トップページ >  ビルマの現状:政治 >  社会 >  ビルマ軍政、民主化政党の事務所閉鎖を続ける

社会

ビルマ軍政、民主化政党の事務所閉鎖を続ける
2003年6月2日配信 ニューヨーク・タイムズ紙


ビルマ軍政、民主化政党の事務所閉鎖を続ける
ニューヨーク・タイムズ紙
2003年6月2日

【バンコク(セス・マイダンズ記者)】ミャンマーの軍政が今日も弾圧を続けていることから、反政府の民主化勢力が活動する場がほとんどない、より厳しい新時代が到来したようだと専門家らは述べている。

 ミャンマー(旧ビルマ)からの情報によると、民主化勢力指導者アウンサンスーチー氏を拘束し、氏の率いる政党(NLD:国民民主連盟)の本部を閉鎖したと発表した翌日、政府は国内各地のNLD事務所を閉鎖する行為に出た。

 政府は大学をも閉鎖した。大学閉鎖は、学生が政府の行為に抗議したり、さらなる自由を求めたりするのを防ぐために政府が過去に繰り返し取ってきた措置である。1988年に起きた民主化運動も、学生の暴動から火がついた。この運動は武力で鎮圧され、現在の軍政が政権を取るきっかけとなった。

 現在、政府はアウンサンスーチー氏の政党であるNLD党員の電話線を切っている模様で、党員らに一連の事件についての感想を聞くことはできなかった。

 首都ヤンゴン(旧ラングーン)にいる外交官らは、NLD本部に行こうとしたが軍政関係者に阻まれたと話した。

 軍政は5月31日、アウンサンスーチー氏の支持者と政府派の団体との間で起きた乱闘で死者4人、負傷者50人が出た後、氏とNLD党員19人を「保護のために拘束」したと述べた。

 ワシントンのミャンマー民主化団体、ビルマ連邦国民連合政府からの未確認情報によると、事件はずっと深刻だったようだ。国軍と軍政の大衆翼賛組織とが露骨に攻撃をしかけ、数十人もの死者が出たという。

 事件はアウンサンスーチー氏が地方遊説に出かけていたミャンマー北部で起きた。氏が一年前に自宅軟禁から解放されて以来、7回目の地方遊説旅行だった。

 ミャンマー政府のスポークスマンは、スーチー氏らの拘束場所や、いつまで拘束やNLD本部の閉鎖を続けるのかについて答えなかった。

 しかし専門家らは、今回の弾圧が明らかに重大なものであり、政府が軟禁からの解放以来アウンサンスーチー氏に与えてきたわずかな政治的自由をすっかり取り上げているようだと述べた。

 軟禁からの解放は、政府が反政府民主化勢力と折り合いをつけようとして行った実験だったようだ。

 しかし、元々そんな気があったのかはわからないが、政府は約束した政治囚の釈放やアウンサンスーチー氏との対話開始を実行しなかった。

 アウンサンスーチー氏の演説に以前にもさらに大きな群衆が集まり、氏を熱烈に歓迎するのを見て、政府が二の足を踏んだのかもしれない。

 長年ビルマを研究しているラトガーズ大学のジョセフ・シルバースタイン教授は「遊説先で起こっていたのは、スーチー氏を一目見、神のように扱うためだけにかなり遠いところからやってくる人が次第に多くなっていったという現象だった」と述べる。

 そして「彼女が国民をカリスマのように引きつけるこの力を持つ限り、軍政がそれを甘受することはないだろう。妨害行為を受けても、それでも演説に集まってきた」と話す。

 シルバースタイン氏は、軍政が中国、インド、バングラデシュというアジアの近隣諸国との関係を強めることによって欧米からの圧力を遮断しようと努力してきており、今回厳しい処置を取る準備ができたと感じた可能性がある、と述べた。

 「ビルマ政府は次の2つの動機から長期的作戦を取ってきた。一つは自らの国際的地位を変えること、もう一つはアウンサンスーチーを最終的に排除することだ」

 シルバースタイン氏は、この数か月の間に政府指導者らが中国、インド、バングラデシュを訪れ、個人的関係を築き大規模なビジネス取引を成立させてきたと述べた。成立した取引は融資、建設合意、高速道路の連結、天然ガス田に関する合意などで、欧米諸国による経済制裁や、世銀などの主要な貸し手が融資を絶っていることから来る影響を軽減するものとなっている。

 これらのアジア諸国は、欧米諸国ほどミャンマーの民主化にこだわっていない。アジア諸国からの支援があれば政府の手が空き、アウンサンスーチー氏の活動を停止させ、再び自宅軟禁してしまうことができる。しかし政府は一般市民の雰囲気を読むのがうまいとは言えない。1990年の総選挙でアウンサンスーチーの政党が議席の80%を獲得したが、政府はこの事態を予想しておらず、選挙結果を無効にするに至った。

 スーチー氏を中傷する記事をマスコミに繰り返し流したが、国民の間にスーチー氏への反感を起こすことはできなかった。

 解放されて一年間が過ぎ、活動への妨害行為が悪化するにつれて、アウンサンスーチー氏は失望感が高まっていることを既に口にしていた。

 スーチー氏は、1990年総選挙の記念日である5月27日に「選挙結果を無視したことは、国民を侮辱し軽蔑することだ。われわれNLDは、1990年の選挙結果の履行を求める立場を取り続ける」と述べた。(訳、秋元 由紀)

出典:New York Times: Burmese Rulers Close More Offices of Pro-Democracy Party (2nd June, 2003)