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社会

山本宗補「僧侶たちはなぜ立ち上がったのか」
2007年10月29日配信 中国新聞

僧侶たちはなぜ立ち上がったのか
大衆救う政治求める 仏教は「行動する憐れみ」
2007年10月29日
中国新聞

山本宗補

 ビルマ(ミャンマー)で映像ジャーナリスト長井健司さんが治安部隊に射殺されて一カ月。「敬虔な仏教国」のイメージが吹き飛んだ悲劇的な事件は、軍事政権がいかに非情であるか、日本人の脳裏に刻み込んだ。軍政は反対する者に対して容赦しない。ヤンゴンから陸路でタイ側に脱出した三十一歳の僧侶は外国通信社に対し、恐怖の体験を次のように語る。

「軍隊は大量の兵士を動員して夜間に僧院を襲撃している。僧侶は日中は大丈夫だが夜間を恐れている。在家信者も僧侶をかくまうと、罰せられることを恐れている。本人の代わりに家族が捕まっている」

切迫した状況

 僧侶たちは各地で反政府行動の急先鋒として街頭に出た。仏教の教えに即した正しい政治を求めて軍政を諭す平和的な示威行動だったといえる。誤った政治が物価の急騰を招き、国民を苦しめ、自由も奪われているという認識だろう。本来は寺院で修行に専念する三カ月間の「雨安居」の時、街頭に出たことからも、切迫した状況と積年の不満がうかがい知れる。

 ビルマでは僧侶は信仰の精神的支柱というだけでなく、社会改革運動の指導的役割を果たしてきた。たとえば英国の植民地時代、非暴力の反植民地活動を指導したウー・オッタマ師やウー・ウィザラ師は何度も投獄され、ウー・ウィザラ師は百六十六日間ハンストを続けて獄死した。

 現在の軍事政権は十九年前、全国的な民主化デモやゼネストに無差別に発砲、少なくとも三千人の国民を殺害した。犠牲者には今回同様、デモを率いた僧侶、子ども、女性も含まれている。

 当時、ビルマ・タイ国境で取材中だった私は、多数のビルマ僧がタイ側に逃げて来たところに遭遇している。銃弾を腕に受け、重傷を負った僧侶もいた。ビルマ軍は国民に銃口を向けることをいとわない。国境地帯に住む少数民族に対しては静かな「民族浄化」作戦を続け、タイ側で約十六万人のカレン民族やカレニ民族の難民が帰還の希望のない難民キャンプ生活を強いられている。

 国営テレビは軍政幹部が僧院に資金や僧衣などを寄進し、仏塔の修復に熱心であるという映像を熱心に放送する。プロパガンダだが、「生き物を殺してはいけない」を含む仏教の五戒さえ守っていないことを国民に見透かされているので、イメージづくりに躍起だ。

「信者を装う」

 瞑想を学ぶため私が滞在した僧院の管長。「軍政は仏教徒と言えますか」という私の質問に対して、こう答えた。

「将軍たちは熱心な信者を装っているにすぎない。仏教は信じていないが、政治的な目的のためにやっている。武器と協定を結んだ人間だから」

 現在も自宅軟禁下にあるアウン・サン・スー・チー氏はビルマで長年修行したアメリカ人仏教僧との対談でこう語る。

「私は『関与する仏教』を信奉しています。僧侶と尼僧にはほかの誰とも同じように正しいことや望ましいことを促進させる義務があると思います。関与する仏教は行動する憐れみです。最も救済を必要とする人々の身を案じ、自分にできることをすること。自分の安全を犠牲にして他の人を守るような行為です」

 ビルマと同じ上座部仏教の国では、ブッダの教えに従い、信徒に正しい生き方を促すことが僧侶の本業であり、その事例にこと欠かない。ベトナム戦争中に焼身自殺して政府に抗議したベトナム僧。エイズ問題が深刻なタイ社会でエイズ患者を引き取る最初のホスピスを始めたタイ僧。インドでカースト制に挑戦する社会改革運動のリーダーとなった日本人僧…。

 それを思えば、本来大衆を救うはずの大乗仏教の教えからかけ離れているのが、わが国の仏教界ではないだろうか。軍事政権への抗議声明だけでなく、実質的な行動が求められている。

◇筆者の希望で軍政以前の国名ビルマを使いました。

【写真】托鉢する僧侶たちに食事を寄進し、ぬかずく市民たち=1998年、ヤンゴン市内(山本さん撮影)

やまもと。むねすけ フォトジャーナリスト。1953年長野県生まれ。88年からビルマの少数民族や民主化闘争を取材。98年、スー・チー氏への4回目のインタビュー直後、国外追放された。中国地方では沖家屋島(山口県周防大島町)に取材した「また、あした 日本列島老いの風景」などの著書もある。東京都東久留米市在住。