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民族・難民

山本宗補「反軍政カギ握る人物失う マンシャー書記長の暗殺」
2008年3月26日配信 信濃毎日新聞

やまもと・むねすけ フォトジャーナリスト。1953年、(長野県)御代田町生まれ。ビルマのほかフィリピンの先住民族などを取材。国内では「老い」「戦争の記憶」をテーマに撮影・取材している。写真集に「ビルマの大いなる幻影」「また、あした 日本列島老いの風景」など。共著に「フォトジャーナリスト13人の眼」、「見えないアジアを歩く」(2008年4月刊)。

 二月十八日、ビルマ(ミャンマー)の少数民族解放組織、カレン民族同盟(KNU)のマンシャー書記長(64)の火葬が、タイ国境に近いKNUの解放区で執り行なわれた。書記長はその四日前の十四日、タイ側の町メーソットにある自宅兼仕事場の二階ベランダで、イスに座って休んでいたところを、胸と腹部に銃弾を三発浴び、暗殺された。

 ビデオジャーナリスト長井健司さんの射殺事件以降、ビルマの軍事政権が長年、辺境地野の少数民族に対して、その生活基盤を破壊しつくす軍事作戦を行なってきた実態にもようやく関心が向けられつつある。マンシャー書記長は、軍政に抵抗する少数民族最大の勢力で、国外で活動する民主化勢力とも共闘するKNUの、実質的なトップだった。

 書記長の暗殺事件当時、敷地内での建築工中のため、ふだんは閉じている鉄製の門が開いていたという。車で乗り付けた男二人は開いた門から入り、階段を上がった。果物かごを手にした一人が「ハラゲー(こんばんは)とカレン語であいさつし、至近距離から書記をピストルで二発撃った。その後にもう一人の男が発砲したという。二人は、エンジンをかけたまま駐めてあった車で逃走した。書記長は即死だった。

 殺害現場を見せてもらうと、イスの緑色の背もたれに、貫通した銃弾による穴が一カ所空いていた。

 マンシャー書記長は、私が二十年前にカレン民族解放闘争を取材し始めた頃からの知人でもあった。暗殺現場となった家は、二年前の取材時にも泊めてもらい、書記長やKNUの若者たちと一緒に食事をした。「政治的な問題は政治的な方法で解決したい。武装闘争は自衛の手段にすぎない」。番記長は口癖のようにそう語っていた。

 暗殺の実行犯はカレン民族の男性で、KNUから分派し、軍政側に投降したグループに属す兵士または元兵士と見られている。一見、内部抗争にも思える構図だ。しかしKNUや民主化運動の関係者は、暗殺事件を、KNUの内部分裂を工作してきた軍政が仕組んだ政治的事件と見ている。書記長の死が軍政を利するのは明らかだからだ。

 書記長と私が初めて会った一九八八年、民主化運動に対する国軍の武力弾圧で、ビルマ人学生や市民、僧侶数千人が、タイ国境のKNU解放区に逃げ込んでいた。ラングーン大学を卒業し、当時、ボーミャ議長(二〇〇六年死去)の秘書を務めていたマンシャー氏は、民主化運動の学生活動家や政治家とKNUが共闘するための潤滑油の役割を果たしていた。マンシャー書記長はまた、クリスチャンが指導層を占めるKNUのなかで、数少ない仏教徒でもあった。

 二年前、マンシャー書記長が「いまの若い(民主化運動)世代は連邦国家制に賛同している。少数民族の自決権も平等権も賛同してくれている。だからいまは、カレン民族にとっても、良い状況だ」と話していたのを思い出す。

 暗殺事件直前の今年二月九日、軍政は、八八年に停止した憲法に代わる新憲法草案を五月に国民捜索にかけると、突然発表した。それによって軍政は、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝した九〇年の総選挙結果を、完全に反故にしようとしている。自宅軟禁下にあるアウンサンスーチー氏は昨年十一月、国道のガンバリ特別顧問に託した声明のなかで、「少数民族の意見を考慮することはとりわけ重要だ」と述べた。政治支配の恒久化を狙う軍に対し、民主化運動と少数民族のさらなる結束が目指されていたまさにその時期に、暗殺事件は起きた。

 葬儀には、二十年前、学生活動家としてKNU解放区に逃げ込み、その後、タイのチェンマイを拠点に母国の民主化運動に関わり続けるアウンナインウー氏の姿もあった。彼はマンシャー書記長の死をこう惜しんだ。「意見の異なる幅広い層をまとめ、反軍政の闘いを進めていくためのカギを握る人物だった。野蛮な連中のせいで、彼の命がむなしく失われたことは、カレン民族だけでなく、ビルマ人にとっても悲しむべきことだ」。