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社会

根本 敬「アウンサンスーチー解放の背景と今後のビルマ情勢」
2002年5月18日配信 根本 敬(ビルマ市民フォーラム運営委員、東京外国語大学助教授)

*本稿は2002年5月18日に池袋の「ECOとしま」で開催されたビルマ市民フォーラム例会における講演テープを元に、著者が自分の責任でまとめたものです。

1 解放の背景

 5月6日にアウンサンスーチーさんが自宅軟禁から解放され、メディアはそれを大きく報じ、ひさしぶりにビルマ関連の記事が新聞の一面を飾るなど、世界の関心がこの国に集中しました。私達としてはふだんから地道にビルマの状況を報道してほしいという願いがあるのですが、メディアはどうしてもアウンサンスーチーさんに大きな動きがないかぎり、なかなかビルマのニュースを目立つ形で取り上げてくれないようです。今回もその傾向がはっきり出たような気がします。

 さて、今回の軍政によるアウンサンスーチー自宅軟禁解除の背景にはどのような事情があったのでしょうか。私は3つの要因があったと認識しています。一つは、国連事務総長の特使ラザリ・イスマイル氏のビルマ軍政に対する強力な働きかけです。2000年4月にビルマ担当特使に就任して以来、ラザリ氏は今年(2002年)4月の訪問を含め7回ビルマを訪ねています。彼は2000年10月から非公式に始まった軍政とアウンサンスーチーとの間の対話を促進する役割を担っていました。ラザリ氏は軍政にとって数少ない友好国のひとつであるマレーシアの人間であり、かつマハティール首相に近い人物です。その人物の仲介は軍政にとって軽視できるものではありません。対話が始まって1年半がたち、特使としての訪問回数も6回・7回と増えるなか、ラザリ氏はこのあたりでいいかげん対話の成果がはっきりと示されることを望んだものと思われます。軟禁解除直前の4月の訪問では、ラザリ氏はマハティール首相の親書を持ち、軍政のトップのタンシュエ議長にまで会って直談判したほどです。日本風にくだけた言い方をすれば「俺は子供の使いじゃないのだぞ」という気持が彼に強く生じたのだと言っても過言ではないでしょう。

 二つ目は経済的要因です。1997年以来ずっと経済不振が続くビルマですが、今年に入ってそれはますます悪化し、物価の急騰、現地通貨チャットの大幅下落などに見舞われました。チャットの下落は、昨年7月段階で1米ドル=570チャットだったものが、今年の1月には同700チャットに下落し、4月には同1000チャットまで暴落しました。これが物価に影響を与えないはずがありません。外貨不足も深刻で、輸入規制が強まり、いっぽうで外国企業の新規投資はすっかり冷え込んで久しく、95-97年頃には積極的だった日本企業による新規投資も2001年度はついにゼロになりました。外国からの政府開発援助(ODA)も低迷したままです。この背後には1997年から実施されている米国による経済制裁がボディーブローのように効いてきているということも指摘できます。その米国がさらに制裁を強化し、ビルマからの輸入品、すなわちビルマからアメリカに売られる商品に対する制裁をしようと準備するに至りました。それが発動されてしまうとビルマの外貨獲得がますます困難になりますので、アメリカのそういう流れをなんとか止めさせ、逆に制裁の緩和を求めたい、そういう思いが軍政側にあったと考えられます。こういう中で、政治のムードを一新し、ビルマの対外的イメージを良くする、そして制裁を緩和させ、外資とODAを呼び戻して経済に活気を与えたい、そういった期待がこの時期における軍政によるアウンサンスーチーの自宅軟禁解除決断の大きな理由の一つであったと言えます。

 三つ目の要因は、これは私が常に言っていることですけれども、軍政による国内治安維持の絶対的な自信であります。軍政が政権を握ってからすでに14年目を迎えています。その間、一貫して軍政は国内治安維持の力を強めてきました。従って、国際的に見るならば追い詰められている政府ではあるといえるのですけれども、国内の治安維持という一点だけを見てみれば、国内の誰もそれに対し抵抗できない強力な物理的力量を持っているという現実があります。国民も軍事政権に対する恐怖心を抱いていますし、微笑を絶やさないビルマ人ですが、その微笑の奥に隠されている恐怖心というものは14年間続いているわけです。また軍政が政治を自由に動かすという事への諦めに近い気持が国民の間で蔓延していることも事実だろうと思います。心の奥底ではアウンサンスーチーさんやNLDへ期待している事は確かなのですが、普段の生活ではそれを声に出す事はできないし、またそういうことを考えても落ち込むだけですから考えないようにしているという面があると思います。そういうことを全て知り尽くしている軍政としては、例えアウンサンスーチー一人を釈放しても、その程度ではビルマの国内治安が乱れるような事はないと確信しています。それが今回の軟禁解除のもう一つの理由だろうと私は考えているわけです。

