トップページ >  ビルマの現状:政治 >  社会 >  アジアの視点~ある外交官の死

社会

アジアの視点~ある外交官の死
1999年1月25日配信 月刊ジャーナリスト

アジアの視点~ある外交官の死
ジャーナリスト 菅原秀
 
 ビルマでの反政府派への弾圧がますます強化されている。軍政が敷かれて以来すでに数十人が獄死している。
 日本人でビルマ軍事政権に逮捕されたのは昨年一月に毎日新聞の藤田悟記者、同じく八月にフォトグラファーの山本宗補氏の二人だが、国外退去という形をとられ刑務所への収監をまぬがれている。
 しかし軍事政権は外国人だからと言ってすべて国外退去にして事を済ませるわけではないことを、ジェームズ・ニコルス氏の件が充分に物語っている。

 ジェームズ・ニコルス氏は英国系ビルマ人で、アウンサンスーチーの親友でもあった。自らの事業をするかたわら、スイス、ノルウェー、ベルギー、フィンランドの領事の仕事もしていた。
 ラングーンでの血の弾圧が起きた一九八八年以降、ビルマと欧米との関係は冷え込み、各国の大使館は撤退し、ビルマ国内での自国人保護の仕事をニコルス氏に依頼するようになっていたのである。

 ビルマでは一般人がファックスやコンピューターを持つことは許されない。
 毎日新聞が一九九五年にアウンサンスーチーによる「ビルマからの手紙」の掲載を開始したが、国民民主連盟側は原稿の送信に苦慮した。
 アウンサンスーチーたちはさまざまなチャンネルを使って日本への送信を継続してきたが、多くの人々がファックスを所持していた罪で軍事政権に逮捕されており、中にはその後行方のわからない人もいる。毎日新聞の記事は大きな代償をともなっているのである。
  外国との通信が比較的自由だったニコルス氏は、スーチーたちに救いの手を差し伸べ、自宅のファックスによる毎日新聞への送信を引き受けるようになった。

 ところが一九九六年四月、軍事政権はニコルス氏の逮捕に踏み切った。そして二カ月後、軍事政権はニコルス氏の死亡を発表した。発表は「ラングーン総合病院で卒中で死亡した」「刑務所内で食中毒で死亡した」「持病の糖尿病が悪化して死亡した」など二転三転した。
 ニコルス氏の遺体は死亡の翌日には軍関係者だけで埋葬され、家族が遺体と対面することは許されなかった。
 ニコルス氏が拷問によって殺されたのではないかという疑問を感じたノルウェー政府は、二カ月にわたって死因を調査した。その結果、同年八月に「ニコルス氏の死因は刑務所内での拷問によるものである」と発表した。
 ノルウェーは「拷問による死」と結論づけた理由を開示しなかった。情報公開が進んでいる国としては極めて異例だった。

 ところが、一九九八年になってインセイン刑務所から釈放されたビルマ人元服役囚がタイへの脱出に成功し、刑務所内でのニコルス氏の様子を詳細に記述した文書を、国連人権委員会のビルマ特別報告官であるラジャスーマ・ララ氏に手渡したのである。
 ララ氏はこの文書の信憑性を認め、昨年十月、国連総会に対してニコルス氏の死因を調査するように要請している。
 外交官を殺害すると言うことは通牒なしの戦争開始に等しい暴挙である。ビルマ軍事政権がその暴挙を行ったのかどうか、われわれはしっかり見定めなければならない。

「月刊ジャーナリスト」1999年1月25日 掲載