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社会

ミャンマーのHIV/AIDS危機
2002年4月2日配信 国際危機グループ(ICG)

国際危機グループ(ICG)
ミャンマーのHIV/AIDS危機
2002年4月2日(バンコク/ブリュッセル)

概観

ビルマ(ミャンマー)[1]でのHIVの流行は急速に拡大している。人の移動、貧困に加え、人々が抱えている不満がリスクのある性行動や薬物摂取を生み出している。成人の50人に1人がすでに感染していると推計され、ハイ・リスクな行動を伴うグループ(薬物常用者、セックスワーカーなど)の感染率はアジアでもっとも高い。HIV感染から死亡までの間には長いタイム・ラグがあるため、HIV流行の本当の影響はようやくその姿を見せ始めたところである。

一家は大黒柱を失い、子どもは親を失う。もっとも深刻な影響を受けたコミュニティの一部、特にHIV/AIDSで大量の犠牲者を出したある漁村では、村から希望の火が消えつつある。もっと深刻な事態はこれからやってくる。しかしその深刻さがどの程度のものとなるかは、ミャンマー政府と国際社会がこれからの数カ月、数年間にどのような決定をするかにかかっている。

HIVの広範な発生はそれ自体が安全保障(セキュリティ)に関わる問題であり、経済、個人、国家の安全をむしばむ可能性を持っている[2]。またすでに弱まっている国家の統治能力をむしばみ、その安全と軍隊組織を脅かし、経済に破壊的な影響を与える可能性がある。

ミャンマー政府は、AIDSの調査およびコントロールのための名目上の組織を素早く設置したが、ウィルスの拡大を遅らせるための行動面では非常に動きが鈍い。国家AIDS計画は、専門的な能力があるにもかかわらず、悲惨なまでのスタッフ不足、予算不足に直面しており、重い任務を背負って奮闘している。同計画は国際NGOからのわずかな支援と、国連機関からのそれよりは多い支援を受けているが、効果を上げるほど有力な助成機関が得られない状態である。

同国政府は、ミャンマーのHIV流行の真の深刻さを強く否定してきたのだが、最近はこうした状態から徐々に抜け出し、感染を食い止めるための実際的な方策に向けた準備に取り組む姿勢が見られる。しかし技術・資金面での大量の援助なしに、ミャンマー政府がこうした方策を実施することは不可能である。

HIVは容赦のない疫病である。効果的な予防策を行う最初の機会をいったん逃し、ある限界まで感染が増加すると、この伝染病は自分自身の生命を確保する。予防をすることが次第に困難になり、医療とコミュニティへのサービスの負担が拡大し、HIV対策さえなければ他の優先度の高い開発にまわすことのできる様々な資源を食いつぶし始める。ミャンマーはHIVの流行がせき止められない状態に達するほんの一歩手前の地点にある。しかし、最もリスクが高い状態に置かれた人々が自らを防衛するための大規模な活動が行われれば、大きな成果をあげることはまだ可能である。

必要な規模の活動を実施するには、政府機関とNGOとの協力による活動が行われなければならないだろう[3]。国際社会、とりわけ二国間援助の支援国は、ミャンマーに対しHIVの流行と対決する政治的な立場を確定することをうながし、機運の高まりをとらえながら資金提供策を講じなければならない。

I.危機の度合い

A.背景

「ミャンマーは人道危機の瀬戸際にある」。これはミャンマーに派遣された国連組織派遣団の代表9人が2001年の書簡で示した評価である。代表らはニューヨーク、ジュネーブ、ウィーン、ローマの各本部に宛て、同国に対するアプローチと予算配分を再考するように求めた。

「ミャンマーで進行している静かな人道危機」と題されたこの書簡は、ミャンマー国民の福祉の悪化に対する深い憂慮を強調するものだった。この書簡では、国民福祉をむしばむ主な要因の1つとしてHIV/AIDS問題の増大が指摘されている。

国連エイズ合同計画(UNAIDS)は2000年6月に、ミャンマーでは53万人以上がHIVに感染して生活していると推計した。

これは性行動が最も活発な15歳~49歳の50人に1人が感染していることを示している。感染者のうち18万人は女性、1万4千人が子どもである。この感染レベルからすれば、現在の静かな流行は早晩その姿を現すことになるだろう。患者と死者の数が激増するのは避けられない。HIVの流行がAIDSの流行に変化し、そして葬列の流行に取って代わられるとき、さらに数多くの家庭が大黒柱を奪われる。すでに15歳未満の子ども4万3千人が、母親または両親をHIVで亡くした状態で生活している。国内感染者の性別割合を考えれば、この数字を大きく上回る子どもたちが父親を亡くしている可能性がある。AIDSによる死者は年間約5万人であり、このウイルスによって普通の家庭生活を奪われた子どもの数が急増している。

こうした事態すべては数年前から予測可能だったはずだ。同国には実際のところ、優秀なHIVのサーベランス・システムが存在する。ミャンマーでのHIV感染は1980年代中頃に発生していたと思われるが、HIV陽性の患者が初めて発見されたのは1988年、AIDS患者については1991年のことである。事情に明るい人々の間では、セックスワーカー、男性とセックスする男性(MSM)、静脈注射を行う薬物常用者(IDU)といったハイ・リスク行動を伴う集団内部で、HIVが驚くべき割合で流行していることを示すデータが1990年代中頃から知られている。こうしたデータは政府も収集しているが、広く公開されていない。