 ご存知のように、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁解除は今回が二回目です。彼女はこれまでに二回自宅軟禁の憂き目に遭いました。一回目は89年の7月から95年の7月までの6年間です。この最初の軟禁が解除された1995年の時と、今回の二回目の軟禁解除とでは状況はどういう風に違うのでしょうか。95年の時には、今回と同じように、無条件の解放と言われました。しかし、解放の前にいっさい軍政側とアウンサンスーチーとの間で交渉はまったく無かったと私は聞いております。ある日突然「今日からあなたは自由です」と言われて、彼女は「そうですか」と答え、そして軟禁が解除された、それが前回95年のときの軟禁解除です。その後も軍政側とアウンサンスーチー・NLDとの間に対話というものは実現しませんでした。

 一方で今回は非公式とはいえ、一年半以上にわたりアウンサンスーチーと軍政との対話が続いています。今回の軟禁解除をもって対話は終わりということでもないようです。両方とも対話の継続については合意の意思を示しています。ですから最低限の対話が継続しているという点で、95年の時とは状況が違うという事が言えます。しかし一方で、95年の時には、彼女が解放されて姿を見せた時、市民はもちろんですけれども、大学生達が大きく動きました。学生運動が95年の段階ではまだ存在していたのです。もちろん88年の民主化運動の時と比べれば相当に力は落ちていましたけれども、それでも95年にヤンゴンでは大学が開かれていましたし、キャンパスの中に、限定されていたとは言え、学生運動がありました。学生達がアウンサンスーチーの解放と共に活気づき、95年、96年とデモや集会を続けるということが起きました。

 しかし96年の暮れに軍政は大学の長期閉鎖に踏み切り、3年半にわたり、軍関係と医学関係および通信教育課程を除く全国の大学教育をストップさせるという暴挙に出ます。その間、ラングーン市内の交通の便が良い市民とも直ぐに接触できる、そういう位置にあったキャンパスを、全て首都から片道1時間半、ひどい場合は2時間半くらいかかる郊外に移転させてしまったのです。たとえば、ヤンゴン工科大学という学生運動がもっとも激しかった大学があります。これはヤンゴンの北部のインセインという所に広大なキャンパスがありまして、ヤンゴンの中心部からバスで30分か40分で行ける場所です。そのヤンゴン工科大学は今やヤンゴン管区には存在せず、イラワディー管区にキャンパスが強制的に移されてしまいました。ヤンゴン中心部から片道2時間以上かかります。いわば東大の工学部なり東京工業大学が小田原とか熱海に移転してしまったようなものです。そして移転先に学生寮はありません。学生寮を作るとそれが学生運動の温床になると軍政は考えているからです。したがって学生たちはスクールバスに乗って片道2時間かけて通わなければなりません。移った先の新キャンパスの設備も相当に貧弱なものであると学生から聞いております。

 このようにヤンゴンにあった大学を全部遠い郊外に強制移転させたので、学生運動は連帯を構築できる環境になく、勢力として根絶された状況になっています。これが95年の解放の時と大きく違うもう一つの点であります。これはまさに最初に申し上げました軍政が国内治安維持に自信を持っているという事と繋がっておりまして、アウンサンスーチーを解放しても学生は動かない、学生が動かなければ市民も動けない、市民が動けなければ騒ぐのは海外のメディアだけであり、海外のメディアが上手にアウンサンスーチーさんの解放をプラスイメージで報道してくれれば、制裁も緩和に向かうかも知れない、外資も戻ってきてくれるかも知れない、そういう風に軍政は考えていると言えましょう。

