「ビルマ語による国名は、ピダウンズ(連邦)・ミャンマー・ナインガン(国)のまま変わっていない。国名の変更にあたって軍事政権の担当者は、英語のバーマのもとになったバマーがビルマ族をさし、ほかの多くの民族が共住する連邦国家としては、そのすべてを包含するミャンマーという呼称のほうが寄りふさわしいと説明した。しかし、この説明が正確でないことを、内外の多くの識者が指摘している。バマーとミャンマーはもともと同じ語源の言葉で、おもにビルマ族とその国土を指すことは明らかであるからだ。バマーは交互としてよく使われ、ミャンマーはもともとビルマ語の国称として使われているように文語的な表現である。人々はこれまで、この二つを同じ意味の言葉として、とくに意識せずにごくふつうに使ってきた」『ビルマ 発展のなかの人びと』田辺寿夫著 岩波新書
 現軍事政権を認めていない英語圏ではこの国を今でもBurma,北欧諸国はBirmaと呼び、各国のマスコミもそれに習っている。(ビルマという日本語の呼び方は北欧形なので、江戸時代にオランダから伝わったと思われる)

 にもかかわらず日本政府とマスコミは、軍事政権の提案をいとも簡単に受け入れている。
 まず89年に7月から外務省と内閣法制局が今までのビルマ呼称をやめてミャンマーとすることを決定。それを受けた日本新聞協会は「現地の呼び方を尊重する」という理由で、89年8月からミャンマーという表記に切り替えている。
 前提となったのが、89年1月の閣議決定である。88年9月にビルマ軍はヤンゴンのデモを軍事力で制圧、数千人を殺害しビルマ連邦の全権を掌握した。軍は戒厳令をしくと同時に、国家秩序回復評議会という暫定国家管理組織をつくり、治安を押さえ込み、総選挙を行なうと明言した。日本政府はこのグループが治安を回復したことを評価し、閣議決定としてこの国の国家承認をしてしまったのである。

マスコミはビルマ表記に切り替え直すべきだ

 90年6月、約束どおり総選挙は実施され、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が485議席のうち392議席を獲得した。軍事政権支持政党である民族統一党(UNP)はわずか10議席というありさまであった。しかし、その結果は反故にされ、逆に当選したNLDの国会議員たちを全員逮捕して、軍事政権をそのまま維持したことは周知のとおりである。
 日本政府は、ここで国家承認を取り消せばよかったのだが、ODAを一時凍結しただけで様子見をすることにした。この時点で本質を見誤ったのである。
 ここから日本政府と国際社会とのボタンのかけ違いが始まることになる。
 そうした経緯の結果、見事なほどすっきりと国名呼称がミャンマーに切り替わったのが日本だ。ビルマ軍事政権の対日心理工作はみごとに成功したのである。

 しかし英語圏からのニュースであるCNNやBBCなどの国際ニュースを聞いていただきたい。どのニュースのアナウンサーも、あいかわらずBurmaと呼称していることに気づくはずだ。
 それに対して、ビルマ軍事政権を支持する国であるロシア、中国、シンガポール、北朝鮮などから発信される英語放送を聞いていただきたい。これらの国の放送局では必ずMyanmarと呼称している。
 また両者を混合している国もある。タイ、バングラデシュ、マレーシア、それに加えてASEAN諸国の、ビルマと深い利害関係を持つ国々である。これらの国々は好むと好まざるに関わらずビルマとの接触を続けなければならない運命にあり、全体的にコンストラクティブ・エンゲージメント(建設的関与)という外交手段を採っている。これらの国々では、政府系メディアはミャンマー、反政府系メディアはビルマという形で報道し、それぞれの番組や記事の中では、ばらばらにふたつの呼称が併用されている状態である。
 つまりビルマ軍政を支持する人々はミャンマー、軍政の居座りを許容しない人々はビルマという風に、全世界の世論を二分し、呼称自体が政治的なものになってしまったのである。

 日本では、在日ビルマ人による民主化団体と、日本人の支援団体がこの国の民意抜きの呼称変更を認めずに、ビルマと呼んでいる。テレビや新聞などのマスコミは別段ビルマ軍事政権を支持しているわけでもないのに、一律にミャンマーと呼んでいることから、大部分の日本人がマスコミの報道を受け売りしてミャンマーと呼ぶようになった珍しい国が日本だ。
 私は、選挙結果を無視し、国会の機能を17年間も停止し続けたまま権力にしがみついているこの軍事政権を許容するわけにはいかないので、ビルマと書き続けている。ジャーナリズムには、表現の自由を守る使命がある。表現の自由を完全に否定している政権が勝手な国名変更をしたことを許すのはジャーナリストの職業倫理と矛盾しているからだ。さらに国際ジャーナリスト連盟(IFJ、会員数1億5千万人)を始めとするジャーナリスト団体のほとんどが、言論の自由を否定するこの政権に抗議する立場でBurmaの表記を採用しており、国際的なジャーナリズムの連携をはかるうえでも、Myanmarという「踏絵的」な表記は不適切であるからだ。

