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社会

ビルマ政府、債務無償を軍需に転用か
1998年12月1日配信 ジェーンズ・インテリジェンス・ポインター

ジェーンズ・インテリジェンス・ポインター1998年12月号より
ビルマ政府、債務無償を軍需に転用か
ブルース・ホーク

  軍需輸入のコストを下げ、将来における武器禁輸の可能性を回避するために、ビルマ政府は代替輸入策を行っている。同計画による試作品として、おびただしい数の自動小銃、に軽機関銃、軍事目的に改造をほどこした車両が製造されてきた。ビルマは現在、少なくとも一機種の試作自動小銃を、今年年頭にシンガポールから入手したモジュール式工場で製造している。ビルマ軍はこの数年間、地元生産の重くて故障しがちなG2やG3自動小銃に替わる製品を探してきていた。 1995年にはエレクトリカル・メカニカル・エンジニアリング社(EMEC)が軽機関銃と自動小銃計16種を製造しており、そのうち7.62ミリ口径の軽機関銃一種を除いて全て5.56ミリ口径であった。ラングーンを拠点に活動するアナリストは、ビルマ軍はこれら兵器の設計に外国の支援を得ていると考えている。試作品は、G3自動小銃の5.56ミリバージョン、中国製56型、イスラエルのガリル社製ライフル、軽機関銃と自動小銃の2つのタイプがあるEMARK1などを含んでいる。

   EMARK1は短縮型のブルドッグ型の輪郭をもったデザインで、引き金の後部に弾倉を装填している。自動小銃と軽機関銃はおおよそ似ており、どちらも打ち抜き型の全合金のM16の弾倉を備え長さは832ミリ、射程距離と発射率は同じで、射程400メートル、1分間に650発が可能である。両者の唯一明らかな違いは、軽機関銃は重量が4.5キロ(弾倉含まず)で、自動小銃より500グラム重いということである。以前、ラングーン本拠のアナリストたちは、EMARK1はオーストリアのシュタイアーの複製品であると考えていたが、短縮型のブルドッグ型の輪郭をもった中国製自動小銃が元になっているのかもしれない。この銃が一般に知られたのは1997年6月の香港返還の時だけにすぎない。

   さらにEMEC社の試みをあげると、「特殊戦闘車両」がある。これは1995年式日産ULG160GSホイールベース・ランドクルーザーであり、日本政府の債務無償供与で購入したものだ。デモ規制や市街戦用に改造している。同車両の特徴は、屋根に12.7ミリブローニングFNハースタル機関銃を、ボンネットに7.62ミリMG3LMG軽機関銃、カール・グスタフ84ミリM2ロケット砲を搭載、後部に81ミリM29、60ミリタイプ63の迫撃砲をそれぞれ積んでいる。特殊戦闘車両は1996年12月に初登場、ラングーンの学生による抗議行動のさなか、街路をパトロールした。 1996年の「武装戦闘車」、つまりEMEC社がデザインした武装車は、フォード製の軽トラックに日産の同96年型ディーゼルエンジンを積んだものであり、おそらくは日本の債務無償供与を利用して購入したのであろう。装甲した同戦闘車両は、12.7ミリのタイプ85機関銃と7.62ミリMG3軽機関銃を搭載した特徴を持つ。これも1996年12月のラングーンのパトロールで初めて登場した。

