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社会

スーチー氏はそこにいた:大学通りにあふれる涙
2007年9月24日配信 イラワディ誌

スーチー氏はそこにいた:大学通りにあふれる涙
2007年9月24日
チーワイ(在ラングーン/ヤンゴン)

 仏旗を掲げて行進の先頭に立つ3人の僧侶が、プローム通りから大学通りへ曲がった時、私の心は高鳴った。大学通りにはアウンサンスーチー氏宅がある。
  9月22日、デモ行進に参加しに集まった市民のほとんどが、僧侶たちはラングーンの北オッカラパ区のマイラムーパゴダへ行進するのであろうと考えていた。
 しかし雨の中を進むに連れ、皆が気付いた。先頭にいる僧侶たちは、私たちの敬愛するアウンサンスーチー氏の自宅の方へ歩みを進めているのだ。氏が2003年5月以来軟禁されている場所だ。それに気が付くと私たちの足取りは自然と早まった。
 参加している数百人の僧侶のほとんどは20歳から40歳くらいで、慈経を唱えながら歩いていた。その時には、私は僧侶たちのように冷静にはいられなかった。
 私は興奮冷めやらず、道端の公衆電話から友人に連絡を入れようと思ったが、同じことを考える他の人々で長い列が出来ていたのであきらめることにした。

 敬愛するリーダーの家に近づくと、通りは有刺鉄線で封鎖されていた。僧侶達はバリケードの前で歩みを止めた。
 手をつなぎ、僧侶たちを守るようにして行進してきた市民は互いの顔を見合わせた。僧侶たちはバリケードを解除してもらえるのだろうか、もし解除してもらえなければ引き返すのだろうか。
 手を握っている隣の男性の目にも私と同じ感情がわいているのがわかった。「これからどうなるのだろう?」

 まもなく指揮をとる僧侶と警察との話し合いが終わった。待っていた観衆から拍手が沸き起こった。
 「皆さん!」 仏旗を掲げる僧侶は叫んだ。「ここは危険なので、最大限の注意が必要です。皆さん2列に並んで進んで下さい。どうか言われた通りにしてください」

 一行がアウンサンスーチー氏宅の前に到着すると、先頭の僧侶が立ち止まり、家の方に向いた。ほかの僧侶も全員が家の方に向いた。市民は手をつないで僧侶たちの後ろに立った。
 僧侶たちの前には、鉄製の盾を構えた治安部隊が立ち尽くしていた。まるで、何かをし出すかのように、瞬きもせずいかめしい顔つきで、僧侶の一行を凝視していた。私の緊張は絶頂に達した。
 僧侶たちは、再び慈経を唱え始めた。皆の目が「アンティー」と親しまれるスーチー氏の姿を探した。本当に彼女に会うことが出来るのだろうか。

 その時、思いがけないことに、門のところに、僧侶に敬意を払うよう合掌したスーチー氏が現われたのである。私たちの敬愛するスーチー氏は若く活気に満ちて見えた。黄色の服を着ており、観衆に向かって一歩進むと、先頭にいた僧侶の一人に話しかけた。
 僧侶と敬愛する国民のリーダーの間には有刺鉄線があった。女性1人と男性2人が氏の後ろに立っていた。治安部隊が会話をさえぎった。
 突然、大声が上がった。「アウンサンスーチー万歳! どうかまもなく解放されますように!」多くの僧侶と市民も後に続き、何度も繰り返した。
 スーチー氏は微笑み私たちに手を振ってくれた。私の目からは涙が止まらなかった。

 「アウンサンスーチー万歳」というシュプレヒコールと、雨の中で皆が流した涙は、大学通りを超え世界中に届くことは間違いないであろう。
 ビルマ国民を愛するスーチー氏は、微笑みながら右手を振り続けた。今まであまりに長い間氏の姿を見ることができず、健康を危惧していた私たちは、その姿に非常に元気づけられた。
 皆が涙を流し、シュプレヒコールが大きくなると、治安部隊は懸念を示し、僧侶たちに早く進むように命令した。

 私はすぐには歩き出さず、しばらくのろのろ歩いた。できるだけ長いあいだアウンサンスーチー氏を見ていたかったのだ。
 僧侶たちが歩いて立ち去る中、多くの人がその場に残り、今起きたことを味わった。
 約10分の出来事であった。

 「今でも氏がそこにいるかのようだ。大変元気づけられた。すべては僧侶たちの勇敢な行動によるものだ。危険を冒してここまでした僧侶たちにとても感謝している」と私の隣の男性が言った。
 私の隣の女性は涙を拭きながらこう言った。「今になってやっと雨が降っていることに気づいたのよね。今日は本当にかけがえの無い日だわ。」僧侶たちに追いついた頃には、掛け声はさらに大きくなり、行進のペースも早まっていた。

 軍事政権はアウンサンスーチー氏を自宅軟禁することはできる。だが氏を敬愛し信頼する私たち国民の気持ちは誰にも止めることができない。

(日本語訳:木村祥子)