政府の公式見解は最近まで、報告件数が同国内での流行の真の姿であるというものだった[4]。保健省は1990年代のHIV陽性患者を33,533人、AIDS患者を4,598人、この期間に病院から報告されたAIDSによる死者を1,973人と報告している。

政府は最近になって、HIVの脅威に強い現実感を持ち始めている。国営日刊紙ニューライト・オブ・ミャンマーはこの問題の存在を認めている[5]。同紙に掲載されたレポートで、ある保健省高官が初めて「報告されていない、あるいは発見されていないHIV感染者が間違いなく存在する」と発言した。しかし国際会議の場になると、政府はミャンマーのHIV/AIDS問題は西側の専門家やメディアが描くほど悲惨ではないとの主張を繰り返している。

B.ミャンマーのHIV感染の加速要因

東南アジアの他の地域と同様にミャンマーでも、注射による薬物使用と、異性間および男性間での危険なセックスの双方によってHIVが拡大している。

2000年の調査データによれば、注射による薬物常用者(IDU)のHIV感染率は約60%で、数年間そのレベルは変化していない。セックスワーカーの間では感染率の急上昇が記録されており、1年前には26%だったものが2000年には38%になっている。公共の医療機関に性感染症(STIs)の治療に訪れた男性患者の12%余りがHIV陽性だったが、このことはセックスワーカーの男性客がこのウィルスに感染し始めたことを示唆している。またHIVが一般人の間にしっかりと定着したことは、病院で診療を受けた妊娠女性を対象とした匿名検査の結果からも示されている。妊婦のHIV感染率は、通常は低リスク集団の結果になると見なされているにもかかわらず、全国平均で2.2%に達し、いくつかの地域では5.3%にまで達していた。また通常はあらゆる集団の中でもっとも低リスクだと見なされる血液提供者の2000年の感染率は1%を上回っていた。こうした結果によって、ミャンマーはアジアでは3カ国しかないHIVの流行が人口全体に「浸透している」と見なされた国の1つに数えられている。男性とセックスする男性は通常のサーベランスに含まれていないものの、このグループのみを対象にした調査は高い感染率を記録していた。

報告例から確認できるのは、注射による薬物使用がミャンマーのHIV拡大の一大要因であることである。いまのところHIVとAIDSを合わせた記録件数の3分の1弱が薬物使用によるもので、残りの大半は異性間(の性的)感染によるものである。

これは同性間(の性的)感染を過小評価していると言える。というのも男性間のセックスが、実際には特定の寺院で行われる祭やその他の場所では普通のことだとの認識があるにも関わらず、強くスティグマ化されているからだ。

報告例では男女比が5対1のままである。しかし過去3~4年間で女性の感染数は増加している。

公式報告ではAIDS件数の地理上の分布に関して、東部の州・管区での被害が最も深刻であることを示している。中部とデルタ地帯は平均的な感染率で、西部国境が一番低い。

ミャンマーでのHIVの拡大が、国内の一部地域で注射による薬物使用が高い割合で行われていること、また無防備なセックスが、とりわけ金銭が介在する際に、相当な割合で行われていることの直接的な結果なのは明らかだ。しかし何がこうした行動を駆り立てているのだろうか。人々の経済的、社会的、文化的状況とリスク行動との間の因果関係について、はっきりした科学的な証拠を示すことは非常に難しい。しかしミャンマーは、リスクを決定する古典的な要因のほとんどが集っているタイプの国であることは明らかだ。同国は世界有数のヘロイン生産・輸出国である。そして当然、輸出用の薬物が地元の市場にも流れてくる。現実逃避をもたらす薬物が、教育をほとんど受けず、仕事の口に困り、自由が制限された若者の手に届くとき、摂取量が多くなるのは何ら驚くべきことではない。しかし強硬路線を採るミャンマー政府は、薬物注射に対する公衆衛生面でのアプローチを行っていないため、注射器の入手が限られており、道具の再使用が高率で行われている。

貧困は人々を薬物に追いやるだけではなく、セックスにも追いやる。人々は直接的に(女性にとっては生存手段として)、また同時に間接的に(人口流動性が高まり、家族やコミュニティが解体し、人々が伝統的な社会のコントロールから離れるようになり、気軽な交際を求めるようになることで)セックスに追いやられている。人口流動性の重要な結果の1つがこの病気の拡大である。なぜなら移動する人々は、国内の様々な場所や、国境を越えた場所でのハイ・リスク行動によってHIVを簡単に運ぶことができるからである。

ミャンマーは東部にタイ、中国と長い国境を接している。他国での高収入と良い生活を期待して、多くの場合それはむなしい希望でしかないにもかかわらず、大量の若者が監視のゆるい国境を越えていく。100万人近くのミャンマー人移民が現在タイで働いており、中国南部あるいはインド国境地帯でも大量のミャンマー人移民が働いている。国境を越えたこうした移民の大半は公的な書類を持っていないため、予防とケアのためのサービスを受けにくい状況にある。書類を持たない不法滞在という立場は、こうした人々を搾取の被害にきわめて遭いやすい境遇に追いやる。滞在国の言葉を話すことができず、最終的には低収入のセックスワーク、船乗りあるいは建設労働に就く人が多い。そうした場所にいる人々はHIVに非常に感染しやすく、HIVに関する情報を得ることがほとんどできない状態に置かれる。