 こうした説明をすると、多くのジャーナリストが賛意を示してくれる。しかし、いったん呼称を切り替えてしまった日本のマスコミにも面子がある。ビルマ学者の投稿などにビルマ(ミャンマー)と記載してお茶を濁している程度が精一杯のようだ。ここで各メディアの記者は勇気を持ってビルマ表記を社内に通用させるようにして欲しい。
 長井さんの死を無駄にしないためにも、せめての抵抗の意味で堂々とビルマと書き直していただきたいのである。言論を弾圧した軍事政権が民意に基づいた手続きをおこなわずに変更した国名を垂れ流すのは、言論の自由を守るジャーナリストという立場に相反するのだということを熟慮していただきたい。

 さて98年の流血の弾圧の直後に国家承認をして、ビルマ軍事政権を甘やかし続けてきた日本だが、その後現地に派遣された歴代の大使たちも、民主化勢力に対する弾圧に対して毅然とした態度を採っていないのが目立つのが日本の外交だ。
 特に93年から大使を務めた田島高志氏と、95年から大使を務めた山口洋一氏は、一貫して軍事政権の側を支持し、軍事政権と外務省の蜜月時代を築いてきた。その悪影響は今でも続いている。

ビルマとの蜜月時代を演出した大使たち

 山口氏が大使になった頃、私はオスロに本部のあるNGOワールドビュー・ライツの職員としてビルマ民主化支援活動を開始した。
 さっそくビルマを担当する外務省南東アジア1課を訪問し、今後の活動への協力を要請した。そのとき応対したM課長は、私に対して次のように語った。

 「日本ではミャンマー国民の大多数がスーチーのNLDを支持していると報道されていますが、それは90年の選挙のときだけの一時的な現象です。今では彼女を支持する人はビルマ全体で500人程度しかいません。軍事政権がまじめに国を運営しているのにもかかわらず、NLDは欧米から資金を得て、嘘の情報を流し続けています。決してNLDや亡命政権であるNCGUB(ビルマ連邦国民連合政府)などの情報に振り回されないようにお願いします」
 私は開いた口がふさがらなかった。
 500人という不思議な数字にまず驚いた。当時日本に在留していたビルマ人の数だけでも一万人がいた。大部分はノンポリであるものの、大使館の職員やその家族を除いては、軍事政権の支持を表明する者はいなかった。つまり日本にいるビルマ人の少なくても9割以上はNLDを支持していたのである。90年選挙のときのパーセンテージは日本に来ても同じだった。M課長は、日本だけでもNLDを支持する9千人以上のビルマ人がいるのに、ビルマ本国に500人しか支持者がいないと言ったのだ。
 しかし、それが山口洋一氏の受け売りであることがあとからわかった。山口氏があちこちで「スーチーは欧米から資金を得て政府を苦しめる策略をしているが、彼女の支持者は全体で500人程度しかいない」と話しているのを知ったからだ。
 田島氏と山口氏は、ビルマへの最大の援助国として常に国賓待遇で扱われており、彼らの著書の中で軍事政権から数々の便宜供与を受けていたことを自慢している。
 ゴルフ接待から始まり、地方視察の際の特別機や特別列車の提供など、自分たちの家族も含めて王侯貴族のような扱いを受けていた。国際公務員がこうした便宜供与を受けることには倫理上おかしいと思うので、国際法の専門家が私宛にご意見を寄せていただければありがたい。

 さて山口大使の時代に、ある出来事が持ち上がった。自衛隊や外務省などの日本政府職員7人が、ビルマとタイの国境の難民キャンプを視察し、食糧事情や水道事情を調査したのである。難民キャンプの住民を支援しているビルマ国境コンソーシアム(BBC)という国際NGOからの要請による草の根無償支援の実態調査のためだった。調査団はその結果を本庁に報告し、700万円の食糧支援を行なうことが決定された。
 しかしその決定は実行されず宙に浮いたままだった。情報をキャッチしたフォトジャーナリストの山本宗補氏が外務省に問い合わせたところ、「ビルマ軍事政権からカレン民族同盟(KNU)の武器に流用される恐れがあるので、支援しないようにと言われ棚上げになっている」という話だった。
 真相はこうだった。バンコクの日本大使館の職員がこの草の根支援の計画を聞きつけて、日頃親しく付き合っているバンコクのビルマ大使館の職員に電話をした結果、ビルマ側が支援をしないように強く要請したのである。
 大量の難民を生み出した抑圧側政権に電話をすれば、こうした答えが来るのは当然であり、外交官の責任を大幅に逸脱した背信行為である。この対応に対して市民団体が強い抗議をした結果、宙に浮いていた支援はBBCに届けられた。
 そのBBCの本部を訪ねた私は、翌年も草の根資金援助の申請をするのかと尋ねた。責任者はこう答えた。

