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社会

ジャーナリストへの警告
2001年8月1日配信 イラワディ誌

 ビルマに関するレポートは、筆者の評判を脅かす。海外のジャーナリストが軍事政権の名簿に次々に載せられているからだ。
 ビルマは、ジャーナリストに優しい国ではない。この軍に支配された国では、海外ジャーナリストがビルマについて書くことは、どんな簡単なものでも歓迎されないからだ。ビルマに行ったことのある多くの海外ジャーナリストは、彼らの現地での活動が諜報職員または情報提供者によってモニターされているということを知る度に、神経質になる。それに加えて何人かは、直接ひどい目に会うことになる。
 ビルマから離れた後にさえ、ジャーナリストは無事ではない。バンコクでは、ビルマの諜報当局と彼らのネットワークか、ジャーナリストの活動を追跡していると思われる―もちろん―それぞれの記事や、雑誌あるいは電子メディアに何を書くかについても調べている。彼らの記事が諜報当局にとって満足でないならば、ジャーナリストは再び長い間ビルマに入ることが禁じられることがある。
 ルールの一番目は、次のようになっている。
 「民主派反政府勢力でノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチーに極度に共感するな。」

 ドミニク・フォールダーは、現在は国家平和発展評議会(SPDC)と名称を変えた国家法秩序回復評議会(SLORC)の元議長だったソウマウン上級大将と会見した最初の海外のジャーナリストであった。選挙の結果が尊重されなかったという記事を書いたことで、1990年以前に、すでに困難に遭遇していた。
 「1988年末まで、私は匿名でビルマを訪問し、署名記事を書かなかったのです。少なくともソウマウンと会見した1989年までは、私は比較的良いアクセスが可能でした。スーチーの拘留を知り、彼女に同感するようになるまでは」。彼は追想する。
 彼は、現在ビルマへの入国を許可されている。
 十年以上にわたってビルマに入ることを許可されなかった数人のジャーナリストがいる。バーティル・リントナーもその1人である。リントナーは、ビルマについて多数の記事と本を書いており、ビルマ情勢に関する最も知識のある海外ジャーナリストの1人であると考えられている。軍事政権は彼を酷評した。そして、ビルマについての彼の記事は根拠がなく、希望的観測に基づくと述べていた。彼は現在、ブラックリストに載せられており、1989年以降ビルマに入ることを禁じられている。彼はそのことを、本当に気にかけているのだろうか?
 「人々をブラックリストに載せても、うまくいきません」と、タイに本拠地のあるこのスウェーデンのジャーナリストは述べる。
 ブラックリストに記載されているジャーナリストは、通常ビルマに非常に興味があり、この国についてよく知っている。また、新しく国内関係者と接触して、ほとんど背景情報を持たずにパラシュートで降りるように入国する他のジャーナリストたちより、国内の関係者の良いネットワークを持っている。許可されないのはそのためである。さらに、ブラックリストに記載された人々はより尊敬される傾向がある。リントナーは述べる。
 「何かがビルマ国内で起こるならば、私は通常それをキャッチする最初の海外特派員となります。例えば、私は1995年にアウンサンスーチーが自宅監禁から釈放されたことを知った最初の海外ジャーナリストでした。ラングーンの外交官がこのことを知る前に、私は何があったかというニュースを掴んでいたのです」

 しかし、ニュース機関に勤務していたり、国際的あるいは地域の雑誌に書いているジャーナリストたちは波風を立てることを求めない。むしろ妥協し、ビザを得るために少なくとも慎重であり、静かにしている。
 あまり有名でないフリランサーのジャーナリストたちは、ビルマに入るために観光ビザを申し込む。そして、情報部の何人かの当局者高官との安定した関係を保ち求める。もちろん、情報部に友人がいることは役に立つ。情報部の何人かの職員は、非常に協力的である。
 チョータイン大佐、チョーウィン少将、タインスウェ大佐とフラミン中佐は、海外ジャーナリストの間のお気に入りである。
 「彼らは興味深い人々です。非常に上手に英語を話し、教養があります」と、バンコクに本拠地のある西側のジャーナリストが述べている。

 さらに何があるだろう?「彼らは過剰であり強硬です」。リントナーはバンコクのシーロム・ロードのコーヒーショップで本誌にこう語りながら、あたかも誰かが会話をモニターしているかのように、あたりを見回した。
 東京のテレビ局で働いている日本のジャーナリスト庭野めぐみは、数年前ビザを申し込んだが、拒否されたことを思い出した。それでも、彼女はあきらめずに、バンコク大使館付武官であったタインスウェ大佐に会いに行った。
 「驚きました。私は間違ったことを何もしていなかったのに、ビザを与えられなかったのです」
 しかしタインスウェ大佐は、違った考えだった。オフィスで彼女に会ったタインスウェ大佐は、こう語った。
 彼女は、バンコクで何人かの反体制派ビルマ人に会った。大使館付武官(現在戦略研究室勤務)は、はっきり彼女に言った。
 「私は、あなたがアウンゾー(この記事の執筆者)と他の2、3人の活動家に会ったことを知っています。彼らは国のためにならない分子です」
 庭野の約束や会合がなぜ知られていたかは、未だミステリーである。実際、記者たちが仲間のジャーナリストと会って新しい情報源を探すのは普通の手段である。

