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社会

シンシア・マウンさん タイ領でビルマ人の「医療駆け込み寺」を必死で支える
2002年5月10日配信 『週刊金曜日』410号

シンシア・マウンさん タイ領でビルマ人の「医療駆け込み寺」を必死で支える
山本宗捕(フォトジャーナリスト)

『週刊金曜日』410号
2002年5月10日発売

シンシア・マウンさん
Cynthia Maung、43歳。ビルマ国内モン州モールメイン生まれ。男3人、女4人の7人兄弟。ラングーン大学医学部卒。)
地道な非暴力活動が評価され、昨年の「アジア人権基金女性特別賞」をクリニックのスタッフと共に受賞。3月に初来日し東京と関西で講演した。

 日本では、「ペシャワール会」の中村哲医師の活動が全国的に話題となったが、その中村医師を彷彿とさせるビルマ(ミャンマー)人医師がタイ・ビルマ国境でがんばっている。シンシア・マウン医師だ。

 彼女は多民族国家ビルマの少数民族、カレン族出身のキリスト教徒。13年前からタイ北西部のメーソット郊外に無料診療所、「メータオ・クリニック」を開設。以来、民族や信仰、政治的な思惑の違いにとらわれず、軍事政権下の圧制に翻弄されるビルマ人同胞に対する医療奉仕活動に専念してきた。

 13年前、開設間もない看板のないクリニックでシンシア医師に会った時のこと。

「武装闘争だけで民主化革命は達成できません。政治的社会的、人道的な取り組みで軍事政権と闘う必要があります。カレン族に限らず、ビルマ学生や他の少数民族のために医療の仕事に励むつもりです」

 きっぱりと彼女は言ったが、華奢でか弱そうな印象を受けた。だが、民主化闘争の指導者であるアウンサンスーチーさん同様、ビルマ女性独特の芯の太さも持ち合わせていた。1988年の民主化運動が国軍により武力弾圧されると、カレン州でクリニックを開業していた彼女も学生らと「3ヶ月で帰るつもりだった」タイ領に脱出。この14年間に両親は故郷で死去し、弟の一人はカレン州内でマラリアで死亡した。

 メーソットはタイとビルマの国境貿易の拠点、軍事政権の長期化に伴い、町にはビルマからの難民、民主化活動家、不法就労の労働者があふれた。タイ警察や入官の取り締まりを恐れるビルマ人に、クリニックは「医療駆け込み寺」的存在となった。取材に立ち寄ると、いつも深刻なマラリア患者と栄養失調児が多かった。辺境での医療活動に医師の代わりの役割を果たす看護士の訓練の場ともなる。とりわけ妊婦のエイズ検査の取り組みは早かった。

 数年ぶりに再会したシンシア医師は、長い髪を後ろで束ね、口数は相変わらず少ない。しかし、やっかいなマラリア蔓延地域に腰をすえての長年の活動は、彼女の言動に説得力を持たせていた。軍政下の経済苦境を反映し、最近の経済難民の傾向についてはこう言った。

「以前は労働者の大半が若者だったが、最近は女性や子どもが多く、一家全員で越境するケースも増えている。夫婦の職場が異なる結果、家族がバラバラとなり家庭崩壊が問題になってきた。また、年間1500人の妊婦がクリニックに登録するが、安全な出産をするのはそのうち500人くらい。500人は母胎に危険な方法で堕胎するので、妊婦の死亡率が高いことが最も問題だ」

 クリニックでは、ビルマ山中を国軍の軍事作戦から逃げまどう国内避難民を対象にした移動診療にも取り組んだ。4年前からは「バックパック医療活動チーム」を編成し、本格的活動を再開。60チーム200人がカレン、カレニ、モンの各州で危険と隣り合わせの活動をしている。最近では、カレン州内で薬などの補給物資を国軍に略奪されたという。

 他にもクリニックは目に見えない重要な役割を果たしてきたようだ。

「多民族が長い間引き離された生活をしてきたビルマでは、クリニックは医療を提供する場だけでなく、民族も宗教も政治的背景も異なる若者が集まり、助け合い理解し合って共同作業をする場となってきた。それぞれの共同体の人々に何が提供できるかも真剣に考えている」

 現在60床を持つクリニックには医師の弟も3年前に参加。5人の医師と120人のヘルスワーカーが無給で、1日平均150人の外来患者を診療。年間3万人に医療を施す小規模病院に成長した。だが、運営費用や薬は海外のNGO(非政府組織)の援助でまかなうが、日本からの支援はわずかだ。

文・写真/山本宗捕(フォトジャーナリスト)【了】