 「もうこりごりです。突然日本大使館に呼び出され、授与式で日本の大使とタイ外務大臣に対する感謝の言葉を述べよと言われたのです。私たちはさまざまな国からの支援を受けていますが、官僚に対するお礼を強要されたのは初めてです。私たちの活動が外交上の取引に利用されていることを知って、正直がっかりです」
 さて山口元ビルマ大使は、長井さんが殺害された事件の直後から不思議な行動を開始している。雑誌、テレビ、あげくの果てには外国人記者クラブにも登場して、ビルマ軍事政権擁護の発言をし続けているのである。
 その論理があまりにも変わっているのでマスコミは飛びついた。「軍事政権が一般市民、ましてや外国人ジャーナリストに発砲することはありえない」「スーチーは市民に金を渡してデモに参加させた」「スーチーは96年に自動車での移動中市民から、外国人女は出て行けと言われた。こわくなったので警察に泣きついてその後、軟禁という形で保護してもらっている」「スーチーは英国に操られ、ビルマを混乱に陥れようと策動している」などの独特の論理をまくし立てたのだ。

外務省はビルマ軍の翼賛組織に資金提供をしていた

 山口氏がなぜこれほどまでにスーチーを憎み、軍事政権に肩入れしているかの真意は不明だが、一連の発言は在日ビルマ人たちを激怒させている。人の悪口を言う風習があまりないビルマ人たちだが、彼らから「山口は許せない」という声を頻繁に聞くようになった。
 田島、山口両氏によって築き上げられたビルマ軍事政権との蜜月の伝統は、今でも外務省の中に根強く残っている。それをはっきり示すのがビルマ軍事政権の翼賛組織へのODAの供与である。
 つまり連邦団結発展協会(USDA)やミャンマー母子福祉協会などの軍事政権の翼賛団体が日本政府からの支援を受けているのである。特に、連邦団結発展協会は、2003年5月にヤンゴン郊外のディペインでアウンサンスーチーの一行を襲撃してNLDの支持者数十人を死亡させたグループとして国際社会から非難されている団体である。

 国連人権委員会のミャンマー特別報告官のセルジオ・ピネイロ氏は、2007年9月の流血事件に関して国連人権委員会に提出した報告書で、この連邦団結発展協会について次のように述べている。

 「特別報告官は連邦団結発展協会と民兵組織スワンアーシン(SAS)が、今回の平和的抗議活動に対して過剰な暴力を使う形で大幅に関与していたことを考慮する。ミャンマー刑事訴訟法第128条に基づいて当局が解散のための実力行使をしたことは不運なことであった。正規軍と治安部隊に加えて、政府が支援している連邦団結発展協会と民兵組織スワンアーシンが、政府の黙認もしくは了承によってデモ参加者に対して暴力行為を働いている。これらグループが政府の直接の命令によって行動しているか否かはさだかでないものの、ミャンマー当局がこれらのグループの犯行に対して、その行為を阻止することを意図的に回避し、あるいは直接の阻止も保護も行なわないという形で共謀した証拠がある」

 「連邦団結発展協会は国家平和発展評議会(SPDC)によって1993年に設立され、2006年には次期選挙に候補者を立てることを目的に政党に発展させると発表している。特別報告官は前回の報告で、連邦団結発展協会のメンバーがさまざまな政治的暴力もしくは犯罪行為を行なっていることに関して、特別な憂慮を表明した。スワンアーシンの存在は2003年にディペインで起きたに悲劇的な事件に関与していたことで最初に明るみに出た。情報筋によればスワンアーシンは、1997年の事件にもすでに関わっていた。このグループは法人格を持っておらず、政府からの給与は受けずに、法の執行、準軍活動、諜報活動などを草の根レベルで行っている。組織内部は消防部隊、救助部隊、女性組織、そして連邦団結発展協会(USDA)によって構成され、刑務所から釈放された者、地元の無法者、貧困者、失業者なども加わっている」 (07年12月ピネイロ報告書 A/HRC/6/14の39と40より。菅原秀仮訳)

 2007年、ビルマ市民フォーラムを始めとする市民団体が、日本政府が連邦団結発展協会による福祉事業に草の根無償を継続していることを指摘し、こうした翼賛団体への支援を直ちに打ち切るように要請した。
 しかし外務省南東1課はこの団体がスーチー襲撃事件などの暴力事件に組織的に関与したという事実は確認していないと返答している。
 ピネイロ氏の報告書に見られるとおり、この団体は国連の報告書でも何度も指摘されている暴力団体であるのにもかかわらず、外務省はそうした報告を無視して、田島・山口路線を今でも採り続けているのである。