2 今後、何に注目すべきか

つづいて、今後どういう点に注目していくべきなのか、その話をいたします。その際、短期的に注目すべき点と、中期的もしくは長期的に注目すべき点の二つに分けて説明したいと思います。短期的に注目すべき点は四つあります。一つは、何と言いましても、両者が継続の意思を示している対話をどのように発展させていくのかということです。アウンサンスーチーさんは海外メディアのインタビューに対し、対話における信頼醸成の段階は終わった、これからは具体的な政治課題を話し合う、そういう段階に進めていきたいとはっきり述べていました。しかし軍政側は果たしてそれに合意しているのでしょうか。私が見る限り、軍政側は、対話は継続したいけれども、それはできる限り時間をかけて先延ばしをし、海外から、外国政府から、国際社会から「あなたの国の政治改革はどうなっているのか」と問われた時に「今対話中ですから」という答えで、できる限り時間稼ぎをしたいというのが本音だと思います。したがって、軍政側は信頼醸成の段階が終わったと果たして思っているのかどうか、そして今後、本気で具体的な政治課題を巡る交渉に進めようという気があるのか、それを見ていく必要があります。

 二つ目は、多くの方が指摘しているように、アウンサンスーチーさんの政治活動の自由がどの程度保障されるかということです。無条件の解放と言われていますが、95年の時も無条件だったわけです。彼女は自宅前で週一回市民集会を開き、地方の党支部にも行こうとしました。でも最終的に軍に封じ込められ、自分の右腕にあたる人たちを捕まえられ、そして最後は二度目の自宅軟禁という最悪の事態に至ったわけです。今回の無条件解放は本当に無条件なのか、本当に彼女は自分で海外メディアに対して言っているように全ての自由を得たのかどうか、これは今後の様子を見ていかないと何とも言えません。NLDの党の支部は全国に多数あります。昨日(5月17日)ヤンゴン郊外の新興住宅地(シュエピーター)にある党支部に彼女は出向きました。ヤンゴンの中心部から30キロほど北の所ですけれども、そこの党支部で、党の業務と話し合いに参加し、演説などは一切しなかったということでした。こういったレベルの党支部「訪問」なら軍政は黙認するという事ははっきりしたようですが、もし彼女がヤンゴン管区を飛び出して、マンダレーであるとか、イラワディー管区であるとか、シャン州の方に行くとなった場合、また行った先で、小規模であれ集会を開こうとした場合、軍政はどういう対応を取るのか。またたとえ地方遊説は控えヤンゴン市内だけで活動するとしても、もしかつてのように自宅前で週に一回市民集会なるものを開こうとした場合、軍はそれに対してどう対応するのか。そういった面を今後冷静に見ていく必要があると思います。

 三番目は、アウンサンスーチーさんが一番強調していることですが、まだ千人以上残っている政治犯の釈放のスピードアップがなされるのかどうかということであります。もちろん即時全員解放となれば大変良いニュースですけれども、恐らく五月雨式に解放していくのだろうと思います。政治犯の解放はかなりなされたという風に私たちは考えがちですが、冷静に数え直して見ますとこれまでの解放者は250人程度にすぎません。1400人から1500人ほどいるとNLDがみなしている政治犯うちの五分の一から六分の一程度しかまだ解放されていないわけです。また解放された人の中には刑期を終えて出てきている人も含まれていますから、これを解放とカウントしてよいのかどうか微妙なところです。例えば、懲役7年とか10年の人が3年で解放されれば恩赦・解放と言えますけれども、刑期を満期で終えた人まで「解放」の数に入れてよいものなのかどうか。軍政側はそのような人まで「解放」にカウントしているというということを、私たちは忘れてはいけないと思います。

 四つ目は、国際社会のビルマへの対応です。特に厳しい経済制裁を課しているアメリカが、ブッシュ政権の下で今回の軟禁解除を見ながら経済制裁を緩和するのかどうか。また政府高官レベルの入国を禁じているEU諸国がそういった制裁を緩和する、もしくは解除するのか、その辺を見ていく必要があります。今のところ特に大きな動きは無く、今後のアウンサンスーチーさんの活動の自由の度合いを見ながら判断していくということのようです。