国内での移住もほぼ同様の危険を伴っている。選択肢の少なさと長期化する内戦を避け、全国から、多数の少数民族出身者を含む若者たちが今も移動している。こうした若者は現在、北部と東部のヒスイ、金または宝石を採掘する鉱山に、中部の木材伐採場に、北部と東部の国境貿易に、また海沿いの漁村に集まっている。国軍司令部と歩兵大隊が全国展開していることも国内移住の原因となっている。

以上のことに加えて、コンドームの入手と利用が限られていること、性感染症(HIVへの感染可能性を高める)に対する劣悪で高額な治療、HIV感染者への社会からの強い差別、厳重な言論統制、HIVに関する話題の自由な議論を妨げる無謬の国民道徳という論理、いかなる批判も許さない政府の存在などがある。こうした要素がHIVの流行の強力な下地となっている。

C.将来的な見通し

政府のサーベランス・データは公開されていないが、そのデータは、国連エイズ合同計画(UNAIDS)が2000年6月に行った一般人に関するHIV感染者数の推計作業[6]が信頼のできる、というよりは控えめなものであることを十分に裏付ける証拠となっている。1990年代後半に観測されたセックスワーカーの感染者数は、コンドームの使用が劇的に増加しない限り、その客、客の妻、その他のセックスパートナーの間に必ずや広がっていくだろう。

現在のリスク・パターンを基にしてHIV感染率がどの水準にまで達するかを推定すれば、その数値はかなり大きなものとなるだろう。つい10年前、アフリカ諸国でのHIV感染率は成人人口の9%で頭打ちになるだろうと予測されていた。しかし現在アフリカ諸国は次々に25%のラインを越えており、いくつかの都市では若い女性の3人に2人がHIV陽性と診断されている。

ミャンマーがこれと同じレベルに達するかどうかは、一般人の性行動パターンにかかっている。しかしこれについてはほとんど何もわかっていない。隣接するタイ北部でのHIV感染率は14%に達したが、政府主導の大規模な予防キャンペーンが功を奏し、感染率は低下した[7]。しかし最終的な結果を占ったところで何も得るものはない。最も重要なのは、HIV感染率がミャンマーで上昇中であるということ、そしてHIV感染率が上昇すればするほど、リスク行動を押さえる必要性が高まるということだ。

HIVは、いったん感染が広がるところまで広がると落ち着き、十分な栄養が与えられると再び発生するといった免疫プログラムの一種ではない。効果的な予防策を行う機会をいったん逃し、ある集団内に一定の限界を超えたHIV感染者が発生すれば、新たな感染をコントロールすることは次第に難しくなる。また感染者数の増加を防止するコストも上昇する。これは予防策がリスク行動を行う可能性が高い人々を対象にするのではなく、国民全体を対象にする必要があるからであるとともに、感染者の増加が、ケアを必要とする病人と重病人の患者数及び、支援を必要とする孤児数の増加を意味するからである。

II 各機関の対応

A.政府

ミャンマーにHIVが出現したのは比較的最近のことだ。そして政府はいくつかの分野、なかでもサーベランス分野で非常に素早い対応を行った。ハイリスク・グループを対象とするサーベランスがミャンマーで始まったのは1985年、域内の近隣国の一部と同時期のことで、この時点で症例は一例も発見されていなかった。保健局疾病予防課(DOH)はこの年以降、セックスワーカー、薬物常用者、長距離トラック運転手などリスクにさらされた集団を対象にしたサーベランスを定期的に実施している。この調査を他とは切り離した匿名調査とし、感染した個々人への差別を防ぐために細心の努力が払われている。

制度面でもかなり迅速な対応が行われた。省庁横断型の国家AIDS委員会(NAC)は、初のHIV感染例が発見された1988年の1年後に設置されている。同委員会は国家政策の策定と指導を進めるとともに、その後の「国家AIDSプログラム」(NAP)の作成を保健局疾病予防課の下で作成する責任を負った。以来NAPには独自の行政機構、予算、スタッフが割り当てられた。しかしスタッフの大半は他の部署からの出向の形を採っている。

国家AIDS委員会(NAC)は省庁横断型の理事会で、理事のうち27人を政府NGOあるいは準政府NGOの高官が占める。委員長は保健大臣が、副委員長は同副大臣が務める。委員会には最高裁長官室、内務、教育、労働、移民、人口・情報、辺境地域開発の計7省から副大臣が参加する。またいくつかの省庁と7つの政府系NGOの局長級8人が常任委員として参加する。NACは1989年~2001年に8回しか開催されていない。前保健相がHIV/AIDSを最優先課題とすることを望まなかったため、NACは94年から98年まで休眠状態だった。しかし99年以降、NACは毎年開催されている。

NAC策定の指針と政策に基づき、保健省の内部組織として国家AIDS計画(NAP)が組織された。大多数の国と同様にミャンマーでも、多様な現実に対応するため省庁横断の論理が維持されている。NACには様々な省庁や部署が参加しているが、HIV関連事業はすべてNAPの医師団に付託される。言い換えれば、現在も作業の大半は保健省によって担われている。