  今回の山口氏の積極的な一連の発言から見えてきたことは、山口氏を始めとするビルマ軍事政権支持者たちは、アウンサンスーチーは英国の犬であり、英米の資金を得て、ビルマの権力を握り、少数民族を支配しようともくろんでいると考えているらしいことだ。
 ビルマは135の民族によって構成される、世界有数の多民族国家である。山口氏はカレン、シャン、チンなどの代表者を訪ねて直接話し合うような勇気は持っていないと思うので、無理な相談だが、読者やジャーナリストの皆さんは、ぜひこれらの少数民族の代表たちに接触していただきたい。タイ側に住む各民族の代表事務所に連絡すれば、ビルマ国内と連絡をとってくれるので、接触は比較的簡単である。接触できたら「アウンサンスーチーについてどう考えていますか」と訪ねて欲しい。少数民族のほうが、ビルマ人たち以上に熱心にアウンサンスーチーを支持していることを知って驚くに違いない。
 実は1947年にスーチーの父のアウンサン将軍が中心になって、ビルマ連邦をまとめようとしたパンロン協定というものがある。この協定をモデルに少数民族の反政府ネットワークができており、すでにNLDを友党として共闘しようという合意がなされているのである。

 少数民族が警戒するのは、スーチーではなくビルマ軍事政権である。軍事政権は各民族を抑圧することでビルマ全土を支配しようとしており、1995年には15万人ほどしかいなかった国軍を将来は40万人まで拡大しようとして、積極的に少年兵をリクルートしている。2008年現在の国軍勢力は35万人程度まで拡大していると思われる。
 ビルマ軍は外部の敵から国を守るためでなく、内部からの反乱を押さえることを目的として強化されている世界的にも珍しい戦略を持つ軍隊なのである。
 軍事政権側はほとんどの少数民族と停戦協定を結んでいると発表しているが、実際上は機能していない。各少数民族は、自分たちの居住地に駐屯するビルマ軍が略奪、放火、強制移住、強制移動、強姦などの悪事を行なうので、武装解除などはできないのである。
 強大なビルマ軍との全面戦争を避けるために停戦協定を結ぶのだが、地方に駐屯するビルマ軍は、ほとんど給料をもらえず、自活するように命じられていることから地元住民から土地や穀物を収奪して生きのびているからである。
 その結果、各民族とも武装解除ができないので、いつしか停戦協定が破られるといういたちごっこが続いているのである。

 こうした重大な人権侵害については、国連人権委員会が派遣し続けているミャンマー特別報告官たちが、ここ15年間にわたって詳細な報告を行っている。つまり、横田洋三氏、ラジスーマ・ララ氏、それに現在のセルジオ・ピネイロ氏の手による数多くの報告書である。さらに1998年にはILOのウイリアム・ダグラス委員会がビルマの強制労働を詳細に調査した300ページの報告書を発表し、6000ページにわたる証拠書類を添付している。これらの報告書には、少なくとも200万人以上の少数民族がビルマ軍によって強制労働に駆り出され、殺戮、強姦などによる年間1万人以上の死者を含むさまざまな人権侵害の被害を受けていることが報告されている。
 外務省には、これらの文書を読む義務があると思われるが、職員たちにこうした文書の内容を指摘しても、何を言われているかの認識が出来ないようだ。
 挙句の果てには2000年5月、ILO総会に関した記者会見の席上、外務省の職員がウイリアム・ダクラス委員会報告書に言及した記者に対して、「報告書には適切な情報が欠如している」と発言してILOの決定を遵守しないことを明確にしている。つまり、国連の言うことよりも、ビルマ軍事政権の主張が正しいと明言したのである。
 各国の大使館との連絡が忙しくて、ビルマの組織的人権侵害を調べる暇がないのだろうが、少なくとも日本は国連の加盟国である。特別報告官の報告や、ILOが派遣した報告書を否定するなら、きちんとした調査をして反論すべきである。

 長井さんが死亡したあの日のデモ隊の陰で、翼賛組織としてデモ隊を弾圧し、さらに密告によって参加者を軍政に売り続けていた連邦団結発展協会のみせかけの福祉事業に、草の根支援を通じて手を貸していたのが日本なのである。
 ODAの運用をこうした考え方を持つ官僚たちに任せることは、日本の信用を国際的に失墜させることにつながるのである。
 ビルマが信用を回復するのはさして難しくない。国際社会の勧告を受け入れて、全軍に対して人権侵害行為の停止を命じ、以後すべての人権侵害を停止すれば良いのだ。彼らにその勇気がないことだけが問題なのである。