   武器製造に使われた軍用転化可能製品および生産材は、日本政府の債務無償供与で支払いをされてきたものらしく、これは日本政府の政策違反である。最も顕著な例は、「特殊戦闘車両」を別にすれば、日産の10トン車を使った軍用コンテナ輸送トラックである。1988年以来、国際戦略研究所(IISS)は、軍事目的に供する援助は認めないとする日本政府の政策に抗して地元で製造された、少なくとも20台の日野製の装甲車、マツダの偵察車両30台の存在を確認している。 ラングーンの軍事アナリストによると、この輸入代替努力は科学技術省の斡旋で実施されたものだ。同省は第二工業省(重工業)本部、また電子機械エンジニアリング社の作業場に近く、カーバエイパゴダロードにあってミャンマー・フリッツ・ヴェルナール社と同一構内にある。最大の武器工場はプロームの南方、シンデル(シンデ)にあると伝えられる。軍需工場はトネボ、パダウン、ニャウンチダウに、さらにラングーンには四工場があり、バゴー管区のインダイン(インタイン)およびマンダレーにある。 これらの工場では自動小銃や軽機関銃、軽迫撃砲、手榴弾、対人地雷、弾薬のほか、軍服やパラシュート、スポーツ用品などの軍需品を生産している。ビルマは大半の弾薬を自給している。すなわち5.56ミリ(少なくとも1996年以降分)、7.62ミリ、9ミリ弾、51、81、60、120ミリの各迫撃砲弾、41ミリと51ミリ銃榴弾、そしておそらく40ミリ発射装置用擲(てき)弾などである。地元生産されるのは、BA88攻撃用、BA91防御用地雷、BA109手榴弾、さらにBA84すなわち81ミリロケット砲である。

   数年前、ラングーン近郊のイワマとマンダレー北のメイミョーにあるふたつの鉄鋼所が近代化された。高品質の硬い鉄を生産する目的によるものである。メイミョーは、エリートのための防衛サービスアカデミー士官訓練学校と、政府が武器製造産業の技術者とデザイナーを訓練することを目的として設立した、防衛サービス研究所の拠点でもある。製造用工作機械はおもにドイツ、中国、シンガポールから調達している。ラングーンの外交筋によれば、ビルマは1997年初頭に中国から1千5百万ドル相当の工作機械を調達した。

   米国大使館の見積もりによれば、ビルマが輸入した軍用転化可能製品および生産材は、1996年度末の3月31日時点で年間9千百万ドルに達している。前年に比べて3千5百万ドルの増加である。それ以降の公的な統計はない。アメリカは、ビルマの工場で製品化されることになる軍用転化可能製品若干量を、販売したと思われる。 アメリカ商務省統計によれば、1995年にビルマは21万2千ドル相当の爆発物と花火製品をアメリカから輸入しており、従来の年度に比べて倍増している。同じく8万8千ドルのボールべアリングあるいはローラーべアリングを輸入しており、従来の年度に比べて10倍になっている。さらに56万8千ドルの電動をともなわない工作機器を輸入しており、従来の年度に比べて40倍になっている。それに加えて、293万ドル相当の汎用産業工作機を輸入しており、従来の年度に比べて6倍となっている。 この統計には、シンガポールなどの仲介国を経由して、最終的にビルマに販売される製品は含まれていない。統計は、軍全体の輸入パーセンテージとは無関係であるが、ビルマ国内での武器製造が増加していることを示している。

   シンガポールは小火器と軍需品を生産するための最先端設備をビルマに提供している。モジュール式の、プレハブ工場がシンガポールに建てられた。国有企業であるチャータード・インダストリー・オヴ・シンガポール(CIS)の設計によるものである。設計にはイスラエル・ミリタリー・インダストリーズ(IMI)の現職、もしくは元職員であると思われるイスラエル人コンサルタントが関与している。このプラントはシンガポールでテストされたのちに解体され、今年2月にビルマ移送されている。 ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリーが7月に入手した情報によれば、このプラントでは最大37ミリメートルまでの小火器および武器を製造することができる。モジュール式なので拡張が容易である。このプラントの搬送は、国有軍需工場である国防省のディフェンス・インダストリーズの幹部によって行われている。うまく設計されているので、おそらく数週間程度で再組み立てが可能だったと思われる。あるいは航空機組立工場や倉庫のような、既存の建物の中に立てられたかもしれない。 ラングーン外交情報筋は、カンパウのヤダナパイプライン・プロジェクトを監視している兵士に、すでにEMARK1ライフル銃とLMGが供給されていることを確認した。明らかにこの工場が数カ月前から操業されていたことがわかる。

