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民族・難民

山本宗補「やまない弾圧 続く闘い 国外に逃れた僧侶・市民」
2008年4月2日配信 信濃毎日新聞

やまもと・むねすけ フォトジャーナリスト。1953年、(長野県)御代田町生まれ。ビルマのほかフィリピンの先住民族などを取材。国内では「老い」「戦争の記憶」をテーマに撮影・取材している。写真集に「ビルマの大いなる幻影」「また、あした 日本列島老いの風景」など。共著に「フォトジャーナリスト13人の眼」、「見えないアジアを歩く」(2008年4月刊)。

 カレン民族同盟(KNU)のマンシャー書記長が暗殺されたタイの町メーソットは、ビルマ(ミャンマー)の軍事政権に抵抗する少数民族の活動拠点であるとともに、二十年前の国軍による民主化運動への武力弾圧以降、国外に脱出した民主化活動家らの拠点となってきた。今年二月に訪れた際、昨年九月の反軍政デモに対する弾圧で、国境を越えメーソットへ逃れた三人に、デモ当時の状況を聞いた。

 モーチョー(44)は、四年間の獄中生活と秘密警察による二度の拘留を経験している元学生活動家。ビデオジャーナリストの長井健司さんが射殺きれる前日の九月二十六日、僧侶による連日の抗議デモの出発点となったシュエダゴン・パゴダ(ヤンゴン市内にある仏塔)の手前で、バリケードを挟んで治安警察と対峙した。

 デジタルカメラを持った友人と一緒にいた彼は、治安警察の司令官が「カメラを持つ者は誰でも撃て」と拡声器で指示するのを聞き、写真を撮った友人とすぐにその場から逃げた、と語った。警察による自宅での尋問を偽の身分証明書で免れ、その日のうちに国境を目指した。カメラマンのラエーソー(38)は九月二十七日、国軍の兵士にかなり接近して撮影する長井さんの姿を、遠くから見たと言う。ラエーソーが撮影しインターネットで配信した、若い僧侶が托鉢用のの鉢を裏返して高く掲げる写真は、軍からの寄進を拒否する抗議行動の象徴として、世界の人びとの目に触れた。彼は、治安警察に三度捕まりそうになり、カメラも奪われそうになったため、逃げるしかなかったと語った。

 ウー・パータカ師(47)は、僧侶による抗議行動を組織したリーダーの一人、軍政による昨年八月の燃料代の値上げに真っ先に抗議した、八八年の民主化運動世代の元学生活動家たちと連携し、全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)を結成。議長として活動を指揮し、全国の僧侶の四組織による統一行動をまとめた。軍政は、その宣伝機関である国営新聞紙上で、「デモを指揮した、元犯罪人の偽僧侶」として、ウー・パータカ師を含め七人の僧侶を名指ししている。

 師は、その身を追われた八月末から五カ月間、国内四十カ所を転々とし、農民や漁民、時には中古車販売業者になりすまして潜伏。地下活動を続けていたが、親族や信徒までが連行されるようになったため、今年一月にメーソットに逃げ込んだと言う。

 なぜ僧侶は抗議行動に立ち上がったのかという問いに、ウー・パータカ師はこう答えた。「人びとが生活に困り、苦しんでいることを、彼らに代わって政府に訴えた。政府はそれを政治運動だと非難した」。

 ウー・パータカ師の正式な僧名は、ウー・ピンニャゾータ。二十五歳で仏法を説く資格を取得した後、僧院で若い僧侶の教育にあたり、二十年前の民主化運動にも関わった。僧侶の組織を結成したことや、学生活動家らとの関わりから、何度も拘束されて拷問を受け、二度の投獄で合わせて十年を獄中で送った「闘う僧侶」だ。二〇〇四年に二度目の刑期を終えて釈放されてからは、(ヤンゴン市内のマッギン)僧院で教えながら、軍政下で放置されるエイズ患者やHIV感染者に対する医療援助にも取り組んできた。

 一九八八年以来の、僧侶の大規模な抗議行動に対する弾圧は激しく、昨年九月末以降、ウー・パータカ師の僧院を含め全国五十六カ所の僧院が治安警察に急襲され、多くの僧侶が逮捕、投獄された。また、師が把握する限りで、僧侶二人が殺害され、十二人が行方不明になったという。師の僧院は昨年十一月末、当局により閉鎖された。

 メーソットには、師を含め二十四人の僧侶が逃げ込んだ。だが、国外から、軍政との闘いは続く。ウー・パータカ師は日本に対して、「軍政下、人びとが声を上げることさえできない状況に置かれていることに目を向け、人びとの側に立ってほしい」と語った。