 いずれにせよバンコクの何人かのジャーナリストは、ここ最近は、ビザが得やすくなっていると言う。
 デニス・グレイは、現在バンコクAP通信局長だが、彼によると、「ビルマへのビザを得るのは決して簡単ではないが、数年前より確かに楽になっています」
 AP局長は数年間に渡ってビルマに入ることができなかったが、今年初めにビザが降りた。しかし、問題がなかったわけではない。
 「私の欲求不満と問題というのは、ビザの期限がわずか7日間という短いものだったことです」とグレイは述べた。
 「それさえなければ、カメラマンも私自身も、まったく問題がなかったのです」
 彼のラングーンや辺境地への移動がモニターされたとは信じないと述べている。
 「私たちは、独立して移動しました。いかなる政府ガイドも護衛もいませんでした。私たちは、民間の旅行会社から車を借りました。到着の前に旅程について尋ねられたのですが、私たちは行き先を決め、受け入れられました。私たちは、ラングーンとマンダレーとの中間地点の地域で数日を過ごし、残りの数日はラングーンにいました」
 旅行から戻ると彼は、二つの記事を書いた。一つは教育に関する厳しいニュースで、もう一つは木材を伐採している象に関したソフトな特集記事だった。
 「旅行の間、私たちは何を書いていいとか、悪いとかは言われませんでした。ビルマについて書く内容は、私たち自身の考えと計画によって決定しましたし、将来私たちにビザが承認されるかどうかなどは考えませんでした」
 何人かのジャーナリストにとっては、ビザの申請はさしたる挑戦ではない。リントナーによれば「もし特定の作家がビルマへのビザを一度ならず得ることができたなら、ほとんどの人がその作家はうさん臭い何かに関係しているか、利用されていると考えるでしょう。それはまた、その結果、その作家の評判に影響を及ぼすでしょう」とのことである。

 事実、ビルマ入国を何度か許可された何人かの作家は、ジャーナリストの友人の信頼を失っている。これは、高い代償である。こうした記事は表面的であるかただ単に悪いというものであることが多いからだ。
 香港に本拠地を置くアジアウィーク誌のドミニク・フォールダーは、有名なフォト・ジャーナリストだが、軍事政権が記者との接触を広告のためと考えているとき、ビザ規制が緩められると述べている。「麻薬根絶プログラムのような宣伝旅行の場合、ビザは惜し気なく配られます」
 彼は最近軍事政権からの招待を拒絶した。「少し前に私は、軍情報部に招かれましたが、拒否しました。政府側の誰に会うかの確認が事前に得られなかったからです。これは、私にとって非常に重要です。私は、『われわれは先月、ドミニクを受け入れた』などと、宣伝ツールとして使われたくないのです。訪問したことで、何ら価値のある記事が書けないとしたら、つまらないことです」
 彼は、付け加えた。「すべての名の知られたジャーナリストは監視されています。そして、執筆されたものは慎重に精細に調べられます」
 彼が言う「すべての名の知られたジャーナリスト」には、国際的な報道機関で好意的なニュースを書いた数多くのジャーナリストが含まれる。

 現在西側の国を本拠地にしているあるビルマ当局者高官は、軍当局は海外の何人かのジャーナリストと彼らのニュースを喜んでいると語った。この高官は、自分の客に対し、次の秘密を打明けた。「私たちは、ロジャー・ミットン、スティーブン・ブルックス、それにマーティン・スミスが好きです。彼らの記事は、公平でバランスがとれているからです」
 ロジャー・ミットンは現在、アジアウィーク誌に書いているが、軍政寄りのニュースを書いて、しばしば批判されている。最近になって、軍事政権とNLDリーダーとの間に歴史的な政治的な合意がなされると予測している。最近の彼の記事は、ビルマ人とビルマ・ウォッチャーの眉を吊り上げさせており、強い感情的反発を引き起こしている。
 多くの厳粛なビルマ・ウォッチャーは、ビルマについてのミットンの理解と現在の状況についての分析を疑う。ドナルド・M・シーキンズは日本の名桜大学のビルマ史の教授であるが、最近「ミットンは、軍事政権の宣伝をしている」と述べている。
 ビルマ国内では、尊敬されているジャーナリストや作家たちは、ミットンのニュースについて次のような冗談を述べている。「ミットンは、ビルマの至る所にスパイ・ネットワークを持っているようである」
 ラングーンで尊敬されているジャーナリストのセインウィンは、こうからかった。「彼は、私たちにとっては笑うべきネタです。ビルマの政治にうんざりしているとき、ミットンのニュースを読むと、面白がることができます。彼のビルマ内部のニュースは、非常に面白いのです」
 が、軍事政権当局者は、ミットンの「面白いニュースに満足しているように見える」。ミットンはしばしばビルマ入国を許可されている。そして、軍事政権の強力な第一書記キンニュン中将を含む何人かの当局者高官は彼に独占インタビューをさせている。