 それでは中期的・長期的にはどういう点を見ていくべきでしょうか。これには2つあると思います。一つは少数民族をどのように対話へ参加させるのかという問題です。ビルマは、軍政の公式見解では135の民族がいるとされています。135という分け方はもちろん恣意的な分け方ですから科学的な根拠はありませんし、そもそも民族分類を科学的に行う事はできません。ただ、135という数字が正しいか正しくないかという議論を横に置いても、ビルマが典型的な多民族国家であるということは事実です。したがいまして、民族が多様であり、また民族問題が独立初期から複雑な形で展開しているこの国を、本当の形で安定させる為には、対話の場に軍政とNLDの他に少数民族団体の代表を加える必要があります。これはラザリ特使も認めている事ですし、また多くのビルマ研究者もその事に触れています。市民運動でビルマの民主化運動に関わっている人たちも皆、異口同音に少数民族問題を軽視してはならないと言っています。アウンサンスーチーさんはごく最近のインタビューで、少数民族が対話に参加すべきだということを言明しました。しかし同時に彼女は、その実現には時間がかかるだろうとも言っています。これはすなわち、軍政側が容易には少数民族代表の対話への参加に応じないのではないかという事を言っているのだと思います。実際、軍政は少数民族の対話への参加については何も触れておらず、基本的な姿勢に変化は見られません。

 もう一つ中期・長期で注目すべき点は、対話のレベルがもし信頼醸成の段階を越えて具体的な政治課題の協議にまで進んだ場合、軍政とアウンサンスーチー両者が画期的な譲歩をできるのかどうか、その点であります。これは実に何ともいえません。どういう風な形で政治的な交渉をするのか、これは恐らく誰にも正確には予想できないと思います。もっとも、そういう問題になればなるほど質問したくなるという思いが皆さんの中にはあると思いますし、私もいろんな人から同じ質問を受けてきましたので、ここでは勇気を出して根本案とでもいうものを述べてみたいと思います。すでにある新聞の取材で述べたことではありますが、それを今日もう一回お話しします。あくまでも私が想像する「両者の譲歩のあり方」にすぎませんが、両者が血の出るような妥協や歩み寄りをしない限りビルマは民主化に向かわないということであれば、これくらいの事はしないといけないという私の案を述べてみたいと思います。

 まず軍政は、制憲国民会議を解散する、そのかわりNLDは国会代表者委員会(10人委員会)を解散する。制憲国民会議というのは、そもそも必要の無いものでした。これは1990年の選挙の結果を尊重し、国会を開催すれば、そこで新憲法の審議が始まるわけですから、国会と別個に制憲国民会議などを開く必要は無いわけです。しかし、1990年の選挙結果を軍政は無視しました。無視して、NLDが多数を占める国会ではなく、軍政側が選んだ701名のメンバーからなる制憲国民会議で憲法の草案を作るということで、1993年1月からこの会議は開催されました。ここ4年間は休会が続いていて、有名無実化していますが、現在まで軍が提案した憲法草案の三分の二まで審議が終わっており、軍政のペースで新憲法作りが進んだ形になっています。NLDのメンバーも、八十数名参加していましたが、95年11月に全員が除名されました。アウンサンスーチーがボイコットを指令して、それと同時に、報復措置として軍政側がNLDメンバーを追放したという経緯があります。したがってこの制憲国民会議にNLDはもはや何らのアクセスも持っていないわけです。NLDから見れば、選挙結果を無視し、軍のペースで一方的に憲法を作っているということですから、この制憲国民会議には色々不満があるわけです。またその会議の中での憲法草案の審議の仕方も大変に非民主的なものであり、発言の自由が認められないような運営が続けられました。よってそういうNLD側の不満の強い、そして参加ができないこの制憲国民会議を軍政が解散するという、軍政から見れば血の出るような譲歩をするとするならば、NLDは当然自分達が進めている国会代表者委員会(10人委員会)の活動を中止し、同委員会を解散するということで、やはり血の出るような歩み寄りを軍政に対しておこなう必要があると思います。その上で両者が暫定連立政権を樹立し、新憲法の審議をゼロからやり直していくのが現実的なのではないでしょうか。

