トップページ >  ビルマの現状:政治 >  社会 >  アウンサン・スーチー女史 瀕死のハンスト後、初会見

社会

アウンサン・スーチー女史 瀕死のハンスト後、初会見
1998年10月14日配信 SAPIO 1998年10月14日号

アウンサン・スーチー女史 瀕死のハンスト後、初会見
「インドネシアの次はビルマ」 いまこの女性が世界で一番闘っている!                                     

写真・文 山本宗補

「軍事政権は一体何のために存在するのか。経済危機の対策がない。国会の招集についても何もしない。真の対話プロセスについても全く何もしていない。それならば、一体何のために存在するのか」

 ビルマ民主化闘争の指導者、アウンサン・スーチーは珍しく怒りの感情を隠そうとしなかった。私にとっては1年7ヶ月ぶりの再会で、インタビューは2年ぶりだった。しかし、彼女は、1ヶ月の間に6日間と13日間の二度に渡る合計19日間のハンストに近い「車中ろう城」抗議行動を終え、わずか1週間ほどの静養期間を置いただけでカメラの前に立った。彼女が元気なのは強靭な精神力がなせる技なのだろうか。
 ノーベル平和賞受賞者の、軍事政権に対する容赦のないストレートな批判を聞くのはこれが初めてだ。相当な苛立ちと軍事政権への怒りを時には露にしながら、彼女は一時間を超えるインタビューに、毅然とした姿勢を崩さず、熱っぽく答えた。しばらくの間、外国人ジャーナリストとの接触を軍事政権によって断たれるかもしれないと察知しているに違いなかった。私自身も国外追放処分となることを最初から覚悟した取材だった。それは、1989年から通いはじめたビルマ国内取材ができなくなることを意味した。軍事政権のブラックリストに載りビザが出なくなるからだ。

 10年前の1988年9月18日は、ビルマ人にとっては、忘れることのできない日だ。中国の天安門事件とは比較にならないほどの多数の学生や市民、僧侶の犠牲者を出し民主化運動を弾圧したビルマ国軍が、クーデターで全権を掌握した日である。 8月上旬にヤンゴン入りした私は、ビルマで10年ぶりの歴史的な変革の嵐が吹き始めるのかどうかを探りはじめた。振り返れば、1990年の総選挙で、485議席中392議席を獲得したのは、アウンサン・スーチー率いるNLD(国民民主連盟)だった。しかし、選挙に惨敗した軍事政権は、選挙の結果を反古にしてきた。その選挙から8年後の今、NLDが軍事政権に要求したのは、総選挙の結果に基づく国会を8月21日までに招集するようにというものだった。予想に反して緊張感はなかった。少なくとも、初めてヤンゴンを訪れた89年の、銃剣を装着した自動小銃を構えた野戦服姿の兵士たちの姿も、装甲車や軍用トラックの姿も皆無だった。逆に考えると、軍政の自信の表れかもしれなかった

脱水症状で苦しみ体温は40度まで上昇

 スーチーを良く知る人によると、彼女は「目標をこうと決めたら、何があってもやりとおす性格の頑固一徹な女性だ」という。それが証明されたのが7月下旬に決行した、6日間の「車中ろう城」という実力行使だ。わずか独りの行為が国際社会の注目を集め、軍政に対するひんしゅくと非難を集中させた。実際、スーチーを足止めした当局のスーチー対策は、彼女の命を狙っていたのではと思えるものだった。彼女の主治医が診察を許可された時でさえ、脱水症で苦しみ体温は40度まで達していたという。だが、当局は医師が持参した水、チョコレート、キャンディ、ビタミン剤などを食糧とみなされるものはすべて取り上げるほど徹底していた。もう一日脱水症状が続いていれば彼女の命は危なかったともいう。
  しかし、6日間のろう城から回復するまもなく、彼女は、8月12日に再び、逮捕されたNLD議員の家族と面会するために車を走らせ、前回と全く同じ場所で足止めを食らうことになった。結局、スーチーは主治医が限界と予想していた10日間を越える13日間の「車中ろう城」抗議をドクターストップで切り上げた。自宅に戻った彼女は、自動車から担架に乗せられて二階の寝室に運び込まれるほど衰弱していたという。8月24日には小規模の学生デモが起き、28日にはシュエダゴン・パゴダが、スーチーが来るという噂で閉鎖され、かなりの治安軍部隊によって厳戒態勢が取られるという事態も生じ、緊張が徐々に高まりはじめた頃に、インタビューに応じるとの朗報が届いた。