 マーティン・スミスは、ビルマについて数冊の報告書と本を書いているが、最近、入国を許可された。しかし、彼の評判は、まださほど損われていない。彼が長い間ビルマ問題の権威者として一目置かれていたからだ。ステファン・ブルックスは、今は廃刊されているアジア・タイムズ新聞に書いていた記者だが、長年にわたってラングーンへの規則的な出入りが可能だった唯一の海外のジャーナリストである。しかし、ビルマについての信頼性は弱い。彼のスタンスは、明白である。悪というものは、それほど悪くないということだ。ブルックスの記事は時々ミャンマー・タイムズに掲載される。この新聞は現在ラングーンに本拠地のあるオーストラリア人のロス・ダンクリーによって編集されている。ダンクリーはまた、軍事政権の好意に依存している。それなしにラングーンで新聞を続けることは全く不可能だろう。
 リントナーは、軍情報部はミットンがビルマについて何も知らないということを、わかっているに違いないと思っている。従って、彼を操るのは簡単だろうと考えたと推測している。「ミットンの記事も、スミスの報告書も、客観的ではなく公平でない。ミットンの報告書は、彼の無知を反映した単に悪いジャーナリズムである」リントナーは述べている。このスウェーデンのジャーナリストは、ミットンが宿題を行うことに失敗したのは、その計画が裏目に出たことであると思っている。その結果、彼の評判はぼろぼろになった。外交官や厳粛なジャーナリストの間ではミットンの信憑性はゼロであるとも付け加えた。
 リントナーは、またスミスが、彼との間にくさびを打ち込むために政府によって操られたと信じている。共にビルマ情勢に関するよく知られた作家であるが、「ある意味では『分割と支配』です。あるいはむしろ、『操って、分ける』とも言えます」、と彼は言った。
 ミットンとスミスに対しては、この記事のために連絡をとったが、電子メールでの質問への回答は得られなかった。

 さまざまな見解があるものの、ビルマをカバーしている多くの海外ジャーナリストは、ひとつのことについて同意することができる。ビルマは厳格にコントロールされており、軍政府は粗末なプレゼンテーションを行っている、ということだ。1996年に、チョータインとチョーウィンによって指揮された情報当局高官は、「記者懇談」キャンペーンに着手した。当局が毎月記者会見を行ったのだ。しかし、それは長く続かなかった。首都にやってくる海外のジャーナリストは、まったく躊躇せずに、多くの活動家、作家、そして学生たちとの接触を行ったからである。
 その後、ラングーン大学の学生たちは、国際的な報道機関に注目されながら、大胆な街頭抗議運動を行った。これらの重要なニュースは地域の新聞にも掲載された。そして、「記者懇談」キャンペーンは急に破棄された。
 「政府はそのとき、対応策を執らなければならなかったのですが、彼らのプレゼンテーションは実にへたくそでした。スーチーが彼らの頭上に容易に輝くことが出来たのは、そのためです。NLD側からすれば、新しく多くのことを述べる必要はなかったのです。そして、私のような人々が訪問したことで、軍事政権が行ったこと以上に、さらに問題が複雑化していったのです」フォールダーは述べている。

 当面、軍事政権はゲームに勝っているかもしれない。そして、ジャーナリストを追いつめ続けている。
 「一旦私たちがビルマに入れば、活動家、反政府勢力メンバー、そして普通の人々と会うことに集中します」
 バンコクの西側ラジオのジャーナリストは、こう述べている。まさに、単に普通のビルマ人と連絡することは、彼らを高い危険にさらすであろう。過去に、そして、今まで、何人かのビルマ人が刑務所に入れられた。海外ジャーナリストに会って、「ゆがめ」た情報を与えたと非難されて。
 リントナーにも不快な経験がある。ロナルド・チャン・トゥン(別名イエ・トゥーン)は1990年に逮捕され、歯を蹴り折られて、長い懲役刑に処せられた。軍事政権によれば、彼の犯罪は、バーティルに会って情報を提供したということであった。彼はまた、リントナーによって書かれた「非道」(編注:Bertil Lintner, Outrage: Burma's Struggle for Democracy, London: White Lotus, UK, 1990.のこと。1988年の民主化運動を詳述した本。未邦訳)という本のゴースト・ライターであると非難されている。
 リントナーは違ったバージョンの記事を書いた。
 「私はラングーンで1989年4月にイエ・トゥーンに会ったけれども、彼は私への情報提供者では決してなかったのです」。リントナーは続けた。「誰にとっても安全なのは、ここタイに来ることが出来る人に、私が会うことです。私は、ラングーンの喫茶店で、軍諜報部監視の中で差し向かいで会うよりも、より安全な条件で他の人と情報交換をします」

(訳:菅原 秀)

出典:Aung Zaw, 'Journalists Beware' (Irrawaddy, vol.9. No.7, August-September, 2001.)