NACには国家保健委員会(NHC)から政策指針が与えられる。同委員会はミャンマー国内のあらゆる保健問題を扱う最高意思決定機関で、大臣12人が参加し、国家平和発展評議会(SPDC)第一書記が委員長を務める。国内でのHIVの流行に関する政府の現実主義の高まりを示す唯一の、しかし最も重要な指標とは、保健5カ年計画の策定にあたる全国保健計画が、HIV/AIDSを現在、マラリアと結核(TB)に次ぐ国家で3番目に深刻な保健問題と位置づけていることである。

省庁横断の論理とともに、国連エイズ合同計画(UNAIDS)や国際機関が好む地方分権の論理も進行している。他の国と同様にミャンマーでも、政府の指示に従って州・管区また郡単位でAIDS委員会が組織されている。そして他の国と同様に、こうした地方機関は、「コミュニティ」により近い意思決定能力を備えているにもかかわらず、年に一度の「世界AIDSデー」を記念する程度の活動しか果たしていない。実際のところHIV/AIDSの予防とコントロールは、保健省下のNAPが行う非常に中央集権化された事業である。

しかし驚くべきことに、このように制約された環境下に置かれているにもかかわらず、NAPには国際的なレベルの能力を備えた、真に献身的な専門家がスタッフとして配置されている。問題はその人数があまりに少ないことであり、資金が実質的にはゼロに等しいことだ。しかしこうした制約があるにせよ、NAPは多くの分野で、豊富な資源を投入されている国々の大半の先を行っている。

例えばプログラム・マネージャーは、効果的なHIV予防事業の策定とそのモニタリングにあたり、リスク行動の追跡が重要な意味を持つことを直ちに認識している。外部からの支援を受けることなく、わずか2~3,000ドル(30万円程度)の予算しかない状態で、NAPは2001年に27郡を対象とした第一回の行動サーベランスを策定し、実施している。ミャンマー国内のHIV関連活動の大半と同様に、このサーベランスは27郡のスタッフ375人が構成する39の公衆AIDS/STI(性感染症)チームが実施した。これらのチームはSTI(性感染症)/HIV/AIDSの予防とコントロールのための前線部隊を形成するとともに、他部門との協働・協調を行う際の土台となっている。

NAPの主要な活動としては、アドボカシー(政策目的実現)、血液の安全管理、現場サーベランス、STI(性感染症)の管理と治療、HIVの母子感染予防、セックスワーカーと客のコンドーム使用率100%キャンペーン、学校でのHIV教育、NGOとの協力、調査、事業のモニタリングと評価などがある。予算面と人的資源面での制約を考えれば、NAPの作業量は可能な範囲をはるかに上回っている。

B 国連機関

重要な二国間および多国間援助機関が存在しないため、ミャンマー国内に駐在する国連機関が、HIV/AIDSの予防とコントロールに向けた取り組みに対する外部からの主な資金供給源となっている。HIV/AIDSの防止とケアに取り組む国連機関は国連開発計画(UNDP)、国連人口基金(UNFPA)、国連児童基金(ユニセフ)、世界保健機構(WHO)、国連薬物統制計画(UNDCP)である。これらすべての国連機関の調整を行うのは国連エイズ合同計画(UNAIDS)である。

国連機関が果たしたのは、全組織が参加した集約的な計画策定によって生み出された2カ年の作業計画(国連HIV/AIDSに関する行動計画)の達成である。この計画の狙いは、よりバランスのとれたアプローチであるが、実際のところは容易に達成できるものではない。

その理由の1つには、異なった機関が異なった命令に基づき、異なった作業スタイルによって活動を実施するためである。WHOやUNDCPなどの機関は、官庁(保健省、内務省、警察)と非常に密接な共同作業を行う。しかし政府との直接の共同作業が禁じられている機関もあり、そうした機関は、(訳注:政府機関と)平行して存在するスタッフやシステムを介して、コミュニティにそのサービスを直接供給している(例えばUNDP)。ユニセフやUNFPAなどの機関は、政府、NGOおよびコミュニティと共同作業を行う。

政府との関係が近いか遠いかは本質的な問題ではない。というのもすべての国連機関が特に保健省から時々冷遇されるからだ。国連機関がミャンマーに「批判的」だと解釈される統計やデータを公表すると緊張が高まる。2000年の世界保健報告と2000年のUNAIDS報告書がその良い例だ。報告書を作成したのはWHOとUNAIDSの各本部だったにもかかわらず、報告書の刊行後にミャンマー国内での事業は大きく停滞した。国連は現場レベルでの作業を前進させるため、非公開のアプローチを採用することがしばしばであり、ミャンマー国内の微妙な問題について慎重を期そうと努力している。結果的に国連は、HIV/AIDS政策の策定に影響力を与えるだけの率直な意見の提示をしていない、また政府へのアドボカシー活動が不十分であるとして、国際社会から批判されている。

C.非政府組織(NGO)

 ミャンマー国内で活動する国際NGOは非常に少なく、HIV/AIDSの予防とケアのための活動を行っているのは10団体に過ぎない。これらはコンドームの普及、性行動の変更、革新的なコミュニケーション・アプローチ(伝統演劇による宣伝)といった一連の重要な活動を実験的に行っている。さらに国際NGOは、脆弱でリスクにさらされた政府や政府系NGOがアクセスできない集団を対象にした活動を行うことで、成果を挙げていると伝えられる。