「政府はいつも暴力を信じ力での解決を図ってきた」

 彼女の元気な姿を見るのは久しぶりだ。さっそうと現れた彼女は、足取りも軽やかに部屋に入ってきた。鮮やかな黄色のブラウスに、ロンジーは少数民族風の紫調織物風のもので、例によって髪の毛を後頭部で束ね、黄色のバラの花とジャスミン系の淡い黄色の花束を差していて、実に明るい印象を受けた。

「13日間の車中ろう城抗議行動」について、当局に何を要求し成果は何だったのか?」
「当局が私に出かけて欲しくないのなら、5月27日以降に捕まっているNLD議員を釈放するだけで解決すると伝えた。彼らが釈放されれば私には出かける理由はないと」(スーチー)
「いつどんな形の国会を招集するつもりですか」との肝心な質問に対しては、明確な答えは返ってこなかった。
「9月中です。国会の形のものです」としか言わなかった。5月以来逮捕されたNLD議員数は党員も含めて97名だと言う。仮に国会を招集して、出席出来る議員数は少なくても、アウンシュエ議長とスーチーのふたりが、ほとんどのNLD議員の委任を受けているので、実際に出席出来る議員数は重要ではないと言う、少し妙な話だ。アウンサン・スーチーの国会招集の呼びかけに、23議席を得たシャン民族民主連盟党などの少数民族政党がいくつか支持を表明し、招集に応じる気配もある。
「NLDが国会招集を強行すれば、政府はNLDの違法化と議員の逮捕が心配されますが?」
「当局がNLDの政党登録を抹消し、議員を逮捕する可能性は十分にあります。政府はいつも暴力を信じ、力で問題の解決を図ることを信じていますから。私たちは不慮の事態に備え、NLD議長と私の2名が、大半の議員から全権を委任されています」(スーチー)

ビルマ通貨チャットの米ドルレートは、一ドル370チャットで、一年前に比べると価値が半減した。経済は悪化の一途で、国境貿易も落ち込み、消費物資の値上がりが激しい。マンダレーでもヤンゴンでも物乞いとゴミをあさる子どもたちが急に目立つようになった。

「ヤンゴン郊外で生後2ヶ月で体重が2キロに満たない重度栄養失調の赤ちゃんを抱いた若い母親に会いました。彼女は指輪を質に入れて2000チャット(約700円。一日最低300―400チャットの生活費が必要という)借りたそうです。彼女のような貧しい人々の生活とあなたの民主化闘争、ことに非暴力路線との関連は何ですか?」と、問うと、彼女は少々興奮気味に語った。
「非暴力路線は暴力路線よりも時間がかかるのはしかたがありません。しかし、人々が絶望的ならば、暴力の爆発を止めることはできないかもしれません。彼女のような何百何千人の母親は赤ちゃんを生かすために指輪を質に入れる傍ら、ホテルで一晩に何百ドルも使って夕食を食べる人たちがいることを知ることはないでしょう。それは、この国を導く分別のある政治哲学が存在しないからです。NLDの経済計画では貧困の撲滅を第一の優先問題としています。ホテル建設や大型アパート団地建設や遊園地は我々が優先するべき問題ではありません」(スーチー)

「突然爆発するのがビルマ人のメンタリティー」

  インドネシアでは、学生デモが流血や略奪を伴って、スハルト大統領を退陣させたばかりだ。私が最も知りたかったのは、アウンサン・スーチーの強調する非暴力路線がビルマの民主化を達成出来るかどうかという点だった。というのも、それまでの取材で学生や、僧侶、ビジネスマン、元NLD幹部や党員など、ほとんどの例外もなく、現在の軍事政権に対しては非暴力では何も変わらないという意見だったからだ。誰一人として、軍人が話し合いや交渉で権力を譲るような相手ではないと信じているからだ。
著名な政治家を父親に持つものの、ビジネスに専念する人物はこういう。
「1962年に軍人が政権を握って以来、国軍は国民を殺すのをいとわない。殺される学生や市民の数は増える一方だ。88年が数千人の犠牲者とすると、今度は1万人だろう。軍はそんなことを気にしない連中だ。だから国民は恐れている。民主化を達成するためには、非暴力ではビルマでは無理だろう。血が流れる事態は避けられない」