 ただ、その時に問題になるのは、アウンサンスーチーやNLDが1990年5月の選挙結果の尊重(実現)を求めるという従来の主張を捨ててしまうのかどうかということでしょう。従来の主張を捨てることはもちろんできないことですし、またやってはいけないことです。あの選挙は公平になされた選挙ですし、国民の意思が正確に反映された選挙ですから、その結果を尊重するべきという主張を捨てるということは、あってはならないことです。しかし、ある選挙区でこの人が当選したからこの人は議員だという、そういう意味において細かい結果にまですべてこだわるということは、もはや難しいだろうと言えます。亡くなってしまった当選議員も数十人います。それから、年をとってしまい、もう政治活動はしたくないと言っている当選議員の方もいます。海外に亡命した当選議員もいます。したがって、今後は、90年5月の総選挙で国民が軍政にNOを示し民主化を求める強い意思を表明したという、その精神をどのように尊重するのが現実的なのか、ということを考えることが重要になってきます。私としては、政治に軍が極力介入しない民主的な国を作るという大前提に両者が立つことが、この「精神」の尊重にあたると思います。この前提に立って、両者が歩み寄りの努力をおこない、暫定連立政権の下で新憲法を審議していく。それしか方法はないのではないかと私は考えます。そして、新憲法の草案を作った後、国民投票にかけ、国民の信託を得て、そして総選挙をやり直す。今度は選挙結果を無視するなどということはもちろんやらずに、選挙結果を尊重し、民政移管を実現する。これが私の案です。このような、両者が血を流すような画期的な譲歩、歩み寄りができるかどうか、それが具体的政治課題交渉の中で問われてくると思います。中期的・長期的にはこういった点を見ていく必要があるでしょう。

3 アウンサンスーチーは頑固か?

 次に、アウンサンスーチーさんについて触れたいと思います。今回の軟禁解除のニュース報道において様々なマスコミが彼女のことを大きく報道しました。マスコミ報道の中で全部ではありませんけれども、アウンサンスーチーさんの思想というものを誤解している報道がありました。あえて新聞社名は言いませんけれども、社説にまでアウンサンスーチーを誤解しているとしか思えない内容を記した新聞社もあります。ビルマ市民フォーラムではその新聞社に抗議の文書を送っておりますが、その誤解というのは、簡単に言えば、「アウンサンスーチーは非常に頑固だった。その頑固なスーチーが二回の自宅軟禁で大人になった。やわらかくなった。柔軟になった」、そういう見方に基づき、そのやわらかくなった彼女の今後やいかに、といったパターンの書き方です。PFBが抗議文書を送付した新聞には「56歳の脱皮」などという小見出しまでついたバンコク特派員の記事も掲載されていました。「56歳になってやっとあのおばさんも人間的に丸くなったよ」という書き方ですね。これは明らかな誤りだと思います。

 私は機会がある度に声を大にして言っているのですけれども、アウンサンスーチーさんはもともと非常に柔軟な人です。(こういう言い方を商社関係者や経済産業省の人たちが集まったある場所で言ったときに大笑いされました。なんて馬鹿な研究者だろうと彼らは私のことを思ったかもしれませんが、私は怯まずにアウンサンスーチーさんは非常に柔軟な方ですよということを話し続けました。)アウンサンスーチーは、元々ガンディーの思想の影響を強く受けていまして、非暴力はもちろんですけれども、敵対する勢力との和解を目指す生き方をしている人であり、敵対する勢力を打倒するという事は全く考えていないわけです。ましてや現在彼女が敵対している相手はビルマ国軍によって構成される軍政です。ビルマ国軍は彼女の父親、アウンサンが作った軍です。彼女は事ある毎に自分の父が作ったビルマ国軍を愛し、尽くしたいということを言っています。そういうビルマ国軍を打倒するなどという事は彼女の考えの中には全く無いのです。

 彼女は常に敵対する者と自分との関係を客体化する、相対化するという努力を続けています。彼女の言葉で言えば「真理の追究」ということなのですが、自分自身と自分を巡る他者との関係を、より上位の視点から見下ろして客体化する精神的努力を大切にしている人です。例えばある人が突然自分を殴ってくる。当然頭にきますから殴り返します。でもそういう反応は感情的なものに過ぎません。そういう反応は対立を深めるだけになります。力の争いになります。アウンサンスーチーは、相手が自分を殴ってきたら、なぜその人は自分を殴るのかをまず考えてみるべきであると言います。イエス・キリストのように右の頬を殴られたら左の頬を出せとはさすがに言いませんけれども、なぜ相手は自分を殴ろうとするくらい怒っているのか、ということを考えてみる必要があると彼女は言うのです。相手の怒りを理解する為には、自分の振る舞いを冷静に見直す必要がでてきます。そういう姿勢の中から、自分と、敵対する者との関係の客体化、自覚化、そしてそこから共通の合意や、できれば両者で認め合える共通の価値を見出し、和解への努力をおこなうことができると彼女は考えるのです。

