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民族・難民

モン人の古参革命家が死去
2003年3月7日配信 イラワディ誌

 モン抵抗運動の父として知られるナイ・シュエチンが7日、モン州の州都モールメイン(モーラミャイン)の自宅で死去した。90歳だった。 モン人の若手指導者の一人は「われわれの指導者の死に深い悲しみを覚えている。全生涯をモン革命に捧げた氏の逝去はモン人にとって非常に大きな損失である」と哀悼の意を表した。

 ナイ・シュエチンは1913年3月1日にモン州タトン近くのペカタ村で生まれた。33年から34年の間、ラングーン大学で芸術を学んだ後、1947年にモン自由連盟を設立した。その後は同志の抵抗運動指導者ナイ・アウンタン、ナイ・グウェテインと地下活動に入り、1952年にはモン人民戦線の設立に参加した。

 58年当時ヌ首相は一部の民族指導者に対し、民主政権下での代表参加を認めることを条件に投降を求めていたが、ナイ・シュエチンは停戦に応じない唯一の指導者としてゲリラ活動を続けた。

 その後58年7月に新モン州党(NMSP)を結党、1963年にはラングーンで、ビルマ人の独裁者ネウィン将軍率いる革命評議会政府との和平交渉に参加した。

 新モン州党は65年にタイ・ビルマ国境のスリー・パゴダ・パスに本部を置いた。70年にはカレン民族同盟(KNU)のマーンバザンおよび当時タイ亡命中のヌ元首相と、モン・カレン・ビルマ共同宣言に調印した。

 81年に新モン州党は分裂したが、ナイ・シュエチンは87年12月9日に再統一に成功した。その後88年11月にビルマ民主連盟(DAB)の副議長を、91年7月から、新モン州党がビルマ軍政と停戦する95年まで民族民主戦線(NDF)の議長を務めた。

 モン人指導部は党指導者だったナイ・シュエチンの後任の発表は時期尚早だと話している。氏は今年1月の第5回党大会にも出席できない状態だった。

 モン州党は7日に緊急会議を開き、ナイ・シュエチンの葬儀の日取りと場所を決定する。氏には息子のコー・ウー氏がいる。

出典:Naw Seng, 'Mon Revolutionary Dies', Irrawaddy Online, March 7th, 2003.