そこで彼女にインドネシアと比較しつつ、ビルマ人の忍耐強さについて聞いてみた。
「インドネシアは32年かけてスハルト独裁体制を倒しましたが、ビルマは36年間軍人が実権をにぎったままです」
「あなたは1988年のことを無視していませんか。国民の忍耐には常に限界があります。1988年を予想した人がいたでしょうか?突然爆発しました。ビルマではいつもそうした形をとります。それがビルマ人のメンタリティーの一部だからです。どこの国でもそういう傾向はあるものです」(スーチー)
「どうして非暴力路線にこだわるのですか」
「できるだけ人が傷つかないような方法でこの国を変えようとしているのです。政治的な変化を暴力で成し遂げるのは、悪い前例を作るだけです」(スーチー)
「『私はデモに参加するようなタイプではない』」と、インタビューで答えていますが、時機が到来したら参加する意志はありますか?」
「民主的な政党に属していますから、政党の決定には従います」と、かわされた。「大規模なデモ行進、例えばドクター・マーチン・ルーサー・キングが先導したようなものは非暴力路線に含まれますか」と尋ねると、「人によってはそれは非暴力とみなすでしょう」と言った。
「近い将来、街頭演説をするつもりはありますか?」
「それについては話すつもりはありません」とそっけない返事だったが、彼女の表情に子どもが何か隠し事をするようなはにかみに似た表情を見た。

マンダレーの党員の気持ちが、平均的市民の気持ちを反映しているのではないだろうか。
「我々は彼女に総てをまかせてある。今は非暴力と対話で変える事を強い方針としているが、我々の気持ちは良く分かっていると信じる。期が熟せば彼女はゼネストの指示を出すだろうと。その時はみんなが参加する。対話だけで軍政を変えられるとは思っていない。対話を続けながら連中は権力の維持を長引かせる事だってできるから」

当局による拘束、国外追放

  国外追放を覚悟で狙っていたアウンサン・スーチーのインタビューと最新の写真撮影に成功した充足感は、しかし長続きしなかった。取材場所のティンウーNLD副議長邸を出てすぐに、二台の自動車に行く手の前後を挟まれた。およそ20名の国軍情報機関員に取り囲まれた。自動車から出てきた入国管理官のユニフォームを着る人物にパスポートの掲示を求められ、自動車に半ば強引に押し込められるかたちで、身柄を拘束された。
  拘束される理由は何か、どこへ連れて行くのか、大使館に連絡させろなどの我々の問いかけと正当な要求を、彼らは無視するだけだ。結局、空港のエムアイ取調室で、総ての荷物を片っ端からチェックされて、フイルムとカセットテープと、さらにホテルの領収書のたぐいまで根こそぎ押収された。アウンサン・スーチーを久しぶりに撮影した私にとっては宝物のフイルムとインタビューテープも押収されてしまった。まるで犯罪者のように壁に両手を挙げて身体検査までさせられた。大使館に連絡させろという正当な要求を彼らは無視しづけた。税関服の人物が、
「お前には絶対に大使館へ連絡を取らせないぞ。お前はここに留まるんだ」と怒りまくったこともある。
 夕方六時ごろになってようやく日本大使館員が、私の身の安全を確保しに空港に来てくれた。ティンウー邸からの各国大使館への速やかな連絡があったのが幸いだった。

流血の事態が迫る

  9月に入ると都市部では着実に緊張が高まってきた。リーダーがいないと思われていた大学生たちが、ヤンゴン市内二ヶ所のキャンパスで、数千人規模の軍政打倒デモを展開し、彼らの潜在的な闘争心を見せつけた。マンダレーでは僧侶がデモを開始した。その一方で軍事政権は、より一層強硬な方針で民主化勢力をつぶしにかかっている。9月10日までに、新たに510名のNLD議員と党員が逮捕された模様だ。スーチーが国連総会の開幕に合わせて、国会の招集をかけるとみられ、当局が呼ぼう拘束の強硬手段に出たためだ。彼女の逮捕もあり得る強硬路線が始まったようだ。

