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民族・難民

グアム・ルートの難民たち 大西洋グアムに逃れたビルマ人難民の証言
2001年3月1日配信 Burma Debate

グアム・ルートの難民たち 大西洋グアムに逃れたビルマ人難民の証言
エディス・T・ミランテ
Burma Debate, Vol.8 (1), spring 2001

 2000年の1年間で、ビルマからの難民約千人が大西洋の米領グアムに到着した。故郷での驚くべき迫害を逃れ、米国への亡命を希望した人たちである。ビルマ北部、とりわけチン州の出身者が大半を占めていた。ビルマ北部と国境を接するインドと中国は、ビルマ人難民を強制送還し、敵対的に扱うため、彼らは空路でグアムに移動する脱出ルートを発明した。ビルマ人は最近まで(観光目的なら)ビザなしでグアムに渡航できたことを利用したのである。グアムにたどり着いた彼らは、米国本土を目指して政治亡命を申請した。

 すでに閉鎖されてしまったグアム・ルートは、まさに絶望的な状態に追い込まれた人々が使用した高価で危険な選択肢だった。パスポート、航空券、その他の手配のために相当な額の金銭を準備する必要があった。このためグアムのビルマ人難民は、ビルマの中でも隔離され、孤立した地域の出身者に偏っただけでなく、普通なら出身地域の「エリート」に属する人たちが多くを占めることになった。グアムの亡命申請者の教育レベルは著しく高い。医者、牧師、学生活動家、学者、NGO職員のほか、少なくとも選出された国会議員1人と、軍/警察の中佐1人がこの島にたどり着いている。政治活動家に分類可能な人が多く、こうした人たちは民族、宗教、政治上の見解を理由にしたビルマ軍の虐待の対象となっただけでなく、様々な方法で自覚的に政府に抵抗する活動に関わっていた。彼らは危険を引き受けながら活動を続け、逮捕あるいはそれ以上の事態まで後一歩というところでようやく脱出した人たちだった。

 2001年3月にプロジェクト・マジェは、グアムのビルマ人難民の一部に対してインタビューを行った。対象者の出身はチン人、カチン人、ビルマ人である。インタビューのサンプルは民族とジェンダーの面で難民全体の人口分布を多少なりとも代表した形になっている。インタビューを受けた人々によって、ビルマの近況についての重要な最新情報と詳細が数多く明らかにされた。

強制労働の継続
 インタビュー参加者は一貫して、(その大半がビルマを離れた)2000年も強制労働が続いていたことを詳細に語っている。一例としてチン州でビルマ軍が現金収入を目的に経営する茶のプランテーションでの強制労働が挙げられる。これは国際労働機関(ILO)が強制労働の使用を理由にビルマ政府に制裁を決定した際にも続いていたとのことだ。

Q:2000年末、あなたがビルマを離れる2、3カ月前にも軍は住民に労働を要求していましたか?

A(チン人保健労働者):ええ。そうです。チン丘陵の茶の植え付けのためです。軍は村人全員にこの作業を命じました。茶だけを栽培するよう命じたのです。軍は別のところから茶の木の種を入手し、農業局が種から育てた(苗木――訳注:原文には発言内容を明確にするために、言葉が補われている箇所がある。これも他の原注と同様に、丸カッコで示した)を、住民に植えるよう命じたのです。軍はチン州の多くの地域で茶の植え付けを命じました。対象となった場所の多くは森林地帯でした。軍は森を開き、住民に茶を植えさせました。軍は7月と8月に住民に森を切り開くよう命じています。植え付けは10月、11月にも続いていました。

刑務所と拘留施設の状況
 インタビュー参加者中数人が、拘留施設と刑務所での苛酷な環境について、自らの経験を証言した。

Q:拘留されたときの状況を教えてください。

A(チン人牧師):様々な種類の拷問が行われていました。彼らは私の頭にプラスチック(製の袋)をかぶせて窒息させようとしたことがありました。また服を脱がされて裸にされ、蚊に刺されるままに放置されたこともあります。米と砂を混ぜた食事を与えられてもいました。最初に投獄されたときには、彼らは文字通り私の頭を目がけて発砲したのですが、なぜか弾は当たりませんでした。意図的に外したのかどうかはわかりません。また地面に無理やり跪かされました。とがった岩の上に何時間も跪かされ、足かせをはめられました。