国際NGOの成果が伝えられてはいるものの、地理的にも対象者の面でもその活動範囲はきわめて限られている。ミャンマーで活動する国際NGOの大半は、政府との覚書に基づいて活動している。こうした覚書には、許される活動が非常に入念に指定されており、地理的な活動範囲も限られている。国際NGOの活動は、通常はタイまたは中国国境に沿った一定の対象地域に限定されることが多い。ミャンマーでHIVの予防とケアに携わる国際NGOには大きく分けて次の3タイプがある。(1)開発の枠組でHIV/AIDSに取り組む団体(セーブ・ザ・チルドレンUK、ワールド・ビジョン、CAREなど開発型NGO)、(2)サービス提供型の団体(ポピュレーション・サービス・インターナショナル、世界の医師団、国境なき医師団オランダ支部)、(3)ポピュレーション・カウンシルなど技術系NGO。

国際NGO間には、地理的な活動範囲とスタッフ、そして資金の確保をめぐる競争があり、同じ分野で活動する他団体と協力しないこともしばしばである。国際NGO間の協力関係がより強いものであれば、効果もより大きなものになるだろう。これに加えて、いくつかの国際NGOは、現在もいまだにHIVへの「関心惹起」の段階にとどまっている。国内に深く展開し、人々が自分自身をHIVから守るために必要な情報に基づいて行動できるようになるためのサービスと技術を提供するNGOはほとんど存在しない。

国際NGOの多くは、その活動がいかなる意味でも現在の政治指導部の利益とはならないことを条件に資金の提供を受けており、物質面で政府機関とは協力しないとの共同宣言に調印している。国際NGOが政府組織と関係を持つ場合、そのほとんどはNAPの技術部門がその相手先となるが、同部門のスタッフは政治的に任命された人物ではなく、公衆衛生の専門家である。このため国際NGOへの制約がミャンマー国民の福祉の向上という総合的な目標に対し、実質的な意味で貢献するのかどうか定かではない。

政府系NGOも存在するが、これらは本当の意味では政府から独立してはいない。これらは政府組織型NGO(GONGO)、あるいはプロジェクト組織型NGO(PONGO)と呼ばれている。最大級の政府組織型NGOには、ミャンマー赤十字協会(MRCS)、ミャンマー母子保健協会(MMCWA)、連邦団結発展協会(USDA)がある。これらは草の根レベルに至るまで多数の支部と会員を有している。

 プロジェクト組織型NGOの大部分はUNDPが設立したもので、これらの団体は規則によって政府系NGOあるいはGONGOとの協力が堅く禁じられている。いくつかの女性団体がUNDPのプロジェクトによって設立・維持されており、コミュニティ・レベルの活動に携わっている。

D.その他のセクター

 HIV/AIDSの予防とコントロール活動の大半は、NAPによって資金が手当てされ、実施されている。保健省の他にもいくつかの省庁がHIV/AIDSの予防活動を行っているが、大半の省庁は単にNHCあるいはNACに休眠会員として参加しているにすぎない。鉄道・国内交通省はHIV/AIDS予防に積極的な、非常に数少ない省庁の1つである。労働省、内務省、社会福祉省、交通省は一部の職場でHIV/AIDS予防活動を開始している。しかしこうした活動はつねに、資金面または政治面での支援がないため立ち往生しているようである。民間部門は多くの場合、経済的な生き残りに必死のため、HIV予防を目的とする共同作業には関心を示していない。

III.対応

A.政府の対応

HIV/AIDSの流行に対するミャンマー政府の対応は、少なくとも国際機関が喜びそうな組織を設置したという点で、理論上では適切であった。しかし実際には、上層部の示す政策の曖昧さ、医療モデルに基づいた考え方の狭さ、人・技術・資金面での資源不足によって、政府の対応は限定的なものであった。

政治指導層は流行が始まった時点からHIV/AIDSをデリケートなテーマと考えてきた。HIV/AIDSは往々にして性と薬物に関わる、道に外れたあるいは違法な行動と結び付けられて考えられており、他の感染経路が無視されている。こうした考え方によって、HIVは「不道徳なウィルス」、つまりHIV/AIDSは道に外れた行為、西洋文化の影響、非行のしるしとして理解または解釈されていった。

最近まで同国のHIV/AIDS政策は流行の深刻さを否定し続けることにつきていた。こうした否定から生じたのは、マスメディアによる報道への厳しい規制、コンドーム促進キャンペーンの意図的な遅滞、ハイ・リスク行動を伴う人々に対する支援の出し渋り、道徳の宣伝・方策への傾斜であった。そして政府は口にしたことを行動で裏付けた。財布の紐は締められ、AIDS関連事業は悲惨なまでの人員不足の状態にあった。

最近になってその状態に変化が起きつつある。まずHIV/AIDSは、国家保健計画(1996年~2000年)で3番目に優先順位の高い疾患となった。次に、政府はHIVに関する高級レベル会合に複数回参加しており、地域あるいは世界レベルでの重要な宣言に(ASEAN、国連エイズ特別総会、メルボルンAIDS会議での閣僚級会合などに参加して)調印している。こうした事柄は小さいことと思えるかもしれない。しかし「自助」の論理が、建設的な国際協力の可能性を長期間つぶしてきた不透明なビルマの政治の世界からすれば意義深いことである。