  インタビュー中、アウンサン・スーチーが思わず口を滑らした本気とも思える冗談がある。「世界的な報道特派員協会によると、スハルト大統領がジャーナリストにとっての一番の敵で、二番目はタンシュエ議長(ビルマ軍政のトップ)だった。スハルトが去った今はタンシュエ議長が最大の敵ということでしょうか?」というものだった。第一の敵は倒されたが、ビルマでは・・・。流血の事態が予想外に早くやってくることが懸念されるばかりだ。

アウンサンスーチーへのインタビュー
野党指導者、ビルマの変革のために行動を起こす準備があると語る

BBCイーストアジア・トゥディ 
1998年8月10日

アウンサンスーチー:もうすっかり体調は元に戻りました。これから出ようと思えばできるくらいです。皆でバンに乗りこみ、十分な食糧を積み込んで出かけることができます。

イングラム:ではなぜ外出されないのですか。外出できない主たる理由はなんですか? これはいつ出かけるのかという単純な質問です。

アウンサンスーチー:いつ出かけるのかという質問ですね。適切なときに出かけることになるでしょう。

イングラム:ビルマにおける政治的状況には解決策がまったくないかのように思われます。あなたの側の戦略を変更する必要があると思いますか?

アウンサンスーチー:私たちは一つの戦略を取り続けているのではありませんよ。これまでも様々な戦略を用いてきましたし、これからも新たな戦略を用いていくつもりです。しかし平和的な解決がもたらされることを強く望んでいます。平和的な解決とは、つまり対話による解決ということです。

イングラム:そうおっしゃるのなら、あなたが協議に必ず参加しなければならないという、あなたの側が掲げている要求――NLDが提示している条件ですね――を緩和すべき時期ではないのでしょうか? 軍事政権の手の内をあばくため、軍事政権を協議に参加させるためにです。

アウンサンスーチー:こちらから私を協議に参加させろと要求したことは一度もありません。私たちはただ協議は平等原則に基づかねばならないこと。つまり相手[軍事政権]が自分たちで誰を代表にするかを決めるならば、私たち[NLD]も自分たちで代表者を決めるという原則を主張してきただけです。平等原則に基づかないで本当の政治的な交渉を行うことはできません。協議の参加者を一方が勝手に決めて行われる本当の政治的交渉など考えられますか、不可能です。

イングラム:現在、国内で深刻化している出来事―経済状態、軍事政権が直面している国際社会からの非難―があります。こうした事態はじっさいあなたの側に有利にはたらいていると思いますか? 結果的に権力があなたの側に転がり込んでくることを望んでいますか?

アウンサンスーチー:いいえ。権力が転がり込んでほしいとは思っていません。ただ座して望んでさえいれば何かがかなうなどと考えているのでもありません。だからこそ私たちは活動しているのです。私は[ビルマに]民主主義を実現できると確信しています。それは歴史が私たちの側にあるからであり、ビルマが現在、軍事政権が国のために何もしておらず、人々が変化の必要性を理解しているような状況にあるからです。

イングラム:[ASEAN]地域の情勢もあなたに有利にはたらいていると思いますか? 例えばインドネシアでの最近の出来事や、変化が必要であるという率直な発言がフィリピン政府から発せられています。

アウンサンスーチー:ええ。地域の情勢も民主主義を支持する方へ向かっています。一年ほど前には、ASEAN的価値や西洋的な意味での民主主義に関する議論、経済発展の一番の近道はある種の権威主義的な支配体制を敷くことだという議論が続いていました。しかし現在そうした議論はまったくなくなってしまいました。もちろんこうした変化は私たちの追い風となっています。なぜなら私たちはこれまでも次の原則のもとで厳格に活動してきたからです。それは経済発展を政治的安定と切り離さず、真の政治的安定は国民が国家運営に参加することではじめて実現できるという原則。つまり[真の政治的安定のためには]民主的なシステムが不可欠だという主張です。

出典:Interview with Aung San Suu Kyi: Opposition Leader Ready to Step Up the Campaign for Change in Burma, BBC: East Asia Today, August 10, 1998