A(ビルマ人学生活動家):1992年から95年までインセイン刑務所に投獄されていました。95年にアウンサンスーチーが(自宅軟禁から)解放された後、友人と私は上ビルマのミンジャン刑務所に移送されました。ビルマで3番目に古い(刑務所)です。環境は非常に悪く、国内最悪でした。激しい拷問が行われました。場所はイラワジ河に近く、マンダレーの南約80kmです。他にも政治囚29人が私と一緒に移送されてきました。そのうち2、3人が国会議員だったのではなかったかと思います。彼らは拘束され、35年の判決を受けました。
 ミンジャン刑務所の説明をします。インセインでは刑務所当局が直接私たちを担当していました。しかしミンジャンでは殺人者やその他の刑事囚全員と一緒にされたのです。投獄中のほとんどの時間はこの犯罪者たちによって虐げられていました。何が起きても、刑務所当局は彼らのせいだと言ってきました。初めて刑務所に到着したとき、犯罪者は棒を手に私たちを待ち構えていました。そして私たちは目隠しをされ、簀巻きにされたままで殴れたのです。私たちに所内で恐怖を感じさせ、不平を言わなくさせるための行動だったのです。彼らは不満の表面化を好みませんでした。

宗教上の迫害
 ビルマ政府はキリスト教徒が大半を占める北部の住民に屈辱を与えようとしているが、チン人とカチン人のインタビュー参加者はその様子を詳しく語ってくれた。軍事政権は徹底的にキリスト教の信仰を妨害し、国教である仏教を広めている。また墓を暴き、神聖なミツン(家畜用の大きな牛)の没収を行うなど、アニミスムの文化遺産を冒涜している。

Q:ファラム(チン州の街)にいた過去2年間、宗教に対する軍政の対応はどのようなものでしたか。

A(チン人牧師):タンアウン大佐という司令官がいました。彼は私に向かって無愛想にこう言い切りました。「チン人は我々の敵だ。なぜなら西洋人が我々の敵だからだ。」 キリスト教は西洋の宗教で、キリスト教徒とおそらく牧師が国家の敵ナンバーワンだというのです。私たちが丘の頂上に差した十字架は切り倒され、すべての丘に仏教寺院が建設されました。教会だけでなく、宗教(キリスト教のこと)に関わるすべてものが禁止されました。軍は(私たちの住んでいた地域の)状況が(不安定だと)判断すれば、信仰そのものを禁止してきます。

A(チン人牧師):チン州に独特なミツンという動物がいます。すべての家庭でこの動物を育てています。チン人にとって象徴的な存在で、財産にもなっています。私たちがこの動物を屠るのは、はるか昔と同様、大きな行事があるときに限られます。一頭のミツンから200ヴィス(約300kg)の肉が取れます。軍はこのミツンを外国へ売るためにすべて連れて行きました。もし私たちチン人が国境を越え、インドでこの動物を売ったら、5、6年の懲役刑が待っています。軍とつながりのある人間が自分たちのミツンをすべてよその国へ売っているため、ミツンは絶滅寸前の状態です。

カチン州の状況
 1994年のカチン独立機構(KIO。軍事部門がKIA=カチン独立軍)とビルマ政府との停戦協定締結以降、カチン州で発生している人権侵害についての情報はあまり伝わってこない。カチン人のインタビュー参加者は、他の辺境地帯と大差のない現状を詳述した。軍の作戦行動の縮小に伴って、ポーターへの強制徴用は減少しているが、その一方でインフラ整備のための強制労働は続いており、拡大しているようにさえ思われる。インタビューによれば、元のカチン人ゲリラ支配地域は、ビルマ軍によって容赦なく接収されており、KIO内部では腐敗と暴力的なパージが進行している。

Q:停戦の前後でカチン州の状況がどのように変わったのか教えてください。

A(KIO軍曹):停戦前、KIOの軍人には、故郷のために軍事政権と戦うという団結心と気概が行き渡っていました。しかし停戦後は、こうした雰囲気は薄れ、肉体的にも精神的にも軍は弱体化しています。大きな失望と悲しみが訪れました。ほとんどの人間が停戦には反対でした。今も末端の兵士や市井の人には何のメリットも利益もありません。