   ビルマは最初、1950年代に自国製の武器を造ることを試みた。ビルマではBA52と呼ばれ、「ネウィンのステン銃」として馬鹿にされている、イタリア製TZ45・9ミリ軽機関銃のコピーである。この銃は1944年にイタリアで最初に生産されたが、第二次世界大戦の終わりに生産中止されている。ビルマ政府はこの銃の修整バージョン生産を目的とした工作機械を購入している。当時軍のトップだったネウィンが積極的に購入交渉に関与している。取引のために金融システムの切り替えを行っている。 BA52はラングーンのインヤ湖近くの軍武器工場で生産された。イタリアのデザイナーひとりが、工場の建設と機械の設置を監督するためにビルマに派遣されている。このイタリアの会社はさらに、ネウィンの相手をするための魅力的なイタリア人モデルを派遣している。当時の民主的に選出された政府はこのことを恥とし、ネウィンは軍指揮官の地位を剥奪されかけた。 1953年にBA52はビルマ軍の標準機関銃となった。銃には生産が容易なように粗削りなデザインがほどこされていた。しかし時には作動しなくなることが多かった。1953年、フリッツ・ヴェルナール社はラングーンに工場を建てることに合意した。ゲヴェール3ライフル銃(G3ライフル銃)製造のために、西ドイツの武器製造業者ヘックラー&コッホ社も協力している。フリッツ・ヴェルナール社は第二次世界大戦の終わりに破産した小さな武器製造会社であるが、西ドイツ政府に接収されていた。

   この1953年という年は、西ドイツ政府がビルマを承認する1年前であり、ラングーンに大使館を置く2年前にあたる。工場建設のための融資は、西ドイツ政府によって好意的な返済期間を設けられて実施された。さらに2番目の工場が、7.62ミリのと9ミリの弾薬を生産することを目的として、プロームに建てられた。さらに多くの武器工場が1970年代に建てられている。大部分はフリッツ・ヴェルナール社によるものだが、一部はドイツ・テクニカル・コーポレーション・エージェンシーから派遣されたエンジニアの助言によるものである。1984年後期に、当時唯一の、外国企業とビルマ政府のジョイント・ベンチャーとして、ビルマ国営重工業会社との協力関係が結ばれ、ヴェルナール社が設立された。

   1988年、ラングーンおよびビルマ各地で何千という反政府派が虐殺されたのを受けて、西ドイツ政府は対ビルマ支援から撤退した。それを受けたフリッツ・ヴェルナール社はビルマの工場への供給を停止した。その時のフリッツ・ヴェルナール社は依然国有であったが、翌1989年に民有化されている。 フリッツ・ヴェルナール社はこの民営化をきっかけとして、ひそかにビルマへの「産業機器」の輸出を再開したと思われる。1990年、ジョイント・ベンチャーによる資本金8百万ドルのミャンマー・フリッツ・ヴェルナール産業と呼ばれる会社が設立された。イラワジ川をはさんでプロームの反対側にあるパダウンでは、ドイツの専門スタッフに替わってシンガポールの技術者が採用されていると思われる。 シンガポール政府は、シンガポールの会社はどんな場合もビルマの武器生産に関与していないとして全面的に否定している。ラングーンのミャンマー・フリッツ・ヴェルナール産業には未だにドイツ人が駐在しており、ドイツのゲイゼンハイムにある本社の重役が、ビルマを定期的に訪問し、政府要人および軍幹部と会っている。

   こういった輸入規模と精巧な代用品輸入計画、つまり、アップグレードされた製鉄所、技術訓練校、新しく開発され場合によっては根本から設計された武器、軍用転化可能製品および軍用生産財購入資金の増大などから想定できることは、ビルマ政府が自国製の近代銃と軽機関銃によって再軍備し、さらに将来に向けて武器と軍需品を輸出する長期ビジョンを描いているだろうということである。 ビルマによる武器製造の試みが、今までは特に成功していなかったことを考えれば、このビジョンには大いに疑問がある。今までのビルマ軍装備は低品質であり、銃が作動しなかったり、砲弾が不発だったりする傾向にあった。政府高官の個人ボディガードは未だにEMARK1機関銃ではなく、どちらかと言えばウージーを選ぶ。ビルマのリーダーたち自身が、自国製の武器に置く信頼性レベルを反映しているのであろう。[了]

(翻訳 西村勝也、菅原 秀)