おそらくもっとも重要なのは、2001年1月のミャンマー・タイムズ誌のインタビューに珍しく応じたSPDC第一書記キンニュン中将が、ミャンマーでのHIV/AIDS対策の重要性を強調したことだろう。この中で彼は「HIV/AIDSは国家の大義に関わる。もしこれを無視すれば、HIV/AIDSは全種族を滅ぼす疫病となるだろう」と述べている。しかし彼はすぐにコインの裏側も示して見せた。ミャンマーは保守的で宗教色の強い社会であり、一般向けにコンドームの利用を推奨するのは国民文化に反するとした。しかし同中将は、このメッセージを違う形で伝えるやり方があるだろうと付け加えている[8]。

このインタビューに見られるような曖昧さが政策を麻痺させてきたのである。HIV/AIDS政策のジレンマは、SPDC(国家平和発展評議会=現軍事政権)内部の強硬派と穏健派の間の対立に起因していると見られる。保健省や教育省など、国家保健委員会や国家教育委員会の議長を務める第一書記の下にある省庁は、流行の拡大に対して(そのペースと効力は別としても)熱心に対応を行っている。しかし情報省や社会福祉省などの省庁は建設的な協力形態のほとんどを拒否している。HIVへの関与の関連予算が目に見えて増加すれば、強硬派が今より協力的な姿勢に転じるというのは憶測の域を出ない。

B.国際社会

矛盾した政策はミャンマー政府に限られた話ではない。国際社会もまた矛盾した見解を声高に唱えている。国際社会は英米両政府に先導される形でミャンマー政府を、HIV感染拡大に対する十分な対策を行っていないとして批判している。この批判に根拠がないわけではない。しかし例えばジンバブエ、ケニア、ボツワナなどの多くの国に対し、米国はHIV対策に1千万ドル(12億円)単位の資金をつぎ込んでいる。ミャンマーに対しては最近まで、HIVの予防とケアにより積極的なアプローチを取るように援助を用いて働きかける意思は、ほとんどあるいはまったく存在しなかった。

こうした決定は、HIVの状況以外のより広い範囲な一連の政治的要請に基づいていることは明らかである。ミャンマー軍事政権はHIVの流行への対策を開始する意思を見せている。SPDCは非常に扱いの難しい政権であり、数値の捏造(あるアメリカ人疫学者がAIDS関係の国際会議で暴いたように)を理由に国際社会が声高な批判を行っても、課題を前進させることはできない。別の言い方をすれば、この問題に関して、ムチをふるっても意味がないということだ。やる気を起させる方策を採ることの方がおそらく効果的だろう。

ASEANのHIVに対する懸念は、域内の共通課題のレベルにまで高まっているため、やる気を起させる方策を採ることは容易になってきたといえる。そしてこのことはミャンマー政府の比較的リベラルな層に対し、面子を失わずにHIVに関する活動を国内で積極的に行う上で好都合になってきている。

C.反政府勢力

アウンサンスーチー率いるミャンマーの反政府政党は、潜在的な援助国と対話する上で強い発言権を持っており、もちろんその権利を持っている。同党は最近まで大半の開発援助に反対しており、その理由として、援助が最終的には軍事政権を利することを挙げてきた。しかし党指導部は最近になって、予防注射やプライマリー・ヘルスなど受益者に直接供給される基礎的な医療・福祉サービスへの資金援助については柔軟な姿勢を見せるようになった。

最近行われたEU関係者との会合の席上、アウンサンスーチーは他のプライマリー・ヘルスに対する関与よりもHIVの優先順位は低いと考えていると述べた。しかし近隣アジア諸国の外交官筋によれば、スーチーはHIVが重要な共通の関心事の1つだと繰り返し語っている。明らかなことが1つだけある。それは政治的信念がどうあれ、将来のミャンマーの指導層はHIVの流行が生み出す結果に対処しなければならないということだ。そして今の段階でHIVの拡大にブレーキを掛けることに成功するなら、将来的な結果はその度合いに応じて小さくなるだろう。HIV関連症候群、HIVによる死者、家族崩壊の件数が少なくなれば、国家再建のために活動する未来の政府は、福祉や開発に関わる他の基礎的な分野に対し、より多くの資源を投入することができるだろう。

D.オーストラリア

 ミャンマーが受け取ることのできる政府開発援助(ODA)は非常に限られており、また同国は国際金融機関からの援助を一切受けていない。このため同国にはインフラ整備と金融資本の分野に巨大なギャップが存在してきた。現在ミャンマーに供与されているODAの総額は国民1人当たり約1ドル(130円)で、カンボジアは35ドル(4,500円)、ラオスは68ドル(9,000円)である(1997年時点)。このようにわずかなODAの金額では基本的な人道ニーズの最低限をカバーすることはできない。

 ミャンマー政府の1999年の医療費支出は20億チャット(約300万ドル。3,900万円)であり、一人当たり医療費支出は0.6ドル(100円)である。世界銀行推奨の最低額はこの20倍である。予算の70%近くは人件費や維持費にどの経常経費に費やされており、他の医療部門への支出には微々たる額しか残されていない。1999年のNAPの予算は2,400万チャット(3万ドル=390万円)だった。国連機関と国際NGOのミャンマー国家エイズ計画への支援額の合計は300万ドル(3億9,000万円)で、これはNAPの予算の百倍に相当する。