Q:旧KIA支配地域での住民と政府軍との間の関係についてはどうですか。

A(KIO軍曹):タッマドー(ビルマ軍)がそうした地域に入って以来、ビルマ軍は住民に対して家と村を捨ててさせ、KIA支配地域から更に離れた場所へ強制移住させました。KIAと接触できないようにし、KIAへの援助を行わせないようにするためです。

Q:こうした地域の住民は政府軍のために働かなければならなかったのですか。

A:そうです。ほぼ毎日、あるいは毎週、住民はビルマ軍のために働かなければならず、兵士のためにあらゆることをしなければなりませんでした。軍の陣地にフェンスを張る必要があれば、住民全員がそのために(徴用)されます。停戦前は住民のほとんどがKIAの支配下にありましたが、停戦後はビルマ軍がKIOあるいはKIA部隊を遠ざけました。以前なら、地元のカチン人はポーターとして強制労働させられました。今ではポーター労働はありませんが、依然として軍のために労働を提供しなければなりません。あらゆる村で、1人か2人が軍の前哨のためにパトロールをしなければなりません。

チン州の状況
 過去にチン州が開発から取り残されていたことを非難するインタビュー参加者もいる。しかし強調しておかなければならないのは、現在の開発は、外国の資源採掘産業を巻き込んだ形で進行しており、環境破壊、強制労働、その他の搾取という面から見れば、以前よりも危機的な状況を生み出しているということだ。過去に道路や鉄道がなかったことは確かに遺憾なことだった。しかし現在、道路や鉄道が強制労働によって建設されていることはより悲惨なことである。

A(チン人牧師):チン州には3カ所に水力発電所があります。発電機はティディム、ファラム、ハカにあります。オーストラリアからハカとファラムに贈与されたものでした。ところが軍はこの機械を接収し、中国製のものと置き換えました。オーストラリアから贈与された発電機は、モーゴウッとマンダレーに運ばれました。ティディムでの水力発電所建設工事の際には、住民が強制労働させられました。1998年には働いていたチン人に兵士が発砲するところを目撃しました。彼はファラムの病院で亡くなりました。発電された電気は優先的に軍の陣地に供給されることになるでしょう。

A(チン人牧師):私たちの地域では食糧の生産量が非常に限られています。このためチン州外に食料を依存しています。しばしば(政府は)米の量を制限します。政府がファラムでの米の供給を1週間停止したとき、私たちには食べるものがありませんでした。今朝、サガイン管区のカレーミョーからファラムへの米の運搬は今後禁止されるとの情報を耳にしました。軍がチン人に何かしようというときには、まず米の供給を断ちます。そうすれば、あとは好き放題にできると考えているからです。

森林伐採と鉱業
 森林を始めとする天然資源の破壊がいくつかのインタビューで言及された。またビルマ北部の鉱物採掘の影響に関する発言もあった。この問題は、とりわけ外国投資の対象となる可能性のあるチン州ムウェタウン鉱山地帯で、詳しく調査される必要がある。

A(チン人牧師):Tlauhmunという村から6マイル(約9.6km)行ったところに森があります。Aikon forestと呼んでいます。おそらく数百年掛かってできた森です。1999年から2000年にかけて、軍が住民を動員してこの森を丸裸にしてしまいました。軍は切り出した木を建材用の厚板に加工し、それを売って現金収入を得ました。また材木を政府公社の公共事業局に売却しました。それを使って橋が造られたのですが、そのhual材は橋向きではなく、1、2年経つと腐ってしまいます。こうして悪循環が始まります。軍は生活のために現金を得ようとしています。昨年こういうことがありました。丸太を運ぶように命じられた(ある男性が)、その丸太が大きすぎて動かすことができませんでした。兵士は彼に向かって発砲しましたが、彼は死にませんでした。

Q:その地域では森林伐採が行われていますか。

A(カチン人商店主):はい。政府は商人に――中国人がほとんどですが――木材の伐採を許可し、引き換えに金(きん)と籐を受け取っています。商人は現地の住民と、ミッチーナから来た住民を使っています。雇われているのはカチン人に限りません。あらゆる人が雇われています。伐採と鉱物採掘の影響で、山脈と丘陵地帯にはほとんど木がなくなってしまいました。すべてが一変しました。野生動物すらいなくなったのです。以前には動物の声が聞こえたのですが、今はまったく聞こえません。みんな逃げてしまったのです。その地域で動物を見かけることはもはやほとんどありません。