 もう一つは、正しい目的を実現する為には、正しい手段を使わなくてはならないという、これもガンディーの考え方と一致しますが、そういう哲学を、自分自身の生き方すべてを通じて示しているということです。目的の為に手段を正当化するということを、アウンサンスーチーはしません。具体的には、「民主主義の実現ということを目的とするのであれば、その獲得の手段も民主的にしなくてはならない」という主張です。民主主義を獲得する為に暴力を用いてしまっては、民主主義は実現しない。暴力を用い、政治的な策略や裏取引などの手段で、たとえ軍事政権を打倒できたとしても、その後にできる政府や体制というものは、本当の民主的な体制にはならず、困ったときには暴力に頼る、そういう体制になってしまうという主張です。すなわち、正しい手段を用いないと、本来達成したい目的は実現できないのだということです。これこそが彼女の思想と生き方を象徴しています。こういう彼女の姿勢は1988年から一貫しておりまして、一度たりとも民衆を煽るとか、暴力を用いるとか、軍政を打倒するというような発言や態度をとったことはないのです。非暴力的な手段で和解を目指すというのが88年以降一貫しているアウンサンスーチーの生き方であり、また政治的な手段であります。したがって、頑固だった彼女が柔軟になったというような言い方、56歳のおばさんがやっと脱皮したなどという言い方は、全く誤っているということを今日とりわけ強調しておきたいと思います。

4 日本政府の対応

 最後に、日本政府の姿勢について触れておきます。以前からカヤー州にあるバルーチャウンの水力発電所(日本の戦争賠償で作った発電所です)を改修する無償ODAの供与予定がありました。これは昨年の半ばか後半には始まっていてもおかしくない案件だったのですが、私たちの反対運動が多少とも効を奏したのか(?!)、日本政府も慎重に先送りし、今年に入って一時期は凍結かという噂も流れました。しかし、3月頃でしょうか、やはり実施するという事になり、4月末には閣議決定に至りました。ですから今回の軟禁解除とは関係なく、軟禁解除が無くてもこの案件は実施されたわけです。しかし軟禁解除と同時に、突然、この発電所改修ODAを「ごほうび」というふうに位置付けて、川口順子外務大臣が公式な見解を示しました。さらにこのODAのみならず他の案件供与も今後の様子を慎重に見ながら検討すると言っております。しかし一方、95年にアウンサンスーチーさんが一回目の自宅軟禁から解除されたときの日本政府のはしゃぎぶりと比べると、今回は比較的慎重だなと私は思います。あのときは、つい最近息子さんから肝臓移植を受けた河野洋平氏が大臣だったのですが、すぐさま有償援助の本格再開みたいなことを言い出していたのですね。しかし、今回はそこまでは言っていません。日本政府にしては比較的慎重な対応をとっているな、というのが私の率直な感想です。

 でもこれにはやはり理由があると思います。95年の時には軍政は軟禁解除直前に第一報をヤンゴンの日本大使館に伝えました。ですから日本政府はそれに非常に感激したわけです。「まずは日本に教えてくれた。軍政は日本に期待しているのだ。じゃあ援助を出そう」という風になっていくわけですね。今回はアメリカのビルマ大使館がこの軟禁解除のニュースの第一報を流したのです。ですから明らかに最初に伝えたかった相手はアメリカ政府だったということがいえます。そうすると、多少穿った見方かもしれませんが、「アメリカ政府が経済制裁を強化しようとしている。それを是非とも止めさせたい。それならばアメリカの好きなスーチーさんを解放すれば止めてくれるかもしれない」という軍政側の思いがあったと言えるのではないでしょうか。日本政府から見れば、なぜ前回はうちに最初に教えてくれたのに、今度はよりによってアメリカなのだと、そういう思いがあったのかも知れません。そういうショックがあったからこそ、比較的冷静な反応を示しているのではないかという気が私にはします。