予算が微々たる額であるため、議論はつねに「わずかな予算をどう使うか」という形で行われる。同程度の重要性がある保健分野への関与が、この不十分な資源を他の部門に投入するために切り捨てられる。必要とされる分野にすべて十分な資金が行き渡ることは決してないかもしれないが、ミャンマー国民の健康確保のためには、二国間あるいは多国間援助機関の予算が、細かく分割されて各種の保健分野に配分されるのではなく、まとまった形で使われるべきである。

プライマリー・ヘルスケアの分野では、子どもへの予防接種は結核の予防や治療と同様に重要である。しかしミャンマーのようにHIVが危機的に蔓延している現状では、HIVへの関与を放棄して、予防接種のような政治的に受け入れやすい事業を行うというのはまったく問題外である。基礎的なプライマリー・ヘルスケア関係プログラムへの一切の資金がまかなわれない限り、制御不可能なHIVの流行が、他の事業が実現した成果の一切を、非常に短期間に、何世代にも渡り、政権の如何にかかわらず、速い速度で覆すだろう。

ミャンマーは援助国側からは限られた資源の提供しか受けていない。だがオーストラリア政府は、HIV/AIDSに対する関与への資金提供にリーダーシップを発揮し始めている。対ミャンマー二国間援助に政治面で制約がかかってはいるものの、豪政府はHIVの流行への対策は待ったなしの状態にあることを認識している。このため同政府はミャンマー政府、国連、国際NGOあるいは国内NGOなど様々なルートを通じ、ミャンマーでのHIV/AIDS予防・ケアに向けたプログラムへの資金提供を開始している。

IV.活動の拡大

 2001年4月に初のミャンマー訪問を終えた国連人権委員会特使のパウロ・セルジオ・ピネイロ教授は「画期的な政治的打開につながる事態の進展を示す兆候がいくつか存在する」と述べた。ピネイロ氏のこの発言から6カ月後には、これらの兆候はよりはっきりとしたものとなっており、訪問回数が示すように、日に日に大きくなっているように思われる。多くの様々な団体が人道上の危機としてのHIV/AIDSを、長らく中断していたミャンマー政府あるいはその他の開発事業の相手役との交渉再開の入口としている。

最近数カ月に行われた以下の活動は、ドナー国と政府がHIVに対抗するためのより積極的で生産的なパートナーシップに向けて慎重に歩み寄っていることを示す証拠である。こうした訪問は、この問題が少なくとも現在協議中であることを示している。しかしもちろんいかなる協議もHIVに対する行動の役目を果たすことはできない。

EUトロイカ使節団の訪問後、EUを代表して2つの専門家チームが2001年6月に3週間ミャンマーを訪問し、現状評価と分析を行った。その後まもなく、総額200万ユーロの一部が初めてHIV、プライマリー・ヘルスケア、飲料水、衛生設備向けとして国際NGO4団体に分配された。EU関係者の往来がこの数カ月で増加しており、人道援助がさらにHIV/AIDS向けに供給されている。

国際移住機関(IOM)代表が2001年7月にミャンマーを訪問し、HIV/AIDSと人口移動問題に関する協議を初めて行った。

UNAIDSから専門家2人とユニセフ/ファミリー・ヘルス・インターナショナル(FHI)から1人が、血液製剤と行動サーベランス・システムの強化のためミャンマーを訪問した。

ジュネーブのUNAIDS副事務局長の一行が2001年10月にミャンマーを訪問した。一行は保健省とともに、HIV/AIDS予防に関わるその他の省庁からの歓迎を受けた。

タイのタクシン政権はビジネス中心の確固たる介入型の政策方針に従い、国境でのHIV、結核、マラリアに関する協同プログラムを再開した。高級レベル会合と保健展示会が2001年9月にタチレイで行われた。

UNAIDSの専門家が2001年10月にミャンマーを訪問し、評価作業を行った。

AusAID(オーストラリア国際開発局)の一行が2001年9月~10月にミャンマーを訪問し、HIV/AIDSと栄養問題に関する作業の可能性を調査した。

英国国際開発局(DFID)およびEU、ノルウェー、スウェーデン、スイス各政府のチームが現地作業を行うことのみを目的とし、2001年中にそれぞれミャンマーに滞在した。

またいくつかの場面では、HIV/AIDSに関する作業へのミャンマー政府の高級レベルでの関与が示された(国連エイズ特別総会、ヤンゴンでのASEANタスク・フォース会合、メルボルンでの閣僚級協議、ブルネイのASEAN首脳会談など)。

V.結論

HIVの流行は、ミャンマーおよびその近隣国すべてのために、できるだけ速やかに制御下に置かれなければならない。入手可能な疫学データは、同国がすでに「限界点」(tipping point)に近づいていることを示している。これは、たとえ薬物注射常用者やセックスワーカーなど最も高いリスクを持つグループのリスク行動が相当減少したとしても、流行が一般大衆に自立的に継続する規模にまで感染が増加するポイントである。