Q:以前はどんな動物がいたのですか。

A:トラ、サル、イノシシなど多くの動物が住んでいました。特にサルです。前はサルがたくさんいたのですが、今ではいなくなってしまいました。

Q:パーカン(のヒスイ)鉱山では大体どれくらいの人が働いていますか。

A(カチン人牧師):わかりません。たくさんです。ビルマ全土からやってきています。いくつかの地方から、すべての民族が働いています。今では、中国から来た人さえいます。中国人はたとえビルマ語もカチン語も話せなくても、こちらに来ることができます。なぜなら(税関を)通過するときに袖の下を渡しているからです。

Q:初めて来たときと比べて変化はありましたか。

A:もちろんです。1993年までは外から人が入ってくることは不可能でした。今のような機械もたくさんはありませんでした。しかし今では、企業がバックホー(掘削機の一種)やブルドーザーのような機械を使うようになっています。本当にたくさんの機械が入っています。

Q:環境について変化はありましたか。

A:ええ。なぜなら彼らはつねに山、つまり丘陵地帯を掘削しているからです。掘り進むだけなので、山はやがて平らになってしまうでしょう。小川の流れも変わるでしょう。小川がこういうふうに流れているのに、そこを掘り進めれば、川の流れを単に別の方向に(分割して)しまうことになるのです。

Q:パーカンでは麻薬問題がありますか。

A:ええ。パーカンでは非常に一般的です。あらゆる人が麻薬をやっています。誰もがやっていますね。

Q:麻薬の使用方法は?

A:注射です。(あへんの)煙の吸引は、一般的ではありません。「ヤーマー」(訳注:麻薬ではなく、「ヤーバー」=覚せい剤のことか)という錠剤を燃やして、その煙を吸引する方法が今では一番多いですね。「ナンバー4」(ヘロイン)は注射だけです。

Q:各自が専用の注射針を持っていますか。

A:たぶん専用の針を持っています。ただその他にも、注射をしてくれる場所が、店というか、ビジネスセンターのようなところがあると思います。

Q:パーカンでHIV/AIDSのことを聞いたことはありますか。

A:ミッチーナやパーカンでも、非常に(流行って)います。その種の病気の患者を世話したことが何度もあります。AIDS患者に何もしてやれることはありません。ただ励まし、彼らのために祈るだけです。

AIDS、麻薬、アルコールの問題
 グアムでのインタビュー参加者は、ビルマの人里はなれた山岳地帯へも容赦なく広まりつつあるAIDSの流行について、またその事実を否認する軍事政権のやり方から逃れる努力について、最先端の情報をもたらしてくれた。また北西部の地元住民にアルコールや麻薬が宣伝されているとの証言もあった。

Q:住民に対して医者でない人物が注射を行っているのですか。

A(チン人医療労働者):そうです。違法な医者がたくさんいます。住民が私にそのことを教えてくれました。以前、ビルマのどこかの鉱山で働いていたある人物がいます。彼はその後マレーシアに出稼ぎに行き、戻ってきました。ラングーンにいた時に受けたHIV検査の結果は陽性でした。その後チン州カレーの近くにある自分の村に帰ってきました。そこの村人はHIV陽性であるということは、AIDS関連症候群に罹っているのと同じことだと考えました。その人は闇医者の処置を受けました。その人物は、彼にグルコース、ビタミンなどを混ぜたものを静脈に(点滴で)入れました。患者はとても弱っていて点滴には耐えられず、ビンにはまだ半分が残っていました。村人たちは(点滴液の)残りを捨てたくなかったので、今度はその患者の父親がその点滴液を使うことになりました。大量のビタミンが入っていたからです。その闇医者は父親に点滴(を行いました)。しばらくして、その患者は亡くなり、感染が原因で、その後に父親も亡くなりました。
 使い捨ての注射液を使っているところもありますが、そうでないところでは注射器と針を熱湯で洗浄するだけです。針と注射器を洗浄するのに使った熱湯は再利用されます。
(訳、箱田 徹)