しかし域内他国、とりわけタイとカンボジアは、この段階で集中的な関与を全国展開したため、流行のコントロールに成功した。結局のところ、流行が破滅的な規模で一般に拡大するのを避けるということは、HIVが、家族、共同体、国家全体に関する政策に与える制約は言うまでもなく、その他の保健・福祉サービスに与える制約をも軽減することにつながる。したがってこの分野への賢明な投資が、保健と開発に関するその他のイニシアチブの成功を確保する上で不可欠なのである。

このことは「賢明な投資とは何か」という問題を提起する。成功を収めるためのHIV予防とケアのためのプログラムにとって何がキーとなるのかについては多くの議論がある。しかしながら成功を収めている一握りの国々には共通して、現実主義と大規模な作業という2つの原則が適用されていることは確かである。

ミャンマー政府内部の有力な派閥の少なくとも一部には、HIVの流行に対して現実的なアプローチを採る意思のあることを示す兆候が存在する。こうした勢力が保守的な部分に対して優位に立つかどうかはまだわからない。しかし完全に明らかなのは、差し迫るHIV危機を回避しようという人々の決意は、国際社会のドナー側がより現実的なアプローチを採らない限り、決して試されることはないということである。

ミャンマー政府が効果的なHIV対策を行うとすれば、大量の資源が必要となる。そして政府は、既存のNGOの能力をはるかに上回る規模で作業を行わなければならない。NGOとの作業は、十分な関与が行われない限り、それ自体では現実的な効果を生み出すことにはならない。そしてとりわけ何よりも、NGOに大量の資金を投入することは、政府内部にねたみを作り出し、障害を強める可能性がある。好むと好まざるとに関わらず、ミャンマーでHIV対策のために有効に活動するということは、相当の部分で政府組織を通した活動を実施することを意味している。

こうした関係組織(国家AIDS計画など公衆衛生インフラ)の大半が、能力のある専門家によって担われていることは朗報である。こうした専門家は、最も高いリスクにさらされている人々へのサービス提供を熱心に行う意思を示してきた。政府の公衆衛生専門家は、政治指導部の目をかいくぐることをしばしば強いられながらも、NGOや国際機関との間に良好な協力関係を築いている。

国際社会がこうした非公式な協力関係に対し、ミャンマーのHIVへの関与に資金を与える独創的な方法を発見して、資金を提供することは十分に可能である。可能な手段としては、政府NGOとのパートナーシップに対して二国間での資金提供を行い、その際に、そのパートナーシップを容認するインセンティブを政治家の間に作り出すのに十分な資金量の投入が上げられる。タイおよび中国との隣接地域での協力に関する地域的なイニシアチブに資金提供を行うことも生産的であるだろう。

ミャンマーのHIVは、政治情勢が改善されてから、あるいは従順な政府が政権の座に就いてから、という言い方で後回しにすることが絶対にできない問題である。流れを一変させる徹底的な行動がいま行われない限り、数世代に渡る影響を生じさせる人道的な惨事は避けられない。

この惨事を避けるため、政府と建設的な作業を行うという試みがあったとしても、それが成功を収めるかどうかは決して確かでない。しかし、実質的かつ、資金面・技術面で持続的な裏づけが行われたHIV予防活動を抜きにして、ミャンマーがこの流れを食い止めることはできないことは絶対に確かである。この目的のための建設的関与を支援する試みは、それがいかなる形であれ行われなければならない。(了)

(箱田 徹 訳)

出典:International Crisis Group (ICG: http://www.crisisweb.org), 'Myanmar Briefing- Myanmar: The HIV/AIDS Crisis', Bangkok/Brussels, 2 April 2002.

[1] 用語法について。このレポートでは同国の公式の英語名(国連、米国とヨーロッパ以外の大半の国が用いる)を使用する。つまり同国政府を1989年(訳注:この年にビルマ軍事政権が英語名称を変更した)以前を「ビルマ」、89年以降を「ミャンマー」と呼ぶ。同じ基準を、例えばラングーン(現、ヤンゴン)など地名にも適用する。これが政治的な見解の表明、または軍事政権が呼称を変更する権利があるかどうかの判断を示すものだと受け取られるべきではならない。ビルマ/ミャンマーでは過去何世紀もの間、「バマー」(Bamah)と「ミャンマー」(Myanma)という単語は、同国の公用語において、それぞれ口語上の国名と公式的な国名を指してきた。

[2] ICG Issues Report No. 1, HIV/AIDS as a Security Issue, 19 June 2001.を参照。

[3]人道援助の是非に関する議論は、次を参照。ICG Asia Report No. 32, Burma/Myanmar: The Politics of Humanitarian Aid, 2 April 2002.

[4] 先進国の間でも、HIVとAIDSの報告件数は一部を捉えているにすぎないとの認識がある。WHOの推計によれば、発展途上国では平均して実際の8分の1の件数しか報告されていない。

[5] Mya Hein Zin. “Myanmar’s serious all-out efforts against HIV/AIDS: the true picture”, New Light of Myanmar, 5-6 October 2001.

[6] UNAIDS, Report on Global HIV/AIDS Epidemic, June 2000.

[7] Ministry of Public Health, Thailand, Projections for HIV/AIDS in Thailand 2000-2020. March 2001.

[8] キンニュン中将の発言は、ポピュレーション・サービス・インターナショナルが収めた成功の度合を弱めてはいない模様だ。PSIは古典的で非常に高姿勢の宣伝手法を用いながら、助成された高品質コンドームの使用奨励を開始している。